原料畑一筋、高炉の稼働を支え続けた鉄鋼マン
次の時代に向けてうねりの中、舵を取る

< 第493回 > Sun Nov 01 00:00:00 JST 2020掲載


NSユナイテッド海運株式会社
代表取締役社長 谷水 一雄 氏


――NSユナイテッド海運と言えば、インダストリアルキャリアとしての性格が会社を特徴づけていますが、海運の今後の10年は環境対策や先進技術などで大きく変わると予想される中、NSユナイテッド海運を取り巻く環境についてお聞かせください。


 近代、「鉄は国家なり」と言われ、海運は軍事とも密接であったように、鉄と船というのは、明治時代以来、「二コ一」で成長して来ました。以来、150年が経ち、鉄と船は、文明と同じく欧州を起点にして米国、そして日本に移り、中国へ向かうまさに歴史的な転換点のただ中にあると言えます。中国は2000年代から経済成長を遂げ、この20年間、危機が訪れる度に大きくなり、圧倒的なプレゼンスを感じさせています。海はよく七つの海と言われますが、その中で我々が勝負しているのは、日本発着を主とする身の回りの海が中心になっています。三国間輸送については荒波で、百戦錬磨のプレーヤーが相手です。生業としてきた日本発着カーゴが縮小していく中、どういう形で踏ん張るか、非常に厳しいものがあります。


――大株主である日本製鉄向けのみならず、競合となる韓国や中国の鉄鋼メーカー向けにも輸送していますが、そのバランスの取り方についてはどのようにお考えでしょうか。


 例えば、欧州ミル向け石炭輸送の復航で日本製鉄向けに鉄鉱石を運ぶことでラウンドトリップできるように、競合相手との商売でメリットが生まれるという発想でとらえてもらっており、日本製鉄の懐の深さを感じますね。日本製鉄から現職に移って改めて実感したのが、資本費の高い海運は市況のボラティリティに最も不向きなハイリスク産業であるということです。鉄道では運賃の認可制が採られており、航空業界にはアライアンスがあります。海運大手では収益安定化のために事業ポートフォリオで凸と凹をならしていますし、不動産を所有する海運会社もある中、弊社では日本製鉄向けの取扱いが半分程度を占めており、一定の収益の安定化を図っています。ただそれ以外、コモンキャリアの部分は市況に晒されており、ここをマネージするのに、同じ鉄鋼会社である韓国や中国、欧州のプレーヤーとの取引のほか、鋼材、マイナーバルク輸送でバランスを取り、収益の安定化につなげていきたいと考えています。


――今年5月に発表された中長期経営計画でも謳われている環境対策の現状をお聞かせください。


 IMOの2020年SOx(硫黄酸化物)規制の場合は一夜にして全員が同じコストアップだったのに対し、GHG(温室効果ガス)の40%の削減は今後10年で達成する目標となり、荷主に環境意識はあっても、残念ながら具体的にコミットしてもらうための道程は不透明です。


――環境対策は期限こそ決まっているものの、いわゆるJカーブ効果のうち、投資コストの曲線がどれくらい深くて長くなるのか、見えないのが現状ですね。


 世界と比べて日本のGHG排出削減は出遅れていますが、いずれは変わる必要があり、これは我々にとってメリットです。IMOの掲げる目標と日本国内の環境意識に温度差があると、やりづらいのは我々、海運だからです。海運の枠にとどまらず、荷主にもコミットしてもらい、ひいては国民全体の意識が上がっていけば、いずれは環境への取り組みに対するバリューが評価され、収入が増えて投資に回るという良い循環に入っていくと考えています。


――環境対策をサポートするのは、広い意味で「社会全体の意識」ということになりますね。


 相当先ではあると思いますが、そんな時代も近付いて来ると感じます。アンモニア・水素やメタネーション(カーボンリサイクルメタン)など、次世代燃料は様々なものがメニューに上がっていますが、個人的には、LNGを焚いてCO2を回収し、再利用するメタネーションには連続性があって良いように思います。今後も引き続きゼロエミッション燃料を巡る動きに注目し、いざ、環境への取り組みに弾みがついた時にタイムリーに対応できるよう、準備にはお金をかけていくつもりです。


――LNGと言えば、子会社のNSユナイテッドタンカーがLNG内航船を3隻運航していますね。


 2030年までに6隻への拡大を計画しています。産業界の低炭素化・エネルギーのLNG転換やLNG燃料船へのバンカリングを視野に入れたものです。八幡にLNG輸入基地があり、そこを起点にLNGの小口での外販や保管輸送ができるサプライチェーンが特徴です。また現在内航船ではCO2削減の議論がすすみにくいのが現状ですが、いずれ、対策に迫られる日に備え、内航船のLNG燃料化や100%電気駆動船を検討中です。外航でのLNG燃料船など環境対応船整備に向けて、まずは内航で内野安打を打ち、次に外航で外野に球を飛ばし、いずれはグループとしてホームランにつながるようなイメージを持っています。また昨年にはリチウムイオン電池搭載型のハイブリッド内航鋼材船を建造し、実用化に向けて取り組んでいるところです。


――環境意識の高まりをきっかけに、船はマーケットの相場物でなく、社会インフラの一部だという認識が高まることを期待したいです。


 日本ももう一度、イノベーションをキーワードに造船業に頑張ってもらい、我々も日本造船所に発注できればと考えています。こういった考えは今では古くなったのかも知れませんが、そこにはこだわりをもちたいですね。


――日本発で、ハード、ソフト両面で環境を考慮した海運物流を提供していけたら良いですね。


 その意味では、鉄鋼業を見てもわかる通り、タイムリーに動かないと中国に先を越されてしまう可能性があるのを危惧しているところです。


――これまでのご経歴についてお聞かせください。


 旧 住友金属工業(現 日本製鉄)に入社以来、一貫して原料畑で、長い間、高炉と付き合っていました。私が入社した当時、高炉は神様で、原料はお供えする下僕だと教わりました。困ったのは、嵐やら何やらと船が計画通りに来ないこと。来なくて良い時に早く来たりして、船のために新人時代は残業ばかりした記憶があります。また鉄鋼会社は軍隊さながらで、毎朝、出勤後には腕立て伏せで鍛え、社歌を歌いました。新入社員訓練には「鋼片すり減らし」というものがあり、目的は鉄がいかに硬いかを理解することなのですが、鉄の板を渡され、つまようじを作るよう命じられました。一昼夜ヤスリをかけ続け、つまようじくらいになるとOKをもらえます。一晩かけて堺から和歌山まで夜行軍をしたこともありました。野を越え山を越え、途中で自炊をするのです。


――本当に軍隊ですね(笑)。印象に残っているお仕事についてお聞かせください。


 海運が中国バブルを先読みして船を仕込み、船ロングで荷動きが盛んだった2000年代、鉄鉱石や石炭の調達を担当していて、ライフキャリアとして、価格がどう決まるかという点に大きな関心を寄せてきました。当時は従来の年毎の交渉によるベンチマーク方式から、毎日発表されるインデックスで価格設定するインデックス方式に移る局面で、2010年までの10年間、サプライヤーとバトルをしたのです。スポット価格で調達する中国の需要家の登場をきっかけに、従来の安定した長期契約による価格から、最終的には全てスポットベースに変更されてしまいました。当時はスポット価格の方が高く、資源会社は日本の長期契約ベースの値段では売らないと最後通牒を突きつけて来たのです。その時は原料が切れる怖さを実感しました。サプライヤーから怒声を浴び、社内では、原料が切れるか鋼材コストアップなんて、会社に対して腹を切って詫びろと詰め寄られました。こういった紆余曲折を経て、現在のインデックス価格体系に至ったという20年の歴史があります。この流れはフレートも同じで、当時船会社にも長期契約を避けスポットを指向する動きがあり、船のコモデテイ化がすすむ結果となったわけです。


――海外駐在はどちらでしょうか。


 1995年から4年間、シドニーに駐在しました。小さな事務所だったので、自分で決算やJV管理、資源投資をするために英語の勉強を兼ねて夜間の会計の学校に通ったりして、楽しかったですね。当時はまだ日本に無かった減損会計が導入されていて、投資した資産を減損処理できるのが非常に新鮮でした。今のようにスマホが無いので本社から追っかけられることもなく、パラダイスでしたね (笑) 。モーテルみたいな安宿に泊まりながら家族で10日間くらいドライブ旅行したり、シドニーからパースまで豪州を横断する寝台列車に3泊したり、10年分の家族旅行をしたような気がします。


――休日の過ごし方についてお聞かせください。


 最近は映画館と美術館巡りです。映画や絵を見ることで、底に沈んだ情念がふつふつとわき出て来るような、心が動かされたり落ち着いたりする感覚が良いなと思って、映画館には週末ごとに足を運んで、午前一本、午後一本観ます。


――今までご覧になった中で、一番素晴らしいと感じた映画について教えてください。


 今年見た中では「アルプススタンドのはしの方」という単館系の映画が良かったですね。高校野球に全く関心のなかった生徒たちが、スタンドの端で応援に駆り出される中、それぞれの思いや生きざまが交差しつつ、最後はあっと驚く盛り上がりで試合終了となる、というストーリーで、野球のシーン自体は全く出てこない会話劇です。


――座右の銘についてお聞かせください。


 難しい四字熟語みたいなものはなく、「本分を全うする」ことです。やって来た以上のことは起きないと、亡くなった家内からずっと言われて来た言葉です。あなたが変えられるのは自分の気持ちだけ、心を変えれば世の中は動く、と励まされてきました。


――新型コロナを受けてどう感じていらっしゃいますか。


 我々の育った世代は「24時間働けますか」という言葉に象徴されるように、深夜まで残業後、カプセルホテルに泊まって翌朝出社するようなサラリーマン戦士です。それが、コロナの発生で在宅勤務となり、正直、これまで会社に捧げて来た時間は何だったのか、時間を返してほしいと思う気持ちはあります。ただやはり、過去の働き方のバランスが悪かったのと同様、在宅勤務のみというのもメリハリに欠けます。会社としては、せっかく働き方のオプションが増えたのですから、自分の好きな働き方で生産性を上げつつ、働きがいや充実感を得ることで、会社に対してのエンゲージメントの向上にもつながればと考えています。


――バランスが大事ということですね。


 昨今、「中国かアメリカか」「コロナか経済成長か」「環境か利益か」といったように“or“の図式で語られることが多いと感じます。民主主義はトレードオフ、”or”に弱い傾向にありますが、それを”and”にしていかないといけない。ベンサムの「最大多数の最大幸福」で良いのだというのが多数決、民主主義の世界でしたが、その限界が見えてきていると感じます。


――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。


 今でもあれば必ず食べるのは広島のお好み焼きです。生まれ落ちたのは京都ですが、小中高と過ごし、自我が目覚めたのは広島なので、多感な時期に色々な人と食べて来たのはお好み焼きです。


――心に残る「絶景」はございますでしょうか。


 昔にさかのぼれば、高校卒業後、寝台列車で上京した時の車窓の景色、そして東京に着いて初めて見た新宿の高層ビル。これにはたまげましたね。テレビドラマの「太陽にほえろ」のエンディングで、ビル群を背景に夕日が沈むシーンが実際に目の前に広がっていて、感激の余り、受験に落ちても良いと思ったくらいです。蛍雪時代の中でしか見たことのなかった駿台予備校や河合塾、早稲田ゼミナールの校舎を生で見たのにも驚きました。大学よりも予備校を見たのに感動したくらいで、花の東京を実感した思い出があります。

 もう一つは、シドニー駐在中、旅先で見たアウトバックと呼ばれる土漠の荒涼とした景色です。一日500キロ、ひたすら変わらない景色の中をドライブするのですが、その500キロの先には、アボリジニの壁画や奇岩といった目にしたことのない景色が待っています。夕暮れの空や満天の星空も素晴らしかったですね。海運会社にいるのに海ではないのかと言われそうですが。(笑)



【プロフィール】

(たにみず かずお)

1958年生まれ 京都府出身

1981年 早稲田大学政治経済学部卒業、旧 住友金属工業 入社

2005年 原料部長

2012年 新日鉄住金(新日本製鉄と経営統合して誕生、現 日本製鉄)参与

2016年 常務執行役員

2018年より現職

 

■NSユナイテッド海運株式会社(http://www.nsuship.co.jp/


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