管理畑出身、組織再編のプロフェッショナルは
地域の子どもの成長を見守るラガーマン

< 第496回 > Mon Feb 01 00:00:00 JST 2021掲載


エスオーシー物流株式会社
取締役社長 野々村 智範 氏


――エスオーシー物流のご紹介・PRをお願いいたします。


 エスオーシー物流は、親会社である住友大阪セメントが合併前にそれぞれ所有していた内航輸送子会社2社が統合してできた会社です。1994年の親会社の合併に伴い、同じ事業を行う様々な子会社が合併して合理化が進んでいきましたが、旧 住友セメント系のスミセ海運と旧 大阪セメント系の大窯汽船という2つの子会社の統合は、親会社の合併から20年後の2014年、スミセ海運が大窯汽船の運航管理部門を統合し、エスオーシー物流に社名を変更し、同時に船主部門はエスオーシーマリンとして分割するという形でやっと実現しました。当社は住友大阪セメントの海上輸送の総元請として、製品であるセメントだけでなく、原料である石灰石やその他の副原料、リサイクル原燃料など、親会社の海上輸送の約8割を担っています。現在、内航船ではセメントタンカー5隻、石灰石専用船4隻、一般貨物船3隻、計12隻の自社船を保有しています。また、運航管理しているのは30隻程度です。組織再編から6年が経つ中、小型の499総トン型貨物船やガット船を建造したほか、内航船だけでなく、外航の貨物船を建造し、ロシアからの石炭輸送も行っています。

 当社のPRとしては、自社での輸送ということにこだわりをもっていることです。石灰石船は全て、セメントタンカーも自社船が多数あり、また自社船の船員はほとんどエスオーシーマリンの社員です。コストより、安全かつ安定した物流を実現するためには代えられないという方針です。船員は新会社設立当初は120名程度でしたが、自社船の増加に伴い、現在では140名を超えています。


――内航海運は船員の高齢化が懸念されており、船員間の年齢差があり過ぎて若い船員が定着せず、辞めてしまうと耳にすることもあります。


 当社の船員の平均年齢は36歳程度です。質の高い船員を確保するにはそれなりのコストがかかりますが、船員が不足する中、安全輸送を柱にする上では長い目で見ると理にかなっていると思っています。


――業界の平均年齢が55歳程度と言われている中、若手の船員が多くいらっしゃるのですね。今後の展望についてお聞かせください。


 まずは親会社の住友大阪セメントの海上輸送の総元請というミッション達成のため、さらに取扱いを拡大していきたいと考えています。セメント業界は国内需要が伸び悩む中、セメント生産に産業廃棄物を取り入れることでコストを抑えていますが、現状はまだ、工場近郊からのトラック輸送も多いため、今後は海上輸送の割合が伸びていく可能性があります。ただセメント需要自体が減っていく中、親会社に依存しない、新たな分野での一歩を踏み出したいという思いも持っています。先ほどお話したように当社は、多くの船員を抱えており、例えば船主さんで船員が足りないところと船員を共有する提携のような取り組みができればとも考えています。新型コロナの今後の経済への影響を見定めるのは難しいですが、暫定措置事業が終了し、今後、内航業界で競争が激しくなることも予想されるので、業界の動向をよく見て出遅れないようにと思っています。


――これまでのご経歴についてお聞かせください。


 1981年に旧 住友セメントに入社し、1990年から2年間、慶應義塾大学のビジネススクールに通ってMBAを取得しました。それ以降30年間、一貫して管理畑で過ごしました。15年間と一番経歴が長いのが法務で、残りは経理・財務や企画部門です。また2005年から4年間、大窯汽船に出向していました。


――統合することになる相手会社の事情を知るべしということだったのでしょうか。


 今から考えれば、そういうことにもなりますかね。出向中に効率化のために大窯汽船をホールディングス化しました。両社の統合による当社の設立に当たっては、住友大阪セメントの企画部長時代にそのプロジェクトリーダーをしていました。現在のポジションは、そのような事情もあってのことかも知れません。


――印象に残っているお仕事は?


 法務時代には大きな裁判を立て続けに担当しました。もちろん、すべて勝訴というわけではありませんが、個人的には、たいへん頑張ったつもりではいます。また法務として、関連会社の組織再編を数多く手掛けて来ました。住友大阪セメント合併後の関連会社の再編、先にお話しした大窯汽船のホールディングス化やエスオーシー物流の設立以外にも、株式移転、会社分割や営業譲渡といった様々な手法を駆使してグループ内の組織の再編に取り組んで来ました。


――さながら社内M&A屋さんですね。


 こういった分野は得意と言えば得意でしたし、面白かったです。法律知識と会計知識の両方が求められるので、どちらの部長も経験できたおかげで、一人で両方をカバーできるのが自分の強みです。


――ご趣味や休日の過ごし方についてお聞かせいただけますでしょうか。


 私は浦和が地元なのですが、地域の子供向けのラグビースクールのコーチをやっています。自分自身のラグビー歴はクラブチームでの遊び程度ですが、息子がこのラグビースクールに通うようになった時に誘われて40歳の頃からコーチを始め、出向時代を除いて、20年ほど続けています。うちのスクールは、幼稚園児から中学生まで、子供だけで300名、コーチを合わせれば400名以上いる大所帯で、そこでレフェリーの資格もとって指導に生かしています。またタグラグビーと言って、タックルする代わりに腰に付けたタグを取りあう子供向けラグビーがあり、最近では小学校の体育の授業にも導入されているのですが、地元の小学校などでタグラグビーの指導をすることもあります。日曜はラグビースクールのコーチをしているので、ラグビー漬けの週末を過ごしています。


――浦和というとサッカーが有名ですが、そんなに大きなラグビーチームがあるとはびっくりしました。


 ラグビーが好きで、今日も昨年、日本で開催されたW杯の記念ネクタイをしてきました。


――座右の銘についてお聞かせください。


 私は「人間の成長を支えるのは謙虚さ」だと考えています。何かうまくいっても天狗にならず、さらに上を目指すことこそが人間を成長させるという意味で「学びて己の無学を知る。是を学ぶといふ。」という思想家の亀井勝一郎の言葉を挙げたいと思います。あとはラグビー憲章の「品位、情熱、結束、規律、尊重」ですかね。活字になった時にかっこ良いかなと(笑)。


――新型コロナを受けての変化はありますでしょうか。


 エスオーシー物流では年に一度、船主やマンニング会社の関係者など30~40名招いて本船の安全運航のための船舶安全会議というイベントを行っていますが、2020年はコロナで例年のような開催はできないため、ZOOMでの開催にせざるを得ませんでした。その際、単なる画面上のオンライン会議ではなく、社旗を飾った会議室で、私の開会の挨拶では画面がズームアップするなど、演出にこだわってみました。内航船では社長自ら船長として乗船している船もありますが、港に停泊中にリモートでもアクセス可能になり、参加者が増えましたし、各社の発表の場では例年と異なり私から直接質問するなど、双方向性のある活発なひとときをもつことができました。新型コロナを受けて開催を断念するのでなく、開催するためにどうすれば良いか考えた結果、今までにはない安全大会を行うことができたのはとても良かったと思っています。そして新型コロナ収束後も、従来型とZOOM開催とのハイブリッドでより良い安全大会を開催ができるのでは、と考えています。多少固くなりますが、弁証法でいうところの、一つのもの、それと対立するもう一つのものを通じてより高次の状態に生かす「アウフヘーベン(止揚)」とはこんなことか、と言えばかっこつけすぎでしょうか。そこまでではなくとも、新型コロナがあったがために、物事の取り組み方を考えさせられる良いきっかけになったと感じています。


――人生の転機になった事柄についてお聞かせください。


 一つ目は先ほどもお話したビジネススクールに通った経験です。実は住友セメントに入社後、10年間本社で営業部に在籍をしていたのですが、まったく役立たずでした。そんなときに社内募集に手を挙げてビジネススクールに通うことになりました。サラリーマン人生のメインが管理部門であるためかも知れませんが、ビジネスマンとしての考え方の基本は全て、ビジネススクールで教わったと思っています。その中で一番気付かされたことは、会社の中での常識は世の中に出ると常識ではないこと。私の代は、スクールの4分の1くらいが女性で、しかも、みなさんとても優秀でした。その経験もあり、これからは、職場での女性の活躍も必要だと考えています。


――船員に女性の方はいらっしゃいますか。


 当社は、以前には、採用したこともありますが、残念ながら現在は、ゼロなのです。世の中からは遅れているとは感じています。女性船員に関しては、出産や育児など、課題はありますが、今後は良い船員に長く働いてもらうためには、子育て中はオフィスでの陸上勤務などの工夫もしていかなければならないと考えているところです。

 人生のターニングポイントの二つ目は、大窯汽船へ出向したことです。それ以前は輸送といっても、セメントというポジションでしか見ていませんでしたが、出向時代に内航海運業界について見聞きしたことが、その後のキャリアに、特に最終的に当社で働かせてもらっていることを考えれば、大いに生きていると感じます。


――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせいただけますでしょうか。


 結婚したばかりの頃、住友セメントの社宅暮らしで、月に一度、自転車で西川口にある焼肉店「南光苑」に行くのが唯一のぜいたくでした。両親もこのお店を気に入っていて、両親から勧められたのがこの店のテグタンです。スープの辛さと牛肉の旨味に家内と二人、病みつきになったものです。それ以来、焼肉に行くときには、どこでも必ずテグタンを食べます。このお店ではないですが、先日も家内とテグタンを食べながら、安月給で苦労した当時の思い出話で盛り上がりました。


――心に残る「絶景」についてお聞かせください。


 大学時代はアルバイトばかりの生活でした。そんな中、都電荒川線で通っていたのですが、その通学途中の鬼子母神前駅から次の学習院下駅に向かうまで、線路がひたすら伸びている景色が大好きでした。これを目にすると、つらいことも忘れて、なぜか心が和みました。ただまっすぐな線路が続いているだけなのですが、とても気に入っているワンシーンで、今日も頑張ろうかな、という気にさせてくれるような景色でした。

 

【プロフィール】

(ののむら とものり)

1958年生まれ 埼玉県出身

1981年 早稲田大学政治経済学部卒業、旧 住友セメント入社

2005年 大窯汽船に出向

2009年 住友大阪セメント 法務室長

2012年 企画部長兼管理部長

2013年 執行役員

2018年より現職

 

■エスオーシー物流株式会社(https://www.soc-logistics.jp/


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