あとがき「船乗り松太郎が行く」

更新日:2020年3月3日


 会社の新入社員に昔の船乗りのことを伝えようと思い立ち、自分の船乗り時代、印象に残っているエピソードを思い出しながら第1話から第20話まで題名を考え、関係する寄港地名を付けていった。
 その題名と寄港地名をみながら、最初に手を付けたのが「第8話 ビアフラ飢饉と負け組酋長の息子」だった。この出来事が、「日本人として恥かしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」という趣旨に合っていると思ったからだ。

 今でも黒人青年のきれいな、つぶらな瞳からポロポロと零れ落ちる涙は、私の脳裏に1枚の写真となって焼き付いている。この40年前の1週間の濃密な先生と生徒の関係、そして感動的な別れのシーンは、船乗りにしか味わえないことだったと思う。
 その後も題名を選んでは、思い出し、思い出し、ひとつずつ完成させていった。
 時には眠れない海外出張の機内で書いたものや海外ドック時に完成させたものもある。途中まで書いてそのままにしていたものもあった。それらは2019年になってやっと完結に至った。
 その後、最後に特にショッキングな出来事だった9.11 同時多発テロ時のことを船乗り後の第21話として書き足した。また、正月に向け番外編「クウェート航路の日韓混乗船 油タンカーのエピソード」も加えた。

 船乗りになって非常に役に立ったのは、自分が歴史好きだったことである。その知識が初対面の外国人と話しをする際、その国のことを話題にすることができ、そして彼らから好感を得ることができたからである。

 船乗りの生活も私のようなのんびりした時代では無くなり、停泊日数も少なくなりSMCや何やらで、船を離れることが憚れる時代となり、気楽に上陸することも儘ならなくなってしまった。
 しかし、船で最も大切なものは船上で生活しながら 船を動かす船乗りたちなのである。 このことは 時代が変わっても 船乗りの国が違えども不変であると思っている。

野丹人 松太郎

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。