第21話 9.11 ウサマ ビン・ラディンが生まれた国(Mukalla)

更新日:2020年2月25日
セメント船の圧送ポンプが故障

 陸上勤務となった松太郎は、イエメンのアデンに来ていた。
 セメント船の圧送用コンプレッサーが故障した為、現地作業員を使って修理する為である。代理店が用意した作業員は、スリッパ履きで頭にクゥトラ、身には白いカンドゥラを着ていた。
 7~8人来たがとても仕事する格好では無く、見ているだけだった。乗組員とメーカーK製鋼の技師と松太郎で仕事をするしかなかった。
 3日ほどで仕事を終えたが、何もしない彼らに「作業代を払うつもりはない」「見積もり額の半分以下しか払わない」と代理店に告げ、松太郎は怒っていた。
 深夜零時になると、ホテルの部屋に作業員の親方と思われるアラブ人から、電話がかかってきた。

見積額を払わないと殺される

 「見積もり額通り払え、払ってくれ」
 「冗談じゃない、仕事をしない奴らに支払う金は無い」と言って電話を切った。
 あくる日も深夜零時に電話があり、「上官に金額を言ってしまったから、同額を払わないと俺が殺される」と言うではないか。
 「お前の上官なんか俺は知らねえよ! 兵隊じゃあるまいし」
 「払わないなら、上官に言ってお前を処分してもらう」などと穏やかではない。
 「Stupid」と言って、ガチャンと電話を切った。見積もり額は1万2千ドルであった。
 翌日、そのことを代理店に伝えたら、「Mr. Matsutaro、あなた殺されるかもしれませんよ、1万2千ドル払わないと。大変なことになりますよ!」というではないか。
 「お前も彼らとグルなのか」と問えば、「私も殺されるかも知れない」「だから必ず払ってください、お願いします」と青ざめた真剣な顔で嘆願してきた。

船からかき集めて何とか支払う

 翌日、船長から船用金を全額借り、会社からの仮受け金(ドル)と代理店が用意した3千ドル。1万2千ドルを持って彼らの事務所に行くと、自動小銃を持った兵隊が部屋の入口に立って威嚇している。
 部屋に入っていくと、ヒシャブを被り黒いアバヤで全身を覆った女性が2人鎮座している。奥の机には将校服を着た男(警察官?)が、安全ピンをはずした銃を机に置いてこちらを睨み付けている。
 代理店が2人の女性に話しかけ、用意した1万2千ドルを渡した。2人はドル札を数えだした。
 かき集めたドル札は少額ドル札なので数えるのに時間がかかる。
 1人が数え終わると、もう1人が再び数えだした。それを2度繰り返した。
 将校服を着た男が大声で代理店に何か告げた。本当に慇懃無礼な奴だ。代理店が目線で帰るしぐさをした。どうやら開放されたようである。
 威嚇していた兵士も、自動小銃の筒を下げて威嚇を止めたようである。

アデンを出港しムカッラへ

 部屋を出て、事務所の建物を出ると「助かった、もう大丈夫」と代理店が言った。
 ところで、若いアラブ人の女性たちの黒いアバヤの下はどうなっているかといえば、T-シャツとジーンズ、それに厚底のシューズだった。
 ホテルのディスコらしき店で踊っていたヤンキーずれしたアラブ娘 3人を観察していて判ったのだ。ものを食べるときはニカーブの口のところから食べ物を入れていた。
 女性用アラブ服は面倒なことこの上無いと松太郎は思った。
 命拾いしたのやら、何やら訳もわからず、とにかく修理代を払いアデンを出港し、セメントの揚げ地MUKALLA(ムカッラ)に向かった。
 MUKALLAに着いたが、船長の話ではすぐには揚げ荷役が始まらないようだった。仕方なくK製鋼の技師と魚釣りをすることにした。疑似餌で竿を出してみればアジの入れ食いである。
 釣りをしていると現地漁師が小舟を寄せてきてカツオを見せてくれた。(カツオも日本のように一本釣りで釣るのかなあ)そうしている間にもアジがどんどん釣れる。

貿易センタービルが燃えている

 そこへ船長が緊急電話が入っているから船橋に来てくれという。電話に出れば「松太郎君、ニューヨークの貿易センタービル、知ってるか?」
 「貿易センタービルに旅客機が突っ込んでビルが燃えている、大変なことになっている」(?????? 何、それ)
 「すぐにイエメンを脱出しないと! 代理店に早くチケットを手配させないと!」
(??ちんぷんかんぷん、アジが入れ食いなんだけど。すぐ帰るの日本に?)
 電話を切って釣り場に戻り、K製鋼技師に「ニューヨークの貿易センタービル、知っている?」と問えば「はあ、それ何?知らない!」
 今度はK製鋼技師に緊急電話が入ったと船長。
 技師が帰って来て言うには「K製鋼の緊急安全統括本部から『直ぐにイエメンを脱出しろ、エアフランスのパリ行き切符をすぐ買え、イエメンはビン・ラディンの生まれた国で外務省が、レベル3からレベル4に上げ、注意を喚起している』」
 今度は松太郎にK製鋼の緊急安全統括本部の何某から電話。電話に出てみれば「エアフランスのパリ行き切符は取ったか?今どこにいる?」
 「本船は沖にいて夕方の着岸だから、代理店に切符を頼むのはそれからだ」と答えたら「お前、何やっているのだ。切符を早く取れ、すぐイエメンを脱出しろ」とえらい剣幕である。
 「俺あんたの会社の所属じゃないし、あんたに言われる筋合いは無い」とガチャン。
 すぐ電話が鳴り「技師をだせ、技師を出せ」
(大会社は何かと高飛車だなあ)

先輩が航空券を手配していた

 K製鋼の技師は「フォークランド紛争の時もそうだった。こいつらはバカだ。自分中心、自分の目線だけでものを言っている。騒ぐだけで何もできていない。失礼を許してください」
(俺に謝る あんたはえらい!)
 そんなこんなで、夕方MUKALLA港に入港・着岸した。
 代理店が来たので「日本への切符をすぐに手配用意してくれ」と頼むと、
 「もうすでに別の人間が車で1時間のリアン・ムカッラ空港に買いに行っている」「ニューヨークは大変なことになっている」「テレビを見たか?」
 「見てない!」「何があったのだ」「どうしたんだって?」
 「イエメン人のビン・ラディンがニューヨークの貿易センタービルに旅客機を突っ込ませたんだ、そしてツインタワービルが燃えている、燃えているんだよ」
 「さっぱりわかりません」
 1800LT過ぎ、代理店の他の人が日本までの切符を買って戻って来て、松太郎らに告げた。
 「直ぐタクシーに乗って、リアン・ムカッラ空港に行きなさい、そしてサヌア行きの最終便に乗りなさい、明日サヌアからインド・ムンバイ行きの飛行機(1025時サヌア発)を予約しているから。早く、はやく」

 元船長でセメント船のオーナー会社の役員であるT先輩が、代理店に連絡し、手早く2人の航空券の手配を依頼していたのである。
 電話で喚くだけのK製鋼安全統括本部の某氏とは雲泥の差である。船のことを知り尽くしている元船長はさすがに緊急対応が手慣れている、と松太郎は感謝するのであった。

無事サヌアに到着

 1900時を過ぎ、あたりはもう暗くなっていた。2030時発のサヌア行きに乗らなければ、どうなるか判らないというから2人は急ぎタクシーに乗り込んだ。
 時々片目のライトしか無いトラックが対向してくる外灯の無い危険な真っ暗な道を、恐れおののき乍ら松太郎は見ていたが、タクシーは何とか空港に着いた。間に合いそうである。
 映画『アラビアのロレンス』にでてくるベトウィン民族衣装を来た男が、腹に刀を差し、カウンターでチェックインしているではないか。
 刀(鞘が反り返っている)は危険だろ、持ち込み禁止だろ!フロントで係員に預けなきゃダメでしょ。何も文句ないでしょ。
 あれれ、文句言っている! いくらベドウィン族でも危険物持ち込み禁止だろ!
 そんな光景を目の当たりにしながら搭乗手続きを済ませ、松太郎達は飛行機に乗った。無事、サヌア空港につき案内所(Information Center)や両替所を探したが無い。そうこうしているうちに空港自体が最終便到着でどこもかしこも『Close』としてシャッターを下ろし始めた。
 ホテルも予約できない、ドルしかないので現地通貨でタクシー代も払えない。
 松太郎等は困ってしまい、立往生状態になった。

シェラトンに部屋を取る

 旅行代理店の看板がある店のシャッターを下ろしているイエメン人に、「ホテルオークラ、違う、シェラトンホテルもしくはヒルトンホテルありますか?」と出任せで聞いた。
 「シェラトンホテルがあります」
 「電話番号、判りますか? この紙に書いてください」
 親切なイエメン人が書いてくれた紙を見ながら、
 「電話貸してもらえますか」と返事も待たずにシェラトンホテルに電話した。
 「緊急ですが、部屋空いていますか? シングルでもダブルでもいいから2つ!」
 「ちょっと お待ちください。 …….、ダブルが2つ空いています」
 「予約します。我々は日本人2名で、名前は松太郎 & U技師」「サヌア空港からすぐそちらに向かいます」
 あっけにとられている親切なイエメン人に「サンキュー」と言って、10ドル札をそっと松太郎は渡した。
 ホテルに着き、タクシーの運転手にホテルで両替してくる旨、ジェスチャーで伝えて荷物を置いたまま降り、ホテルのフロントに向かった。100ドルを両替してカウンター表示の2倍の額を運転手に払ったら喜んでお礼のお辞儀をして帰って行った。

ホテルの部屋でCNNニュースを見る

 チャックインを済ませ、指定の部屋に入り、部屋のテレビを点けて、CNNニュースをU技師と2人で見た。
 「えーっ 何これ、映画じゃないよね。旅客機がビルに突っ込んでいる、2回も!」
 「アル・カイダの首領イエメン人のビン・ラディンがやった?」
 「大変だ、これは!サヌア空港で何が起きるか判んないよ!」
 「明日朝0600時にホテルを出よう」と2人は思った。
 眠れぬ夜を過ごし、松太郎は向かいの部屋に居るU技師とともに、0600時にホテルを出発。

ムンバイから先の予約確認が取れていない

 空港に着いて、搭乗手続きを取ろうと空港ゲートをくぐろうとすると、体のデカい屈強なイエメン武装兵が検閲していた。パスポートを見せたら2人のパスポートを取り上げ、「日本人か?」「Yes!」。武装兵は顎をしゃくって、こっちへ来いと合図し、2階の取調室みたいな小部屋に連れて行かれ、そこに入れられた。
 部屋にはおびえた表情の若い米国人と思われる女性が既に入れられていた。
 空港係員が来て「あなたたちの切符は、ムンバイからシンガポールに行くカンタス航空の予約が取れていません。だからサヌアからムンバイへは行けません。そちらの女性も同じで、予約確認が取れていません」
 やばい。ヤバイ。
 K製鋼の緊急安全統括本部はこういう時何もしてくれない。当時は世界共通で使えるGLOBAL携帯も持っていなかったので、連絡も取れなかった。
 何とかシンガポールまでつながってくれ。アデンの時と同じような状況になりつつある、仏さま!神様!ご先祖様!と祈るように松太郎は願った。

カナダの女学生も立ち往生

 これから何が起こるか判らない状況の中、若い米国人らしき女性は緊張した顔で静かに佇んでいる。聞いてみた。
 「どちらの方ですか」
 「カナダのバンクーバーから来ました」
 「学生ですか?」
 「バンクーバー大学の学生です」
 「どうされたのですか?」
 「予約した航空券の確認が取れないのです、エアフランスのパリ行きです」
 「俺たちもそうです。カンタス航空のムンバイーシンガポール便がだめらしい」
 松太郎は、彼女の緊張と恐怖を少しでも和らげようとしたが、会話はそこで途切れてしまった。そのまま沈黙が続いた。
 1時間後、空港関係者が部屋に入ってきて、松太郎達に告げた。
 「カンタス、確認が取れました。搭乗手続きをしてください」
 しかし、エアフランスのことについてカナダの学生へは何も告げなかった。
 彼女を残したまま、後ろ髪を引かれる思いで松太郎達は部屋を後にした。

ドーハ経由でムンバイに到着

 搭乗手続きを済ませ、飛行機の席に着き飛行機が離陸した時、先ほどまで続いていた緊張感がやっと解れ、ほっとして大きく深呼吸をする松太郎達であった。
 「無事に日本へ帰れる」
 目を覚ますと、飛行機が高度を下げている。機内放送で機長が「ドーハ空港に着陸します」と告げている。
 「ええー、ムンバイじゃないの」「テロリストにハイジャック?」
 耳を澄まして機内放送をさらに聞くと「補油の為」と告げていた。
 飛行機がカタール航空便だったことを松太郎は思い出した。
 ドーハで補油後、ムンバイに飛行機が着陸した時、松太郎達はバンザイをした。

シンガポールから成田、関空へ

 シンガポール行きカンタス航空便に搭乗するまでの6時間、ムンバイ空港の待合室椅子に横たわり、眠った。
 シンガポール空港で松太郎は成田行きに、U氏は関西空港行きのシンガポール空港便に乗り、そのまま別れた。
 その後、U氏とは年賀状のやり取りで元気に海外出張して働いていることを確認している。
 しかし、取調べ室風の部屋で別れたカナダ人のバンクーバー学生が、その後どうなったのかは全く分からない。
 日本帰国後イエメンでカナダ学生が行方不明になった、などのニュースを聞くことはなかったので、無事エアフランスでパリに着き、バンクーバーに帰国したものと松太郎は思っている。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。