第10話 ピラミッドとチャーターボーナス(Alexandria)

更新日:2019年11月26日
電線ケーブル切れ多発

 松太郎の乗った船はエジプトのアレキサンドリア港に着岸、グラブバケットによる小麦揚げを3日前から行っていた。
 明日は半舷上陸。代理店が手配したマイクロバスで、ピラミッド見学に行く予定だった。乗組員の半分は土曜日の今日午前、ピラミッド見学に出かけていた。
 ステベ(港湾業者)が用意したクラブバケットをデリックウィンチ3台に取付け、3日前から昼夜を問わず24時間荷役を行っていたが、グラブバケット用の電線ケーブルがカーゴワイヤーに絡まり、電線ケーブルが切れてしまう事故が多発していた。
 荷役機器・甲板機担当機関士である松太郎はその対応に追われ眠れない夜が続いていた。

出発4時間前にウィンチが止まる

 今日の日中は何とか故障もなく順調に荷役が行われていたので、日曜日の『ピラミッド行き』は参加できそうだった。
 ところが、夜になってグラブ用ケーブルが2本続けて切れてしまった。
 いつものようにケーブル切断部を継ぎ足してグラブバケットに取付け、1台は復帰したのだが、もう1台はケーブルを取付け直した後、ウィンチがピクリとも動かなくなってしまった。
 今までとは異なる故障が発生したのである。時計は日曜0350時を回っていた。『ピラミッド行き』マイクロバスは0800時本船発である。

直らないとピラミッドに行けない

 怒ったらからといって故障が直る訳でもないが、甲板部当直者に怒り心頭、つめよる松太郎であった。
 「当直だろう、ちゃんと荷役をみとけよ」 
 「クラブバケット用ケーブルが絡まったらステベに注意しろよ」
 「荷役を止めさせ、ケーブルの絡みを直させろよ!」 
 「もう何日も、何回も俺に同じことを言わせるな!! 」
 「とうとうウィンチを壊しちまったじゃないか」 
 ウィンチが直らないと、松太郎と作業アシスタントの三機士はピラミッドに行けないのである。

私は日本人、絶対直す

 代理店の担当者が来て、矢継早に「直りますか?」「毎晩、故障ばかりで眠っていないのじゃないですか?」
 何の根拠もなく、松太郎は言った。「私は日本人、0800時までに絶対直す」「そしてピラミッドに行く。なあサードエンジニア」
 電気系統を見直し、スターターのスターデルタ回路を点検して電磁接触器が作動していないのを見つけた時は既に0530時を過ぎていた。
 電磁接触器を取り外し、100Vコイルを新替えし、ワークショップの100V電源で作動試験を無事終えたのは、0630時であった。もう時間が無い。
 急いでサードエンジニアと作動試験を終えた電磁接触器を当該デリックウィンチに取付け、デリックが正常に動くのを見終え、シャワー室に飛び込んだ時はもう0740時を過ぎていた。
 シャワー室に飛び込む前に舷梯そばを確認すると、マイクロバスがもう着いて今日の半舷上陸乗組員であるピラミット見学者がもう乗り込もうとしていた。
 「サードエンジニア、急げ、急げ。置いて行かれる。置いてかれてたまるかーって」

約束通り出発前に直す

 マイクロバスの車中で松太郎とサードエンジニアは爆睡していた。
 代理店への約束通り、日本人の責任においてデリックウィンチをマイクロバスの出発前に直し、ホッとして眠りについていたのである。 

ギザの3大ピラミッド

 ギザの3大ピラミッドは、紀元前2500年ほど前に建設されたと言われている。
 最初に一番大きなクフ王の大ピラミッド、その後に王位を継承したカフラー王(クフ王の兄弟)がすぐ隣にほぼ同じ大きさの大ピラミッドを建設、そしてカフラー王から王位を引き継いだクフ王の息子メンカウラ―王 が立てたちょっと小さ目のピラミッドが3つ並んで立っている。
 ピラミッドは見上げるほどに大きく約5000年前の人間たちがどのようにして建てたのか。想像もつかない。
 赤茶けた凝灰岩の山のように見える大ピラミッドだが、外部の石は石灰岩でできており、内部にある大回廊(この場所は外とは異なり、ひんやりと冷たい空気が漂っている)と言われる場所の石は黒御影石でできており、一寸の隙間もないように組み立てられている。
 当時の人間たちの技術と知恵がいかに優れていたかが判る、松太郎は畏敬の念を禁じえなかった。
 ライオンの体と王(ファラオ)の顔を持つ大スフィンクスも見たが、王の顔の部分が崩れかけていたので期待外れだった。

出航1日前にチャーターボーナス

 アレキサンドリア港出港の1日前にチャーターボーナスが支給された。
 乗組員は船長室の前に並び、船長から直接チャーボーを手渡された。
 昔はチャーターボーナスを船長が独り占めして、乗組員に渡さない時代もあったと聞いている。
 松太郎はデリックウィンチ修理に頑張ったことへのお礼と受け止め、素直に喜んで支給されたチャーターボーナスを頂いた。
 しかし、その後で事件が勃発した。
 「セコンドエンジニア、機関部の操機手のチャーボーが甲板手より10ドルから20ドル少ないのを知ってますか」
 「いいや、知らない」
 夕方になり当直を終えたセカンドオフィサー(2航士)、サードエンジニア(3機士)と3人で3機士の部屋に集まった時、松太郎はこの話を二人に話した。
 そして、各々のチャーボーの金額を確認したところ、やはり2航士と松太郎の金額に20ドルほどの差があった。そして3機士は2航士や松太郎よりも多くの金額を貰っていた。 
 「えー、なぜだ、おかしい。デッキとエンジンになんで差をつけるんだ」
 「こんなチャーボーなんかいらない、おれのチャーボーを船長に返してくる」
 「頭にきた。俺の返したチャーボーで操機手と甲板手の差額を埋めてもらう」
 2航士と3機士も 松太郎に煽られて、
 「俺も船長に返して、部員たちの不公平を無くしてもらう」と同調した。

格差に不満が残ったまま

 そして、3人で船長室に行って
 「こんな不公平なチャーボーはいらない。返すから部員たちの差額を公平にしてくれ」
 船長は怪訝な顔をして、不思議そうに俺らのチャーボーを受け取った。
 彼の顔は(俺が独り占めしないでみんなに分けてやったのに何が不満なんだ)と言っているようだった。
 次の日、出港前に代理店が松太郎のところにやってきて、
 「君ら3人は何故、チャーターボーナスを受け取らないんだ」
 「なぜ、つっかえしてきたんだ?あんなにウィンチ修理を不眠でやったのに」
 「日本人は判らない」
 松太郎が聴いた、
 「チャーターボーナスを船長があなたに返したんですか?」
 「そう、彼らは要らないっていうから、君に返すって」
 部員たちへのチャーターボーナスの不公正さを無くす為に船長に返した金はこうして代理店のエジプト人に返されてしまった。 
 船長の判断が正しかったのか、松太郎達の行動が正しかったのかは、未だに謎である。
注:チャーターボーナス
 貨物の送り荷主が、受け荷主に貨物が届けられた時に本船に支払われる特別ボーナスである。
 全ての貨物について支払われるのではなく、決められた期間内に貨物損傷がほとんどなく無事届けられた時などに支払われることが多い。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。