第9話 雨乞いとアジ釣り(Gibraltar & Seuta)

更新日:2019年11月19日
水が無くなろうとしていた

 松太郎の乗った船はジブラルタル海峡のアフリカ側スペイン領飛び地、セウタ港沖に投錨していた。
 投錨から1カ月が過ぎようとしていた。
 積載貨物の手配が付かない為、ここでの錨泊・待機を命じられたからである。
 本船作業をするにもペイントはなくなり、機関部の保守整備作業も殆どやってしまい、やることが無くなっていた。そして、雑用清水・飲料水が無くなろうとしていた。 
 雑用清水・飲料水管理責任者の一航士は、洗濯を1週間に1人1回と決め、シャワー無し、衣類の汚れが発生しないよう本船作業停止をも厳命していた。

アジ入れ食いも、野菜がない

 2週間前から、船長は毎日、雑用清水・飲料水の補給及び食糧積込み依頼電報を会社へ打電していた。
 ローマ字電報はスケベニンゲン無線局経由、和文電報は長崎無線局経由で打っていたが、会社からは何の返事もなく、“梨の礫”であった。
 それ故、ストライキもどきの本船作業停止が実施されたのだった。乗組員はすることがないので毎日釣竿を垂れ、アジ釣りに専念していた。
 アジは、釣り糸を船のどこから垂れても入れ食いであった。釣ったアジは漁師出身の乗組員がすぐに開き、天干しにしてヒラキにしていた。肉や魚が底をついたので、アジ釣りは食糧補給の一旦にもなっていた。
 乗組員は2~3日前から野菜を口にしていなかったから爆発寸前で、司厨長の気の使いようは並大抵ではなく、限界に達していた。 

一航士が、みなで雨乞いを

 そんな状況下、一航士がみんなで雨乞いしようと言い出した。
 雨乞いの儀式を?
 「神道式、仏式、西洋式、モスリム仕立て、アフリカ土民仕立て、全てやろう」
 暇を持て余していたので、皆異口同音に「やろう!  やろう!!」となった。
 一航士が、長机を運んで来てハッチカバーの上に置き、神棚風に左右に一升瓶の空瓶を置き、中央に小さな紙箱を据えた。
 古い海図を切り裂いて神飾り風にしたものを長机から垂らしている。神棚の準備完了である。
 一航士が古い海図の裏側を利用して作った神主衣装を身に着けて長机の前に立った。そして二礼二拍したので、集まった皆も一航士に続いて二礼二拍した。

三航士と三機士は、祈祷師に

 「神棚に向かって黙とう」と一航士。皆が続いた。
 青空を見上げて「カシコミ、カシコミ。〇〇〇号に〇〇〇号に雨を賜りたまえ。雨、雨を賜りたまえ。カシコミ、カシコミ」
 皆も「雨を賜りたまえ、雨を賜りたまえ」と唱和。
 二礼二拍して神道式は終了した。皆日本人なので恰好はどうあれ厳かに執り行われた。
 三航士の『三ちゃん』と三機士のKが体にA重油を塗り付けパンツ一丁になって踊りながら出てきた。頭には海図で作った花らしき形をしたものを巻いている。
 アフリカの祈祷師を気取っているのである。
 先の厳かな雰囲気はぶっ飛び、皆大笑いである。彼らの踊りに合わせて棒っ切れを叩いている奴もいる。二人は空に向かってわけのわからない言葉を発しその場に伏せた。 
 小さな声で「神様雨を降らせてください、降らせてください、お願い!」と言っている。
 「スワヒリ語かマサイ語でやれよ!」と誰かが言った。ドッと沸いた。大盛り上がりの中二人は去った。

司厨長からは、悲壮感が

 今度は頭に三角巾を付け、包丁を持った司厨長が出て来た。悲壮感が体中から感じられた。
 「司長侍(しちょうじ)包丁なんか持ってあぶねーじゃねーかヨ」と誰かが言った。
 司厨長がそいつをいきなり睨み付けた。 
 一触即発の中、止めに入ろうとした瞬間、司厨長は神棚に向き直り、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、仏さま、雨より野菜をください!食糧をください!南無妙法蓮華経、観世音菩薩様 雨も降らせてください! 頼みます」
 司厨長の悲壮感がほとばしる。
 仏様への願いを聞きながら、皆は笑うこともできず、茶化すこともできず、静かに見守りながら『早く終わってくれ』『包丁を誰にも向けるなよ』と願うのだった。
 食糧調達許可を会社からもらえずにいた船長は身構え、おびえていていた。白けた雰囲気の中、何事もなく司厨長が消えていった。
 皆ホッとして次を待った。

船長、機関長も雨乞い

 船長が背広を後前に来て出てきた。十字架風のものを首から下げている。
 「アーメン、このあわれな小舟に雨を与えたまえ。あなたの子羊たちの渇きを癒したまえ。アーメン。イエス・キリスト様、われらを救いたまえ」
 と宣い、胸で十字を切った。
 皆も船長に倣い、頭を垂れて『アーメン』と唱和し、胸で十字を切った。
 松太郎はイスラム式は?と思ったが、船で一番偉い船長が雨乞いしちゃったんだから、もうお終いかと思ったら機関長が出てきた。
 機関長は長机の前に膝を付き、メッカと思しき方向にひれ伏して、「ア・ラー、ア・ラー、全能の神、ア・ラー、雨を!雨を降らせてください!」とやり出した。
 不意打ちを食らった皆はひざまつき、メッカの方向にひれ伏して「ア・ラー、全能の神ア・ラー 雨を!」と唱和した。
 そして、「あの機関長が!」「機関長もなかかなかやるじゃん」とにやにやするのだった。
 雨乞いの儀式は終わった。どの雨乞いが効いて御利益があることやら…….,

その晩、待望の電報

 その晩、局長が大声で船長に「電報が来ました。来ました。明日、アルへシラス港に向けて抜錨、アルへシラスで水と食料を補給しなさいです」と伝えた。
 局長の守秘義務はどうなってんだと松太郎は舌打ちしながら、『雨乞い』儀式のすべてが効いたのかもと思うのであった。

全員総出でニコニコ積み込み  翌日、松太郎は精神が病む直前だった司厨長とともに食糧調達(野菜、魚類、肉類、調味料)にShip Chandlerの案内で市場に向かった。   当直を残し全乗組員が買い物上陸した。当直者は雑用水・飲料水の積み込みに立ち会った。  4時間後、皆が船に戻り、Ship Chandlerが運んでくれた食糧(米、野菜類、肉類)、酒・たばこ類を、肉庫、野菜庫、乾物庫、ボンド品庫に約1カ月分をニコニコしながら手際よく皆で積み込んだ。   食糧は昔から全員総出で積み込むのが習わしである。  今日は司厨長が久し振りに腕を振るって夕食を作ってくれるだろうと思いながら、アルへシラス港出港のスタンバイ当直に向かった。  その後も積載貨物が見つからず、本船はセウタ沖に2週間も錨泊した。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。