第12話 病院の赤ワインと墓地(Livorno)

更新日:2019年12月10日
甲板手がイタリアで入院

 松太郎の乗った船はイタリアのリボルノ港に停泊していた。
 世界史の多くを占める旧ローマ帝国の地である。初のイタリア上陸で松太郎は興味津々だった。
 木曜日、甲板手のMが口から血を吐き、救急車で病院に運ばれた。そのまま、帰船しなかったので入院となったらしい。
 船長の話では急性胃潰瘍との診断で、ここで下船入院し、体調が回復したら、日本へ送還となるらしい。 

出航前日、見舞いに病院へ

 病院でさみしい思いをしているだろうと、土曜の午後、甲板手O、3機士と一緒にMを見舞いに病院へ行くことになった。
 本船は明日出港予定で、別れのあいさつという意味合いもあった。
 タクシーに乗ったが誰もイタリア語が話せない、判らない。  
 英語で「To Citizen Hospital」と言えば、運転手が「シビル オスピタリア?」と問い返してきたので「Yes シビル オスピタリア」と松太郎。
 イタリア語は「H」を発音しないから「Hospital オスピタル=オスピタリア」となるはずだ、と。 
 皆も納得。いざ!シビル オスピタリアへ。

病院だと思ったら墓地だった

 20分後、運転手が「シビル オスピタリア」と叫んでいる。周りを見渡すと、そこは大きな広い墓地であった。
 オスピタリアとは墓地のことだった、市民墓地に着いたのであった。 
 運転手にジェスチャーで病院を表現することにした。 
 注射を打つ動作、額に手をあてて熱を見る動作、聴診器を使う動作。
 運転手が言った、「オスペダーレ? オスペダーレ、シアモ デ フロンテ」
 松太郎は(オスペダーレ)のあとは聞き取れなかったが、手術のことを「オペ」とも言うし、大丈夫だろうと思いなながら。
 「OK! オスペダーレ(Ospedale)」と力強く言い返した。

墓地の隣に病院

 タクシーはオスペダーレに向かった。が、すぐに着いた。 
 何のことはない、市民病院と市民墓地は隣接していたのである。
 松太郎は つくづく思った。
(病院に入院するということは、病気や怪我が治って家に戻るか、この病院のように隣接した墓地に入るしかないのだ)
(年老いた患者が、病院から家に帰りたがるのは、治りたい一心なのだ)

イタリア人は患者も明るい

 病院の受付でM甲板手の名前を告げると、受付嬢はすぐに病室を教えてくれた。
 病室は2階にある大部屋の病室。
 病室を訪れると、暇を持て余していた患者たちは 松太郎一行を大歓迎してくれた。 
 「ハポン、ハポネーゼ」「こんにちは」「サヨウナラ」「アリガトウ」
 どれに返事したらいいのやら、イタリア人は明るい。どこで覚えたのか日本語を知っている者もいる。
 奥から2番目のベッドにM甲板手が長座位して、こっちを見つけて安堵した顔になっているのが見えた。

窓越しに墓地が見える部屋

 「Mさん、大丈夫。 ぐっすり眠れたかい?」
 「Mさん 寂しくなかったかい? 船長が明日出港だって言っていたよ」
 「Mさんをここで下船させ、代理店に任せて出港だとも言っていたよ」
 「しばらく入院して。、力が回復したら飛行機で帰国になるって」
 皆が矢継ぎ早に話しかけると、無口なM甲板手が笑みを浮かべて
 「大丈夫だよ、この部屋の患者たちがいい人達だから」
 松太郎は窓越しに隣接する墓地が見えることに気づいた。
 (墓地が見える。この大部屋は治って退院できる患者が入るところなのだ)
 だから、みんな明るいのだ。
 重病患者は墓地の見えない 反対側の部屋なのだ。

一杯のワインは健康に良い

 1500時になると小太りの明るいイタリア女性が、でっかい『やかん』みたいなものを持って大部屋に入ってきた。
 患者たちがベッドの上で空コップを持って、待っていましたとばかりにはしゃいで声をかけている。
 『やかん』みたいなものから赤い液体が出てきた。
 臭いを嗅がせてもらうと、アルコールの臭い。赤ワインなのだ。
 えーっ、病院で患者に酒飲ませていいの? 大丈夫?という顔で見ていたら、
 「病院の先生は、コップ一杯のワインは健康に良いって。一杯だけよ!」
と患者たちを諭すようにしてワインを注いでいる。
 見舞客の俺たちの前まで来て、「あんたたちも飲む?」っていう仕草で煽ってくる。
 コップを貸してもらい、3人ともなみなみと注がれた赤ワインを、まさかの病院で飲む羽目になってしまった。
 大部屋患者たちは飲まないでいいから「こっちに分けろ」とウィンクしてくる。
 賑やかな病室は小太りのワイン配りの女性が部屋から出ていくと静かになった。

無事帰国、治療を終え復帰

 午後のティータイムにワインを飲むイタリアの病院、イタリアっぽくていいなあ。
 M甲板手に「日本でまた会いましょう」と分かれを告げ帰船した。
 リボルノを出港して1週間後の夕食時、船長が代理店からの電報を乗組員の皆に披露。M甲板主は、無事リボルノの病院(Civil Ospedale)を退院し飛行機で帰国することになったと告げた。
 皆が拍手して彼の無事を喜んだ。
 彼は品川の船員病院で加療して治療を終え、無事船員に復帰した。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。