第13話 タイタニックの沈んだ海(North of New Foundland Island)

更新日:2019年12月17日
氷山がやって来ては過ぎていく

 松太郎と3機士Mはライフジャケットを着て、Ship’s Officeの丸い船窓から船外を覗いていた。
 霧が立ち込め見通しの効かない海上を、白い塊がやって来ては船の横から船尾に過ぎ去っていく。
 白い塊は氷山である。あのタイタニック号を沈めた氷山である。
 また大きな塊が船首に現れた。船首のフォックスルには甲板長と甲板員のI君、K君が見張りに立っており、小さな黒い頭が時々動き、こちらを向くのだが、霧で見えなくなる。
 「頑張れ、ボースン、セイラー」
 彼らはライフジャケットを着て、寒い中0800時から8時間以上も船首見張りを続けているのである。
 前方の流氷を見つけては船橋に回避する方向を伝えている。

船長が勝手に航路を直す

 松太郎が乗っている船は、ニューファンドランド島の北をヨーロッパに向かって航行していたが、北から流れてくる流氷群の真っただ中に入り込んでしまっていた。
 1200時―1600時の当直が終わり、ちょっとの間船橋から降りてきた、松太郎の先輩のT2航士が怒りを込めて言った。 
 「何にも判っておらんバカ船長が…」 
 「俺がニューファンドランド島の南側に航路を引いたのに、短距離航路などと言って北側に書き直しやがって」
 「見ろ 言ったこっちゃない」
 「セコンドエンジニア、サードエンジニア、ライフジャケット着て居室から出て、いつでも海上に逃げられる場所に待機しているように」
と言い残して、船橋に上がっていったのである。
 温厚な2航士が怒りまくっている。
 問題の多い船長が、いよいよ我々皆を窮地に陥れた。

霧と薄暮で視界は悪化

 3機士と松太郎の2人は1600時過ぎからShip’s Office 船窓から前方に現れる氷山の群れを危険を感じながら見ていた。
 夕暮れが近づき、霧と薄暮期で視界はますます悪くなる。氷山の数はますます増えてくるように思えた。
 日が暮れればレーダーだけが頼りとなる状況にあった。
 甲板部は、氷山にぶつからない為に、夜になっても総員当直を続けていた。

月明かりに氷山が現れ過ぎていく

 一番見通しの効かない薄暮期を過ぎ、完全に真っ暗になっていた。夜になって霧が晴れ、曇り空が晴れに変わり月が昇り、星が空に輝いていた。 
 だが、船はまだまだ危険を脱していなかった。
 月明りが照らす海に、白い氷山が現れ、黒い影となっては、本船の両サイドを幾度となく過ぎ去って行った。
 松太郎は不気味な危険を感じながら見ていた。

午前2時危機を脱す

 夜になり霧が晴れ、曇りから晴れに変わったのが良かった。月明りで見通しが良かったのである。
 午前零時が近づいてくる頃になってやっと横切る氷山が減ってきた。
 松太郎の船は流氷帯を抜けようとしていた。
 午前0時から当直に入った松太郎に午前2時頃、2航士から「もう氷山は見られなくなった」と当直電話で知らせてきた。
 「ボースンと甲板員のフォクスル当直も解除した」とも連絡してきた。
 やれやれだ。

運がよかったというしかない

 フォクスルから船橋にボースン等が帰ってきているというので、
 「ボースン、I君、K君を労ってください」と二航士に告げて松太郎は電話を切った。
 馬鹿で無謀な船長と乗り合わせたことは不運だった。
 氷山にぶつからなかったのは 運が良かったのだ。
 この時期、ニューファンドランド島の北を通過する船なんていないのだ。我々はこの海域で氷山以外、航行する船舶を一日中見ることは全くなかった。
 運がよかったというしかない。

船長は一人浮いた存在に

 旧帝国陸軍に牟田口廉也中将という愚か者がいたが、この馬鹿船長はこの軍人に通じるものがある。
 牟田口という軍人は盧溝橋事件の際、現場で最初の一発を打たせた士官であるという。彼のせいで日中戦争が起き、果ては日米の太平洋戦争を引き起こした張本人だとも言われている。
 終戦間際には無謀なインパール作戦を発案し多くの兵隊さんを死なせた全くの阿呆である。
 この牟田口もどき船長に2航士や3機士、松太郎は危うく殺されるところだった。
 世の中にはリーダーに向かないのに、権力を持たしちゃいけないのに、人の上に立とうとする輩が多いなぁ。こんな船長ははやく身を引いてくれないかなぁと強く思う松太郎であった。
 ニューファンドランド島北での流氷事件後、船長に敬意をあらわす船員、船長と話す船員は全くいなくなり、船長は一人浮いた存在となってしまった。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。