【番外編】 韓国式正月と韓国人操機長のメンツ

更新日:2019年12月24日

(正月が近いことから、正月にまつわるエピソードを紹介します)

クウェートでジェット燃料積み込み

 日本人4名(船長、機関長、1航士&1機士=松太郎)と韓国人クルー18名(通信長含む)の日韓混乗船の油タンカーPQ号は、ジェット燃料油を積み明日早朝、クウェートのシュアイバ港からシンガポールに向かって出港する予定であった。
 シュアイバ港のステベは、ほとんどトルコ人だった。トルコ人フォアマンがジェット燃料油の積込み状況を確認する為、本船に乗船してきていた。

トルコ人フォアマンから歴史を教わる

 夕食後、ビールを飲んでいると、トルコ人フォアマンがやって来て話しをする機会があった。
 イスラム教なのでビールは飲まないだろうと思っていたが、ビールをくれというので冷えた缶ビールを差し出すと、冷やしていない缶ビールが欲しいと言ってきた。
 彼らは冷えたビールは飲まないのだそうだ。習慣の違いなのだろう。
 フォアマンの話では、第一次世界大戦でオスマン=トルコが敗れるまでは、中東諸国やサウジアラビアはオスマン=トルコの支配下にあったのだそうだ。
 だから多くのトルコ人がクウェートで働いているとのこと。
 また、中東の国の地図にはイスラエルは存在しない、君たちの知っている地図にあるイスラエルは、パレスチナ国となっているのが一般的だとも言っていた。
 (ふーん なかなか面白い、やはり現地に来てみないとと判らないものだ)

金持ち以外は一夫一妻

 松太郎は聞いてみた。
 「イスラム教の人たちは、奥さんをいっぱい持てるらしいね?」
 彼は「イスラム教徒が奥さんを数人持つようになったのは中世初期の十字軍遠征後なのだ」
 「戦いで多くの男たちが、死んだり殺されたりして少なくなり、女性が多くなりすぎた為なのだ」
 「それで、多くの女性たちを救済する意味で一夫多妻の制度が始まったのだ」
 (ほんとかいな、十字軍のせいって?うーん、でも説得力あるなぁ)
 「ところで君は奥さん何人?」
 「一夫多妻は金持ちにしかできないのだよ、トルコではふつう奥さんはひとり、俺も1人」
 「なあんだ、そういうことか。そういえば国王や首長及びその一族は一夫多妻みたいだね」
 「彼らは石油で儲けて、大金持ちだからね」

インド洋で正月を迎えることに

 出港後直ぐ、日本人機関長が腹痛を訴え、ホルムズ海峡を過ぎたアラブ首長国連邦のフジャイラ沖で緊急下船して行った。
 突然だったので次港シンガポールまで機関長が欠員となり、1機士の松太郎が機関長兼任となった。
 松太郎達のPQ号は、12月下旬のインド洋を順調に航海していた。もう直ぐ正月が訪れようとしていた。

正月は韓国式で

 韓国人の2機士と3機士及びS操機長の3人が松太郎の部屋に来て、「お正月は、韓国式でやらせてください」
 韓国も日本も仏教国だし、正月のやり方はほぼ同じだろうと思い、「いいよ!お正月は韓国式でやろう。俺も興味あるし」と松太郎は返答した。

操機長がミーティングで通訳

 松太郎は 韓国人との混乗は初めてである。毎日のMO船のDay Work Meetingでは、意思伝達を英語でやっていたが、私の英語は韓国クルーには通じ難いようであった。
 韓国人のS操機長が、「日帝統治時代の小学校で私は日本語を習ったので日本語が判ります」「日本語でやってください、私が通訳しますから」と申し出てきた。
 機関部クルーとの意思伝達に苦労していた松太郎は、その提案に即答した。
 「ナンバン そうしてくれると助かる。今後は通訳お願いします」

2機士、3機士に日本語を教える

 その後約1カ月、S操機長を介して仕事の打ち合わせを続けていたところ、2機士と3機士がMOチェック終了後、私の部屋に来て、「日本語を教えてください」と言ってきた。
 理由を聞くと、通訳を介しての松太郎からの意思伝達は、部員であるS操機長から機関部士官である自分たちへ命令されているようで嫌なのだそうである。
 彼らのプライドが傷つく とのことであった。
 「そういうことであれば、自分も直接意思伝達したいから教えましょう」
 「MO船の機関部は夜間当直ないから、毎夜1900時から私の部屋で2時間程やりましょう」
 松太郎は、先々航海(2カ月前)から2機士、3機士に日本語を教えていた。

優秀で覚えが早い

 機関長も下船前に「日韓混乗船の本船にとって船内融和からも非常に良いことだ」と賛成してくれ、日本語勉強中に差し入れをくれたりといつも協力してくれるのだった。
 教本がないので、日本語辞書最後部にある付録の日本語文法などを参考にして、土日も含め毎夜、休まずに教えていたが、2機士、3機士ともに優秀で覚えが早く、今では毎日の打ち合わせもS操機長の通訳を介さずに、松太郎の日本語を理解するようになっていた。
 ただ、韓国語には日本語のア イ ウ エ オにヤ ユ ヨも含めて8母音あるのだそうだ。そのせいか日本語のサシスセソやタチツテトをしっかり発音できず
「シャ シュ シュ シェ ショ」「チャ チュ チュ チェ チョ」としか言えず、2機士、3機士とも苦労していた。

鏡餅は豚の頭、コンソールに飾る

 正月元旦の日、操機手が松太郎を迎えに来た。
 「正月の準備が出来ました。機関制御室に来てください。皆が待っています」
 松太郎が制御室に行くと、昨日ギャレーオーブンで焼いていた豚の頭が、そのまま鏡餅の代わりにコンソールに飾られていた。
 鏡餅を想像していた松太郎はびっくり、そして、文化の違いを次のように頭の中で納得した。
 (農耕民族の日本人はもち米から鏡餅を飾り、狩猟民族の韓国人は獣の豚の頭を飾るのだ)

最年長の操機長が儀式のリーダー

 そして、2機士ではなく、最年長者のS操機長がお祈りの中心に位置して正座し儀式のリーダーとなっていた。
 彼がこうべを床につけお祈りを始めたので、韓国クルーと松太郎はそれに倣ってお祈りをおこなった。
 お祈り後、機関部の皆に向かって松太郎は言った。
 「お正月なので、今日は休み、当直は士官の長である私と部員の長であるS操機長がやるから。今日は無礼講で行こう、大いに飲み、正月休みを楽しんでくれ」

偉い人が豚の耳に箸をつける 

 朝食を食べに士官食堂に行くと、韓国風お雑煮(餅は米粉で作ったもの)が用意されていた。お雑煮を食べていると、2機士が皿に肉片を乗せて持ってきた。
 「ファーストエンジニア、豚の耳です。正月、韓国では一番偉い人が豚の耳に先に箸をつけないと、下の者が豚の頭を食べられないので宜しくお願いします」
 機関長がフジャイラで下船したから、松太郎が箸をつけることになるらしい。
 「OK セコンドエンジニア アリガトウ。 イタダコウ」と切り分けた豚の耳を食べた。
 コリコリとした食感で塩味が付いていた。

操機長が大変な剣幕で

 朝食後、皆との約束通り 機関制御室に入って0800-1200当直業務を行っていたが、そこで事件は起きた。
 1000時頃、S操機長が制御室に機関員1人を伴って入って来て言った。少し酒が入って酔っているようである。
 「おまえは、最年長者である俺に正月元旦に当直しろと言った! 冗談じゃない」
 「儒教の国 韓国では、お正月は年長者を敬い、年長者に感謝するのが慣わしだ」
 「お前は何だ!若年の分際で俺にお正月に当直に入れ!だとーっ」
 「若造のくせにふざけんじゃないヨ!お正月に年長者を馬鹿にしやがって」
 「皆の前でメンツをつぶしやがって俺は頭に来た!この野郎」
 「シンガポールで下船してやる。下船だーっ」
 いつもは温厚な57歳のS操機長は大変な剣幕である。

制御室から追い返す

 若造、29歳の松太郎は文化の違い、風習の違いがあるとはいえ、操機長Sに言い返した。
 「そうか。当直に入りたくないなら入らなくていい。俺が1200-1600直も入るから」
 「それから上司の日本人1機士に『若造』とは何だこの野郎!俺を怒らせたいのか!」
 「さっさとここから出ていけ!この酔っ払いが!」
 松太郎は 目の前の出来事に仰天している付き添いの韓国人機関員に日本語で
 「さっさと連れていけ、この酔っ払い!あとで落ち着いたら話しをするから!」
 日本語が判らない機関員は、松太郎の尋常でない様子を見て、S操機長を連れ去っていった。

操機長はシンガポールで下船

 その後、シンガポールに着くまでにS操機長と話す機会を設け、韓国の文化や風習を知らなかったことを詫びたが、一切、私とは口をきかず「シンガポールで下船させてくれ」の一点張りで、強情にも彼はそのままシンガポールで下船した。
 正月であり、突然だったので交代者は間に合わず、操機長は欠員となった。
 彼はよっぽど みんなの前で年長者のメンツをつぶされたことが悔しかったらしい。
 また、S操機長にとって(何の理由も告げられず)日本語通訳から外され、松太郎が2機士と3機士に日本語を教えていたことも彼のプライドを傷付け、気に入らなかったようだった。
 後味の悪いこの一件は、船乗り時代の松太郎に汚点として記憶に残った。
 意固地なプライドを持ち、『メンツがつぶされた』と殊のほかこだわる韓国人、風貌は似ていても隣の韓国の人達は日本人とは似て非なるものなのだ、とつくづく思う日本人松太郎であった。
<追記>
2000年にセメント船入渠工事の為、立会監督としてアラブ首長国連邦(UAE)ドバイのドックに行った時、現地本屋さんで中東地図を確認してみたところ、やはり、トルコ人フォアマンの言った通り、私たちの知っている『イスラエル』の場所には、国名として『パレスチナ』としか記されていなかった。イスラエルの『イ』の字もなかった。
売っている全ての地図がそうだった。学校では教えてくれない中東諸国の真実がそこにあった。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。