第14話 アパルトヘイトと日本人(Cape Town)

更新日:2020年1月7日
ケープタウンに停泊

 松太郎の乗った船は南アフリカ共和国のケープタウン港に停泊していた。
 船長の話では、鶏卵を積んでイスラエルのエイラート(シナイ半島のアカバ湾に面した港湾都市)揚げが決まりそうだった。
 しかし、「『イスラエルの港に入港した船は、イスラム国に2度と入港できなくなる』『イスラム圏諸国が入港拒否する』ということが問題となり、この貨物は流れてしまった」とのことであった。
 次の貨物が見つかるまで、停泊が10日間から2週間の長期になるとの見通しだった。

甲板手が中年女性を同伴

 そんな折、昨晩帰船せず当直をさぼったS甲板手が、中年白人女性を伴って昼前に帰ってきた。
 S甲板手は帰船し白人女性を自分の部屋に入れた後、甲板部の皆に1人ずつ謝って詫びた。
 「セコンドエンジニア」とS甲板手が呼ぶので彼の部屋へ行くと、ドスの利いた声でその彼女は言った。 
 「日本人は白人と同じ、名誉白人」
 「白人と名誉白人OK。Sはわたしの最高の恋人。日本人大好き」      
(ほんとかいな。うそだろう)
 松太郎達はアパルトヘイトの国、南アフリカは初めてだった。
 東洋人である我々はカラード(Colored)と蔑まれ、白人たちから差別を受け、超不愉快な思いをするだろうから「勘弁、勘弁」と誰もが上陸を控えていたのである。
 それにも拘わらずS甲板手は昨日、勇気をだして上陸、そのまま帰船しなかった。事件に巻き込まれ行方不明になったものと皆が心配していた。 
 それなのにS甲板手は、中年白人女性を連れて帰り、彼女に「日本人は名誉白人、Sは私の恋人、日本人大好き」と言わせたのである。
 松太郎達は、口をアングリと開け茫然自失であった。

両手首にリストカットの跡

 白人女性を部屋に入れて、親しげに話していたら、白人の警察官がやって来て逮捕されるのでは、といらぬ心配をして、船長にご注進に行く困った輩まで出没していた。
 話を聞きながら彼女の両手首をみると、リストカットの跡がいっぱいあった。訳あり? の中年白人女性は、S甲板手に一目惚れ、したらしい。 
 S甲板手は鼻を長くしてデレーとしているが、松太郎からみるともう逃げられない、女郎蜘蛛?に捕まった小さなオス蜘蛛にしか見えない。
 この色恋沙汰で彼女のリストカットがもう一つ増えるかも?知れない?と想像すると 
(ああ、恐ろしい、おお怖!どうなることやら……) 
 中年白人女性はJと名乗った。その晩、S甲板手の部屋に泊まった。

白い4階建て、多数の部屋

 翌日、S甲板手が、ニヤニヤしながら松太郎に近づいて来て 
 「セコンドエンジニア、今日の夕方、当直が空けたら、彼女を送っていくので一緒に来て下さい」と耳打ちしてきた。 
 松太郎は頼まれると断れない性質なのでOKした。 
 夕方、興味津々の3機士も行きたいというので、中年白人女性Jを3人の男が彼女の家へ送っていくことになった。
 タクシーの中でJ女はドスの効いたハスキー声で「若い女性を紹介してやる」と松太郎や3機士にしきりに話し、止めようとしない。S甲板手はニヤニヤして聞いているだけだった。
 白い4階建ての大きなアパート風の建物に着くと、「ここ、ここだ」と言ってJ女は大きな白いドアを開け、3人に早く来いと促すのであった。
 中に入ると、室内には細長いエントランスがあり、天井まで吹き通しで両側に多数の部屋があり、4階まで見通せる造りになっていた。
 J女はいきなり大声で、地声のハスキー声で、ドスの効いた声で、「帰ってきたぞー、日本人連れてきたぞー」と叫んだのである。

36名の下着姿の若い女性が

 吹き通しの2階から4階までの部屋(36部屋)のドアがいっぺんに開き、部屋の中からネグリジェや下着姿のまま、若い女性達が飛び出してきたのである。(総勢36名)。
 松太郎達3人の男たちは、突然現れたこの光景にブッタマゲルとともに口をアングリ、よだれタラタラ(男だからネ)。
 2階から4階、4階から2階と何度ものけぞるようにそのネグリジェと下着を観賞し、我を忘れたのである。
 彼女達の顔を見ると口をパクパク動かしている。しかし、気が動転しているのでそのかわいらしい声はまったく耳に入らなかった。
 目が慣れ、その光景が写真のように脳裡に記憶されてからやっと初めてその声が聞き取れるようになった。 

『白い館』の愛される女ボス

 「死んだと思ってた」 
 「帰らなかったから心配していた」「生きててよかった」
 「また、手首切って 病院に行ったと思った」
 「よかった よかった」
 彼女達は、昨日J女がS甲板手の部屋に泊まったことを知らず、事件に巻き込まれたのではないかと、帰らない彼女を夜通し心配していたのであった。 
 彼女達の様子から、松太郎はここは間違いなく「『白い館』と呼ばれる女郎宿」でその手の女性達が暮らす場所、そして、J女はまぎれもなく彼女達の上に君臨し、皆から敬愛されている女ボスであることに気付いたのだった。
 その後、2階、3階、4階からゾロゾロ下りてきた若い子を次から次と紹介され、松太郎と3機士は目のやり場に困りながらも、握手したり、会釈したりして何とかJ女の機嫌を損ねることなくあいさつを終えたのだった。
 皆、白人であった。黒人・カラードは一人もいなかった。
 松太郎は思った、白人が優遇されるアパルトヘイトのこの国で何故、彼女達はこの境遇に甘んじているのか、甘んじなければなければならなかったのか…….と。
 ///それぞれの人生、まったく人生は難しい……/// そして、考えないことにした。

ものすごい悲しい顔の、見送り

 それにしてもである。インプットされたあの光景、あの約36名の若い白人女性のネグリジェ姿と下着姿が、一枚の写真となっていまでも松太郎の脳裏に浮かぶのである。
 本船出港の日、J女は1人で名誉白人のS甲板手を見送りに来た。
 ものすごい悲しい顔をしていた。国は違えど、歳は違えど、男と女は好きになり、別れを迎えたのであった。
 S甲板手が船乗りである以上、仕方のないことであった。J女はもう一つリストカットの傷を増やしたことだろう。
 その後、船はCape Townに行くことがなかったのでJ女がどうなったかは誰も知らない。

【アパルトヘイト(人種差別制度)】

当時、南アフリカ共和国は、オランダ系移民の白人たちが人種差別政策で国を支配し、原住民である黒人たちだけでなく白人以外の人々を“カラード”と呼び非人道的扱いをしていた。
オーストラリアの白豪主義のはるか上をいく人種差別主義を徹底させていた。
飲み屋やレストラン、トイレ、公共施設はすべて白人用とカラード用に識別され、“カラード”は白人用の場所や施設には行けない、入れないようになっていた。
カラードが白人用の場所や施設に入れば、すぐに袋叩きにされ追い出されるのである。
そんな中、アジア人である日本人は『名誉白人』とされ白人の仲間に入れられていたのである。
しかし、韓国人、中国人は“カラード”である。
顔や風貌が似ている韓国人(マグロ漁でケープタウンを母港にしている漁船乗組員)は、名誉白人の日本人のナリスマシを試み、白人用飲み屋やレストランに入店しようとしては、パスポートチェックを受け非日本人ということがバレて、韓国人(カラード)だとしてつまみ出されていた。
中国文化を伝えた歴史的関係から中国は親、 韓国は日本の兄的存在であるという思い込みが韓国人には強くあるから、外国で同じアジア人であるのにこのような差別を受けることは彼らには屈辱的で耐えられないものだったろうと思う。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。