第18話 酒切れ、ルイ13世と強力ワカ末錠(Atlantic Ocean)

更新日:2020年2月4日
大西洋横断中、酒が切れる

 松太郎の乗った船はアフリカ大陸から大西洋を横断。ブラジルのレシフェ港に向かって航海中であった。
 今、本船上では異常事態が発生していた。ボンド品の酒が切れてしまったのである。
 誰も酒を持っていなかった。松太郎が土産に買っておいた高級ウィスキー『ロイヤルサルート』は3日前に3機士と2航士に不意打ちをかけられ、既に空瓶となって転がっていた。

超高級ブランデーを3機士から

 あとはただ1人、3機士Mが恋人のノリちゃんのお父さんに、「娘をください」と言う際、持参するために買った高級ブランディ『レミーマルタン・ルイ13世 バカラ』があるのみであった。
 昼の1200ー1600当直を終えた松太郎と2航士は、3機士の部屋へ直行し「ルイ13世を出せ」「3人で飲もう、早く出せ」「どこに隠したんだ、どこだ、どこだ」と家捜しをはじめた。
 最初は抵抗していた3機士も、もうどうしようもないと思ったのか、ベッドの下から豪華な箱入りのブランデイ『レミーマルタン・ルイ13世 バカラ』を取りだし、「飲め、バカ野郎」と涙目で「ノリちゃん!」と叫び、箱から神々しい 高級ブランデイを2人の前に出し、観念した。
 ルイ13世は銀座の高級バーで飲めば、なん十万円もする洋酒である。ボンド品で購入しても5万円は超す代物であった。
 が、そんな高級イメージは一切無視、ただの酒、他人の酒、盗み酒、飲むだけである。

ツマミはソルトサンスター

 他人の酒、特に他人が大事に仕舞っている酒、隠している酒を飲むのは、悪魔的で楽しく、おいしいおいしい、こたえようのないおいしさである。
 誰にも内緒で飲む3人酒は銀座で飲むよりも格別なのである。
 ブランディ・グラスがないので3人の歯磨き用コップにたっぷりと酒を注げば、700リットル入りボトルは4分の1しか残っていなかった。
 2航士が「しょっぱいツマミが欲しいなあ」とコップの酒を半分にしたところで言い出した。
 3機士が「ツマミなんて、とっくにありません。贅沢言うんじゃありましぇん」と言い返すと、松太郎が「ソルトサンスターって、しょっぱいんじゃないの」と言って、キャップを開け、2人の人指し指に練り粉を付けてやった。
 そして3人一緒に舐めたのである。
 3人は異口同音に「しょっぺー、これはいける」と、同じ言葉を発し、ルイ13世を一口飲んだ。

ツマミは強力ワカ末錠に

 3~4口飲んだところで、ソルトサンスターのチューブは空になった。
 衛生管理者の2航士が「整腸剤、強力ワカ末錠がしょっぱいからホスピタルから持って来よう」と席を立って部屋から出て行った。
 そして、500錠入りの大瓶強力ワカ末錠を持って帰ってきた。
 強力ワカ末の瓶の蓋を開け、たっぷりとある粒片を5~6個取り出し、口に放り込み、ポリポリ、ポリポリと2航士が噛みだした。
 「しょっぱいし、ちょうど良いよ。3機士、2機士、あんたらもやってみな」
 「ほんとうかいな」と松太郎。瓶を傾け、4~5個取り出だして口の中へ。
 「うーーん、良い塩加減だけど、珠に苦味があるなぁ」
 3機士がもうすぐ当直なのに「いけるんちゃう、これ薬だから体にいいかも」
 ポリポリ、ポリポリとワカ末錠をかみ砕き、塩味の効いたところで口の中に溜まった小片を『ルイ13世 バカラ』の液体で胃の中に流し込むのを、3人は繰り返していた。

とめどもない健康なおならが

 しばらくして2航士が『ブーッ』とやった。おならである。松太郎もつられて『プッ プッ プー』と。
 何故か 三機士も『ブオーッ、プッ』とやった。3人が顔を見合って大笑いが始まった。 <ブー プッ プ プーーーーーォ> 『ワハハ わっははっは』
 酔いも手伝って おならを出しては笑い、笑っては おなら…….なのだ。
 整腸剤の強力ワカ末錠の薬効が現れ、おならが止まらないのである。
 そうこうしているうちに3機士の2000時―2400時の当直時間が迫ってきて、1600時―2000時直の操機手(Oiler)が呼びに来て、『当直30分前』と3機士の部屋のドアを開けた。
 3機士が強烈なおならを操機手に食らわした。プーっ オっと。
 『あははははは』『あっはははは』『うわっはハハハハハは』『あーあ苦しい』
 どうしようもない3人の酔っ払いに、操機手(Oiler)はあきれて自分の鼻の前を団扇のようにあおいだ。
 整腸剤強力ワカ末錠によって止めどなく出た健康なおならで匂っていたのである。酔っ払いの3人は麻痺していたのでこの匂いが判らないのだった。
 操機手は、不機嫌そうにその場を去って行った。

下船後、3機士は空瓶を持って

 『ルイ13世 バカラ』を飲み切り、500錠入りのワカ末錠瓶を半分にしてから、3人の最後の晩餐は終わり、3機士はぷぷおーっと最後っ屁をかましながら機関室に降りて行った。
 それから松太郎の乗った船は3日間、ブラジルのレシフェ港に着くまで酒無しの日々が続いたのだった。
 3機士は下船後、3人で飲んでしまった『ルイ13世 バカラ』の空瓶を持ってお土産とし、大切な洋酒が空になった経緯、つまみのソルトサンスターのこと、強力ワカ末錠の薬効を説明し、『娘さんを、私のお嫁さんに下さい』と哀願したそうな。
 そして、3機士はのりちゃんと結婚し、幸せに暮らしている。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。