第17話 組長親分と北米競馬の勝馬投票券(Vancouver)

更新日:2020年1月28日
語り継ぐ『海伝説』

 日付変更線には、太平洋の洋上に北から南に黒いブイが連なって存在する、と船乗りの先輩たちは言っていた。松太郎はこれを信じていた。
 明日は、待ち望んでいた日付変更線を通過する。絶対、自分の目でブイを確かめてやる、と松太郎は意気込んでいた。
 しかし、日付変更線は松太郎が眠っている間に既に通過していた。
 「黒いブイがありました?」と2航士に聞いた。
 にやにやしながら2航士が言った。
 「1個見たよ。1マイル(1872m)間隔であるうちの1つだよ」
 また、太平洋上の赤道は「海が赤い色に染まっている」と船乗りの先輩たちが言っている。
 船長が言った。「晴れた日の日中に赤道を通過すると赤い帯が東から西に延びて、それは、それは、神々しく美しいもんだよ、ただ、見える時と見えない時があるんだよ」

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カナダのバンクーバーに着岸

 松太郎は日付変更線を超え、北米産原木積の為、材木積み兼用のバルカー G.S.号(今治の船主殿所有船)に乗船してカナダ最大の港湾都市バンクーバーに来ていた。
 昨日着岸し、クワガタの化け物のような巨大な角(丸太掴み腕)を付けたブルドーザーが、岸壁を処せましと動き回り、北米産原木を船側に集め、それをステベがスリングワイヤーでまとめては本船クレーンで吊り上げ、各ホールドに積み込んでいた。
 本船は4ホールドあるが、ステベは3ギャングである。荷役は早くも、原木でホールドが埋まってしまっていた。

自称ヤクザの親分の弟、ボースン

 本日の荷役終了前1700時頃、某広域暴力団本部長K(KM組組長親分)に、伸ばした白髪交じりの顎鬚まで瓜二つのボースン。
 以前、彼は乗船してきて直ぐ 次のように豪語した。
 「本部長のKは俺の双子の弟なのだ、だから何か困ったときは俺に相談に来い」
 「弟らの世界で大きな喧嘩があると、とばっちりを受けないよう、俺は逃げるように船に乗り、喧嘩事が収まるのを待つんだよ」
 しかし、 松太郎が調べたところでは、本物のK本部長の方が彼より年上であった。

ボースンからナイト競馬の誘い

 ボースンが松太郎に話し掛けてきた。「セコンドエンジニア、向こうに見える競馬場がナイト競馬をやっているようなので一緒に行きませんか?」
 「いいねぇ、外国の競馬がどんなものか知りたいし、面白そうだ、行こう、行こう」
 「では本日の荷役片付けがあるのでタクシーを呼んでおいてください」
 某広域暴力団幹部に生き写しのボースンはその世界の者を気取って、競馬にも詳しいらしかった。
 本人は外国の競馬場は初めてらしく、行くのが本当に嬉しそうだった。
 松太郎は代理店から教えてもらったタクシー会社へ、岸壁にある公衆電話ボックスから電話を掛け、本船発1800時で予約した。
 夕飯を食べ終え競馬場に行くメンバーが集まった。
 松太郎、3機士、ボースン、そして甲板員のK君の4人である。軍資金は船長から借りたアドバンス、それぞれカナダドル200~500ドル+米ドル少々である。

馬券の種類の多さに驚く

 競馬場に着き、窓口で入場料を払うと、今日のレース表をくれた。レースは12レースまであり、馬番と英語の馬名が記載されていた。
 競馬場の向こう正面にある電光掲示板を見ると、前のレースの結果が表示されていた。
 WIN/PLACE/SHOW/QUINELLA/EXZACTA/TRIFECTA/DAILY DOUBLE/PICK 3 & PICK 6 とある。
 その横に馬番と思われる数字が表示されていた。
 日本の競馬は単勝、複勝と枠連しか無かったから、この種類の多さに先ずびっくりした。
 さすがのボースンも電光掲示板の意味が判らないようであった。
 英和辞典を持って来ていた松太郎は一生懸命調べるが、辞書にも載っていない単語が多く良く判らない。
 そこで、近くにいた競馬好きのカナダ人に聞いたが、競馬予想に邪魔されたくないようで、質問しても応えようとしない。シカトされてしまった。
 しばらくして、予想を終えた彼が嫌々ながら一つ一つ教えてくれた。

WIN
PLACE
SHOW
QUINELLA(当時、日本の競馬にはなかった馬連複式のこと)
EXZACTA (当時、日本の競馬にはなかった馬連単式のこと)
TRIFECTA(当時、日本の競馬にはなかった3連単のこと)
DAILY DOUBLE(指定された2レースの1着を当てる)
PICK 3
PICK 6
※最低掛け金は 1カナダドル、枠連は無かった。

競馬のプロ、ボースンの予想で

 このような一覧表を作り、ボースン、3機士、甲板員K君に書き写させた。
 窓口に行って、いよいよ馬券を買いに行こうとすると、よく小倉競馬場に行ってパドックを見ているという自称『競馬のプロ』のボースンが言った。
 「次が6レースだから、まずは パドックで7レースの馬を見よう」
 「俺が馬を見て、予想してやるから……」
 気が逸りすぐにでも馬券を買いたかった松太郎だが、某暴力団幹部擬きボースンの薀蓄を聞き「最初の馬券はボースンの予想する馬券でいいや」と決めた。
 そして皆と一緒にパドックに向かった。
 「5番はトモ足の筋肉が良いな、良く鍛えられている」
 「1番は小さいから、長距離はいいけどマイルレースはどうかなぁ」
 「9番は痩せてるんじゃないか。走らないよ」
 「4番は 糞たらしやがった。緊張するタイプでダメだなあ」
と独り言のようにボースンは薀蓄を垂れた。そして「5番、6番、7番だ、7レースは」と予想した。

ことごとく外れ、本船まで歩きを覚悟

 アマチュアの3人は、ボースンの言う通り、5番、6番、7番の WIN PLACE SHOW を(もう勝ったつもり)でそれぞれ購入した。
 しかし、1着=1番、2着=4番、3着=9番だった。それぞれ10ドルから20ドルを失った。
 自称『競馬のプロ』のボースンは、言い訳じみた独り言をぶつぶつ言っていたが、誰も言い訳を聞く気はなかった。
 8レースからは、なぜか全員パドックに行かずレースの馬番表を見ながら、自分で予想を立て、いろいろ試しながら馬券を買った。
 松太郎は、倍率のいい PICK3(10 11 12 レースの1着を当てる馬券)を勝った。また、3連単を8、9レースで買ったが、全て外れた。
 10レースは SHOW(3着までの複勝)を買ったが外れた。11レースは、QUINERA(馬連複式)で勝負したが外れた。
 当然 PICK3も外れた。松太郎の軍資金は底をついた。
 ボースンは皆にいろいろ薀蓄を述べながら馬券を買っていたが、一つも当てることはできず財布を空にした。K君もダメだった。
 帰りのタクシー代が心配され、もう歩いて帰るしかないと皆が覚悟したが、3機士が12レースでSHOW(3着までの複勝)を当てた。このSHOWの払戻金が本船 G.S号に帰るタクシー代となった。

競馬を忘れ出航作業に勤しむ

 出港の日、ボースン以下甲板部員は忙しく、On Deck積みの北米産原木材のラッシング作業をステベと一緒になって働いていた。
 『競馬のプロ』のボースンは、競馬の負けなど忘れたかのようにラッシング作業に汗を流していた。そして最後のチェーンラッシング作業も略、終了した。
 その後、On Deck上に積み重ねられた北米産原木材のトップに、船首フォクスルデッキまでの道となるキャットウォークが作られ、本船は出港スタンバイとなった。
 松太郎は出港準備の為、ラッシング作業中の甲板乗組員と挨拶しながら、原木材積みの隙間となっている、ホールド間のクロスデッキに下りて、FOタンクのサウンディングをして廻り、FO残油表を作成するのだった。
【燻蒸手当】
北米産原木材は、揚げ荷する前に日本の港の錨地や岸壁で燻蒸業者が本船に乗り込み、原木に隠れている害虫駆除の為、燻蒸を行うのが常だった。その際、乗組員は総員退船となり、一泊のホテル代と食事代を傭船者から燻蒸手当として支給された。
乗組員は港近くのホテルに泊まるのが一般的だが、なかには自分の家に帰る者もいた。
帰郷組は、燻蒸後の2日間を休みとして計3日間休みを取って帰郷した。この休みは乗組員が日本寄港ごとに譲り合って順番に取り、不公平の無いようにしていた。
彼らは家族と会い、リフレッシュして帰ってきた。そして帰船時は必ず、故郷のお土産を持参してくるのが習わしであった。某暴力団幹部K本部長に生き写しのボースンは、よく『博多明太子』を買って来て、みんなに振る舞っていた。知的障害児の息子を持つ彼は毎航海帰郷し、必ず息子に海外土産を持って帰る優しい父親であった。親分肌のいいボースンだった。

<次回更新日は2月4日(火)です。>

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。