第5話 劇場レストランのクレオ・パトラ(Romania Constanta)

更新日:2019年10月23日
黒海のコンスタンツァ着岸

 松太郎の乗った船はエーゲ海からダーダネス海峡、ボスポラス海峡を通過し黒海の港町コンスタンツァに着岸していた。この地はルーマニアは勿論、東ドイツ、チェコスロバキア、ポーランドなど東欧諸国の人達には海水浴場のある海岸として知られ、裕福な共産党や軍の高官及びその家族が夏によく訪れる場所となっていた。
 西側諸国の人達には隠れた夏の観光地として知られていた。
 未だベルリンの壁が崩れていなかった時代である。

コンスタンツァ出身のクレオ・パトラ

 土曜日の午後、三航士、三機士と共に上陸したが、三航士は海岸にある有名なヌーディストビーチに行くといって聞かない。入港時、ビーチを双眼鏡で見たら、男も女も皆素っ裸だったと言って興奮していた。
(大丈夫かいな 一人で。自信無くして帰ってくるのは明白だし)
 三機士も行くと言い出した。
 仕方がないので 一人でコンスタンツァの劇場レストランに行くことにした。
 レストランに入ると、もうクレオ・パトラの劇をやっていた。こんなところでなんでクレオ・パトラなのか? クレオ・パトラはエジプトだろうと不思議に思い、英語がわかるウェイターに「何でクレオ・パトラなのだ」と聞けば、「クレオ・パトラはここコンスタンツァの出身ですから、皆が喜ぶのです」 と。
 (えーっ ウソッ)

シーザー、アントニウスが出てこない

 世界史で習った記憶を基に整理してみると、マケドニアのアレキサンダー大王がエジプトを征服し、その地の総督としてマケドニアのプトレマイオス将軍がエジプトを統治し、大王の死後、エジプトの王となっていたから、クレオ・パトラはマケドニア出身といっても言えないこともないけど、時代が全然違う。
 劇を見ていると(外国人用に英語でセリフが右脇に写し出されている)、シーザー(カエサル)は出てこないし、アントニウスも出てこない。アレキサンダー大王が出てきて、プトレマイオス将軍が出ている。アレキサンダー大王が死去し、王権を求めて総督同士の争いが始まり、プトレマイオスが大王の妹クレオ・パトラ(初代)と結婚、クレオ・パトラ(初代)がマケドニアからエジプトに向かう途中で暗殺され? 悲観に暮れるプトレマイオス??
 (なんだ こりァ、習った世界史と全然違うじゃないか)
 古代エジプト最後のファラオ、クレオ・パトラはローマの大将軍カエサルの愛人となり、彼との子カエサリオンを得たが、カエサルが暗殺された後は、エジプトに遠征して来たカエサルの部下、アントニウスを翻弄・手玉にとって愛人とし最後はアントニウスと共にカエサルの甥、ローマのオクタビアヌス(ローマ初代皇帝)と戦って敗れ、毒蛇に噛まれて死んだはず。

クレオ・パトラ7世は知らなかった

 先のウェイターに聞くと、「エジプト最後の女王は クレオ・パトラ7世でこの劇の主人公は、アレキサンダー大王の同母妹のクレオ・パトラ(初代)です」
 「めっちゃ ややこしいなァ。7人 そんなにクレオ・パトラがいたんだ」と問わず語ると、ウェイターはこうも言った。
 「ナポレオンが発見した ロゼッタ石にギリシャ文字 エジプト民衆文字、古代エジプト神聖文字(ヒエログリフ)が記されていたことからも、古代エジプト、プトレマイオス朝の王族はマケドニア人としてギリシャ語を話していたはず。ローマに支配されていた時期もあるのでローマ語も話せたはずです」と。
 「君は英語も話せてすごくクレオ・パトラに詳しいけど、大学生?」
 「はい、大学で歴史を専攻、専門はエジプト史です」
 「ふーん なるほど、そういう事かぁ~」
 食事よりもクレオ・パトラ。それにしてもクレオ・パトラである。

ギリシャ人だったとは

 中学・高校の先生は古代エジプト最後のファラオは女王 クレオ・パトラと教えてくれただけだったから、松太郎はクレオ・パトラがエジプト人と思っていた。
 (せめて クレオ・パトラ7世 と先生が教えてくれていればなァ)
 何故、ローマ人のカエサルやアントニウスがエジプト女王に魅了され、翻弄されてしまったのか疑問に思っていた。思慮深く、若く、賢く、美人のギリシャ人女性であれば、彼らローマ武人がローマを危うくしてまでも女王に惚れてしまうのは至極当然と思われ、納得である。
 特に古代ローマ時代、ローマ人は武では勝っても知識ではギリシャ人には適わないと自覚していたろうし、ギリシャ人に憧れていた部分もあったはずだろう。
 と松太郎は個人的解釈をして劇場レストランを後にするのだった。

ヌーディストビーチでは完敗

 食後の散歩で海岸通りの土産品を散策していると、三機士と三航士が松太郎を見つけて声をかけてきた。
 「セコンドエンジニア完敗です。日本刀は切れ味で勝負と思っていましたが圧倒的な敗北感を感じます」と三航士。
 多少、自信があったのかもしれない。
 「バカなこと言ってんじゃないよ。だから止せッと言ったんだ。明日から??不能になっても知らんョ」
 「彼ら毛唐は男も女も堂々として前を隠そうとしません。僕らは圧倒され初期段階で隠すしかありませんでした」と三機士。
 「しかし、何だなァ、大きいばかりが良いとも言えんよ。恐竜は絶滅したし、マンモスも絶滅。現代の象も絶滅危機だし。それからえーット」
 元気づける話を続けて捜したが、うな垂れて歩く二人を見て止めた。余りの意気消沈ぶりに言葉が詰まってしまった。
 「ようし これから帰船して一緒に酒でも飲もうか!」
と言葉を掛け、タクシーを拾って帰船。二人からヌーディストビーチでの出来事(愚痴)を聞く羽目になったのだった。
<追記>
 最近の旅行ガイドではクレオ・パトラ7世と書いてあるが、世界三大美女の一人、エジプト最後の国王が「7世」と知っている日本人は少ないようです。

<「船乗り松太郎が行く」とは>
著者は、『船乗りは無冠の外交官』という言葉の響きに感動・感化され、船乗りをやりながら 「日本人として恥ずかしくない行動を」「日本人の良さを微力ながらも外国人に伝えよう」と自分に言い聞かせてきた。彼は乗船時の体験、出会った人々のことを、エピソードごとに書き留めてきた。それはいまでも興味深いものがあり、全21話を週刊で紹介します。

<著者>
野丹人 松太郎(のたり まつたろう)
略歴:海運好況時に大学へ入学し、大不況の1970年代後半に卒業。卒業後、当時は少なかったマンニング会社に就職し23歳から29歳まで様々な商船に乗船した。その後、船舶管理者として勤務し、現在も現役。