株式会社三浦造船所
代表取締役社長 三浦 唯秀 氏
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――2020年11月に創業60周年を迎えた三浦造船所のご紹介・PRをお願いいたします。
1960年、現会長の三浦政信、私の父である隆雄、その弟の秋敏の三兄弟によって木造船の建造を開始したのがはじまりです。以来、貨物船から順次船種を増やし、その都度、設計陣が一つひとつの船種の特徴を吸収していき、現在ではLPG船やセメント船、ガット船、フェリー、貨物船にコンテナ船や油送船、RORO船など、内航船は漁船以外、ほぼ全ての船種を建造しています。内航船は1年ほどあれば建造でき、短納期でも対応できるのが強みです。
――豊富な船種のラインナップ、そしてそれを支える優れた設計能力をもっていらっしゃるのですね。
設計陣は全部で15名ほどおり、多くのベテランが力を発揮して様々な船種に対応しています。造船所の組織全体としては、本社で42名、協力会社が20社、350名ほどで、そのうち外国人労働者が35名ほどです。
――日本の造船業界は依然、苦境にありますが、経営状況についてはいかがでしょうか。
2021年3月期の新造船の引渡しは全部で13隻、この数年では最多となりました。売上は143億円で過去最高を記録し、当期利益は5億円となっています。来期の売上は当期比減の125億円を見込んでいますが、引き続き、船台のアイドル無しで新造船10隻の建造を予定しています。再来期に関しても目処が立っている状況です。
――未曽有の不況下にある造船業界で、素晴らしい業績ですね。創業60周年の記念イベントなどは?
新型コロナの影響で、イベント関係はほぼ中止にしています。16期連続で黒字決算のため、例年3月には従業員に決算賞与、協力会社各社に生産奨励金を出しておりますが、今年は60周年のため、例年よりも上積みしています。
――三浦造船所さんでは年に3回ボーナスが出るのですね。先行きも明るいということで、是非、日本の造船を盛り上げていただきたいと思います。
我々の規模は造船業界全体からすると小さなものです。内航造船のマーケット規模は1,000億円程度、国内の中堅造船会社1社の売上に相当します。当社の売上が143億円ですので、シェアとしては14%程度になります。一方、造船業界全体の売上は2~3兆円規模、世界全体の造船マーケット規模は15兆円程度と聞いています。当社は1,000億円のマーケットのニッチな部分で競争していますから、規模の面から言うと、是非、業界を支える外航造船所さんに頑張っていただきたいです。また当社でも、地元の造船業界に対してなど、微力ながら、可能な協力を行っていきたいと考えています。
――造船業界では環境規制対応など、今後10年の変化が大きくなると思います。三浦造船所さんの取り組みについてお聞かせください。
当社でも、次世代燃料、自動航行船などの研究を行っています。舶用機器メーカーとの共同研究も行っています。中々一社で全てを捉えることが難しい分野ですので、様々な方々と協力して研究をやって行きたいと思っています。
また造船業界を取り巻く環境としては、中韓造船所が国の補助を支えに成長を続け、日本の技術レベルに追いついて来ている中、日本の大手造船所は一層、厳しい戦いを迫られています。最近でも上場企業が相次いで造船部門を縮小しており、日本の造船業は曲がり角に立っていますが、四方を海に囲まれている日本にとって、国の根幹を支えていると言える造船という産業に対して、国がもっと積極的な施策を行うべきだと考えます。艦船や巡視船は時代の趨勢によって建造の山谷が激しく、一般商船も併せて建造しないと造船所として経営が成り立っていかないと思います。国が、日本国内での一般商船建造を支えることによって、産業全体が発展し、造船技術の継承ができるのだと思います。このままでは、艦船や巡視船を輸入しないとならないという事態にもなりかねないと危機感を持っています。
――造船業界はパイが小さく、資金を投じて技術開発をしてもコストを回収しづらい中、それでも技術革新を目指さなければいけないというジレンマがありますね。是非、国のしっかりしたサポートを期待したいです。
――
*流氷観光船「ガリンコ号Ⅲ」
を建造された「特殊船の三浦造船所」のクオリティを支えているのは何でしょうか。
協力会社を含めた全社で「60年の感謝をQualityに込めて」という言葉をスローガンに日々の業務に当たっています。これまで支えていただいたお客様への感謝を胸に、極力良いものを造っていこうという思いを新たにしています。
――内航船では、仕様面はもちろんのこと、モノづくりとしても細部まで完成度の高いものを追求することが重要視されるのですね。外航船の場合は経済性が先行しますが、内航船の船主さんは、まるで自分の家を建てるように船を建造されると聞きます。常日ごろ、クオリティを高めようという意識を皆さんがもっていらっしゃるのですね。
外航船と内航船で造り方、そして考え方も違います。外航船の場合には、乗組員が多いため自動化よりも経済性を優先するという考えですが、内航船は日本人の船員さんが乗られますので、自動化や省力化、使い勝手や見た目の綺麗さも比較的、重要視されます。
――これまでのご経歴についてお聞かせください。
大学卒業後、旧 日鐵商事(現 日鉄物産)に入社し、リースやファイナンス関係、また厚板や棒鋼の取引を担当していました。1992年に三浦造船所に入社し、3,4年ほど資材部門を経験した後、営業を担当しました。1997年からは経営に関わるようになり、2000年に専務、2011年4月に代表取締役社長に就任し、現在に至ります。
――社長にご就任されてちょうど10年になるのですね。おめでとうございます。これまでで印象に残っているお仕事について振り返っていただけますでしょうか。
専務を務めていた2003年当時、英国石油大手のBPから、地中海域に投入される小型ケミカル船計10隻を受注し、2004年から2005年にかけて建造したのですが、1隻当たり1億円の粗利が出る当初の見込みに反し、全体で10億円の赤字となってしまい、計画が大きく狂ってしまったのです。内航船では総トン数の制約があり、通常1,950Dwt型では699総トン程度ですが、本シリーズ船は総トン数にあまり制約がなく、2,000総トンと想定外の大きさとなり、使用鋼材量が大幅に増えて積算が大きく変わってしまいました。加えて、当時の資材価格高騰にも苦しめられました。
――業界でも三浦造船所さんが苦労しているとうわさになっていました。リーマンショック前、鋼材価格が急上昇していた頃ですね。10隻同時に契約しているので、全ての船を引渡すまでは打つ手がないような状況ですね。
そうなのです。2005年6月期には債務超過に陥ってしまい、経営体制を見直し、起用したコンサルティング会社の提案で月次の原価管理を厳格に行う体制を整えました。翌年も引き続き債務超過でしたが利益を出すことができて、以来16年間、黒字を継続しています。中国の経済成長に伴って造船業が空前の好況に沸き、船価が急上昇したことが追い風になりました。60周年を迎えた2020年には無借金経営になっています。
――BPの船を建造したことで、結果的には功を奏したのですね。
当時は会社がつぶれるかもしれないという危機感を抱いたこともありましたが、今、振り返れば、社内の管理体制を整備することができた上、品質面でも高く評価いただき、結果として、BPの船を建造した収穫は大きかったと感じています。また自社建造のRORO船1隻を自社で保有させていただいており、もう8年ほどになります。
――倒産の危機を乗り越え、無借金経営で船を保有しているとは、すごいですね。
――ご趣味や休日の過ごし方についてお聞かせください。
ジムに通って筋トレとエアロバイクを1時間ずつやって汗を流しています。今は夜の会食が無いので、週に5日ほど通っています。新型コロナで3カ月休会したら体重が増えてしまったので再開しているのですが、体重がなかなか落ちないですね。筋肉がついたのかも知れません(笑)。
――座右の銘についてお聞かせいただけますでしょうか。
「不撓不屈」です。1993年に貴乃花が大関昇進時に述べた口上で良い言葉だと思っていました。その後、1995年に自分の結婚式の場で座右の銘について聞かれた時、とっさに「不撓不屈」と答えました。それ以来、何事にもくじけない、という意味のこの言葉を座右の銘にしています。
――人生の転機となった事柄についてお聞かせください。
やはり妻と結婚したことでしょうか。子供もできて家族のためにも今まで以上に力を出さなければ、と気持ちが変わりました。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせいただけますでしょうか。
日本の麺類では沖縄そばが一番おいしいと思っています。その中でも、那覇市の公設市場の「がんじゅう堂」の*「がんじゅうそば」
はソーキ、てびち、三枚肉が入った絶品で、沖縄のお客さんを訪問するついでに時間があると必ず立ち寄ります。鰹出汁と豚骨の澄んだスープに、歯ごたえのある太いラーメンのような麺、そして豚のあばらの柔らかいソーキ…たまりません。
――心に残る「絶景」についてお聞かせください。
以前、北海道のお客さんから引き合いがあって現地を訪れ、釧路湿原
を案内してもらった時、釧路湿原の展望台から見た地平線は果てしないもので、圧巻でした。佐伯市は海が近く、水平線は我々にとって馴染みがあるものですが、どこまでも続く平原の景色に北海道の広大さを感じました。気が付いたら松山千春の「大空と大地の中で」を口ずさんでいました。コロナが収まれば、北海道旅行をし、あの地平線を再度見てみたいと思っています。その時は、ガリンコ号Ⅲで流氷観光もしたいですね。
【プロフィール】
(みうら ただひで)
1962年生まれ 大分県出身
1985年 大分大学経済学部卒業、日鐵商事(現 日鉄物産)入社
1992年 三浦造船所入社
2006年 代表取締役専務
2011年より現職
■株式会社三浦造船所(
http://www.miurazosen.jp//)