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【マリンネット探訪第5回】
“K” Lineをグローバルに率いてきたリーダーは
幾多の困難にも「逃げず」タフに立ち向かう
< 第506回>2021年10月13日掲載 
 ケイラインロジスティックス株式会社
代表取締役社長 鈴木 俊幸 氏

 












――川崎汽船で長らくコンテナ船事業に携わり、代表取締役専務として経営の中枢を支え、その後、日東物流の副社長を経て、2019年7月からはケイラインロジスティックスを率いる鈴木社長です。ケイラインロジスティックスの主力は航空フォワーディングとおうかがいしました。この数年間の航空貨物マーケットについてお聞かせいただけますでしょうか。

日本発の輸出航空混載貨物は2018年にピークとなる月間10万トン程度の水準に達した後、2019年には半導体等の荷動きの停滞を受けて同7、8万トン程度、そして2020年前半には新型コロナウイルスの影響で同5、6万トン程度にまで落ち込みました。今回の世界的なパンデミックは皆が初めて経験する事態です。旅客機の運行大幅減による航空スペースの逼迫に加え、海上コンテナが船の滞船、コンテナ不足により昨年夏以降スペース逼迫、運賃高騰が1年以上に渡り続いているのは異常事態と言えます。物流会社としては、日々航空会社や船会社と交渉し、スペースの確保に奔走し、現在考えられる最良の輸送方法を提案する様務めています。ただ、運航スケジュールの遅延や抜港等による手配替えも頻発し、結構苦労することが多いです。まだ暫らくはこの状況が続くのでしょう。


――輸送スペースの確保に難しさもあるのですね。2021年に入ってからの航空貨物全体の輸送量については、新型コロナ感染発生前の水準まで回復しつつあると聞きました。

 自動車関連貨物の出荷増がプラス要因となり、2021年春頃からの輸送量は総じて月間10万トン前後にまで回復し、堅調に推移しています。


――今後、拡大が見込まれる洋上風力発電のプロジェクトカーゴ輸送におけるケイラインロジスティックスさんの取り組みについてお聞かせください。

タイトル 今年6月に川崎汽船、川崎近海汽船が、洋上風力発電を対象とした作業船事業の合弁会社であるケイライン ウィンドサービス社を立ち上げました。この会社は、当社も含めた川崎汽船グループ各社の洋上風力発電に関係する事業展開を促進するためのプラットフォームを担う役割もあります。6月以来、当社も含め関係11社が活発な情報、意見交換を進めています。当社としては、作業船事業そのものは直接は関係ありませんが、既に風力発電に関係してBlade(風車の羽根)やナセル(動力電動装置)等の海外からの輸入品の輸送を手掛けており、洋上風力発電に絡むプロジェクトや顧客情報を収集、共有することでグループ全体としてこの分野で貢献できることを目指しています。


――昨今、一層重要性が増している医薬品・ワクチンの低温輸送を手掛けられているとのことですが、こうした医療インフラを陰で支えるお立場としての思いについてお聞かせください。

 当社の薬事貨物事業は、20年ほど前にワクチンを輸入したいと言う個人のお医者さんの依頼で始まりました。今は、インフルエンザワクチンやヒアルロン酸等の美容関連医薬品を扱っております。2006年からはシンガポールで、2℃~8℃の温度帯で24/7体制管理のMedical Roomを設置して、薬事関係の集約基地にしています。迅速かつ確実に、常に品質向上に心掛けた輸送を目指しています。これらの経験を踏まえて、コロナワクチン輸送でどのような貢献ができるか検討して来ましたが、中々ここまでの大規模なオペレーションとなると当社の規模では声が掛かりませんでしたが、何時でも対応できる経験値を積んでいきたいと思います。


――ゼロエミッションに向けたケイラインロジスティックスさんの取り組みやご見解についてお聞かせいただけますでしょうか。

 ゼロエミッションへの貢献は、川崎汽船グループの大きな取り組み課題となっています。当社としてもできる限り貢献する考えですが、ライトアセット型の物流会社ですので、直接二酸化炭素を削減することは限定的です。一方、昨年菅総理(当時)が所信表明演説で脱炭素宣言を発表し、脱炭素への動きが今後加速するのだろうと思います。影響の大きなところでは、自動車の電動化や、風力発電や水素等の脱炭素エネルギーへの転換が進むと思います。ある意味大変大きな産業構造の変革期とも言えますので、当社のお客様の動向を的確に把握した上で、物流会社として貢献できる機会を逃さない様にしたいと思います。


タイトル
――印象に残っているお仕事についてお聞かせください。

 私の会社人生は殆ど川崎汽船でしたが、とてもたくさんのプロジェクトに関わらせて貰いました。その中でも、最高難度のプロジェクトかなと思っているのが、15年ほど前に手掛けた”K” Line、Hanjin、YangmingとPSAによるアントワープの合弁コンテナターミナル会社Antwerp International Terminalの設立です。当時も欧州のコンテナターミナルは逼迫しており、Cosconも含め、CKYHとして欧州に自営ターミナルを確保するというのが一大命題でした。当時、私はロンドンに駐在しておりCKYH欧州ターミナル委員会の委員長をしておりました。北欧州の主要港のPort Authorityや主要ターミナル会社にアプローチしたのですが、どこもアジアの船社を相手にせず素気無い対応でした。そんな中、アントワープのPSAから話を聞きたいとの電話があり、会ってみると船社として余り大きな投資をせず、実質自営ターミナルが持てる合弁方式が俎上に上がりました。これはいけそうだと思ったのですが、何分船社側が3社、それも欧州側と本社側の意見が時として一貫性に欠くこともあり、何とかそれを取りまとめながら合弁契約まで漕ぎつけたのは難度の高いプロジェクトでした。当時Coscon、Hanjin、Yangmingとも欧州本社はハンブルグにあり、欧州ターミナル委員会のメンバーはいずれもドイツ人のOperation担当でしたが、彼らの理解と協力には大変感謝しています。

――それぞれに歴史やプライドがあり、文化も異なるパートナーや交渉先を相手にしたプロジェクト、まとめ上げるのにさぞご苦労されたことと思います。

――人生の転機となった事柄について教えてください。

 何といっても川崎汽船に入社したことだと思います。福島県会津の田舎で育ち、大学も仙台で全く海運関係とは縁が無かったのですが、大変楽しい社会人人生を過ごせていると思います。数十の国を訪れ、多くのプロジェクトに携わり、田舎の青年には思いもしない方々と会うことができ、振り返るとびっくりすることばかりです。因みに奥さんも川崎汽船に勤めており、社内結婚です。


――座右の銘についてお聞かせください。

 座右の銘と言うほどではありませんが、困難な事態に直面しても逃げないと言うことを肝に銘じています。


――これまでで一番、逃げたくなるような場面で、背中を向けずに真っ向から挑んだのはどのような時でしょうか。

 これには披露できないエピソードがたくさんあり、あいにくお聞かせすることはできません(笑)。ただその瞬間はつらくても、逃げ腰ではなく正面から向き合った方が結果として、良い成果が得られると考えています。

タイトル
――最近感動したこと、夢や目標について教えてください。

 3年前に川崎汽船を退社し、神戸の日東物流に転籍しました。そこで一念発起し、通関士試験に挑戦しました。通関士試験は毎年10月に行われ、決心した5月から5か月間、朝から晩まで参考書や過去問題集に一心腐乱で取り組みました。それこそ大学受験以来の猛勉強でした。試験は、関税法・関税定率法、通関業法、通関実務の3科目があり、各々6割正解が合格ラインと言われています。試験の後自己採点をしたところ通関実務が5割程度の正解で、落ちたなと思ったのですが、12月の合格発表を見たところ受かっており、この時ばかりは狂喜乱舞しました。ただ、わが社でも80名を超える通関士資格者がおり、みんなあんな難しい試験に良く通ったものだと感心する次第です。


――素晴らしいですね。まさしく逃げずに挑戦され、見事、大成功を収められたのですね。

 試験会場は大学の大教室が使われ、周りを見回すと20,30代がほとんどの中、当時59歳だった私は最年長のようでした。自分でもよく頑張ったと思います。

――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
タイトル
 30年前のベトナムでの子豚の丸焼きの話です。1989年にフランス国営船社CGM社がベトナム戦争以来、初めてシンガポールとホーチミンを結ぶコンテナフィーダーサービスを開始したのですが、川崎汽船も欧州航路で同社と良い関係だったこともあり、参画することになりました。アジア船社としては、ベトナムのコンテナサービスを開始した最初の船社になります。当時ベトナム航路の担当だった私は、1989年12月の日越貿易協会ミッションに参画し、関係官庁との面談や縫製工場、冷凍エビ加工場を視察しました。ミッションのメンバーは主に共産圏の商売を主とする専門商社の方が多かったと思います。私が年少であったこともあり、書記役を頼まれました。視察の最後、ホーチミンで最後の晩餐となったのですが、ここで子豚の丸焼きが出てきました。子豚の丸焼きは分配する時にルールがあり、一番が主賓でこの日は団長に鼻が、二番が書記役で苦労した小職に尻尾を、三番に耳がまず配られます。この時ばかりは、鼻でも耳でもなく、尻尾で良かったなと思いました。小さく丸まった尻尾をカリカリとかじったことを思い出します。

――味はさておき、インパクトが抜群ですね。これまでの「絶品」としては、どんなものがありますでしょうか。
タイトル
 川崎汽船時代、ロンドン駐在が始まったばかりの2001年に夏休みで家族が遊びにやって来ました。そこでアントワープから娘と2人でブルージュまで足を延ばし、堪能したのがムール貝のワイン蒸しです。アントワープ中央駅でチケット売り場の行き方に戸惑っていたところ、見知らぬ方が親切に教えてくれ、今度はホームまでのアクセスに困っていると、私達のことを気にしてくれた同じ方が連れて行ってくれて、無事、列車に乗ることができました。当時、娘は10歳、2人で行った旅行はそれっきりで、良い思い出になりました。ベルギーのムール貝は何度も食べましたが、やはり美味しいです。

タイトル
――心に残る「絶景」についてお聞かせください。

 以前は家族でハワイ島に旅行することが多く、コハラコーストにあるマウナ・ラニ・ベイホテルを定宿にしています。夕日が沈む風景もそうですし、満天の星空も忘れられないものです。暫らく前に知ったのが、このホテルの敷地内にあるフィッシュ・ポンズと言う池群があるのですが、これが世界3大パワースポットの一つとネットにありビックリしました。それなりに神秘的な風情はあるのですが、世界3大スポットとまではどうかとも思いますが。






 
【プロフィール】
(すずき としゆき)
1959年生まれ 福島県出身
1981年 東北大学法学部卒業、川崎汽船入社
2001年 ”K” Line (Europe) 出向
2006年 コンテナ船事業グループ長
2008年 執行役員
2011年 取締役常務執行役員
2014年 取締役専務執行役員
2015年 代表取締役専務執行役員
2018年 日東物流 取締役副社長
2019年 ケイラインロジスティックス 取締役副社長
2019年7月より現職
 
■ケイラインロジスティックス株式会社(https://www.klinelogistics.com/jp/

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