川崎重工業株式会社
常務執行役員 河野 一郎 氏 ――2021年4月、川崎重工業のエネルギーソリューション&マリンカンパニーのバイスプレジデント兼船舶海洋ディビジョン長に就任された河野常務です。中国に造船業の建造拠点を早くから求めて合弁事業を成功させるなど、国内外から日本の造船業を見ることができる立場にあったと思いますが、日本の造船業の未来はどうなるのか、今後はどうあるべきかと思われますか?
当社も2016年から船舶関連の構造改革を行ってきていますが、中国、韓国との競争が激しくて思うような収益を得られていません。日本の造船業は、現状においてコストで中国勢と勝負することは難しいので、環境を中心とした新しい技術・付加価値を上げた船舶を先行して開発していくしかないと思います。造船の技術は真似しやすく広まりやすく、すぐに追いつかれますので、かなり先行した新技術を持たなければなりません。――中国や韓国は政府の造船業への支援もありますが。
日本政府はWTOに提訴していますが、国が決めた政策に対してWTOがどれだけの力を持っているのかは以前から指摘のあるところです。良い結果が出ればとの期待はありますが、2年以上経過しており、WTOの提訴プロセスの結論を待つわけにはいきません。――新技術といえば、水素・アンモニアなどの新燃料への対応船の開発に注力すべきということでしょうか?
もともと、LNG技術で日本は世界の造船業をリードできるのでは、と考えていました。しかし、安いコストで韓国・中国に追い付かれました。今後はコスト的にもその先の技術を狙って開発すべきかと考えます。
当社は日豪水素サプライチェーンの開発を進めております。そのプロジェクトにおいて、褐炭から生産された液化水素を運搬する世界初の液化水素運搬船の開発を推進しており、技術実証試験に投入される”すいそ ふろんてぃあ”を竣工しました。そして今年10月には、液化水素を満載し日本近海での試験航海を完了しました。この後、日豪間の実証航行を実施する予定です。 ――液化水素運搬船のような新技術を取り入れた船は、日本の造船所で建造されるべきということですね?
当社が注力している液化水素運搬船は、非常に難しい開発要素の多い船です。精度の高い品質管理も必要となり、かつ、日本のエネルギー政策にも関係することなので、やはり、まず国内で造らねばと考えています。また、大規模水素サプライチェーンの構築プロジェクトとして新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のグリーンイノベーション基金の実施対象案件として採択されました。――水素の話が出てきましたので、HyEng株式会社の今後の具体的な取り組みについてもご紹介をお願いします。
本年8月に当社とヤンマーパワーテクノロジー株式会社、株式会社ジャパンエンジンコーポレーションの3社で共同出資した新会社となります。3社で水素燃料エンジンの共同開発を目指すものですが、水素燃料推進システムの国際的標準化やルール作りの検討なども事業内容に含まれます。――同業他社との協業というのは難しいことではありませんでしたか?3社がまとまったポイントは?
水素燃料に関連する各種タンクや供給装置など、周辺設備についての開発、そして地上でのテスト設備などは共有できるはずで、共有部分の開発は3社で協業していくことで、各社の個別のエンジン開発スピードも上がっていくという意義を見出せたことはよかったと思います。そして、各社で中/高速4サイクルエンジン、低速2サイクルエンジン、補機など棲み分けができたので纏まることができたのだと思います。――若い社員に限らず、まだ学生の若者に対して造船業の魅力、モチベーション、やりがいをもって働くための環境づくりについてお聞かせください。
造船分野で将来、夢を描いてそれを語れるか、がモチベーションを上げるポイントかと思っています。バルカー、タンカー、コンテナ船を中国の合弁会社で建造し、日本では、LNG船やLPG船を造るとして、そこに将来の夢を繋ごうとしておりました。しかし、LNG船では世の中のメンブレン志向があり、LNG船の建造隻数が多くコスト的に有利な韓国勢が台頭してきて難しいものとなりました。一方、環境への問題意識の高まりとともに水素が注目されてきました。当社は水素関連技術に10年以上前から取り組んでおります。自社の水素関連技術が世の中の役に立っている、世の中を変えていく技術を我々が手掛けている、そのことで若い人もやりがいを持って働けるのではないかと考えております。「すいそ ふろんてぃあ」の命名・進水式を2019年12月に実施しましたが、それ以降、各方面から取材や問い合わせなどが数多く到来しており、注目されています。新しい技術の開発により、世界の環境問題を解決していることを実感します。さらに、一般商船では従来のLPG船に積荷としてアンモニアを混載する船を開発し、こちらも環境に貢献することになります。
――アピールという意味では、昔、神戸工場でのハンディマックスバルカーの進水式典に出席する機会をいただきましたが、当時でも珍しかった船台進水で大変感動しました。このようなイベントを公開していくと強いアピールになるのではないかと思います。
神戸でハンディマックスを建造している頃は、当時、私は工作部長か工場長だったかもしれません。――えっ!そうでしたか。お会いしていたかも。。あの大きな船の建造物が船台を下りていく姿は感動的です。
家族、親戚総出で進水式にお越しになられる船主さんもいらっしゃったり、進水時には涙を流される方もいらっしゃいました。――あと、昔の話ですが、岡山から電車で瀬戸大橋を渡る時には、渡りきる前に左手に御社の坂出工場が現れるのですよね。そこにモス型のLNG船がずらっと並んでいて圧巻でした。 嗚呼、船の街に来たんだな、と実感したものです。
その頃、私は坂出工場長だったかもしれません。大型LNG船が岸壁に何隻か係船されており、瀬戸大橋からの風景は迫力があったと思います。――印象に残っているお仕事について教えてください。
いろいろな経験をさせていただきました。神戸で商船を担当し、その後、ジェットフォイルもやらせていただきました。それから、潜水艦に長く携わってきました。船種を見ても、神戸でのバルカーから坂出でのLNG船、そして潜水艦など多岐にわたり、どの仕事も印象に残っております。
ひとつ挙げるとするならば、神戸での潜水艦の開発です。潜水艦の補助動力となるスターリングエンジンの導入にあたっての実証試験です。水中でも発電できるAir-Independent Propulsion(非大気依存推進)のシミュレーション試験であり、閉囲区画にスターリングエンジンと液化酸素タンクを積み、エンジンを回しながらローリングやピッチング等、水中の船体運動を模して、挙動を確認しました。事前に液体酸素がいかに危険かを設計から徹底的に聞かされていたので、初めてタンクローリーから液体酸素をタンクに搭載する時は足が震えました。タンクを昇圧する時も怖かった。初日は作業が終わっても何か起きると心配で家に帰れず、漏れが無いかタンク圧力を徹夜で確認していました。プロジェクトは事故もなく、無事、成功に終わってよかったです。――座右の銘を教えていただけますか?
「着眼大局、着手小局」になります。
入社以来若い時は、単純な作業・末端の作業の積み上げで、どうしても目の前しか見ることができなくなってしまいます。全体を見て方向性・方針を示すのが自分の責務だということをよく上司に言われました。そのことが身に染みて分かりはじめたのが30歳台後半の頃、ラインの係長をやっていた頃になります。私は当時、機関関係を担当していましたが、係長ともなれば、持ち場だけを見ていればよいということではなくなります。艤装全体を見ておかねばならぬし、船装、電装、武器関係も見なければならない。自分のところだけではなく全体を見る必要がある、という意味では社内だけではなく、社会情勢、客先の事情、サプライチェーンの上流、下流も総合的に判断するということです。――最近、感動したことを教えてください。
月並みですが野球の大リーグの大谷選手に感動しました。彼が高校生の時に作ったマンダラチャートというタテ9列xヨコ9列の81マスの目標達成シートですが、中心のマスに目標を書き込み、それを囲むマスに、その目標を達成するために必要な要素を書いていくものです。若い時に目標を設定する人はたくさんいると思いますが、彼の目標達成に必要な要素を獲得するために「日々努力をし続ける」という姿に感動しています。
前々から思っていましたが、成功する人間というのは、努力をし続けることができる、ひとつの能力を持っているのではないかと思います。
さらに、あの若さでいつもにこやかに優しく人に接する態度も立派だと思います。――河野常務は何か継続していること、簡単なものでもルーティンにしているものはありますか?
継続できないから、できる人に感動しているんです。私は飽きっぽいんです(笑)。――思い出に残っている「一皿」を教えていただけますか?
お店の料理ではないのですが、毎年、お袋が作ってくれたおせち料理が思い出に残っている一皿ですね。
子供のころはこのおせち料理を毎年楽しみにしていました。私は3人兄弟でしたが、それぞれが結婚して家庭を持って子供を連れて実家に帰ると大人数になるわけですが、必ず手作りのおせち料理でもてなしてくれました。
私には兄がいて、2年前に癌で亡くなったのですが、その亡くなる半年程前に、私は兄の家に招かれました。料理が得意な兄が亡くなった母の味を再現しておせち料理を振る舞ってくれました。みんなが絶賛した時の兄のうれしそうな顔が忘れられません。――事前に何も申し合わせていなくても、兄弟全員にとってお袋の味が共通の思い出の味なのですね。

――最後に、心に残る「絶景」についてご紹介をお願いいたします。
大学生の時にヨット部に入部しており、仙台市の北東、七ヶ浜で練習をしていました。夏の合宿の最終日に最高のコンディションで走った時の情景が脳裏に焼き付いています。
470級のヨットのガンネルに足をかけてフルバランス。一番スピードが出る横風を受け、目いっぱいセイルを締めて、二人乗りで、二人ともハングオーバー。いい風を受け、最高のスピードで、引き波を作って、舳先が少し上がり、波をパン、パン、パンと船底で叩いて夕陽に向かって疾走した夏の終わりの景色です。
【プロフィール】
河野 一郎(こうの いちろう)
1957年生まれ 福岡県出身
1981年 東北大学工学部卒業、川崎重工業入社
2008年 川崎造船神戸工場工作部長
2014年 川崎重工業船舶海洋カンパニー神戸造船工場長
2016年 執行役員船舶海洋カンパニーバイスプレジデント
2020年 常務執行役員船舶海洋カンパニープレジデント
2021年4月より、現職である常務執行役員エネルギーソリューション&マリンカンパニー
バイスプレジデント兼船舶海洋ディビジョン長
■川崎重工業株式会社(https://www.khi.co.jp/)