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【マリンネット探訪第12回】
祖父から伝えられた「誠実と和」を胸に
ライフラインとしての船を造り続ける
< 第516回>2022年05月20日掲載 

村上秀造船株式会社
代表取締役社長 村上 英治 氏

 








――世界に誇る海事都市、愛媛県今治市の伯方島に位置する、村上秀造船の村上社長です。創業からの歴史についてご紹介ください。

 タイトル 1917年(大正6年)、祖父の村上 秀吉(ひできち)が木造船を造り始めたことにさかのぼります。1960年代からは鋼船の建造に移行し、1世紀以上にわたり船を造り続けています。隻数で圧倒的に多いのは内航油送船ですが、ケミカル船やLPG船、セメント船、アスファルト船といった特殊船のほか貨物船等、多種多様な船種を建造しています。長くお付き合いのあるお客様が多く、リピーターでご発注いただいています。
親族で経営している会社で、私の祖父が初代社長、末っ子だった私の父が4代目、私で7代目の社長になります。現在では祖父の曾孫の代、4世代目も社内で頑張っています。


――年間で何隻程度、建造されているのでしょうか。

 船の大きさにもよりますが、経営上、理想としているのは村上秀造船で年6隻、2014年にグループ化した清水のカナサシ重工では、こちらの方が設備は大きいものの、マンパワーが約半分となる関係で3隻です。

タイトル――カナサシ重工のグループ化の背景についてお聞かせください。

 2009年の経営破綻後、グループ化に向けた案が持ち上がったのですが、同社が2011年の東日本大震災で被災したヤマニシ(宮城県石巻市)から受注残のバルカー2隻の建造を委託され、自力再建を目指すこととなり、いったん話は途切れました。
その後、経営再建が難しいということで2013年に再度、支援の話をいただき、2014年にグループ会社化しました。新造船の建造は難しくても、地理的な優位性から修繕事業を主体にしてやっていこうとの先代の村上 啓二社長(現 取締役相談役)の決断の下、3年程度は赤字覚悟でスタートしました。ところが幸運なことに、弊社従来からのお客様に新造船をご発注いただいたおかげで2014年から新造船の建造もスタートさせ、当初覚悟していたよりも早い段階で経営を軌道に乗せることができました。


――2022年3月、商船三井や商船三井内航、田渕海運、新居浜海運、阪神内燃機工業と共同で、メタノール燃料499総トン型内航ケミカル船の開発に関する提携について発表されました。内航メタノール燃料船の開発において特に苦心されている点についてお聞かせください。

 外航船では日本海事協会(NK)のガイドラインに沿って建造されていますが、内航船では初めてのメタノール燃料船ということもあり、NKのガイドラインを参照し、NKの協力を得ながら、個別に国土交通省の了解を得て設計を進める必要がある点が大変ですね。

タイトル――各規則が確立していない新技術を導入する際、代替設計の承認を取る必要があるということですね。また、外航と比べて内航船はサイズが小さいです。

 ご指摘の通り、船のサイズが小型故に、燃料タンクをいかに確保するかという問題があります。メタノール燃料はC重油と比べて約2倍の容量が必要となり、現在、極力、カーゴタンクへの影響を抑えるべく設計に取り組んでいるところです。

――代替燃料船の建造に当たって必ず直面する問題ですね。

 アンモニアや水素では約3倍、4倍の容量が必要になり、結果としてカーボンニュートラルの解決策に近い燃料ほど、カーゴタンクを犠牲にする問題に直面します。またサイズだけでなく、建造コストの面でも、代替燃料仕様船のコスト上昇分が通常仕様に比べ+30、40%と膨らんだ場合、商業ベースに乗る水準だとは考えにくいものがあります。このような点から内航船の環境対応では、今回発表したメタノール燃料船のほか、既存の主機に使用可能であり、CO2排出量を削減できるバイオ燃料の使用が解決策になると考えています。

――2021年には環境負荷低減型船の開発が日本財団の支援事業に選定されましたが、こうした環境規制対応へのお取り組みについてお聞かせください。

 我々造船所のキーワードは「低燃費」であり、低燃費の船体ライン開発と舶用機器類をいかにレイアウトするかが課題になっています。国際海事機関(IMO)のエネルギー効率設計指標(EEDI)で要求される基準を満たすため、船型開発においては水槽試験が頻繁に行われています。水槽試験は外注しますが、水槽試験に準ずるコンピューターでの数値流体力学(CFD)を用いた試験を設計部で行い、手順をブラッシュアップさせるよう努めています。またこれ以外にも、燃料改質器やサーフバルブ、省エネステーター等、プロペラ周りの省エネデバイスのほか、低摩擦塗料等も組み合わせてどのような結果が出るか、またどの組み合わせが効果的かといったことに設計・営業の両者でアンテナを張っています。

タイトル――「造船のオートクチュール」を標榜し、オーダーメードで受注されているとのことですが、最大公約数的な設計で多くの顧客向けに基本スペックを提示するスタイルに比べると、設計陣の方々は苦労されることも多いのでしょうか。

 正直、なかなか厳しい部分もあります。数十年前はよりたくさん運べる船、よりスピードの早い船が求められていましたが、今、必要とされているのは環境に優しい船です。環境規制対応でルールが厳しくなったため、搭載する装置が増えており、船体ラインの部分でのブラッシュアップ等、以前に比べてリードタイムが必要になっています。もちろん姉妹船の建造であれば工程面で効率は上がりますが、お客様の個別のご要望にお応えするため、設計部では苦労しながらも懸命に取り組んでいます。
また、人材確保の面でも力を入れており、海外出身の方にインターン制度を経験してもらったうえで採用し、力になってもらっています。伯方島の人口は6,000人を切る程度なのですが、このうち海外出身者の割合は5%を超えていると思います。


――他の造船所さんでも人手不足を海外からの人材で補っているという話は耳にしますが、どちらかと言うと現場の方中心のようですね。

 現場勤務の技能実習生等もいますが、そうした方々とは別に、当社の社員として加わってもらっている海外出身者もいます。フィリピン、中国、インドネシア人の方々で、非常に真面目に働いてくれています。伯方島に家を買った社員や、家族で島に住み、こちらで子供を育てている社員もいて、幼稚園や小学校のクラスのうち、数人は海外出身者のお子さんがいます。

――伯方島にしっかりと根を張ってやっていくぞ、ということなのですね。

タイトル――直近の建造実績のうち、2020年10月には3,800Dwt型バイオマス燃料輸送船 "海栄丸"が竣工しました。バイオマス燃料は今後の荷動き増加が見込まれていますが、脱炭素化への動きを受け、建造される船種に変化はありますでしょうか。

"海栄丸"は日本向けのPKS(パームヤシ殻)や木質ペレットといったバイオマス燃料の輸送に投入されており、皆さんご存知のように、昨今ではバイオマス燃料の使用は発電の低炭素化のソリューションの一つとなっています。
当社は元々、どちらかと言うと液体貨物を積む船種の建造が多かったのですが、台湾船主のウィズダム・マリングループさんとのお付き合いが始まり、この20年で20隻の近海船並びにバルカーを造らせていただいています。近海船のオペレーターさんによると、とりわけツインデッカー(二層甲板船)は老齢船が増え、隻数が減少しているうえに、2023年から就航船燃費規制(EEXI)が適用を開始し、減速運航が始まることで船腹需給が一層タイトになると予想されています。新型コロナによる経済への影響を受け、内航船ではリプレース発注が低調になっていますが、まさに足元ではツインデッカーの新造需要がクローズアップされていますので、当社としても、バイオマス燃料輸送を通じて低炭素化に貢献するツインデッカーの受注に特に力を入れています。


――ツインデッカーは、ホールド内が、ポンツーンを敷く二層構造になっており、鋼材やプロジェクトカーゴを積む船ですね。

――話題は変わり、人生の転機となった事柄についてお聞かせください。

 松山の中高一貫校を卒業後、東京の大学を卒業して働き始めた後の1987年、父親が社長に就任したことをきっかけに、島に帰って造船所で働くように言われました。当時は造船不況で、従業員や下請け会社の皆さん、家族の方々含め皆、大変だという話を聞かされ、年貢の納め時、と島に帰って来ました。



タイトル――島に戻られてからは、造船所でどのような仕事をされていましたか。

 最初は設計部に配属になり、文系でしたので周りに教えてもらいながら、運輸局の測度官との対応に当たりました。その後、総務部で経理全般を担当したのち、営業部でお客様対応を行いました。当時はまだ伯方島と本州が橋で結ばれておらず、船の建造に立ち会う船主様の監督さんが連泊されることも多く、毎晩のように一緒に飲みに行くなど、お客様と深いつながりをもつことができた時期だったと思います。

――こうしたご経験を積まれるなかで、徐々に造船業界にどっぷりとつかっていかれたのですね。

 そうですね。やはり進水式当日、出来上がった船を見送る場面は何度経験しても、感極まるものがあります。





――印象に残っているお仕事についてお聞かせください。

 お客様それぞれに様々な思い出があり、正直、どれも印象的で具体的に挙げるのは難しいです。

タイトル――では、これまででピンチに陥ったご体験はありますでしょうか。

 ピンチというより、半分笑い話ですが、新造船の起工式後に今治でお客様とのゴルフがあり、その後の会食の途中、呉まで帰るお客様1名を水中翼船の乗り場までお見送りに行きました。乗船券を買って、その方が乗船されて窓越しにご挨拶をして、会食の場に戻ったところ、2、3分後にその方が戻って来られたのです。「船が出港するまで見送りをしなかった」と言われてしまいました。

――え・・・?

 実はまだ飲み続けたかったという思いもおありだったようです。半分はご冗談で、当時は30代で、お歴々の社長さんに囲まれていましたので、大変恐縮しました。今ではもう完全にいじられネタになっています(笑)。このように、様々な船主さんの方々に本当に大事にしていただいています。

タイトル――座右の銘についてご紹介をお願いいたします。

 創業者である祖父が会社のモットーとして掲げた「誠実と和」という言葉があります。「和」については従業員同士のコミュニケーション、特に、相手が言いたいことに最後まで耳を傾けたり、問いかけ方を工夫したりするなど、伝書バトのようなやり取りで仕事を進めるのではなく、相手を慮った、又自分の考えをしっかり伝えるやり取りを心掛けてほしいと呼びかけています。

――単なる会話ではなく、聞き力をつけるということですね。相手の話を聞くのに長けている人は、伝え上手でもありますものね。

タイトル――夢や目標についてお聞かせください。

 私は常々、従業員には船を造るということは、ライフラインの一端を担っているものだと考えてほしいと伝えています。特に内航船の場合、リプレースが途切れてしまうと一般の方々の生活に支障が生じることになります。内航船を建造できる造船所を温存していくことは国策としても必要なことだと感じています。
政府には、船主さんが事業を継続し、船員さんも活躍し続けられるように支援を行ってもらいたいと考えます。造船所の新造船建造撤退が続いていますが、こうした施策を行っていただくことで、結果的に造船所も操業を継続することが可能になります。我々の目標は船を造り続けること、そして社員、協力会社の皆さんが村上秀造船で働いていて良かったと思ってもらうことです。


タイトル――思い出に残っている「一皿」についてご紹介ください。

 食には余り拘りはない方なのですが、瀬戸内海の夏場の魚、ギザミは非常においしいです。キュウセンベラというベラ科の白身の魚で、東京から見えたお客様にキスの刺身とギザミの刺身を出してどちらがおいしいか聞くと、たいていギザミの方だと仰います。旬の時期にはスーパーにも出回り、刺身や塩焼きなどにして食べます。

――ご趣味や休日の過ごし方についてお聞かせください。

 お付き合いのゴルフのほか、読書や映画鑑賞です。また、父も同じでしたが、仕事上のストレスを抱えている時には海辺で一日、釣り糸を垂らし、無心になって魚のアタリを待ちます。




タイトル――どのような魚が釣れるのでしょうか。

 季節によりますが、これからですと先ほど申し上げましたギザミやキス、カワハギです。カワハギは引きが強いので面白いです。春先のメバルは非常においしいですよ。








タイトル――心に残る「絶景」についてご紹介ください。

 伯方島の開山公園は桜の名所で、大三島橋を車で走りながら山の方に目を転じると、山頂の辺りがほんのり桜色に染まっているのが見えてとてもきれいです。ただメジャースポットになり過ぎてしまって、週末、山頂に上がろうとすると渋滞に遭ってしまうのですが。





タイトル また、瀬戸内海の島々の風景は素晴らしいです。特におすすめなのは、大島の亀老山(きろうさん)の展望台から来島海峡を臨むパノラマの眺めです。よくお客様をお連れするスポットの一つです。








タイトル このほか、やはり富士山は別格です。カナサシ重工をグループ化してから度々、出張で清水に行く機会がありますが、富士山は季節毎に様々な表情を見せてくれますし、真正面からや飛行機の機内から見下すアングルなど、どこから見ても圧巻です。









【プロフィール】
村上 英治(むらかみ えいじ)
1962年生まれ 愛媛県出身
大学卒業後、東京での勤務を経て
1987年 村上秀造船入社
2000年 取締役営業部長
2003年 常務取締役
2012年 代表取締役専務
2017年より現職

■村上秀造船株式会社(https://www.murahide.com/

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