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【マリンネット探訪第13回】
鉄鋼原料船部でケープサイズバルカーを中心に18年
内航船業界で一歩ずつ、着実なる前進を求めて奮闘中
< 第517回>2022年06月29日掲載 

株式会社商船三井内航
代表取締役社長 小林 洋 氏

 











――2021年4月に商船三井内航さんのトップに就任された小林社長です。運航船隊は定期船と不定期船、計30隻程度とのことですが、輸送する貨物にはどういったものがありますでしょうか。

 電力会社向けの石炭や重油といったエネルギー輸送、鉄鋼会社が扱う鋼材、半製品やスクラップの他、工業用塩や化学品としてのLPG輸送、産業廃棄物輸送等、多岐にわたって内航船輸送を手掛けています。お客様の単一貨物を扱う専用船と貨物需要に合わせて積み荷(鋼材、製品、穀物等)を選ぶ不定期船の双方を扱っており、割合はおよそ半々になっています。

――商船三井の鉄鋼原料船部で長年にわたりケープサイズバルカーをご担当されたお立場から、外航海運と比較した内航海運の相違点についてお聞かせください。

 外航海運は、コストや環境対応面で世界中の船会社と競合し、世界中の顧客から選別されるフラットな競争条件下にありますが、内航海運は国内産業の発展を持続的に支える為、脈々と受け継がれてきた内航海運業特有のルールや、旧来から重視してきたビジネス上の繋がり等、一朝一夕には進め難い環境が存在します。お客様の物流ニーズは内航海運のみならず陸上輸送、倉庫、港湾と範囲が広く、物流全体をコーディネートする立場にある荷主と、オペレーター/船主の系列化が進んでいます。その中で、我々内航オペレーターは安全・効率輸送の継続に加え、将来に向けて低環境負荷、デジタル付加価値等、新しいサービスを提供していく立場にあると考えます。効率性と低環境負荷の両方を満たす為には荷主や船主、業界関係者と十分話し合い制度設計する必要があると思います。
 例えば、一般貨物船において馬力が小さく速力が出せない船型を多く持つよりも、推進効率が高く需要に合わせて出力調整ができる船を揃えた方が一般貨物船全体の稼働率を上げ、船員問題の解決にも繋がるという考え方もあります。
 現在の内航船省エネルギー格付制度では、1トンの貨物を1マイル運ぶのに必要なCO2排出量が基準値となっていますが、1トンの貨物を1マイル1時間で運んだ場合に排出されるCO2量を基準として、時間当たりの仕事量+排出量で本船性能を評価するべきではないでしょうか。


タイトル――内航船業界の一番の課題はどのような点でしょうか。

 船員問題です。船員の定着率を高めない限り、業界の将来は望めません。
船内作業の省人化・効率化による働き方改革は喫緊の課題です。内航海運組合で講じられている各種船員対策を十分に理解した上で、e5(イーファイブ)コンソーシアムや内航ミライ研究会等の各団体の取り組みを当社も勉強し、船主と共にできる所から取り組んでいきたいと考えます。

 できる所からという点が重要で、概念や将来イメージだけで満足するのではなく、今からでも導入可能な具体的方策があれば一刻も早く活用し、現場が抱える問題を減らしていかなければならないと考えます。


――商船三井内航さんの様々な環境対応のお取り組みについてお聞かせいただきます。まず2020年9月には、3,800Dwt型バイオマス燃料輸送船"海栄丸"が竣工しました。

 “海栄丸”は海田バイオマスパワーさん向けバイオマス燃料二次輸送(岩国⇔海田)を主体に従事しています。本船は配乗・船舶管理を内海汽船さんにお願いしており、建造では村上秀造船さんに大変お世話になりました。
 竣工後は商船三井グループ中国シッピングさんの協力も得ながら、バイオマス燃料に関するノウハウを蓄積し、更にサービスの質を向上させるべく取り組んでいます。
 バイオマス燃料等の新エネルギーは環境負荷削減への重要な解決策の一つと言えますが、短距離輸送や地産地消がベースになると想像され、地域密着型のサービスが重視されます。今後もバイオマス燃料等の新エネルギー輸送を通じ、各地域への貢献度を深めてまいります。


タイトル――2020年12月には、国内初となるLNG焚き内航貨物船 ”いせ みらい”が竣工し、JERAさん向けの発電用石炭輸送に従事しています。続けて2021年8月には、水素事業を手掛けている㈱トクヤマさん他数社と、水素燃料内航貨物船の建造に向けたプロジェクト「SHE's」について発表されました。お取り組みの経緯についてお聞かせください。

 JERA碧南火力向け発電用燃料輸送を手掛ける“いせ みらい”は、舶用燃料をLNG化することで環境対応に先進的に取り組んでいます。また伊勢湾における地域貢献を果たす為に、同地域を良く理解するテクノ中部さん/協同海運さんとタッグを組んでいる点も重要です。今後も信頼のおける企業と連携して各地域の成長を下支えしていきたいと考えています。
 昨年8月に始まったSHE’sプロジェクトは、㈱トクヤマさんを中心とする業界各社が集まり、水素の舶用燃料化に向けて課題の洗い出しとコンセプト設計に先進的に取り組んでいます。水素はゼロエミに向けた将来有望なエネルギーであり、旗振り役の商船三井テクノトレードさんや船舶管理会社のイコーズさんとも連携をとりながら具体化に向けて議論を重ねています。



――このほか2022年3月には、商船三井や村上秀造船等数社とメタノール燃料内航ケミカル船の開発に関する提携について発表されました。

 メタノールは、炭素数が1つであるC1化合物の中で最も汎用性に富んでおり、現在でも様々な化学原料として用いられています。常温常圧で液体であり、既存の主機構成を大きく変えることなく燃料として使用できる点で非常に有望です。舶用燃料としてのメタノールのCO2排出削減量は重油比で10~15%程度ではありますが、小型内航船におけるCO2削減に向けた一つの方策と言えます。2024年の竣工に向けて、村上秀造船さん、田淵海運さんと最適なメタノール燃料船をデザインするべく話し合いを詰めてまいります。

――CO2の排出がゼロであるアンモニア燃料についてのご見解をお聞かせください。

 アンモニア燃料タンクの基本的性状はLPGタンカーと類似していますが、同一熱量を得る為にはタンク容量が重油の3倍必要となるうえに、応力腐食割れを起こさないようにタンク材を特殊加工する必要があると伺っています。
 舶用燃料としてのアンモニアを考えた場合、現時点の評価ではタンク製造価格が上昇するとともに、竣工後の実オペレーションにおいて補油頻度が増えてしまうという点で、お客様の輸送ニーズに影響を与えてしまう難しい燃料であるのは間違いないですが、環境負荷を低減する上で水素と同様に一つの有力解であるのは間違いなく、当社もアンモニア燃料船の導入に積極的に挑戦したいと考えています。


――現在、並走している環境対応技術のそれぞれに可能性をもちながら進めていかれるということですね。

 少なくとも現時点において、環境対応における正解は存在しません。CO2排出の問題さえなければ、重油は最も効率が良い優れた燃料です。それが故に、代替新燃料船の採用は重油焚き船と比較し、コスト面や積載貨物量の制約等を伴います。
 しかしながら、2030年において2013年比17%の排出量削減、2050年のカーボンニュートラルを確実に実現することが地球の未来に不可欠であり、脱炭素に向けて前進できる可能性があるならば、どんな小さなことでも遮二無二やってみるということが重要でしょう。
 たとえ重油を燃料とする船でも、更に推進効率に優れた船を生み出す余地はまだまだ残っていると思います。環境対応に優れた技術に先行して取り組み、世に出していくことで、当社のみならず顧客の皆様や船員、関係者全てが新たな知見を得て成長することができます。先ずは先頭打席に立ちホームランではないものの確実に出塁し、将来の脱炭素化に寄与したいと考えます。


――これまでのご経歴についてご紹介ください。

 1992年、大阪商船三井船舶(当時)に入社しました。採用してもらったものの、群馬県出身で海に馴染みがなく、現場を知りたいと申し出たところ、希望が叶い横浜の臨港代理店で1年間、本船の入出港業務やB/L受け渡し業務等を担当しました。当時は日本人船員も多く、早朝、新聞を何紙も買って届けに行ったり、ボールペンの芯だけをお使いに行ったり。。。厳しい方もいましたが、可愛がっていただきました。
 当時はセミコンテナ船の時代で、アフリカ航路や南米航路の船がホールド内一杯にココア豆やコーヒー豆を積んで入港してきましたが、これらの揚げ荷役に関わる荷役業者の手配は痺れるものでした。

タイトル コンテナ貨になる前のココア・コーヒー豆は、本船クレーンに繋がったモッコ(網上の運搬用具)に人手で移し替えられ荷揚げされていましたが、作業は天候次第で中断することもあり、コスト削減の為に大勢の人を投入し、早く荷役を終えたいという意図と反して、天候待ちのコストが多額に発生してしまったこともありました。1年目の研修生にしては収益を大きく左右する重要な判断を任されていたと思います。現在では考えられない程、当てにならない天気予報を大いに恨んだものでした。
 代理店での経験を通じて、貨物船入港における一連の流れがイメージできるようになり、異動先の様々な仕事で有用でした。


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 その後、経理部税務課で外国税額控除や地方税/事業税、地価税等を担当した後、油送船部燃料課で3年間ほど燃料手配業務に当たりました。社内の各オペレーション部署から平均して1日に5、6隻の補油のオーダーを受け、それぞれの寄港地のサプライヤー数社と価格や性状面で交渉して手配する仕事です。

――ご苦労されたことは?

 燃料部は社内では珍しい購買部門で、できて当たり前の仕事と見られていましたね。当時はメールシステムが十分ではなく、電話一本でオーダーを受け、サプライヤーと交渉して、本船/代理店に手配連絡をするという体力仕事で、一日中受話器を持っていた印象が残っています。
 エンジンに悪影響を及ぼす粗悪油によりデバンカーを余儀なくされたり、急激な原油高で燃料費が大幅に増加してしまう等しんどいこともありました。
特に粗悪油トラブルに関しては、代表サンプルの性状は問題無いのに、本船が使用するとスラッジが多量に出現するような事象も何度か発生しました。サプライヤーへの損害賠償が難しい環境下、社内営業部署からは厳しく追及される辛い経験もしました。。。
 当時は世界各国の製油所で2次精製が増設されている時代で、精製過程中、重質分として生成されるC重油にアルミナやシリカといった異物が混入することも増加していました。品質のばらつきが大きくなっているC重油を多量に舶用燃料として使用することの課題を強く感じた経験でした。


タイトル その後、4年間の情報システム室勤務を経て、2003年に鉄鋼原料船部に配属され、オペレーションを5年間担当しました。30代後半で初の営業部配属、役職は課長代理でしたが、業務に慣れるまでにとても時間がかかりました。
 中国経済が急成長した2000年初期は、鉄鉱石の輸入が急増してケープサイズバルカーの船腹が足りず、スポット傭船料が20万ドル近くまで高騰する局面もあった時代です。
基本的な運航業務をこなすことだけで精一杯で、採算を上げる為のきめ細かい仕事は後回しとなってしまい、航海終了後の採算レビュー会議で何度も部内諸先輩方から厳しく追及されたものです。。。
当時は古い船も多く、トラブルに見舞われることも多かったです。国内に到着する度に問題を起こす船もいました。お客様から厳しいクレームを受けたことは言うまでもありません。

 3年ほど運航を担当し、漸く部下の面倒を見る等、課長代理としての役割を果たせるようになりましたが、不器用な自分と同じ経験をなるべく新任者にさせたくないと思うようになりました。若手オペレーターに少しでも楽しんで仕事をしてもらいたいと思い、本船毎の特長をおさえたトレーディングカードを作成して担当者に配ってみたり、オスカー像(後述)を謹呈したりしました。当時の若手がどう感じてくれたかは分かりませんが、そうした奇妙な試みやオペレーションの経験を上司に認めてもらい?2008年からブラジルに駐在することになったと思います。


タイトル――ドライバルク担当としては初めてのブラジル駐在では、どのようなお仕事を担当されていたのでしょうか。

 最初の2年間はサンパウロ現地法人のオフィスを間借りしていましたが、その後の3年半は、鉄鉱石関係の顧客がいるリオデジャネイロに移りオフィスを構えました。鉄鉱石、穀物の一大生産地であり、拡張を続けるブラジルの港湾出荷情報はバルク市況を大きく左右し始めていたため、毎日本船ラインアップを睨みながら鉄鉱石の出荷量を推定し、また山間部~港湾地域の降雨量を調べて本船滞船日数への影響を本社に報告しました。手前味噌ですが、そこそこの確度で予想が当たり重宝されていたと思います。

――日本とは地球のほぼ裏側での生活はいかがでしたか。

 ブラジル駐在生活は私にはとても合っていたと思います。特にリオデジャネイロで暮らす人たちは「カリオカ(ポルトガル語で「リオっ子」)」と呼ばれ、陽気で親しみやすく、アミーゴが沢山できました。
またサンパウロと異なり、リオデジャネイロには日本人が少ないのですが、少ないが故に駐在員、日系人の方々と皆顔見知りとなり、週末はゴルフ等に集まり仲良くお付き合いさせていただきました。
温暖な気候も合っていて、早起きしてイパネマビーチをジョギングする朝は何とも気持ちの良いものでした。


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――帰国後、鉄鋼原料船部に戻られたそうですね。

 赴任前と比べ、本船の品質評価が厳しくなっていたり、トレードパターンが増えていたり、何よりも事務所で働く人たちがだいぶ入れ替わって浦島太郎になった気分でした。
SOX規制をはじめとする環境規制強化も急に進み、お客様の要望を伺いつつ、部下と一緒に既存船へのスクラバーレトロフィットを進めたのは大変でしたが、達成感が持てた良い思い出です。


――印象に残っているお仕事についてお聞かせください。

 2020年のモーリシャスでの”WAKASHIO”の座礁・油濁事故です。7月25日事故発生当時は、新型コロナによりモーリシャス国がクローズされていた為現地入りできず、あれほどの大事故にも関わらず精緻な情報入手ができませんでした。また船主が手配した離礁活動は悪天候に阻まれ進まず、1週間、10日間と時間が過ぎるうちに状況は刻々と悪化し、8月6日、油濁発生と言う最悪の事態を招いてしまいました。
 政府の緊急援助隊がモーリシャスに入国するのと一緒に、船主と一緒に特別に入国し、現地情報の収集に努めました。被災地域の話を伺い、事故に関わる傭船者としてできるだけの事をしました。入国後数日で海上に流出した油は視認できなくなりましたが、マングローブ林や海岸に流れ着いた重油の臭いが原因で一部地域の学校が休校になったり、子どもが海で遊べなくなったりしたという話を耳にし、心が痛みました。
派遣隊としてできることは限られていましたが、現地で調達した色付きの画用紙から折り紙を作り、鶴や手裏剣を折って(漢字を添えて)、それぞれ1,000個ほど生徒にプレゼントしました。被害の大きかった小学校には派遣された社員と一緒に訪問し、折り紙飛行機・折り鶴教室を開催しました。小学生たちに一時的とは言え喜んでもらえたのではないかと思います。


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 帰国後、モーリシャス国に商船三井現地法人が設立され、学校支援等、被災地域への貢献活動が続けられていることはとても有難く、また嬉しく思います。

――人生の転機となった事柄はどういったことでしょうか。

 海運業界に入社したこと、結婚して子を授かったこと、経理/燃料/システム/鉄鋼原料の各部署で様々な方々と一緒に仕事したこと、ブラジルで働いたこと、全てが転機と言えますが、昨年4月、商船三井内航に社長として着任し、内航業界という新しい世界に対峙している今がまさに転機と感じています。

――座右の銘についてご紹介をお願いいたします。

 「知行合一」です。思ったことは実践しないと意味を成さないというものです。思ったこと、信じたことに従い行動できる人になりたいと思っています。
また、稲盛和夫さんの著作で度々語られている「利他の心」に感銘を受けました。自分には到底達することのできない高みと理解していますが、己の身の丈を知って利己を抑え、他人の利を満たすことができる人間になりたいと思っています。


タイトル――最近感動したことについてお聞かせください。

 元来の単純な性格に加え年齢が増したせいか、最近心動かされる事が増えたように感じます。
 明和電機さんが開発した電子楽器の『オタマトーン』。これまでの楽器の概念を覆す発明で感動しました。
 映画では『湯を沸かすほどの熱い愛』。いじめられっ子の長女(杉咲花)に対する血の繋がりの無い育て親(宮沢りえ)の愛を感じて号泣せずにはいられませんでした。
 映画でも本でも「浮かばれず辛い状況」の登場人物と一緒に落ち込み、思いがけない愛に感動し涙してしまいます。










タイトル――夢または目標は何でしょうか。

 今与えられた役割を全うすることが目標です。当社と内航業界を成長軌道に乗せ、共に発展させること、従業員株主を含む全てのステークホルダーを満足させることが夢になります。

 更に先の将来において明確な目標など何もありませんが、田舎で畑仕事をしつつ、塾を開いて子どもたちの面倒を見るような生活に憧れます。会社生活を終えた元サラリーマンおじいさんが土にまみれながら子どもに関わることもありでは?などと妄想しています。


――ご趣味や休日の過ごし方について教えてください。

 ゴルフを含めできるだけ体を動かして健康維持に努めていますが、近年紙粘土工作にもはまっています。
紙粘土工作は鉄鋼原料船部アシスタントマネージャーの頃、表彰用のオスカー像を紙粘土で作ったのがはじまりです。最近では単なる置き物でなく、ホタル型のペンライトやリンゴ型のペン立て、柿型のスティックのりケース、アボガド型修正テープケース、パンダ型スマホスタンドといったように、実用機能にこだわった作品を設計製作し、一人で満足しています。


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タイトル――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 ブラジル料理の牛のテール煮込み「ハバーダ」です。南米料理の中で特に日本人の舌に合う一品だと思います。リオデジャネイロ時代、駐在員仲間と一緒によく食べに行きました。日本食の中では妻の作る豚汁も好物の一つです。






 
タイトル――心に残る「絶景」についてお話しください。

 ブラジルにはパンタナールという日本の本州ほどの広さの湿原があります。カピバラやワニ、ピラニア等の野生動物が生息している大湿原で、ゆったりと流れる川に沈む夕日の景色はとても素晴らしいものでした。駐在員仲間と釣りを楽しみ、釣った魚を川岸で焼き、ピラニアも長時間煮込んで食べました。



 
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 単身赴任だったブラジルには、2年に1度、家族が会いに来て一緒に旅行に行きました。雄大なイグアスの滝や、標高2,000メートルのマチュピチュの遺跡の眺めも思い出深いです。

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【プロフィール】
小林 洋(こばやし ひろし)
1969年生まれ 群馬県出身
1992年 筑波大学第三学群社会工学類卒業、大阪商船三井船舶(現 商船三井)入社、
商船三井エージェンシー横浜、経理部税務課、油送船部燃料課、情報システム室、鉄鋼原料船部を経て
2008年 MOL (BRASIL) へ出向
2019年 鉄鋼原料船部・部長
2020年 鉄鋼原料船部長
2021年より現職

■株式会社商船三井内航(https://www.mol-naikou.co.jp/

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