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【マリンネット探訪第14回】
31年ぶりに引き継がれた新社長のバトン
北の海から、メタノール燃料ケミカル船で勝負に出る
< 第519回>2022年07月27日掲載 

北日本造船株式会社
代表取締役社長 磯谷 実 氏

 











タイトル――2022年4月、東(ひがし)前社長(現 相談役)に代わり、31年ぶりの新社長に就任された磯谷社長です。高付加価値船を中心に建造している北日本造船の概要・特色についてご紹介をお願いいたします。

 1969年に漁船の建造や修繕を担う誘致企業として、青森県八戸市で立ち上がった会社です。背景には、漁師町でありながら漁船の修繕が地元で行えず、例えば漁師さんが漁期の後、修繕のために宮城県まで出向き、作業の立ち会いで休みがとれない、という問題がありました。その後の1977年には、アメリカが定めた200カイリ漁業水域の影響で漁業人口が減少したことがきっかけで、漁船と並行して商船の修繕・建造に参入しました。高付加価値船と呼ばれる冷凍船やRORO船、LPG船の建造を得意としており、2000年からはケミカル船の建造も手掛けています。

――造船所の建造体制について教えてください。

 元々は建造船台1本と修繕ドック1本だったのですが、修繕ドックを新造兼用とし、2本での建造増産体制を確立すべく、2006年に岩手県久慈市にブロック工場を新設、本社工場近辺にも新規でブロック工場、艤装桟橋、配管工場、艤装品工場を造り、建造能力を拡張させています。主機関といった購買物以外、船橋から梯子や配管に至るまで、建造に必要なパーツは舵板以外、全て内製化しているのが当社の特長で、工程や品質、コスト管理では、おそらく他の造船所さんよりもだいぶ優位に立っていると自負しています。

タイトル――新社長としての抱負についてお聞かせください。

 偶然にも、私が北日本造船に入社した年に東前社長が社長に就任したのです。それ以来30年間、ずっと前社長のそばで仕事をしてきて、言葉を交わさずとも、お互いの考えていることが顔色や雰囲気でわかるようになりました。この間、大型の設備投資を次々に進めて工場は大きく拡張し、内製化率を高めて売上も大幅に増加しています。前社長の意志を受け継ぎ、この偉大な業績のうえに一層、お客様の信頼を勝ち得る会社に発展させていきたいと考えています。













――資源価格高騰下の2021年11月、ニッケル含有量を抑え、また従来のステンレス鋼「SUS316L」より強度の高い新たな二相ステンレス鋼「Duplex NSSC2351」を使用したケミカル船を国内で初受注したことを発表されました。

タイトル  資材調達を担当していた当時、ステンレスのサプライヤーである日鉄ステンレスさんとの技術打ち合わせの最後に毎回、必ずお伝えしていたのが、もっと強度が高く、かつ価格変動の激しいレアメタルの使用を抑えた錆びにくいステンレス鋼を開発してもらえないか、という要望でした。何年か後、「NSSC2351」という新しい二相ステンレス鋼を開発したと連絡を受けた時には、チャンスをつかんだ、と飛び上がるほどに喜んだものでした。当社は、この新素材を用いたケミカル船の受注に先行して取り組み、1番船、続く2番船がそれぞれ2023年3月と5月に引き渡し予定になっています。従来のステンレス鋼ケミカル船と比べ競争力に大きな自信をもっています。

――ロシアのウクライナ侵攻の影響で、ステンレス鋼の製造に使われるニッケル価格の変動が一層、激しくなっています。

 新素材である「NSSC2351」はニッケル含有量が従来の「SUS316L」の10.5%と比較して半分以下の5%、モリブデンは2.8%からわずか1%に減っています。代わりに、比較的価格が安定しているクロムで耐食性を向上させており、含有量が23%になっています。
 「NSSC2351」の採用により建造船価を抑えることができるうえに、「SUS316L」と比較し輸送可能なカーゴのラインアップは変わらず、強度は従来よりも増す利点があります。まずは実績を見たいというケミカル船主・船社さんもいらっしゃいますが、「NSSC2351」の品質面、そして経済的優位性を丁寧に説明して受注営業を進めた結果、あるケミカル船社さんが採用を決めてくださいました。


タイトル――環境対応のお取り組みについてうかがっていきます。2022年1月、22,000Dwt型LNG二元燃料(DF)ケミカル船の開発を完了されたほか、今後はメタノールDFケミカル船の開発に注力される方針とのことです。
 CO2削減では目下のところ、LNG DF船が先行しています。コンテナ船やタンカーといった、現在就航しているLNG DF船のほとんどが1日当たり50トン程度の重油を焚いており、重油とLNGのカロリー差や価格差から、15年程度でLNG DF船の投資回収が可能だと考えています。一方、当社が建造する中小型船の燃料消費量は1日当たり14、5トン程度にとどまり、設備投資の追加コストは用船料収入ではとてもまかない切れません。また水素やアンモニア燃料船については、様々な動きはあるものの、主機はまだ1基も製品化されていないのが現状です。
 一方、メタノールDF船はすでに就航しており、追加コストもLNG DFの場合と比較して半分程度で済むことから、当社はメタノールDFケミカル船の開発に舵を切っています。ケミカル船主・船社さんに積極的に営業を展開し、大手を含む数社で手ごたえを感じているところです。2025年には50,000Dwt型メタノールDF船1隻を世に送り出したいと考えています。


タイトル――中小型船では代替燃料をめぐる「解」が見つかっていないなか、ニーズを掘り起こし、お客様に積極的に提案される営業スタイルに感銘を受けました!

 大型船では荷主主導で環境対応が進んでいく面もありますが、中小型船では、我々から受注に向けて商売を仕掛けています。現状、メタノールDFの主機関は50,000Dwt型以上の船型向けしか存在しておらず、当社がライセンサーに直接、ボア径が45センチや35センチ(それぞれ25,000-40,000Dwt型、12,000Dwt型に対応)の小型船向けDF主機関の開発を依頼しています。ライセンサーからは当初、本当にニーズがあるのか、といった反応でした。ただ欧州や東南アジア域内の小型ケミカル船には老齢船が多く、CO2削減の方向性が見えていないなか、リプレースを検討するこうした地域の船社さん向けにメタノールDF船を積極的に売り込んでおり、メタノールDF主機関の開発に期待を寄せていただいています。

――海外のお客様の関心も集めているのですね。メタノールDFケミカル船の開発へ打って出たきっかけはありますでしょうか。

 代替燃料船をめぐっては、船の建造と燃料供給の問題がよく「ニワトリと卵のジレンマ」に例えられます。ここまで踏み切ったのには、APモラー・マースクによるメタノールDFコンテナ船の発注をはじめとして、船舶用燃料としてのメタノールの利用拡大の見通しが高まり、燃料としてのメタノールの価格指標の発表がスタートしたことがあります。積み荷と同じものを燃料として主機を回す効率の良さに加えて、常温常圧の液体のため、本船上で圧力容器が不要となる点もメリットです。

タイトル――これまでのご経歴についてご紹介ください。

 1991年、27歳の時に北日本造船に入社後、修繕営業から造船マンとしてのキャリアをスタートさせました。10年後の2000年、資材部に移って取り組んだのが、調達先との間に入っている商社との取引をシンプルにする商流の簡素化です。15年間、調達を担当し、2015年からは工場の現場の統括をする製造本部長に就きました。事務方にもかかわらず5年間、現場のツワモノ達を前にして指揮を執り、色々と勉強させていただきました。2020年には営業本部長として、それまで未経験の新造船営業を担当することになり、最初は苦労もありました。ただ営業先では、鋼材や機械についての実経験に即した提案をすることができ、信頼いただいたと思っております。社長就任後の現在も営業本部長の肩書を残し、営業活動も一部担っています。

――コストとモノづくりの現場がわかる営業では、説得力と対応のスピード感が違うのですね。

 これまで本当に素晴らしい方々に出会い、良い人達に恵まれたおかげで様々な仕事をまとめ上げることができました。最後に新造船営業を担当したことで、設計と資金調達以外、造船所の仕事のほぼ全てを経験させてもらっています。

タイトル――ところで、北日本造船ご入社前には一体・・?

 元々は旅行会社勤務で、北日本造船には営業で出入りしていました。昔の話になりますが、東北地方の旅行会社各社の営業売上実績(修学旅行を除く)でナンバー2にランクインしたことがあるのです。

――やはり、天性の営業力をもっていらっしゃるのですね・・!

 当時は専務だった東前社長に呼ばれ、グアムへ350人の社員旅行を企画するよう依頼された時にはたまげました。飛行機のチャーターの都合で、グアムに代わり韓国の済州島行きへの変更を了承していただき、青森空港から1機、仙台空港から1機チャーターしました。CAの機内アナウンスは「北日本造船のみなさまーー」と始まりました。添乗員として済州島へアテンドした翌年には、北日本造船へ入社していました(笑)。

――営業力を買われてのご縁、まさに人生の転機ですね。

福利厚生の一環で飛行機をチャーターして海外旅行に出かけ、社員のために何千万円もお金を使う会社です。圧倒されました。

 
タイトル――印象に残っているお仕事についてお聞かせください。

 東日本大震災の影響で、新規に稼働したばかりの久慈市のブロック工場は柱と屋根を残してほぼ全壊しました。機械設備は大打撃を受け、建造途中のブロックは津波で損壊、ステンレス板や鉄板は波に飲み込まれ、はたして事業を継続できるのかどうか、といった有様でした。
 そんな状況にもかかわらず、東前社長の大号令がかかり、震災翌日から全社一丸となって復旧に当たりました。幸いなことに、建造中の船舶の船主さんには非常に寛大にご対応いただき、取引先の設備機器メーカーさんの多くのご支援もあり、3カ月後の6月には製造ラインを一部再開することができました。メーカーさんには、例えば韓国の造船所向けに輸出され、すでに倉庫に納品済みのプラズマ切断機を急きょ、国内向けの220ボルトの電圧に変換して当社向けに手配いただくなど、短納期でご協力いただきました。関係者の皆様からのご支援は、一生忘れることはありません。


タイトル また、冒頭でもお話しした生産体制の拡張については、工場のライン化の責任者として、配管工場やコルゲート工場などの設備機械関連のほとんどの仕様を決定したとともに、人材確保の面でも奔走して生産能力増強を実現させたこともとても印象深いです。こんな仕事を担当させてもらえる造船マンはなかなかいないのではないかと思います。
 設備投資を検討し、工場の拡張計画を練るに当たり、ある造船関係者の方には大変お世話になり、大いに勉強させていただきました。自分にとっては師匠のような存在で、こうした経験を積ませてもらったおかげで今の私があります。そしてもちろん、作成した投資計画及び回収案にほぼNOを出さず、信頼して任せてもらい、「お前また金使うな!」「はい。。。」というやり取りで背中を押してくれた東前社長のサポートは非常に大きかったです。


――最近感動したことについてお聞かせください。

 事務・管理部門の社員120余名を対象に、一日の振り返りや明日の課題、悩んでいること、これから取り組みたいことなどを「日報」として、携帯アプリで上司に報告させており、4月の社長就任以降、私にもCCに入れてもらっています。毎日欠かさず読むなかで若者の発想力を目の当たりにし、北日本造船の将来を大変頼もしく感じています。

――日々、意識をもって仕事に取り組まなければ、とても日報の中身が書けないですね。

 計画通りに進まなかった業務は何なのか、その理由、また他業務もあるなかどう時間短縮してこなしていくかを意識して考えてもらいたいという狙いがあります。また、社員の側は私の既読が確認できるようになっており、毎日100何十件もの日報に目を通すのは確かに大変ですが、困り事にはアドバイスしたり、管掌の上司に指示を出したりと、必要なサポートを行っています。次の、さらにその次の世代を担う若者達のやる気に満ちあふれる思いを感じて日々とても嬉しく、こうした人材を大切にしていきたいと考えています。

タイトル――夢や目標について教えてください。

 営業方針としては、今後もマーケットリサーチを入念に行い、ケミカル船のみならず、環境変化をよくおさえたうえで船種を決定し、引き続きプロダクトミックスの戦略で取り組んでいきます。
 また、海運を取り巻く動きでは、環境対策と並んで内航船の船員不足も大きな問題です。デジタルトランスフォーメーション(DX)の時代を迎えて自動化・省人化技術の開発が進んでいく一方、近年、内航船の建造ヤードは減っているのが現状です。当社は内航船の建造が可能であり、こうした分野でも役立ちたいとの思いで、内航船主さんへの営業も進めているところです。
 このほかに、突拍子もないと思われるのを承知で、という前置きをしながらの話になりますが、地元青森県の船主さんに船を発注してもらう夢を抱いています。地元でどんなに一生懸命に船を造っても、新造船を発注してくださるお客様は県内にはいらっしゃいません。漁船の船主さんは多くいらっしゃいますが、商船に対するPR不足を感じています。伝統も基盤もある海運への投資を呼び込むために、荷主や用船者、船主にファイナンサ―という、海運の構図への理解を地元の方々に広めて、地元にお客さんが誕生するべくアピールしていきたいです。


――地元の資産家の方の運用手段として、飛行機のオペレーティングリースのみならず、船という投資対象が身近になると良いですね。

タイトル――ご自身の夢についてはいかがでしょうか。
 生まれも育ちも八戸市で、58年間、北国暮らしなので、リタイア後はできれば年中あたたかなマレーシアのジョホールバルに住んでみたいです。一定のデポジットを積んで「マレーシア・マイ・セカンド・ホーム(MM2H)」という滞在ビザが取得できる制度があり、物価水準も日本と比べて低いのも魅力です。シンガポールにSPCを置くとなった場合、ジョホールバルから1時間で現地に通えます。あくまで個人的な夢なので、会社の方針ではありません(笑)。









タイトル

 
タイトル――ご趣味や休日の過ごし方について教えてください。

 ポルトガルの伝統音楽、「ファド」を聞くのが好きです。ギター2本で伴奏する民族歌謡で、日本の演歌に例えられることもありますが、例えば家族を慕う気持ちや病床の母を案じる思いを歌ったものなど様々です。以前、ポルトガルを訪れた際にファドを演奏する地元のレストランで聴いたことがあり、ファドの女王として知られる第一人者「アマリア・ロドリゲス」の墓前に献花したいと思ったくらいです。携帯に入れて持ち歩いているお気に入りは、「クリスティーナ・ブランコ」という若手女性シンガーのナンバーです。

――思い出に残っている「一皿」についてご紹介ください。

 地元の八戸の繁華街から少し離れたところに、「春秋菜酒 つなやす」という創作和食料理店があります。大将お任せのコースのみなのですが、面白いことに1品目のメニューが金目鯛の炙りにぎり1貫と決まっています。あぶった金目鯛特有の皮目の香り、そして半生食感が絶妙な噛み心地で、熟成の旨味が素晴らしく、最後にあぶらの相乗効果で、文字通り最高の一品です。

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――食レポのキーワードを一通り並べていただきました!

 コースの一品一品どれも丁寧に作られているのにびっくりするほどリーズナブルです。大人の隠れ家のようなお気に入りのお店です。

タイトル――心に残る「絶景」についてお聞かせください。

 前職の関係で、日本全国、47都道府県を制覇しました。様々な名勝を巡らせてもらいましたが、北海道の日勝峠の新緑の眺めはまさに絶景です。紅葉の時期も良いのですが、6月の新緑は思わず吸い込まれてしまうような美しさです。展望台からは、十勝平野を眼下に、遠く東大雪山連峰や阿寒の山々を見渡すことができます。





【プロフィール】
磯谷 実(いそや みのる)
1963年生まれ 青森県出身
青森県立八戸北高校卒業、八戸市での勤務を経て
1991年 北日本造船入社
修繕営業、資材部、製造本部長、営業本部長を経て
2007年 取締役
2014年 常務取締役
2020年 専務取締役
2022年4月より現職

■北日本造船株式会社(http://www.kitanihonship.co.jp/

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