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【マリンネット探訪第17回】
ケミカル船のカーゴポンプを扱って30年超
海事業界での出会いの一つひとつを糧にしてーー
< 第522回>2022年11月02日掲載 

フラモ株式会社
代表取締役 佐藤 重雄 氏

 










――ケミカル船、プロダクト船のカーゴポンプシステムを扱うノルウェーのフラモ社の日本法人、フラモ株式会社の佐藤代表取締役です。フラモ社の沿革・概要についてお聞かせいただけますでしょうか。

タイトル 1938年、ベルゲンで設立され、創業者のフランク・モーン氏にちなんで名付けられた会社です。当時からノルウェー西海岸では海運業は重要産業であり、設立当時は舶用機器や船用品を扱うビジネスを行っていました。その後、1960年代に入って油圧機器類の分野に参入し、油圧駆動ポンプの製造を手掛けるようになりました。ノルウェーでは海運業と共に漁業が盛んであり、イワシの水揚げに使われる油圧駆動ポンプが、当社のルーツです。
 1960年代後半、乱獲が進んでイワシの漁獲量が減少し漁業用ポンプは転換期を迎えました。その当時いずれもノルウェー発祥のケミカル船社であるストルトニールセンやオドフェル、JOタンカーズ(2016年にケミカル船事業をストルトニールセンが買収)によって、それまではドラム缶の荷姿で輸送されていたケミカル製品のバルク輸送が検討され始めました。そこで、ケミカル製品を安全に荷役できるカーゴポンプの開発に向けて当社に声がかかったのが一大転機となり、様々な切磋琢磨を経て、1970年代初頭までにケミカル船用のカーゴポンプを開発しました。


――ケミカル船業界の大手船社さんからのフィードバックを受け、性能を向上させていったのですね。

 ポンプルームタイプのタンカーではポンプは数台しか搭載されておらず、基本的には同時に輸送できるカーゴの種類もポンプの台数分に限定されますが、カーゴロットの小さなケミカル船では、十数種類にも上る貨物を同時に輸送するニーズに対応するため、タンク数と同じ台数のポンプがタンク毎に取り付けられています。積み荷役後、ポンプは各タンク内で危険物である液体貨物に浸かった状態になりますので、安全面から信頼性の高い油圧駆動のポンプが採用されています。加えて、非常に高価な貨物の揚げ荷役の動力源として高圧の作動油を導入するため、作動油漏れによるコンタミネーション(異物混入)があってはなりません。このようにさまざまな技術から確立され製品化されたのが、当社のカーゴポンプです。
 1980年代頃からは、植物油や石油化学品に加えて腐食性のある強酸類といった多種多様なケミカル製品の輸送ニーズが増加し、強酸類も積載可能なステンレス製のカーゴタンクを搭載したケミカル船が多数竣工しました。ステンレス仕様のケミカル船にはステンレス製ポンプを、と当社のポンプを使っていただく機会が増えビジネスの飛躍期を迎えました。


――フラモさんのカーゴポンプは、ケミカル船以外にも採用されているのでしょうか。

 大変多くの隻数のMR型プロダクト船にもご採用いただいています。1990年代、日本海で発生したナホトカ号事故を含め、プロダクト船の貨物流出事故が相次いだのをきっかけにプロダクトタンカーのダブルハル化が進みました。その際、韓国造船所建造のMR型プロダクト船では従来のポンプルームタイプに代わり、独立カーゴポンプの採用が進んでいきました。

タイトル――石油製品のみならず、輸送可能なカーゴリストを増やすため、ということなのですね。

 イージーケミカルを積めるようになったことも利点ですが、それだけにはとどまりません。従来のシングルハルのタンカーではタンク内に補強材などの構造物がありタンククリーニングに時間がかかるため、次の船積みまでに長期間のバラスト航海が発生していました。一方、ダブルハル化によってタンク内部は突起物が少ないフラットな構造になり、タンククリーニングの時間が短縮されることから、第三国を経由して他の貨物の輸送に従事することが可能になり船の運航効率の向上に寄与することになりました。

 加えて従来のポンプルームタイプでは、ポンプの位置から最も離れたカーゴタンクまでの距離は150メートル程度にもなり、揚げ荷役終了時に吸い上げ切れない貨物が多く残るため、結果的にタンククリーニングに日数がかかってしまう難点がありました。これに対して当社のカーゴポンプでは、例えば50,000DwtのMR型の場合、各タンクの貨物残量をわずか50リットル程度に抑えることができるため、揚げ荷役後のタンククリーニングを効率よく行うことができるメリットがあるのです。


――このほか、海外のオフショア開発分野でも取扱い実績があるそうですね。

 産油国の洋上で、生産した原油を貯蔵し、シャトルタンカーに積み出す役割を担う、浮体式海洋石油生産貯蔵積出設備(FPSO)の新造案件の多くで、当社のカーゴポンプシステムが採用されています。VLCCを改造したFPSOの場合、安全上ポンプのメンテナンス時には数日間FPSOの荷役が一切行えず、巨額の損失が発生する可能性があります。一方当社のカーゴポンプを採用頂いた場合、タンク毎に設置されたポンプの個別のメンテナンスが可能なため、FPSO全体の稼働を止めることなく済みます。FPSO向けポンプは通常のタンカーのカーゴポンプのコンセプトとは多少異なりますが、広い意味で船/設備のオペレーション面への支障をきたさないというメリットを生かし、オフショア分野でも広くご採用いただいています。

タイトル――フラモさんのカーゴポンプシステムの採用実績について教えてください。

 会社設立以来、約5,000隻に搭載されており、現在就航船では4,000隻以上、台数ベースでは約65,000台のポンプが稼働しています。日本法人の設立より前の1973年に、商社さん経由で初めて日本の造船所さんに納入されました。その後、1993年に日本法人が設立されて現在に至っています。日本での採用実績は現在までに約1,100隻です。

――フラモさんにおける環境規制対応を意識したお取り組みについて教えてください。

 荷役時及び航海中(タンクヒーティング時)のCO2排出量予測を、従来型タービン駆動カーゴポンプ装置からの排出量と比較するデータを提示しています。その結果、LR ll型プロダクト船といった従来はなかなか参入の難しかった船種においても当社のカーゴポンプシステムを採用頂いております。
 また先ほどお話しした通り、揚げ荷役後のタンククリーニングの効率化によって船の運航効率が向上し、貨物を積む機会を増やせば増やすほど、一航海当たりのCO2排出量の削減につながります。このような視点で、当社のカーゴポンプを導入頂くメリットをアピールしていきたいと考えています。


タイトル――これまでのご経歴についてお聞かせください。

 東北の内陸部、山形県山形市生まれで、人生で海を見たことは海水浴での2、3回程度でした。たまたま中学校で募集ポスターを目にして、漠然と海外へ行ってみたいという思いで国立富山商船高専(現 国立富山高専)に進学しました。ただ、卒業時は折からの海運不況で海上職の求人が極端に少なく、海事検定機関に入会し、3年間石油製品を主に扱うマリンサーベイヤ―の仕事をしていました。その後偶然にも、日本生まれで豪州大使館勤めの友人ができ、ワーキングホリデー制度なるものを教えてもらい海外へと背中を押されることになりました。当時、24歳のことでした。







――サーベイヤーのお仕事を辞めることになったのですね。豪州でのワーキングホリデー体験はいかがでしたか。

 豪州への出発直前、予想外にもこの友人が南太平洋のソロモン諸島に赴任になってしまいました。そこでソロモン諸島を経由して豪州に向かうことにしました。現地では日本人である私は否応なしに目立ってしまい、「どこから来た?」という問いに始まり、「日本の話を聞かせてほしい」「うちにいらっしゃい」「今晩泊まったらいい」「ごはん食べて行きなさい」と、日本を離れて日が浅く、まだ英語レベルが片言の私を現地の方々は温かく受け入れてくれました。

タイトル――新たな展開が次から次へと!待っていたのですね。

 ソロモン諸島は過去に英国領だったことがあり、隣国である豪州との結びつきも深く公用語は英語です。決して裕福な暮らしをしていない現地の方々が大変きれいな英語を話すことに少なからずカルチャーショックを受けました。また現地に進出している日本の水産大手の缶詰工場に立ち寄って、呆れられながらカツオのお刺身を頂くなど、ソロモン諸島ならではの思い出の数々をバックパックに詰め込み、3カ月後に当初の目的地の豪州へ向かいました。
 豪州では、レストランの皿洗いにウエイター、ホテルのドアマンやフロントスタッフ、日本語学校の講師など、できる仕事は何でもやりました。楽しい毎日も気づけば滞在は2年を過ぎており、せっかくならばとシンガポールからマレーシア、タイにビルマ(現 ミャンマー)、香港、中国、台湾を半年ほどかけて旅して回り、1991年に日本に帰国しました。


――最高の3年間を過ごされましたね。

 帰国後は豪州への再渡航を考えていたため、とにかくお金を貯めなければという思いでした。商船高専で船について学んだ経験があり、また3年間の海外体験でそれなりの英語力を身に付けたことから、1991年に日商岩井機器販売(現 双日マシナリー)に入社しました。入社して1年少々経った1993年、フラモ社の日本法人設立に伴って出向することになり翌年に転籍しました。転籍前、日商岩井機器販売から一旦は帰任の辞令が出たのですが、ノルウェーのフラモ本社の社長から日本法人で引き続き力になってほしいと引き留められ、それならばと心が決まったのです。

――人生の転機が何度も訪れるのですね。

 まず1度目は、内陸育ちの若者が世界に憧れて商船高専を志したこと、続いて2度目の転機は3年勤めたマリンサーベイヤーの仕事を辞めて海外へ渡ったこと。そして、フラモ本社側からの慰留を受け、日本法人に留まったことが3度目の転機です。

タイトル――フラモさんは、日本造船所が得意とするケミカル船の荷役を陰で支える、ポンプシステムを取り扱うお立場です。

 ケミカル船は多数の日本船主さんが保有され、また日本の造船所さんが世界で圧倒的なシェアを占める稀有な船種です。これは、我々の諸先輩方より脈々と受け継がれ、切磋琢磨が続けられてきた技術の賜物です。
 商船高専を卒業し、船乗りを志望していた私ですが乗船経験はありません。入社後は船の学校を卒業しただけではわからないことの連続でした。そんな中、お会いしてきた方々一人ひとりが私にとっての先生と言うべき存在でした。舶用機器業界に入って30年以上になりますが、いまだに日々新しい経験があり、新しいお知り合いができるとその方が私の知らなかったことをたくさんご存知です。航海、荷役、メンテナンス、タンククリーニングの効率化、そして最近はとくに環境問題など、引き続き追究すべきことが様々にあります。この業界の一員としてお客様の声を正しく理解し、本社にフィードバックするとともに新しい製品やサービスに生かすべく検討していく、こうしたやり取りが非常に面白いです。


――貪欲に学ぼうという佐藤さんの姿勢をご覧になり、周囲の皆さんが惜しみなく指南してくださり、知的好奇心を多いに刺激される環境でやって来られたのですね。

――夢や希望について教えてください。

 個人的なものではありませんが、島国である日本では物流の大半を海運が担い、船は日本にとって欠けてはならない存在だと改めて感じています。そして日本には、船社さん、船主さんに造船所さん、そして当社のような舶用機器メーカー、サポートしてくださる金融機関やブローカーさんといったいわゆる海事クラスターの皆さんの存在があります。足元ではウクライナ情勢を受けて揺り戻しもありますが、海事業界も基本的には引き続き脱炭素を目指し、さながら産業革命のような時代を迎えていくことでしょう。今後業界の皆さんが引き続き前進して行くためには、業界全体、そして個々のビジネスがそれぞれにサステナブルなものである必要があると強く感じます。10年後、それ以降に向けて、若い世代が現在の海事業界に対して革新的な提案を行い、また会社もそれを取り込み、世界に負けないものを日本がつくってやろうという、そんな意気込みをもった海事クラスターであってほしいという希望を抱いています。
 また個人的な目標としては、健康寿命を延ばし、のんびり元気に長生きして寿命を全うしたいです。


タイトル――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 この業界に入って間もない頃、瀬戸内の造船所さんへの訪問ついでに立ち寄ったちょっとした居酒屋で煮魚を食べ、その美味しさに感動しました。地場の白身のお魚が薄口醤油できれいに煮てあり、生まれが東北、住んでいるのも関東の自分にはとても新鮮でした。自分でつくってみてもなかなかうまく出来ません。仕事柄、造船所さんの多い西日本には数えきれないほど足を運んできましたが、いまだに、地魚の煮付は絶品だと感じます。

タイトル――心に残る「絶景」についてご紹介ください。

 船の業界の先輩であり、学生時代から山登りをされている方とのお酒の席でのことです。私はたまたま富士山には登ったことがあったのですが、お酒の勢いもあり、日本で2番目に高い山、南アルプスの北岳に連れて行って頂くことになりました。その頃登山経験はほとんどなく最低限の装備で臨んだのですが、何とか無事に登り切ることができました。幸いなことに山頂は素晴らしい晴天で、登頂できた達成感に加え、山々が連なる周囲の眺めや雲海から顔をのぞかせる富士山が素晴らしく、忘れられない絶景です。

――玄人向けの山と言われる北岳ですが、見事、登頂に成功されたのですね。

 下山口まで着いた時にはもう二度と登るまいと思いました(笑)。5人で出発したのですが、下山時はばらばらになり最後の1人が下りて来るまで多少時間がかかりました。そんな中、もし何か起きたとしても絶対に助けに戻れないと思ったほど疲れ切りました。。

――それが今や、山登りはご趣味に?

 山登りをされている諸先輩方からすると、私のは「山歩き」くらいです。夏は上高地や尾瀬を歩き、最近では秩父や丹沢といった関東の近郊の山を歩いています。朝早く起きて山に登り、昼過ぎには下りて温泉につかり、ビールを飲んで帰って来ます。

――これぞ、健康法ですね(笑)。



【プロフィール】
佐藤 重雄(さとう しげお)
1963年生まれ 山形県出身
1984年 国立富山商船高等専門学校(現 国立富山高等専門学校)卒業、海事検定機関勤務を経て
1991年 日商岩井機器販売(現 双日マシナリー(株))入社
1993年 フラモ(株)に出向
1994年 フラモ(株)に転籍
2003年より現職

■フラモ株式会社(https://www.framo.com/About-Framo/location/nippon/

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