dbg
【マリンネット探訪第24回】
ロータリカップバーナを原点にReBORN
顧客の期待に応え続けるモノづくりと昇り続ける技術力が強み
< 第530回>2023年05月25日掲載 


株式会社サンフレム
代表取締役社長
田中 達生 氏
 








――――舶用補助ボイラ用バーナや舶用焼却炉の製造販売を手掛ける、株式会社サンフレムの田中 達生社長です。サンフレムの概要と特色について、ご紹介をお願いいたします。

 当社は、現会長である父が1968年に設立した会社です。父は元々燃焼技術の会社に勤務し、舶用向けに限らず、銭湯向けなどのバーナ製造に携わっていました。父の勤めていた会社は倒産してしまいましたが、舶用向けバーナに関しては、出荷後のメンテナンス需要が多く、会社倒産後も父が個人でメンテナンスを引き受けていました。その後、オイルバーナメンテナンスをビジネスとして立ち上げることになり、1968年に当社の前身となる「大阪サンフレム」を設立しました。設立当初はメンテナンスを中心に事業を展開していましたが、壊れない製品、顧客の使いやすい製品づくりを追求すべく、メーカーに転身し、モノづくりの会社として成長してきました。
 当社のバーナは舶用補助ボイラ向けに製造していますが、補助ボイラの役割は、タンカーのカーゴタンクや燃料(重油)の加熱のほか、船内空調や生活用水の加熱調整などです。バーナには圧力噴霧とロータリーカップの2タイプありますが、当社は創業時からロータリカップバーナを主力としてきました。ロータリーカップは、燃料の性状や状態の影響を受けにくく、安定して燃料を噴霧できることから、少ない調整で最大限の性能を発揮する使い手に優しい点が特長です。
 創業当時から大切にしていることは、顧客に喜んでもらえる製品を作ることです。現場の乗組員を第一に考え、壊れにくく扱いやすい製品(ハードウェア)を作ってきました。また、製品の性能を最適化する制御技術(ソフトウェア)も自社開発することで、製品の特性を考慮した制御を実現することができ、ハードウェアとソフトウェアを一体で提供することで、顧客の使い易さを追求し続けています。
 昨今の脱炭素化に向けての開発も進めており、LNGと油の二元燃料バーナは既に提供済で、本来なら難しくなる運用を、持ち前のソフトウェア技術でカバーして大変使い易いと好評を得て受注数を伸ばしております。また次世代燃料のアンモニア、メタノール、水素などについても積極的に取り組んでおります。
 社内に目を向けると、最近は若手社員が増えてきましたが、脱炭素化などに伴う事業環境の変化によって、新燃料や新技術にスピーディーに対応するため、個々の才能を発揮できる環境を作ることも大切にしています。この新しいオフィスもその一環です。

 
タイトル
 
――――非常にスタイリッシュな空間ですね。

 建物・技術・人が共に成長できるオフィスをコンセプトに「ReBORN」を掲げ、2021年12月にリニューアルしました。2005年に建設した旧社屋は、営業と製造が別のフロアに位置していましたが、社内全体を知る創業者メンバーが中心であったため、部署間の連携に支障はありませんでした。しかし世代交代や組織の成長に伴い、他部署との連携が取りにくい状況になっていました。そのため社内のコミュニケーションを円滑に取れるよう、オープンで明るいイメージの環境を作りたく、デザインを一新しました。実はこのビル内では当社の製品が動いているんです。

――――と言いますと・・?

 2018年に創業50周年を迎えましたが、まさに海運業界の脱炭素化の動きが加速し始めた時期でした。当社製品は「油を燃やすこと」を生業としてきたので、このままでは仕事が無くなるのでは、という強い危機感を抱きました。創業からの50年は、石炭から石油にエネルギーが変わっていくことの時代の変化に支えられて成長してきましたが、次の50年をどう生き抜くか、社員との対話を繰り返す中で、当社が創業時から取り組んできた「制御」にフォーカスし、この技術を活かしたモノづくりができないかと考えました。その一つが、このビルに使用している電子制御システムです。ビル制御で使用されている技術が、船舶向けバーナで使用しているものと同様であることを知り、当社製品のラインナップとして、スマートビル制御システムが提供できるのではと考え、自社オフィスをスマートビルにし、実証環境を作っています。

――――入口から何も操作せず、この部屋まで来ることができました。初めての経験です。

 来訪時にお客様が何も操作せず社内へ入ることができるよう、スケジュール表と連携し、会議室まで誘導することができます。雨天の際は壁面に収納されている傘立てが自動で開き、収納された傘を乾燥する機能も搭載されています。ビル内の照明や空調(温度やCO2濃度など)も、時間帯や状況に応じて制御されています。これらのセンサー信号により状況に応じてモノを動かすこのスマートビル制御技術は、今後船舶への展開もできるのではと考えています。

タイトル
 
――――補助ボイラ用バーナ、舶用焼却炉向けの状態監視・性能分析システム「サンフレム スマートサポートシステム」が、2021年4月にNKの革新的技術を対象とした認証サービス「イノベーション・エンドースメント」において認証を取得されました。導入状況や今後の展開について、お聞かせください。

 「サンフレム スマートサポートシステム」は、機器の運転状況のリアルタイムな情報収集や、機器の状態監視、性能分析を行うことが特長です。デイリーレポート、マンスリーレポートといった、定期的なレポート出力のほか、緊急時にはクリティカルレポートが出力されます。定期的なレポートでは、運転状況のトレンドや、燃料の使用状況、機器の性能変化などの確認が可能です。部品交換の適切な時期を判断できるほか、メンテナンスの実施状況を確認することも可能で、メンテナンス性の向上に寄与します。クリティカルレポートに関しては、危険な状況や危険な操作を感知し、トラブル発生状況とトラブルシューティングがレポートとして出力されるため、大事故を未然に防ぐ行動が起こしやすい仕組みになっています。
 現状、同システムの採用隻数は67隻(稼働中15隻)ですが、これまでのサポートで培ったノウハウや蓄積データを基に、更なる付加価値を提供し、搭載船を拡大できるよう、改良していきたいと考えています。


タイトル――――開発のきっかけは?

 15年以上前、トラブル対応していた営業社員が、船上から的確な情報収集をできないまま時間が経っている状況を何度も目にしていました。そのような状況を改善すべく、制御盤内にロギング機能をつけ、効率よくそのデータを得られるよう、「スマートサポートシステム」の前身となる製品を作りました。当時はSDカードにデータを蓄積していましたが、将来的な船上ネットワーク整備も見越して開発を行ってきました。

――――内航船の人手不足という社会課題に向けて、船舶の自律運航や無人運航の技術開発が進められる中、無人運航船の実証プロジェクトMEGURI2040内のDFFASコンソーシアムに参画されています。参画の経緯や今後の展開についてお聞かせください。

 日本の未来を創り、担うプロジェクトであるため、どのような船になるのか知りたいという興味と、当社に何かできることがないかを探る目的で参画しています。当社のセンシングによる監視・制御システム技術は、自律運航に資するであろうという期待もありますし、参画を通じて、船舶の他の部分の仕組みや制御などについて学ぶことも多く、これまで横の繋がりの少なかった業界関係者とのコミュニケーションの場としてもメリットがあると感じています。今後はどのようにインテクグレートが進むか、大変注目しています。

――――製品ラインナップとして、LNGなど低炭素ガス燃料を使用できるボイラバーナのほか、LNG船で発生するBOGなど余剰ガスの船内処理を行うガス燃焼ユニット(GCU)を手掛けられています。昨今の脱炭素化の流れが加速する状況下において、製品開発における新たな取り組みについてご紹介いただけますか。

 当社では、LNG二元燃料対応船向けのバーナ以外にも、LNG燃料船やLNGバンカリング船向けのガス燃焼ユニット(GCU)を開発しました。GCUは、LNG燃料船の燃料タンクから発生するBOG(ボイルオフガス)や、バンカリング時の余剰ガスの船内処理を目的とした装置です。当社のGCUには、補助ボイラで培った燃焼制御技術が備わっており、圧力の不安定なBOGに対してもトラブルリスクを最小限に抑えて運転することが可能です。今後はLNG以外に、メタノールやバイオ燃料、アンモニアなどで開発を進めます。メタノールやバイオ燃料については、問題なく対応できる想定ですが、アンモニアに関しては、技術開発用のテスト設備を本社敷地外に建設し、3月からテスト設備が稼働開始したところです。アンモニアスリップやNOx(窒素酸化物)、N2O(亜酸化窒素)の排出にも対応すべく、アンモニアの前処理・後処理も考慮した設計になっています。本テスト設備で開発するアンモニア燃料のバーナは、自社開発に加え、パートナー企業である株式会社カシワテックと共同開発も進めており、2024年の初号機出荷を目指し着々と開発を進めております。

――――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。

 高校生まで京都で過ごし、大学は青山学院大学に進学しました。幼少期からラグビースクールに通い、高校生までラグビー中心の生活を送っていました。大学卒業後は富士通に入社し、営業担当として約8年間勤務しました。子供の頃から両親が苦労する姿を見てきましたが、家業に就くことを意識したことはなく、社会人になっても、自分のやりたいことをやっていました。その後、阪神大震災を経て、当社として初の工場建設を計画していたことなどもあり、両親から家業を手伝わないかと声がかかりました。今まで出来なかった事が自身の提案によって出来るようになり、顧客に喜んでもらえるITの仕事が楽しく天職と思っていたこともあり、しばらく悩みましたが、それまで好きにさせてもらったことへの恩返しの気持ちもあって、入社を決意しました。ただ、入社直後は社内で仕事が無く、自分の得意分野であるITを活かして社内業務のIT化を推進しました。会社に必要とされる人材になるため、当時はとにかく必死でした。
 入社から10年後の2007年に突然社長を任命されましたが、やらざるを得ない状況でした(苦笑)。当時は、高性能だけど価格も高い製品より、とにかく安価な製品が求められる時代でした。海外市場では価格の安い中国製品や韓国製品と戦う必要もありましたが、ただ安さを求めるだけでなく、高性能でもリーズナブルな製品を、創業のこの土地で作り続けていきたいと考えました。当時の従業員数は35名程でしたが、競合他社の半分の人数で2倍の効率でモノ作りができれば勝てると信じてその方向を目指しました。そのためには、社内のアナログな仕組みを変える必要性を強く感じたので、営業や設計のシステムなど、効率を追求して全て自社で作りました。特に船業界の製品は、世間一般の仕様には合わないので、それらに合わすことはせず、自分たちの使いやすいものを開発してきました。


――――特にご苦労されたことは何ですか?

 悩む時間はなく、やることが溢れていたので、とにかく必死に走り続けていました。創業者である父は技術者出身なので、いかにして良いものを作るか、ハードウェア作りに尽力していましたが、私はIT会社での経験を活かし、いかに高性能な製品を誰もが簡単に使えるようにするかのソフトウェア技術の完成度を追求してきました。このようなハードとソフトの融合の歴史が、現在の良いモノづくりに繋がっていると感じます。

――――人生の転機についてお聞かせください。

 転機はたくさんあるので1つに決めるのが難しいですが、伏見工業高校在学時のラグビーの経験は私の人生に大きな影響を与えました。中でも高校3年生の時、花園ラグビー場で行われた全国高校ラグビー大会でのベスト8敗退は最大の転機です。絶対優勝といわれたシードNo.1校にもかかわらず敗北を経験し、その時芽生えたのは、「何をするにも、もう負けたくない」という強い気持ちでした。それ以降、負けないためにどうするかを常に考えてきました。今でもビジネスにおいて勝負には負けたくないです。逆に当時負けていなかったら、全く違う人生だったかもしれないですね。

タイトル

 
タイトル
 
タイトル――――ラグビーを始めたきっかけは?

 子供の頃、母が新聞でラグビースクールの情報を見つけ、当時体の弱かった私に入会を勧めたことがきっかけでした。その時のシーンは何故か今でも鮮明に覚えています。3歳から中学生までラグビースクールに通いましたが、中学生の時、当時練習場所として使用していた伏見工業高校で、ラグビー部の監督を務めていた「泣き虫先生」こと元日本代表の山口 良治氏に声をかけてもらい、同校に進学することになりました。私の学生時代は、まさにテレビで「スクール☆ウォーズ」が放送されていました。



――――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。

 アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンの言葉「Time is money(時は金なり)」です。時間を無駄にするとお金にならないという本来の意味だけでなく、何事もタイミングが重要と拡大解釈し、成功するため(利益を得るため)には早すぎても遅すぎてもダメ、“Just in Time”で行う必要があると考えて行動することをモットーにしています。製品一つを例に挙げても、必要とされるタイミングに出さないと意味がありません。これまで多くの製品を開発してきましたが、どのタイミングでどのように出していくか、最大に利益を出せるタイミングを見計らっています。

――――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。

 当社は5年前に創業50周年を迎えましたが、その際に社員全員で「100年企業を目指そう!」、「次の50年続く会社を目指そう!」と、目標を掲げました。この目標(夢)の実現に向けて、現在も一歩ずつ前進しています。父から引き継いだこの会社を、次の世代に良い会社にして渡したいと考えていますし、お客様に喜んでもらうことを大切にしたいと考え続ける後継者であってほしいと願っています。

タイトル――――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 静岡県三島市「桜家(さくらや)」のうなぎです。半年に一度、富士通時代の元同僚達と静岡でゴルフをしているのですが、必ず食べる1品です。行き始めた30年前は安かったですが、今はとんでもなく高級品になっています。うなぎが好きでない子供達もここのうなぎだけは食べられると贅沢になっています。
 もう一皿は、神戸三宮の中国料理「中国酒家」のカニ春雨とカニ爪揚げです。両親が仕事で三宮に行った時に偶然見つけた中国料理屋さんらしく、あまりに美味しかったので、何度も家族で連れていってもらいました。今でも友人達とよく行きます。カニ春雨の味付けが絶品で、カニ爪のプリプリ度も格別です。

 
タイトル
 
タイトル――――心に残る「絶景」について教えてください。

 高校時代の花園ラグビー場のピッチから見た満員の観客席は忘れられないです。試合当時、ラグビーは大人気でしたので、1万人以上の観客で埋め尽くされたその光景を大舞台のど真ん中からみるという経験は大変貴重でした。それ以外では、5年前に家族で行ったニュージーランドのマウントクック国立公園で見た景色には大変感動しました。3時間ほど歩きましたが、氷河や氷山の美しさに疲れも吹き飛びました。
 そして、2019年に日本で行われたラグビーワールドカップも心に残っています。日本が勝ち続けた日本戦を含め10試合ほど見に行き、それぞれの熱戦とドラマにとんでもなく感動しました。黒人が初の主将となり優勝した南アフリカとラグビー発祥のイングランドとの決勝戦も見応えがありました。会場で偶然、南アフリカのお客様とも出会い、大変盛り上がりました。





タイトル
 
タイトル
 

 
【プロフィール】
田中 達生(たなか たつお)
1965年生まれ 京都府出身
1984年 伏見工業高校 卒業
1989年 青山学院大学 経営学部卒業、富士通株式会社 本社営業部 入社
1997年4月 株式会社サンフレム 入社
2001年 取締役就任
2007年より現職

■株式会社サンフレム(http://sunflame.net/

記事一覧に戻る