大晃機械工業株式会社
代表取締役社長
木村 晃一 氏 ――――舶用ポンプの開発・製造において、60年以上の歴史がある、流体移送機器の総合メーカー、大晃機械工業株式会社の木村 晃一社長です。大晃機械工業の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社は、創業者である父(木村 貞明)が、田布施町議会議員として、昭和31年(1956年)に田布施町工場誘致第1号として誘致し、設立しました。他の舶用ポンプメーカーとは異なり、戦後に誕生した最後発のメーカーで、造船所様のご要望に応じて製品を製造・販売するというより、戦後の地域活性や雇用創出を目的に誕生した会社です。そのため、地元の高校や大学等から様々な技術を集約しながら、地域の雇用発展を目指して事業を展開してきました。
おかげさまで当社が主力とする欠円式ギヤポンプは、業界内でも広く認知いただいていますが、1つの製品に拘るのでなく、油(燃料油や潤滑油)以外にも水(冷却水、汚水等)のポンプ、送風機、その他舶用以外では陸上向けの真空ポンプなど、多くの製品ラインナップがあります。船舶の機関場に取り付けるポンプは、全て当社で揃えることができますので、多様なレンジの商品を展開する総合メーカーとして、お客様にとっても使い勝手が良い点が強みです。また、他社と比較してもグローバル展開が進んでいることも特徴の一つで、現在、アジアを中心に海外子会社が10社あります。――――積極的に海外展開を進めているということで、更なる拡大の可能性など、海外展開への意気込みについてお聞かせください。
海外での製造・販売に魅力を感じ、日本企業の中国などへの進出が本格化する前から海外進出に取り組んできました。中国の経済開放の流れも後押しして、1986年に陸上製品の中国現地企業への技術供与を契機に、海外展開が始まりました。その後も技術供与が比較的順調に推移し、さらに合弁事業の提案もいただいたことから、1995年以降、2010年までに立て続けに6社中国国内に合弁会社を設立しました。今後も中国を中心に展開を考えていますが、更なる拡大というより、今ある拠点を着実に運営し、製品の安定供給に貢献したいと考えています。
中国以外では、1997年に舶用向け電動ディープウェルポンプの老舗メーカーであるオランダMarFlex社と電動ディープウェルポンプの日本独占販売権、ならびに国際協力提携契約を締結し、それ以降、製品開発や製造面での交流を図ってきました。2018年2月には、持株会社の大晃ホールディングス(2016年設立)が、同社株式を100%取得し、大晃ホールディングスのグループ企業となりました。当社のミッション・ステートメントは「Make a better flow」です。流体移送機器の総合メーカーとして、企業活動を通してよい流れを作り出したいと考えていますので、急速に変化する時代に柔軟に対応することができるよう、グローバルに様々な地域の人たちと共に働きながらシナジーを発揮し、お客様や社会の課題解決に貢献したいと考えています。――――オフィスが開放的で、よい流れを感じます。赤と黒を基調にしたデザインも素敵です。
このオフィスは2018年に新しくしました。工場が手狭になったため、その拡張も含めて新社屋を建て直しました。当初は、製品カタログを刷新すべく、デザイナーさんと交渉を進めていたのですが、カタログのイメージに合わせて建物もデザインしたいと考え、オフィスのデザインにカタログのコンセプトを落とし込めるデザイナーさんを紹介してもらいました。ちなみに本社事務所は、2018年度 第31回日経ニューオフィス賞 中国ニューオフィス奨励賞をいただくことができました。
――――LNG燃料対応のポンプ開発に取り組まれています。現在の開発状況や今後の展開、またLNG燃料以外の次世代燃料向け製品の開発状況について、お聞かせください。
当社は油の移送用ポンプを起源としているため、昨今の脱炭素化の時流の中で、将来的に油の需要減少に対する危機感があり、LNG燃料移送ポンプ開発に取り組んできました。これまで取り扱ってきた油とは異なる性状のLNGへの対応は新しい挑戦であり、知見とノウハウの蓄積に時間を要している状況です。LNG燃料対応ポンプのテスト設備は、田布施町内の工場敷地外の場所に構えており、試験運転を行いながら不具合を取り除いている状況です。2023年中、若しくは2024年春頃の販売を目指して準備を進めています。LNG使用環境下で耐えうる製品ができれば、他の次世代燃料への横展開も実現できるのではと考えています。
なお、開発しているポンプは2タイプあり、サブマージドモーターポンプとディープウェルポンプです。後者はグループ会社のMarFlex社にもノウハウがありますので、共同で開発をしています。
――――環境保全の取り組みとして、大島商船高等専門学校とマイクロプラスチック回収装置を開発されています。「海のお掃除ロボット」の今後の展開について、お聞かせいただけますか。
大島商船高等専門学校は距離も近く、当社の新入社員研修などの際にもご協力いただいています。同校が位置する周防大島町は、世界最大規模の広さを有するニホンアワサンゴの群生地があります。最近では、ダイビング人気の高まりや、環境意識の広がりなどから、当社の技術を活かして何かできないかと考えていました。そこで、以前からお付き合いのあった奈良県のメーカーにもご協力いただき、周辺海域を走るボートへのマイクロプラスチック回収装置の搭載が実現しました。商船への導入については、具体的な搭載は決まっていませんが、何件かご相談をいただいています。弊社としてどこまでご要望に応えることができるかも含めて検討を進めている状況です。――――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
山口県熊毛郡田布施町の出身です。大学は明治大学経営学部へ進学し、国際経営学を専攻していました。大学卒業後は地元に戻り、当社に入社しました。入社直後は情報システム部に配属となり、情報技術領域について学びながら様々な経験をすることができました。その後は、中国事業統括室に配属となり、中国・北京市にも駐在し、当時はちょうど中国に合弁会社が次々と立ち上がっていた時期でもあったので、日本に帰国後も主にそれら子会社の管理をしていました。その後、2008年6月に社長に就任しました。

――――学生時代に夢中になっていたことはありますか?
父の影響でゴルフが好きだったので、大学生の頃はゴルフサークルに所属していました。アルバイトではキャディや、女子プロツアーの同行なども経験しました。今でもゴルフは大好きです。
――――人生の転機についてお聞かせください。
社長に就任した時が大きな転機でした。子供の頃から父の背中、父の姿を見て育ってきましたが、別の進路に進みたいという気持ちはなく、大学卒業後に当社へ入社することを決めていました。社長就任時は26歳という若さではありましたが、創業者である父も既に高齢でしたし、私もそのタイミングで引き受けた方がいいと判断しました。前任者や、役員陣の皆さまのサポートもあり、どうにか今に至っています。――――会社経営について、お父様からのご指導はあったのですか?
当社は父が田布施町議会議員だった昭和30年代初頭に、戦後の田布施町の雇用創出を目的に工場を誘致し、設立された会社です。そのため、創業当時は売り先が無く、軌道に乗せるまで非常に苦労したようです。創業後まもなく倒産状態に陥り、父は町議会議員を辞めて当社の建て直しに尽力し、何とか軌道に乗せたと聞いています。父は30代でその苦労を経験したので、私に対しても、きっとできるだろうという考えがあったようです。社長就任時も具体的な指導は無く、思うようにやれば良いと言われました。苦笑
また、転機と言えるか分かりませんが、コロナ禍は非常に苦労しました。オペレーションの問題以上に、社員同士のコミュニケーションが思うようにできないことへのもどかしさを感じ、大変辛かったです。それまでは、グローバルに、様々な国の多様なメンバーとの触れ合いが充実していた会社だったので、それがコロナによって強制的に止められてしまったこと、そしてそれに対して画期的な手立てを講じることもできず、社員に申し訳ないという気持ちがありました。最近になってようやく緩和され、久々に欧州のメンバーとコミュニケーションの機会がありましたが、昔の感覚が戻ってきて大変嬉しい気持ちになりました。これからもこのような機会が増えることを楽しみにしています。――――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
明確に決めているものは無いのですが、「人間万事塞翁が馬」や「神は細部に宿る」という言葉は、心に留めています。「人間万事塞翁が馬」は、これまで良い結果も悪い結果もありましたが、先ずはその場でベストを尽くすことを大切にしてきました。何事も最後まで結果は分かりませんし、自らが置かれた環境でベストを尽くすことを常に意識しています。
「神は細部に宿る」については、大まかに取り組む方が良い場面もあるかもしれませんが、私としては、細かい部分まで手をかけて思いを込めるということを大切にしており、それが後々全体の完成度を高めることに繋がると考えています。この言葉は、「悪魔は細部に宿る」という表現に変えることもできますが、細かいところも注意して物事に取り組もうという自戒も込めてこの言葉を意識しています。
――――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。
最近の感動と言えば、とにもかくにも大谷選手のバッティング練習でしょうか。年々凄さを増していると感じます。特に今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は奇跡の連続で、感動するシーンばかりです。――――WBC開催中は、毎日試合から目が離せないですよね。
夢や目標は、この田布施町にいながらも、様々な地域や国に目を向け、グローバルなメンバーと共に、海運、陸上に向けてモノづくりやサービスの提供し続けることです。
ちなみに、プライベートでの目標は、コロナ禍も収束してきたので、ゴルフの県大会に出場して予選を通過したいと思っています。笑
――――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
田布施町内にある、「創作うどん 和遊」のうどん、田布施スペシャルです。店主は故郷の北海道でうどん作りを極めたということで、「UDON Artist」の肩書を持つ店主が作る手打ちうどんが最高です。時々家族でお邪魔しています。 
――――心に残る「絶景」について教えてください。
地元山口・周防大島の大島大橋は絶景です。周防大島の玄関口で、瀬戸内のハワイとも呼ばれていますが、橋のたもとには、当社の宿泊施設があり、そこから見る景色が最高です。近くには上関大橋もありますが、それよりも全長が長く、さらに橋が南北に走っているので、朝日から夕焼けまで綺麗に見ることができます。内航船もよく通るので、船と橋、海が綺麗に見える場所です。
【プロフィール】
木村 晃一(きむら こういち)
1982年生まれ 山口県熊毛郡田布施町出身
2004年3月 明治大学 経営学部 国際経営学専攻 卒業
2004年4月 大晃機械工業 入社
2008年8月より現職
■大晃機械工業株式会社(https://www.taiko-kk.com/)