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【マリンネット探訪第31回】
製品を通して、人と環境にやさしく
風と共に船の未来を創り続ける
< 第540回>2023年12月11日掲載 


潮冷熱株式会社
代表取締役社長
小田 茂晴 氏













――――空調、冷蔵・冷凍機、船舶用エレベータの国内トップメーカー、潮冷熱株式会社の小田 茂晴社長です。潮冷熱の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。

 当社は1977年に父が創業しました。祖父(故 小田 茂氏)は渦潮電機株式会社(現:BEMAC)の創業者で、父(小田 團氏)は同社に役員として勤務していましたが、その後ご縁があって、舶用空調設備のメーカーとして当社の設立に至りました。舶用機器メーカーの中では後発ではありますが、設計から製造、据付、アフターサービスまですべてを一貫して提供しており、製造・販売にとどまらず、図面作成なども含めて、造船所と共に船作りに関わっている点が特長です。
 1997年には船舶用エレベータ事業に新規参入し、当時オプションだったインバーター制御を標準装備にすべく開発を行いました。開発には苦労しましたが、徐々に受注を伸ばすことができました。
 また、グローバルの観点で国際競争力を高めるべく、2005年に韓国にエレベータの製造会社を設立し、特に大型船を中心に建造を手掛ける同国造船所向けの需要増に対応してきました。


――――環境対応型の商品開発、客船事業、海洋開発の3本柱を中心に事業を展開されていますが、夫々の事業における直近の事業環境と今後の展開をお聞かせください。

 環境対応に関しては、フロンガスの地球環境への影響を考慮し、2019年に世界に先駆けて次世代冷媒「R449A」を導入しました。「R449A」は温暖化係数が低く、国内外のフロン排出規制にも対応しています。
 客船事業に関しては、これまで大型客船向けに冷凍冷蔵庫の納入実績がありますが、国内での大型客船の建造は厳しい状況ですので、大型客船以外の新たな市場を開拓している状況です。近年では、中小型の内航フェリー向けの需要が増えつつあり、特に長距離フェリーは、単なる移動手段ではなく、滞在者の快適性を考慮した船内設備にアップグレードされていますので、一般のお客様目線の細かなニーズにも柔軟に対応している状況です。また、コロナ禍以降は、抗菌フィルターの需要も増加したため、安心・安全も担保できる空調設備の提供にも努めています。
 オフショア向け事業では、これまで空調、換気、冷凍冷蔵設備やエレベータを海洋開発用設備の居住区に納入してきました。しかし、国内市場の収束やプロジェクトの中断など、大型の掘削船やFPSO(浮体式石油生産・貯蔵・積み出し設備)向けの需要低迷を背景に厳しい事業環境が続いています。一方で、オフショア支援船の更新時期が迫っているので、それらのリプレース需要を取り込んでいきたいと考えています。
 当社が掲げてきたビジョンについても、業界を取り巻く環境の変化に応じて、内容をアップデートしながら進めている状況です。


――――アフターサービス事業も注力されていますが、デジタル化によるメンテナンス性の向上など、デジタルインフラの構築の取り組みについてお聞かせいただけますでしょうか。

 3~4年前から、社内の基幹システムの整備を進めている状況です。過去の納入実績データは存在しているものの、データの整備が不完全なので、検索性を高めた再構築を完了しました。タイトルメンテナンス事業に関しては、以前は受け身の体制でしたが、営業メンバーも2倍強に増強し、スピードを上げて攻めるアフターサービス体制を構築している状況です。現状は国内中心に営業を行ってきましたが、海外についても出張ベースで対応しており、将来的に現地に拠点を持てるよう取り組んでいます。これまで経営面で苦しい時期もありましたが、アフターサービスは当社の売り上げにも大きく貢献しており、事業の重要な柱になっています。今後はデータ分析なども含めて、メンテナンス性の向上に努めたいと考えています。また、近年需要が高まりつつある国内フェリー向けのサービス提供においても、フェリー会社と協力しながら、一般商船とは異なる様々な要件に対して、アフターサービス含めて丁寧に対応していきたいと考えています。
タイトル
――――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。

 愛媛県今治市波止浜生まれで、自宅から造船所のクレーンが見える環境で育ったので、子供の頃から船は身近な存在でした。高校生まで地元で過ごしましたが、今治を出たいという思いがあったので、都内の大学に進学しました。家業の手伝いをするという選択肢は、大学生の頃から少しずつ考えていましたが、大学卒業の時点で地元に戻ることは選ばず、社会で修行を積むために新卒でダイキン工業に就職しました。東京支店の営業企画部門に所属し、船とは無関係の部署で働いていましたが、実家に戻るよう父から何度も声が掛かり、それを断りながら約7年間勤めました。サラリーマンとしての仕事にもやりがいを感じていたので、続けたら面白くなるだろうという考えはありましたが、いつかは今治に帰りたいという気持ちがありましたので、29歳でダイキン工業の退職を決意しました。
 今治に戻ってからは、大きなカルチャーショックを受ける日々でした。それまでとは業界も異なり、規模や企業文化、事業環境の違いなど、良くも悪くも、20代で経験したこと全てと異なる世界が目の前に広がっていたので、様々なことに衝撃を受けました。ダイキン工業に就職した1998年当時は、日本列島総不況とも言われた不景気の時代でしたので、社内の雰囲気も暗く、厳しい環境でしたが、今治に戻った当時の造船業界は景気が良く、雰囲気も明るかったので、そのギャップにも驚きました。タイトルまた、私自身造船の街で生まれ育ちましたが、船について知らないことも多く、入社後はとにかく必死で勉強しました。その後調達業務や総務、営業などに携わり、社長就任に対する意識も少しずつ芽生えていきましたが、いよいよ父も高齢になってきたということもあり、38歳で社長に就任することになりました。当時はその少し前に今治造船の檜垣幸人さんが社長に就任されており、従兄で同い年のBEMACの小田雅人も私と同じ年に社長に就任したので、若手経営者が徐々に誕生していた時期でした。社長就任にあたっては、とにかく強い使命感を持って臨みました。また、社員と共に特に社内の働き方に関しては、時間がかかりましたが、改善に努めました。



――――人生の転機についてお聞かせください。

 社会人経験を積んだ後、地元(今治)に帰った時です。地元に戻ってからの30〜40代が最もハードな時期で、人生が大きく変わったと感じます。環境も大きく変わり、カルチャーショックを受けながらもやるしかない状況でしたので、まさに試練の時でした。
 今治に戻って1年後に結婚し、翌々年には息子も産まれましたが、海外出張も多く、家族には寂しい思いをさせてしまいました。それでも家族の存在に支えられて、今があると感じています。


タイトル――――休日はどのように過ごされていますか。

 釣りやマラソン、自転車など、一通り満遍なく経験してきましたが、最近ではサッカー観戦を楽しんでいます。時間があれば、ユニフォームを着て、FC今治の応援に行っています。当社は岡田オーナー就任前からスポンサーとして参加してきましたので、サポーター歴も長いです。






――――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。

 私の父が大切にしていた言葉でもありますが、「素直」です。松下幸之助氏の言葉の中にもありますが、素直な心が人の成長には欠かせませんし、素直な心で何事も取り組むよう意識しています。

――――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。

 仕事における夢(目標)は、会社をより強くし、社員がもっと誇りを感じることができる会社にすることです。その結果、規模の拡大に繋がるかもしれませんが、規模の拡大が目的ではなく、質を高めていきたいと考えています。また社員が楽しく働くことができる職場づくりも重要だと考えています。
 最近感動したことは、FC今治の逆転勝利です。予定が合えば、スタジアムに足を運んで応援しています。先ずはJ2昇格を目指して頑張っているところですが、将来的には、J1で優勝争いをするところまで強くなってほしいと願っています。


――――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 たくさんありすぎて非常に迷いますが、高校生の頃、初めて食べた納豆は衝撃でした。母親が食べているのを見て、自分も初めて口にしましたが、その美味しさに感動した記憶があります。当時愛媛ではあまり見かけませんでしたが、私が経験した食に関する感動の1つです。
タイトル 大学生の頃は、当時住んでいた下高井戸商店街沿いの中華料理屋の肉野菜卵炒めがお気に入りでした。今にも潰れそうな店でしたが、思い出に残っている味です。
 地元今治では「鮨杉むら」がお気に入りです。隠れ家的な雰囲気のお店で、ご夫婦で切り盛りされていますが、味も抜群でおススメです。B級グルメでは「ハンター」も時々訪れます。店内は古いですが、懐かしい味と雰囲気を味わうことができる空間です。ちなみに「ハンター」は、今は無き今治の「グリルタイガー」の厨房に居た方が腕をふるっているお店です。


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――――心に残る「絶景」について教えてください。

 高校生の時、アメリカ旅行で見たグランドキャニオン国立公園が心に残っています。初めての海外旅行でしたが、それまで地元の波止浜の景色しか見たことが無かった私にとって、世界の広さを目の当たりにした忘れられない経験です。現地では、近くまでヘリコプターで向かい、グランドキャニオンの脇の町「ハバス・キャニオン」まで歩いて行きました。そこには、エメラルドグリーンに輝く「ハバス滝」があり、その滝の近くで泳ぎました。とても幻想的な風景でした。
タイトル


【プロフィール】
小田 茂晴(おだ しげはる)
1968年生まれ 愛媛県今治市出身
1991年3月 日本大学文理学部 卒業
1991年4月 ダイキン工業株式会社 入社
1998年3月 潮冷熱株式会社入社
1998年7月 取締役就任
2000年6月 常務取締役就任
2005年6月 代表取締役副社長就任
2006年6月より現職

■潮冷熱株式会社(https://ushioreinetsu.co.jp/

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