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【マリンネット探訪 第34回】
船舶機器から船員さんの衣食住まで
船舶運航におけるインフラ整備のプロフェッショナル
<
第547回
>2024年06月24日掲載
富士貿易株式会社
代表取締役社長
深田 雄 氏
――創業から約70年、世界各国の船舶に船用品や食料品を供給するマリン・サプライヤーとしての起源を持ち、現在は多角的に事業を展開されている富士貿易株式会社様の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社は1953年、創業者の小池忠平氏が神戸で興したいわゆるサプライヤー(シップ・チャンドラー※)から始まりました。その後国内では横浜支店、門司支店を開設し、創業から約10年後の1964年に当社初の海外事務所となるオスロ事務所を設立しました。その3年後に本社を横浜に移し、1970年には横浜に機械部(現:マシナリーサービス事業部)を開設、現在当社のマリン事業の一つの柱である舶用機器部品の取り扱いを始めました。同時に業界に先駆けて、当時最先端であったIBMのコンピューターシステムを業務に導入しました。
1972年に神戸に機械部を移し、技術開発部(現:テクノネットワーク事業部)の開設によって船舶技術部門への進出も図りました。翌年オランダのロッテルダムに事務所を開設し、横浜の本社社屋も完成しました。1974年には東京に営業事務所を開設し、本支店間をコンピューターオンラインで結ぶなど、この業界としては当時からチャレンジングなことに取り組んできました。
現在は社員約265名、グループ会社も含めると従業員数1,100名ほどの企業になりました。日本国内の4つの事業所に加え、国内関連会社は4社、海外ではオランダ、イギリス、シンガポール、韓国、UAE(ドバイ)、香港、中国、ギリシャ、アメリカ、フィリピン、オマーン、カタール、ブラジルに駐在員事務所、現地法人、合弁会社など17社余りを擁し、グローバルネットワークを駆使して日々の業務を行っています。
※シップ・チャンドラー:入港した船舶を専門に船舶用食糧品、日用品、雑貨を届ける事業者のこと
――御社のマリン事業における『強み』を教えてください。
我々の強みは、世界中どこでも『FUJIスタンダード』のサービスを提供できるということです。世界各国の主要港がある場所に事務所を構え、当社のネットワークとして機能させるため、そして『FUJIスタンダード』のサービスを展開するために、極力日本人スタッフを日本から送り駐在させています。彼らは当社の代表として現地スタッフに『FUJIスタンダード』のクオリティとFUJIの心意気を伝える重要な役割を担っています。
このように、世界の主要港にある拠点を中心に世界中に張り巡らせたネットワークを駆使し、世界各地で『FUJIスタンダード』を提供できることが強みになっています。
――『FUJIスタンダード』とはどのようなことを指しているのでしょうか。
海外では、『日本』がブランドになっています。どういう意味かというと『ジャパンクオリティ』で『ジャパニーズメンタリティ』を持った社員が、海外どこでも日本流のクオリティでサービスを供給することをブランド化しているということです。商品はもちろんですが、同等商品を世界中どこでもタイムリーに、且つ納期厳守でミスもない。そのような日本流のサービスが、世界中のお客様から厚い信頼を得ている理由と考えており、そのようなサービスを『FUJIスタンダード』と位置付けています。
――ありがとうございます、その『FUJIスタンダード』を礎に発展されてきたのですね。
当社は昨年お陰様で70周年を迎えました。この70年の間、創業当時から行っているシップ・チャンドラー以外にも、メーカー様の純正部品を扱うようになり、その部品含めて機器全体のメンテナンスを行えるよう、メーカー様のご協力のもとに研修を受けたり、OJTを通じてエンジニアを育成し、部品供給から整備メンテナンスを一貫して行うサービス体制を創り上げてきました。船用品や部品、さらにテクニカルサポートを融合し、有機的な総合サービスを構築し、日本だけでなく世界の主要港で『FUJIスタンダード』のサービスを提供できるよう取り組んできています。これに加え、機器販売の仕事も手掛けるようになり、各メーカー様の機器についての知識や取り扱い経験を積んだエンジニアも揃え、世界の各港に派遣しています。このエンジニア派遣や機器販売部門はテクノネットワーク事業部として、近年多くのお取引をいただけるようになりました。
また、韓国のLNG船への機器販売を実現できたことは、地道に積み上げた実績が大きな成果をもたらしたと言えます。現在サプライ業務は、当社創業以来続く部門であるサプライネットワーク事業部が担っています。昔ながらの本船営業も欠かせませんが、食料品供給においては、ここ数年で新たにケータリングサービスを企画、確立してきました。サービス内容は、本船の食料品在庫の補給、そして船員さんの健康管理につながる栄養指導までを本船スタッフと一緒に管理させていただき、船舶の安全運航の一助を担っており、現在は700隻もの船に導入いただいています。
このほかにも、以前から客船への食料品、船用品の補給もさせていただいており、海外の客船に加え、日本の客船からもご依頼をいただいています。新型コロナウイルスの集団感染が確認され、横浜港に長期停泊を余儀なくされた“ダイヤモンド・プリンセス号”にも食料品の納品などをさせていただきました。当時は本船上のお客様や乗員の皆様に少しでも安心していただきたいという気持ちと共に、納品業務に携わる社員の安全も考えながらの業務で気の抜けない毎日でした。その後数年間は客船の寄港が途絶えていましたが、昨年より徐々に復活し、改めて客船へのサプライができることに社員一同とても喜びを感じています。この他にも当社は、日本の自衛隊への補給もさせていただいています。過去には南極観測船『しらせ』への補給もさせていただき、最近では中東に派遣されている艦船やジブチの自衛隊キャンプの施設管理や食料品管理等もさせていただけるようになり、各地の船舶の安全航海に陰ながら寄与できればと思っています。
――昨今の環境規制強化やDX(デジタルトランスフォーメーション)化などの動きが加速する状況において、御社取扱製品の変化や顧客ニーズ、働き方の変化などについて、またそのような変化にどのように対応されているのか、お聞かせいただけますでしょうか。
環境への取り組みは、どの業界でも今一番の大きな課題です。当社は40年以上前から当時最先端のクリーンエネルギーであった液化天然ガス(LNG)を運搬するLNG船への供給をさせていただいてきました。当時からLNG船は環境に配慮しており、プラスチック削減などにもいち早く取り組み始めていました。その経験をもとに、当社でもペットボトルの水ではなく浄水器等を取り入れた脱プラスチックの提案など、メーカー様と共に環境保護に配慮した船舶運航のあり方について、現在も勉強を重ねているところです。
また、陸上でも海上でもこれから先はより一層人的省力化が進んでいくことが予想されます。働き方改革が提唱される中、労働力不足の解消や、より良い労働環境の実現のためにDX化などは欠かせません。当社でも船員さんたちの負担を少しでも減らすため、各メーカー様で開発された様々な機器や技術を、メーカー様と共に船舶側に積極的に提案し、本船の労働環境改善等の啓蒙活動を進めています。我々の業務は、それらの機器や技術をいかに多くの船舶運航に活かしていくかというところのシステム作りや架け橋であると考えています。現在既にメーカー様の代理店として活動させていただいているものもありますが、最新の知識や技術を駆使してメーカー様が苦労して開発された機器や技術を扱わせていただけることは、本当にありがたいことだと思っています。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
出身は兵庫県神戸市ですが転勤族の家庭でしたので、中学高校は西宮で過ごしました。私自身は関西弁を話さないのですが、メンタリティは関西人だと思っています。幼少期はラジコンに夢中で、車やボートのラジコンで遊んでいました。今でも時々ではありますが、季節風のごとくラジコンへの興味が再燃し、その度に触ったりしています。
大学生の頃は、スケートの経験があったのでアイスホッケーをやっていました。レベル的には大したことはなかったのであまり大きな声では言えませんが…。当時のアイスホッケーはマイナースポーツでしたので、周囲からの受けはさほどありませんでしたが、とても楽しかった思い出です。
――アクティブな学生時代を過ごしながら就職活動はどのような考えで行いましたか?
正直どこの業界に行きたいということはあまり考えておらず、応募した会社や業界も様々でした。製造業や金融業も受けましたが、最後に巡り合ったのが就職雑誌に掲載されていた富士貿易でした。偶然の巡りあわせで富士貿易を知り、海運というスケールの大きさに漠然とですがロマンを感じて応募した結果、内定を頂き入社しました。以下に人生の転機についてお話ししますが、この就職活動も人生の転機の一つと言えます。
――人生の転機についてお聞かせください。
私にとっての大きな転機は1992年、私が33歳の時に派遣された英国留学です。北部イングランドのタイン川河口に位置するサウス・シールズにあったサウス・タインサイド・カレッジのマリンコースで、専用の特別カリキュラムを組んでもらいました。サウス・シールズは北部イングランド最大の都市ニューカッスルの近くで、『ジョーディー(Geordie)』と呼ばれる英語とは思えない独特の方言がある地域でした。とにかく人々は皆フレンドリーで良い人ばかりでした。気軽に声を掛けてくれるのですが、最初は何を言っているのかさっぱり分からずとても苦労しました。語学と船舶構造に関する講義の両方を学ぶつもりが、語学はクイーンズイングリッシュには及ばず…とは言え、サウス・シールズでの生活はとても楽しく、当初8ヶ月の予定だった留学期間を、会社に無理を言って1年に延長してもらいました。
その後日本に帰国すると思いきや、ロンドン事務所勤務を命ぜられ、そのまま海外勤務となりました。1年半ほどロンドン勤務を経験し、もう少し続けたい!と思っていたところで、次はロッテルダム(オランダ)の現地法人へ出向となりました。ロンドンでの仕事も道半ばだったので「なぜ!?」という思いを抱えながらロッテルダムに赴任しました。着任当時、ロッテルダムは年長の現地社員が多い中、急に出向してきた日本人の若者に対する目は厳しく、苦労しましたが、時が経つにつれて周囲からも仲間として受け入れられ、信頼を築くことで業績アップにもつながりました。ロッテルダムでは7年間過ごしましたが、小さな所帯なのでいきおい何でもやることになり、サプライ業務だけではなく部品関係やエンジニアリングに関する業務も経験し、ようやくマネージャーとして一人前になれたと感じました。留学に始まるこの一連の海外経験が一番の転機です。
――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
これまでの会社人生も私自身の人生においても、後悔はしないようにと考えてきました。HONDAの創業者本田宗一郎氏が述べた『チャレンジして失敗を恐れるより、何もしないことを恐れろ』という言葉をいつも頭に置いています。当社の企業理念は『当社は、常にユニークで強い国際企業として社会に貢献し、社員が誇りを持って仕事ができる魅力ある企業を目指します』を掲げていますが、『ユニークで強く』なるために、そして『社員が誇りを持って仕事ができる』ためにもチャレンジが必要だと考えています。
――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。
当社はコロナ禍前から神戸事務所の新築工事を計画していました。今、インタビューを受けている社屋の隣にある7階建ての社屋が1983年に完成した旧事務所です。旧事務所は1995年の阪神淡路大震災で大きな被害を受け、業務停止状態に陥りましたが、横浜の本社や支店はもちろん、関連会社やお取引先のご支援によってコンピューターシステムがほんの数日で復旧したのは驚くべきスピードでした。当時私はロンドン駐在で日本国内におりませんでしたが、被災した西宮の実家の状況を知るにつけ、その想像を絶する被害に震撼したことを記憶しています。お陰様で社員とその家族に人的被害がなかったことが我々にとって不幸中の大きな幸いでした。被害を受けた事務所は傾いて内部には段差ができ、数年にわたり建物として危ない状態でしたが、約10年かけてジャッキアップして営業を続けました。その後旧事務所の隣の土地を購入して新事務所の建設を始めましたが、新型コロナウイルス流行のタイミングで計画は遅れに遅れ、一時はどうなることかと思いましたが、昨年ようやく完成し、今年3月には旧事務所からの引っ越しが完了しました。これまで70年余り、一貫して船舶の安全運航のために様々なことを追求してきましたが、一つの大きな成果としてこの新事務所を見た時は、非常に感慨深いものがありました。 旧事務所も今後取り壊し、新たに関連会社が入る事務所を建設する予定です。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
私の食べ物へのポリシーは、『茶色いものほど美味しい!』です。横浜の福富町に「イタリーノ」 といういわゆる街の洋食屋さんがありますが、ここの『ハンバーグとチキンのミックスグリル』は絶品です。お肉の下に炒めた玉ねぎがたっぷり敷いてあり、その上にデミグラスソースをかけたハンバーグとチキンソテーが乗っています。席数も多くない隠れ家的な小さなお店ですが、B級グルメが大好きな私としては毎日でも食べたい一皿です。もう一品は、自宅のある西宮にある「番馬亭」という蕎麦屋さんの『カツカレーそば』で、この“チョイ辛”が好みです。茹でたお蕎麦にたっぷりのカレーがかかっていて、まさにカツカレーのそば版といったところでしょうか。もともと辛いカレーですが、それをさらにチョイ辛にするところがミソで、とにかくボリューム満点です。どちらも賛否両論あるかと思いますが、私にとってはまさにソウルフードです。
――心に残る「絶景」について教えてください。
仕事柄海外によく行きますが、特にコロナ前は海外顧客との親交を深めるべく、様々な国に行きました。中でも、2017年9月にクロアチア出張の際に取引先に連れていってもらったザダル近くの世界遺産“プリトヴィツェ湖群国立公園”は、まさに絶景の自然に溢れた場所でした。クロアチアは自然も街並みもとても綺麗な土地でスケールの大きさにも圧倒されました。
2018年9月にはイタリアに出張で行く機会があり、最初に訪れたサレルノは、少し前の映画ですが『外交官黒田康作』シリーズでも有名になったアマルフィが近く、仕事の合間に海岸を散歩することができました。写真のとおり空はどこまでも青く、そこに映える町並み、そして残念ながら海が写っていませんが、綺麗な海の輝きは忘れられません。その出張の最後にはスロベニアの首都リュブリアーナ近くのブレッド湖に行きました。この湖の対岸の絶壁に建つ“ブレッド城”はスロベニア最古の城といわれており、この絶壁だったら、湖を背に守りは堅かったのではと思ったものです。その後世界中でコロナが蔓延して海外渡航も難しくなりましたが、今年になってやっと人の動きも活発になり、以前のように自由に世界中を行き来する状況に戻ってきたことは喜ばしい限りです。
【プロフィール】
深田 雄(ふかだ ゆう)
1959年生まれ 兵庫県神戸市出身
1983年3月 獨協大学経済学部 卒業
1983年4月 富士貿易株式会社入社 横浜支店勤務
1992年8月 会社派遣により英国留学
1993年9月 英国留学から富士貿易ロンドン事務所出向
1995年2月 Fuji Trading (Marine) B.V. (オランダ ロッテルダム)出向
2002年1月 日本に帰国、テクノネットワーク事業部マシナリー営業勤務
2002年2月 同部シニアマネージャー(部長)就任
2009年6月 取締役就任
2011年6月 常務取締役就任
2016年6月より現職
■富士貿易株式会社(
https://www.fujitrading.co.jp/
)
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