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【マリンネット探訪 第35回】
業界標準の“船の腎臓”を作り続けて60年
船舶用ストレーナーのトップメーカー
<
第549回
>2024年07月22日掲載
水野ストレーナー工業株式会社
代表取締役社長
水野 宣明 氏
――創業から60年以上にわたり船舶用ストレーナー(こし器)の開発・製造・販売を手掛ける、水野ストレーナー工業株式会社の水野 宣明社長です。水野ストレーナー工業の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社は1959年に初代社長である水野寛良氏が船舶用バルブメーカーとして創業しました。水野氏は元々大阪のバルブメーカーに勤務しており、当時の取引先は、大阪の安治川沿いの大阪造船所(現:大島造船所)、名村造船鉄工所(現:名村造船所)や佐野安造船所(現:新来島サノヤス造船)などでした。しかし務めていた会社が倒産し、取引先(造船所)からの勧めで当社創業に至ったようです。海のない奈良県を選んだ理由は、純粋に岐阜出身の水野氏が奈良を好きだったからと聞いています。
その後、船舶用ストレーナー専業メーカーとして、水や油などの液体中に存在する不純物を除去するための様々なストレーナーを60年余り作り続けてきました。今年で創業64年目ですが、創業当時から受け継がれてきた技術力と関係者の皆様のご支援のおかげで、ここまで成長することができました。船舶用に関しては、現在国内中心に多くのお客様にご利用いただいていますが、海外向けでは、中国やフィリピンの造船所、そしてエンジンメーカー経由で納入実績があります。船舶用途以外では、陸上の製鉄所や発電所など各種プラント向けのストレーナーを製造しています。
――エンジンオイルや海水用のこし器など、500を超える多種多様なストレーナーを展開されています。御社製品の強みについてお聞かせいただけますでしょうか。
当社のストレーナーがJIS規格(日本産業規格)の基準になっているということもあり、当社製品の技術力には自負があります。製品に関しても、海水、冷却水、燃料油、潤滑油の4つの流体に対して、フィルターの細かさや本体の材質など、夫々の特性に合わせたラインナップを取り揃えている点も強みです。また日本国内で大きなシェアをいただいていることに関しては、クレームの少なさと安定供給が主な要因だと考えています。
今後は船舶向けだけでなく、陸上向けの製品も拡大していきたいと考えていますが、現在の工場の規模・生産体制では陸上製品の生産拡大は難しいため、将来的にはより広い土地への工場移転も計画しています。引き続き船舶向け、陸上向け共に安定供給できるよう、生産体制を強化していきたいです。
――環境規制対応や脱炭素化の動きが加速する中、メタノールやバイオ燃料、アンモニアなど次世代燃料への対応について、御社製品の開発状況と今後の展開についてお聞かせいただけますでしょうか。
メタノール、アンモニア、水素に関しては、造船所やエンジンメーカーを通じて少しずつ仕様の詳細が明らかになってきましたので、本体の材質や適切な部品の選定を行いながら、現在設計陣が開発を進めています。
このほかに環境対応という意味では、近年日本沿岸の海水温が上昇し、クラゲが大量発生していることから、郵船商事様と共同で「クラゲットカバー」という製品を開発しています。今年4月のSea Japanでも紹介させていただきましたが、ふたを開けずにクラゲを排出できる仕組みで、船員の負担軽減にも繋がります。通常のストレーナーの場合、例えばカバーの開閉が10回程度必要なところを「クラゲットカバー」は3回程度に抑えることができる商品です。Sea Japanの会場でも非常に高い評価をいただく事ができました。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
出身は奈良県奈良市で、高校生までラグビー一色の生活でした。大学は東京の創価大学に進学し、学生時代はよくバックパッカーで東南アジアを一人旅していました。大学卒業後は就職氷河期ということもあり厳しい時代でしたが、神戸の商船港運株式会社に就職し、船に関わる国際物流の仕事をしていました。
当社を継ぐきっかけとなったのは、私の実母と先代社長(水野芳子氏)との関係にあります。私の母は体が弱かったので、私が子供の頃から先代社長には大変お世話になっていました。また先代社長には後継ぎとなるお子さんが居なかったこともあり、幼少期より我が子のようにかわいがっていただきました。そのようなご縁もあり、私が27歳の時に先代社長からお声かけいただき、養子縁組をして当社を継ぐことになりました。実はそれ以前にも、私が大学を卒業する時にお話をいただきましたが、当時は会社経営のご苦労を近くで見ていたので、自分にはとてもじゃないが無理だと思って断りました。しかし2度目 にお話をいただいたときは、これまで自分が受けてきた恩に報いなければならないと感じ、報恩感謝の思いでこのお話を引き受けることに決めました。ただ経営については全くの素人だったので、3年間だけ猶予をもらい、イギリスに渡ってケント大学Kent Business Schoolに進学、経営学修士号取得後に帰国し、30歳(2007年)で当社に入社しました。
――入社後に先ず取り組まれたことは何でしょうか。
製造業未経験の私が最初に取り組んだことは「挨拶」、「ラジオ体操」、「身だしなみを整える」です。先ずは基本を大切にする、これを徹底しており入社から17年間言い続けています。また入社直後は、財務関連の事を理解することから始めました。2年目以降は高齢の先代社長に代わって対外的な活動を行い、とにかく記憶にないほど慌ただしく毎日を過ごしていました。入社から5年後(2013年)に社長に就任しましたが、その年の1月に先代社長のがんが再発し、医師から余命半年と告げられていました。社長就任後の半年間は、先代が衰弱していく姿を横目に社長としての重責も担い、大変苦しい時期でした。その後先代が亡くなり、「いいと思うよ。」とそれまで私の背中を押してくれた助言者を失った喪失感はとても大きかったです。当時何も知らなかった私が、会社の全てを決断しなければならない状況には苦労もありましたが、従業員や社外の多くの方々に助けていただきながら、どうにか今日に至っています。
――人生の転機についてお聞かせください。
後継ぎとして水野家の養子になることを決意し、それをきっかけにイギリスの大学院へ留学したこの一連の出来事です。留学を通して知見だけでなく交友関係も広げることができ、現在どのくらい活かせているか分かりませんが、私にとっては最も大きな経験です。
――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
大切にしている言葉は、日蓮大聖人の「ただ心こそ大切なれ」です。何をするにしても、全てを良い方向にするのは自分の心が大事であるということです。私自身が傲慢にならないよう原点に戻る言葉として大切にしています。
もう1つは「君子、危うきに近寄らず」です。危険な場所には近づかない、慎重に行動することを意味していますが、私が社長に就任する時、先代から「あなたの後ろには社員とその3倍の数の人間が居る。つまりあなたは100人の人生を背負うことになる。肝に銘じなさい。」と言われました。自分が間違った判断をしないように、そしてまっすぐに進めるようこの言葉も大切にしています。
――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。
息子の成長する姿にいつも感動しています。現在5歳になりましたが、歩けるようになるまで頑張ろうとする姿、今日できなかったことが翌日にはできるようになっている姿を見て、自分は色々なことを簡単に諦めてしまっていると感じます。子供にはいつも勇気をもらっています。
夢や目標について本業は第一に考えています。そのうえでそれ以外では、将来的にNGOの活動などを通じて教育に携わりたいと考えています。きっかけは、大学院時代に学友であったガーナ人の友人の存在です。彼は貧困で親が教育を放棄した子供や内戦で親を亡くしてしまった子供を集めて自費で学校を作って運営しています。その学校を訪れて子供たちと遊んだ時、その子供たちの姿を見て、自分もこのような人道支援的な活動がしたいと感じました。まだ具体的な行動には至っていませんが、いつか自分の力をそのような場面でも使いたいと思っています。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
イギリス留学時代に現地で食べたフィッシュアンドチップスです。カンタベリーの有名店「City Fish Bar」で食べた味が忘れられません。モルトビネガーをたっぷりかけてペプシコーラと一緒に食べました。今考えると体に悪いですが日本では出会えない味とボリュームです。
大学生の頃の思い出の味はアルバイト先の賄いです。大学生の頃、八王子(東京)にある焼鳥屋「福徳 元本郷店」でアルバイトをしていましたが、4年間私のお腹と心を満たしてくれた忘れられない味です。
――心に残る「絶景」について教えてください。
ガーナに行った時に訪れた、ケープコースト城とエルミナ城です。首都のアクラから少し離れた港町にある植民地時代の奴隷城です。黒人奴隷貿易のために作られたお城ですが、当時この場所に連れてこられると二度とアフリカの地には戻れなかったそうです。城内には人一人だけが通れる小さな扉が一つありますが、この扉の外に出たら奴隷船に乗るしかない構造になっています。ここから北米や南米へ多くの黒人奴隷が運ばれて行ったそうですが、想像を絶する光景でした。人間の醜さや残酷さ、とにかく様々なことを感じ、考えさせられる場所でした。
――地元奈良県でおすすめの場所はありますか。
地元奈良では、石舞台古墳、高松塚古墳や橿原神宮など素晴らしい史跡がたくさんあります。
「奈良に観光に行く」といえば奈良公園、東大寺、法隆寺に行きがちですが、その奈良時代よりもさらに以前の飛鳥時代、古墳時代に足を向けていただき古代風景を訪ねて巡り歩けば、太古の歴史のその先に卑弥呼や聖徳太子の姿が見え隠れするかも知れませんね。是非、万葉の地、悠久の奈良へ足を運んでみてください。
【プロフィール】
水野 宣明(みずの のぶあき)
1976年生まれ 奈良県奈良市出身
1999年3月 創価大学 卒業
1999年4月 商船港運株式会社 入社
2007年9月 英国University of Kent, Kent Business School 経営学修士課程(MBA)修了
2007年12月 水野ストレーナー工業株式会社 入社
2013年4月より現職
■水野ストレーナー工業株式会社(
https://mizuno-st.co.jp/
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