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【マリンネット探訪 第38回】
もっと身近に、もっと魅力的に
発信し続けることで変わる内航タンカーの世界
<
第552回
>2024年09月09日掲載
東幸海運株式会社
代表取締役社長
笹木 重雄 氏
――内航タンカー事業や外航船事業、そして船舶用ダクトなどの製造を手掛ける、東幸海運株式会社の笹木 重雄社長です。東幸海運の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社は戦後、当時日立造船で職長をしていた曾祖父が、同社因島工場の舶用艤装品の製造を行う会社、笹木重工として1945年に広島県因島市(現:尾道市)で創業しました。1956年には内航タンカー船主として海運業に進出すると共に幸栄汽船を設立しました(1970年に東幸海運を設立、幸栄汽船を吸収合併)。船主業では、2011年に外航海運にも進出し、現在8隻保有しています。
笹木重工は2004年に東幸海運が吸収合併して笹木重工事業部となり、現在も船舶用ダクトや排ガス管の製造を手掛けています。納入先は、ジャパンマリンユナイテッド様、新来島サノヤス造船(旧:サノヤス造船)様、尾道造船様、常石造船様、内海造船様などです。
なお現在、当社(東幸海運)の中核となっているのが60年以上に亘り続いている内航タンカー事業です。3,000~3,900総トンクラスの6隻の内航油送船を保有しており、国内の石油および石油製品輸送に従事しています。また、当社内航タンカーの船員は90名弱、平均年齢は35歳と若手人材が活躍していることが特徴です。
――若手が活躍する職場ということですが、昨今の内航船員不足の課題を受け、御社における労働環境改善や若手人材への技術伝承等、人材育成で取り組まれていることについてご紹介いただけますか。
当社の人材採用・育成の特徴として挙げられるのは次の3点です。まず1点目、社内に若手船員が多い環境であるため、入社後も若手が疎外感なく働けることです。内航タンカー業界全体で船員の若返りは進んでおり、10年ほど前の平均年齢は50代でしたが、最近では40代まで若返っています。その中で特に当社船員の平均年齢が35歳と若い理由は、先代社長の頃から積極的に若手人材を採用してきたという背景があります。また、実力主義のため、年齢・性別問わず努力すれば幹部になることができますので、新卒入社5年以内に一等航海士になった若手船員もいますし、一等機関士になった女性船員もいます。
2点目は休暇制度が充実していることです。3カ月間の乗船後に1カ月間の休暇というサイクルが一般的ですが、当社の場合、プラスアルファで9日間まで休暇を取得することができます。ゆとりある船室数にしており、1隻に乗船する11名の船員の他に、3名までトレーニング要員が乗船できます。そのため、予め相談してもらえれば人員配置も柔軟な対応が可能です。
3点目は、船内の食事が美味しいことです。食事には健康維持以外にも重要な側面があると考えています。乗船中に美味しい食事ができることで、食事の時間が楽しくなり、船内の雰囲気も良くなります。各船に司厨長が乗船していますが、各々が毎食自慢の腕を振るっています。食事についてのアンケートも毎月実施し、その結果は司厨長の評価にも反映されるのでモチベーションアップにも繋がっています。
――コロナ禍を機に始められたYouTube「
東幸海運 タンカーの日常
(クリックすると関連サイトへ遷移します)
」は、内航タンカー船員の日常をテーマに動画投稿数160本余、チャンネル登録者数3万人超と人気チャンネルに成長されています。動画やSNSでの発信を通して変化したことについてお聞かせください。
タンカーは危険物を扱う点ばかりがフォーカスされ、ネガティブなイメージが広がったことで採用活動を行っても人気がありませんでした。コロナ禍に入り状況はさらに悪化し、対面の会社説明会も行えない状況でした。その状況に焦りと不安を感じ、YouTubeを使った説明会の実施を試みました。その動画の再生回数は86回、ほぼ身内による再生でした。しかしその動画を見た学生1人からエントリーがあり、まさに奇跡の1人が入社しました。たった1人ではありましたが動画配信の手応えを感じたので、YouTubeの学校で本格的に学ぶことにしました。しかし講師からは「最初から船に乗ろうとしている人にしか分からない内容なので面白くない。」と言われ、船の日常や船内の雰囲気を伝える内容にするようアドバイスをもらいました。それ以降、朝から晩まで動画制作に没頭し、1日に2~3本を目標に配信し続けました。
開始から半年ほど経過した時、再生回数4,000回を超えた動画がありました。炎上しているのではと心配して確認をしたところ、「
全速力のタンカーで急ハンドルするとどうなる?
(
クリックすると関連サイトへ遷移します
)
」という緊急操舵訓練の動画再生数が跳ね上がっていました。貨物船では荷崩れの可能性があるため、学校ではやってはいけないこととして指導されますが、衝突を避けるために舵を切らなければならない状況に直面する可能性はゼロではありません。幸いにもタンカーは荷崩れの心配はないため、そのような訓練を行い動画に収めることができました。この反応を見て、実務でも役立つ動画にニーズがあるのではと考え、船の日常以外に、学びになるコンテンツも作るようになりました。
その後は他社の船員さんや桟橋の係員の方など、多くの人から「勉強になった。」、「自分の仕事が多くの人の目に留まることで仕事のモチベーションにも繋がる。」といった感謝の声をいただくようになりました。特に印象的だったのが、船員の家族の反応です。
普段なかなか見ることができない船内の様子や働く姿を見た家族から労いの言葉や応援する声をかけられるようになったということで、船員の地位向上にも貢献できると感じました。また、当初の目的であった採用活動にも変化が見られ、動画を見て入社を希望する学生や、船員養成団体から入社希望の学生を紹介いただけるようにもなりました。コロナ禍で就職活動に苦労する学生も多かったので、動画発信は非常に効果的でした。また採用活動以外にも、企業や学校の教材として動画を活用いただけるようにもなり、この数年で内航タンカー業界に少しずつですが変化をもたらすことができたと感じています。
YouTube開始当初は、動画出演に対する社内の抵抗や関係者の反発もありましたが、配信を継続することで得られた変化を目の当たりにし、徐々に周囲の理解も進んできたと思います。何より内航タンカーのファンが増えているという実感がありますので、さらに内航タンカーのファンを増やすべく、発信活動は継続していきたいと考えています。
――今後発信したい内容や挑戦したいことはありますか?
引き続き動画は月に1本は出していきたいですし、これは自分へのノルマだと思っています。最近はノウハウ系が求められているので、若干内容はマニアックになるかもしれませんが、
他社にも参考にしてもらえるような、そして学校では学べない内容にも挑戦していきたいです。
YouTubeのチャンネル登録者数が3万人を超えたタイミングで、それまでの一方向の発信から双方向性も意識し、X(旧:Twitter)で毎日情報発信をするようになりました。現在も毎朝8時に投稿していますが、当社のタンカーを見つけた方がコメントをくださり、双方向の交流が増えてきました。しかし事故やネガティブな話題で注目されることが多かったので、そのような話題以外で関心を持っていただき、タンカーをもっと身近に感じていただけると嬉しいです。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
出身は神戸で、高校生まで地元で過ごしました。中高一貫校の中学1年生のときはホッケー部に所属していましたが、強豪校というだけあって1年間で6年間分はシゴかれました。中学2年生になった時、練習用から競技用のスティックを使えるようになったある日、節約家の父(現会長)が珍しくスティックを買ってやるというので、大阪まで一緒に行きました。そこで手にしたのは、憧れの先輩が使っていた「パトリオット」というスティックでした。湾岸戦争で使われたミサイルに由来した名のスティックは見た目も格好良かったです。ところが、その直後に退部することになりました。父からは「せっかくスティックを買ってやったのに」と散々文句を言われましたが、実はこのスティックはインターハイに出場する人しか持ってはいけないという不文律があったようです。スティックが原因で部を追われたことは、いまだに父には内緒にしています。
その後は吹奏楽部に転部し、全国の中高生が出場するジャズの祭典「スチューデントジャズフェスティバル」で1、2位を争うジャズ強豪校のフルート奏者として活動していました。高校1年生の夏休みにハワイ遠征に行く予定でしたが、その年の1月に阪神大震災が起こり、残念ながら見送りとなりました。
その後私が高校2年生の時、国内のタンカー会社は大不況に見舞われました。当社もその例外ではなく、父から「全く仕事がなくて従業員に給料も払えない。夜逃げの準備をしておけ。」と言われました。どうにか船員の給料だけは保証され夜逃げは回避できましたが、その状況を経験した私は、将来はお金に困らない船会社以外の安定した会社で働きたいと考えるようになりました。そんな時、ニュースステーション(当時)で、久米宏さんが「シスコシステムズがマイクロソフトを抜いて時価総額世界一になった」というニュースを読み上げるのを見て「これだ!」と思いました。シスコに入る方法について調べたところ、東大か東工大を卒業、または早稲田か慶応を中退して入るしかない(後に都市伝説だと知ります・・)ということでした。必死に勉強して受験しましたが、実力不足で不合格となり、立命館大学に進学することになりました。
――大学では何を学ばれたのですか?
大学ではマスコミ研究を行う「メディアリテラシー」のゼミに所属し、マスコミについて分析や調査を行っていました。その結果分かったことは、新しいものを追いかけるのが好きな自分には、内実として「同じような作業を黙々と続ける」ことが多いマスコミ業界は向いていないということでした。
就職活動では、シスコの取引先を探して、シスコや伊藤忠のグループ会社が出資するベンチャー企業の内定をもらうことができました。在学中の夏休みに研修案内が届きましたが、どうしてもニューヨークに短期留学をしたかったので、研修は冬休みにリスケしてもらいました。「会社に貢献できるよう英語を上達させたい」と会社を説得して参加した短期留学でしたが、勉強よりもミュージカルや旅行を楽しんでしまった結果、英語力はそこまで上がりませんでした。(その後、このときのことを後悔することになります苦笑)。さらに入社前には富士山で地獄のような研修があり、声を枯らしながら入社式に参加、そして配属後の初出社の日に待っていたのは残業でした。同社では様々な苦労も経験しましたが、その後念願のシスコシステムズへの転職が決まりました。しかし転職から半年ほど経った頃、私の所属していたチームがアクセンチュアに移籍することになってしまいました。
――念願のシスコ勤務もわずか半年だったのですね・・
アクセンチュアに勤務して3年ほど経った時、父から外航船事業に挑戦したいから、英語が分かる私に戻ってきてほしいと声が掛かりました。父も定年の60歳を迎え、私も子供が生まれたタイミングでしたが、このまま長時間労働を続けることへの危機感や、子供の頃に祖父から言われていた「家業を継いでほしい」という言葉が頭をよぎりました。
その年の9月には実家に戻ることになりましたが、最初は右も左も分からず「本船とは?」、「バンカーって何?」という状態でしたので、周囲からはとんでもない人間が帰ってきてしまった、と思われていたと思います(苦笑)。
建造監督を命ぜられても何をしていいか分からず、教えられたとおりに軍手をして溶接箇所をひたすらなぞる作業をしていました。書籍も片っ端から読み漁りましたが、内航に関するものは少なく、とにかく現場で仕事を覚える日々でした。そのような業界初心者の経験が現在の動画制作にも活かされていると感じます。それでもやはり、体系的に学ぶ機会が欲しかったので、海技大学校の通信教育で6年間(航海科3年、機械科3年)学びました。私の場合は実務経験が先だったので、学校での学びを通して大変理解が深まりました。そして、この時の同級生の一人が、後に「当社の船に乗りたい」と連絡をくれ、その後当社のタンカーに乗船し、現在は工務監督として活躍しています。
入社から約9年後の令和元年(2019年)初日(5月1日)に社長に就任しましたが、それまでの間、内航タンカーの仕事を習得する以外にも、私の得意分野を活かした取り組みも行いました。例えば船内Wi-Fiの整備や人事評価制度の見直しなどです。それまで一般的だった船内とのFAX連絡を可能な限り廃止し、本船にWi-Fiを設置しました。また人事評価制度に関しては、誰でも守れるルールを作り、評価基準も見える化したことで、何を頑張れば評価されるのかを明確にしました。当社は実力主義とお伝えしましたが、それを実現するには適切な評価手法が欠かせないのです。
――人生の転機についてお聞かせください。
海運業界に来てからの大きな転機は、コロナ禍をきっかけに動画配信を始めたことです。2019年の社長就任当時から採用活動には苦労していましたが、さらにコロナ禍が追い打ちをかけました。当時は外出も制限され、出来ることが限られていたので、その時間を使って動画配信を学び、ひたすら動画を制作しては発信を続けていました。その甲斐あって採用活動も改善し、更に内航タンカー事業全体の活性化にも貢献できているのではないかと感じます。この経験は、世襲の立場にある私が、自ら工夫をして周囲に認めてもらえるようになったという意味でも、私の海運業界人生の転機とも言えます。
もう一つの転機は、シスコシステムズやアクセンチュアで働いた経験です。両社共に人気の高い外資系大手企業ですが、実際に働いてみて、その人気の理由やそのための努力を惜しまない企業であることがよく分かりました。
その中で特に印象に残っている出来事は、お客様からの依頼に対応できないと考えた私が、先輩社員に無理と回答して良いか相談をした時です。その先輩は「世界トップのシスコが無理と答えるのは、人類にはできないと言っているのと同じだからね。その覚悟はあるの?」と言いました。その言葉にハッとした私は、どうしたら対応できるのかを必死に考えて行動に移し、事なきを得ることができました。その経験を経て、出来ない理由を探すのでなく、出来るためにどうしたら良いのかを前向きに考え、とにかく諦めが悪いと言われるくらい行動するようになりました。
――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
「とりあえずやってみる」です。先ずは行動し、結果が出たらそこから考えるようにしています。最近では動画配信以外にも、Xで毎朝2秒の短時間動画を投稿し、SNSを通じた双方向コミュニケーションに挑戦していますが、毎朝最低100いいねの獲得というノルマを自らに課し、とにかく毎日継続しています。
――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。
最近感動したことは、社員が成長する姿を見た時です。入社間もない若手社員の育成に頭を抱えることもありますが、出来ることを増やす仕組みを作り、周囲もそれをサポートしていくことで、徐々に成長に繋がっていると感じます。例えば、食事の評判が良くなかった司厨長にベテラン司厨長のもとで再修行してもらったことで、半年後には大きく改善され、高く評価されるようになりました。食事が美味しくなるだけではなく、美味しいものを提供し、喜んでもらえるという経験が成長に繫がったのだと思います。
私の夢は、日本人の5人に1人(正確には酸素濃度と同じ21%)に内航タンカーを知ってもらうこと、そして内航タンカーの人気を高めることです。最終的な目標は「タンカーなら募集をすれば人材が集まる」という状態にすることですが、そのために動画配信も継続し、当社だけでなく内航タンカー業界全体を盛り上げていきたいです。人材不足も当社だけでは解決できませんので、パイの奪い合いでなく、多くの人が外部から参入しやすい環境づくりに努めたいと考えています。今後も内航タンカーの魅力を積極的に発信していきたいです。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
一番思い出に残っているのは、新婚旅行で立ち寄ったマルセイユで食べたブイヤベースです。フェリーの乗船時間が迫っていたので慌てて食べましたが、今でも忘れられない味です。あの時の味を求めてブイヤベースを食べる機会がありましたが、あの味を超えるものに出会ったことがありません。
地元神戸では、甲南大学の近くにある焼き肉屋「犇郷(ほんごう)」がお気に入りです。息子はタン刺しが好物なので、家族でもよく訪れるお店です。
――心に残る「絶景」について教えてください。
新婚旅行で妻と地中海沿岸を巡った際、イタリアのジェノバの先にあるチンクエ・テッレを訪れました。妻が行きたいと言っていた街で、かつては道も鉄道もなく、船でしか行けなかった場所です。妻の地元である三重県尾鷲市にも昭和の中頃まで似たような集落があったようで、その記憶と重ね合わせ、懐かしい気持ちで訪れたのかもしれません。実際に訪れたチンクエ・テッレは、見た目の美しさだけでなく、時間の流れも穏やかで、年老いた住民たちが絶景を前にベンチに腰掛けて楽しそうに話している様子が印象的でした。その横にはお墓もあり、この景色を見ながら眠っている人々や、お墓参りに訪れる子孫も同じ景色を眺めているのだと思うと、ここで暮らす人々はとても幸せな人生を送っているのだと感じました。
地元では神戸の夜景が大好きです。特に摩耶山から見る夜景がお勧めで、神戸阪神間から大阪湾を一望することができます。神戸の夜景は海側からも綺麗なので、市章山や錨山の山肌の電飾が見たければ海側から、船や港を見たければ山側から見るのがおすすめです。山側でおすすめなのは、六甲山ではなく摩耶山にある掬星台展望台です。ぜひ天気の良い日に両方を見比べていただけたら地元民としては嬉しいです。
【プロフィール】
笹木 重雄(ささき しげお)
1979年生まれ 兵庫県神戸市出身
2003年3月 立命館大学 卒業
2003年4月 日本サード・パーティ株式会社 入社
2005年5月 グローバルナレッジネットワーク株式会社(現:トレノケート) 入社
2007年5月 コールリアントジャパン株式会社(シスコシステムズ社内カンパニー) 入社
2007年10月 アクセンチュア株式会社 転籍
2010年9月 東幸海運株式会社 入社
2019年5月より現職
■東幸海運株式会社(
https://www.tokokaiun.co.jp/
)
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