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【マリンネット探訪 第40回】
走り続けて125年、海運業・不動産業の両輪を展開
持続的な成長を実現し、これからも進化し続ける
< 第554回>2024年10月28日掲載 


飯野海運株式会社
代表取締役社長
大谷 祐介 氏













――今年で創業125年を迎え、現在はエネルギーや資源輸送を中心とした海運業と不動産業の両輪で事業を展開される飯野海運株式会社の大谷 祐介社長です。飯野海運の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。

 当社は1899年7月に創業し、今年7月で125周年を迎えました。長い歴史のなかでお客様との密接な繋がりを築き、海運業(外航海運業、内航・近海海運業)と不動産業の両輪事業(IINO MODEL)を展開してきました。海運業では、市況低迷により厳しい時期もありましたが、不動産業の安定収益が支えとなりました。一方で不動産業に関しても、飯野ビルディング建て替え時に一時的な収入減があったものの、海運業がそれを下支えし、まさに2つの事業が両輪となり、支え合って、当社の歴史を築いてきました。2024年6月末現在、海運業における当社船隊規模は用船含めて100隻ほどあり、大型原油タンカー、ケミカルタンカー、LNG船、LPG船、ドライバルク船などを運航しています。不動産業では国内に6棟、ロンドンに2棟、米国に2棟(内1棟は建設中)を保有しています。
 当社は海運業界内では中堅規模に位置づけられますが、少数精鋭の体制により、限られた人員で幅広い業務を経験できることが特徴です。また、社員同士が互いに顔が見える関係にあり、コミュニケーションが取りやすい環境を築くことができる点は、強みの一つです。
 2023年4月に私が社長に就任し、その翌月(5月)に中期経営計画「The Adventure to Our Sustainable Future」を策定し、今年で2年目を迎えています。IINO MODELを基盤とした事業ポートフォリオ経営とカーボンニュートラルへの挑戦をテーマに定めており、前中期経営計画(2020年5月策定)で掲げた長期目標『IINO VISION for 2030』も受け継ぎ、「時代の要請に応え、自由な発想で進化し続ける独立系グローバル企業グループ」を目指しています。



――2023年に策定した中期経営計画において、外航ガス船事業を成長・新規事業に位置付け、6月には中小型ガス船を担当する「ガス船第二部」も設置されました。ガス船事業の今後の展開について、お聞かせいただけますでしょうか。

 現在の中期経営計画策定前の2021年に、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)提言への賛同を表明しました。その検討を進める中で、CO2排出量が多い石炭や石油などの化石燃料の輸送量は将来的に減少する可能性があると考えました。当社事業においてそれらが占める割合は大きくないものの、もしこの分野が今後縮小すると仮定した場合、次に何を輸送すべきかという議論が社内で生まれました。
 脱炭素へ向けた次世代燃料を考えたとき、アンモニア燃料や水素燃料への一足飛びの移行には暫く時間が必要であり、先ずは、LNG、LPGやエタンなどのガス体、そしてメタノールの需要が拡大するのではないかと考えました。当社は、長年にわたりケミカルやガスを輸送してきたことから、これらの取り扱いに関する豊富な知見を有しており、今後貨物としてのみならず燃料としても需要の増大が見込まれるこれらの分野に力を入れるべきと判断しました。
 ケミカルタンカーに関しては、既にある程度の規模で体制が整備されていますが、ガス船は大型から小型まで展開をしている一方で、営業、運航に従事する部門が海外拠点を含むグループ内の複数組織に分散していました。そこで、ガス船の事業を大型船事業と中小型船事業とで船型別に分割し、それぞれの機能を集約する方針を決定しました。従来の各拠点の機能を維持しつつ、グループ内の関連組織との連携を強化していきます。
 また、次世代燃料の普及においては、大型船が先行しており、小型船への普及はこれから進んでいくと予想されますが、将来的には、大型船と小型船の顧客が重なる可能性もあります。小型ガス船は現在、東南アジアを中心に安定したLPGの民生需要がありますので、そのニーズに応えながら、今後の燃料転換に向けて、大型から小型まで部門を横断して営業できる体制を整備していきたいと考えています。引き続き、当社の強みを最大限に活かし、ガス船分野での事業展開を推進していきたいと考えています。



――今年2月に、邦船社初となるアンモニアレディのアンモニア運搬船が竣工しました。次世代燃料船への取り組みと併せて、今後の船隊整備の方針についてお聞かせいただけますでしょうか。

 中期経営計画で掲げる事業ポートフォリオ戦略では、持続的な成長を実現できる最適な事業ポートフォリオの構築を目指しています。足元では船価が高止まりしており、お客様のコストに対する反応も様々ですが、欧州を中心に大型ガス船(VLGCやVLEC)の二元燃料船についての検討が進んでいます。当社としては、スコープ1(自主運航船)とスコープ3(定期貸船契約船)の双方で、次世代燃料に転換することが理想であると考えていますが、船価やマーケットの状況を考慮すると、関係者の皆さまも含め、非常に難しい判断が求められている状況です。
 次世代燃料の選定にはもう少し時間が掛かる見込みですが、当社としてそれを待つだけでは船隊の縮小や、商機の喪失につながるリスクがあります。最近では、従来型燃料船においても燃費効率が大幅に改善されており、LPG燃料船と同程度のCO2削減効果が期待できますので、従来燃料船による新造代替も視野に入れながら、船隊整備を進めていく方針です。



――省エネデバイス導入による温室効果ガス排出削減に取り組まれていますよね。

 今年、ガス船(VLGC)と石炭専用船の2隻に風力推進補助装置(ノルスパワー社製ローターセイル〈円筒帆〉)の搭載と、フィンランドNAPA社の航路最適化システム「NAPA Voyage Optimization」の導入を予定しています。様々な省エネデバイスをこれまで検討してきましたが、ローターセイルもその一つです。どういった船に付けるのが最も効率的であるかを検証するには時間がかかりましたが、実際に搭載後も1年ほどかけて検証を行います。その結果に基づいて次の展開を判断していく予定です。なお、検証においてはNAPA社のシステムも活用してデータ収集を行います。


――船隊の維持・拡大に関しては高船価で投資判断が難しい状況ですが・・。

 これまでの海運の歴史から考えると、約10年周期でマーケットの好況と不況の波が訪れ、それに連動する形で船価も変動してきました。しかし昨今の状況を踏まえると、今後船価が下がる要素はあまり見当たらず、業界内でも、「これ以上船価は下がらないかもしれない」という声も聞こえています。資材を中心とした物価や人材不足によるコスト上昇、さらには環境規制強化といった要因により、従来よりも高価な船を仕込まざるを得ない状況にあることは理解しています。従いまして、実際の投資判断については、引き続き慎重に進めていきたいと考えています。


――海外船主の起用に対する考えは?

 何隻か実績はあり、今後も船種により、是々非々で検討は継続したいと思っています。
 一方、海外起用と言えば、造船所も考慮しています。韓国の造船所での建造は経験済みでしたが、中国では経験がありませんでした。その後、日本の造船所も出資する中国造船所でVLCC(大型原油タンカー)を2隻建造しており、最近、初回の入渠が終了したので、その工事内容や見積もりに対する仕上がり価格などの検証を実施しました。この検証を参考に、他の中国造船所での建造も研究し、今後の起用造船所の選択肢となるか検討を進めていきたいと思っています。



――エネルギーや資源輸送は、ドライバルク以上に、世界情勢が大きく影響してくる分野かと思います。資源輸送の観点で、今後世界の政治経済情勢で特に注目をしている事柄は何でしょうか?

 当社の売上を顧客・航路別に見ると、中東地域での活動割合が比較的高い状況にあります。紅海付近の不安定な情勢や地政学的リスクは当社ビジネスに直接影響を与えるので、中東情勢には常に注意を払っています。また、中東地域への寄港船が多い一方で、仕向け地としては中国も多いので、中国経済の動向も非常に重要です。足元では不動産不況から、建築資材の原料となる石油化学製品の荷動きが低迷しており、経済状況がじわじわと荷動きにインパクトを与えている状況です。


――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。

 私の実家は都内で印刷業を営んでいたことから、学生時代には家業を継ぐ話もありましたが、父からは「やりたいことをやればいい」と言ってもらい、最終的にはサラリーマンの道を選びました。父が他界し、家業は廃業しましたが、私自身、父にわがままを言って、サラリーマンになった以上、いつか社長になることで、その恩返しができるのではという思いは心の中にありました。
 バブル経済の後期である1991年に当社に入社しましたが、進路選択の際、その当時は花形だった金融関係やメーカーなどの業界ではなく、あまり学生に馴染みのない業界に進みたいと考え、その一つとして海運会社を選びました。内定後に当社の先輩社員との会食で話す機会があり、「海運の方が絶対に面白い!」という言葉を聞いて入社を決意しました。

 入社後は現在の経営企画部に配属となり、会社の収支や採算など、会社の数字を見ることができ、社内の各部署とのコミュニケーションの機会も多かったので、早いうちに会社全体を知る貴重な経験ができました。
 続いて、ガス船部門に配属され6年ほど内航および近海の営業、運航を担当していました。その後、社内で基幹システムをリニューアルすることになり、新たに立ち上がった支援部署に異動しました。そこでは社内の関係部署へのヒアリング通じてシステム要件定義を行い、システム開発会社への説明と開発依頼を担当していました。しかし、完成したプロトタイプは想定と大きく異なることも多く、当初3カ月の任期のはずが、気づけば3年が経過していました。その間、開発会社と打ち合わせ、幾度も海運用語や仕組みを説明し続け、完成したプログラムの確認を行う毎日でした。開発会社との認識のズレを解消するのは非常に困難で、元々システム系が苦手であったので、とても辛い時期でした。結局、開発は続き、自身では完成を見ることなく、異動の話があり、再びガス船部門(その後、イイノガストランスポート社設立)に戻ることになりました。結果的に戻してもらったガス船の部署で10年ほど勤務しましたが、今振り返るとその時が一番必死に働き、充実した時間を過ごせたと感じます。会社から与えられた開発目的が達成できず、異動となった以上、後戻りはできなかったので、とにかく結果を出そうという強い思いがありました。
 その後は大型ガス船部門を経験後、ドバイ事務所での海外勤務もありました。帰国後は経営企画部、また入社以来初めて不動産事業部門なども経験させてもらいました。



――特に思い出に残っていることはありますか?

 ある石油化学ガスの輸出プロジェクトが成功したことです。システム開発支援の部署から営業に出戻り後、最初に手掛けた大きな仕事でしたが、荷主であるお客様に同行し、海外現地での契約交渉や厳しい品質管理への対応など、出荷主、受荷主、船主、船舶管理会社、代理店、役所、そして社内と多くの関係者の方と共に協力して進めました。関係者が多かったので、調整事や意見の対立も多く、何しろ汗をかく仕事でした。プロジェクトが成功に終わった時は達成感も大きく、入社前に言われた「海運の方が面白い!」が正しいものであったと感じた一つの貴重な経験でした。


――人生の転機についてお聞かせください。

 システム支援開発の部署からガス船の部署に異動した時です。正直なところ、当時は転職も視野に入れていました。しかし、どこからか私のボヤキを耳にした船主さんから「もう少し続けてみたら?良いことは必ずあるはず」と声をかけていただきました。そして幸いにも会社からチャンスを与えてもらったので、とにかく必死で与えられた仕事に取り組みました。その後の成功体験は先に述べた通りです。おかげで、その後の人との付き合い、仕事への向き合い方は全く変わり、人生もより豊かなものになったと思っています。


――2023年4月に社長に就任されましたが、入社当時の夢が叶いましたね。

 実際に社長就任の打診があったときは、正直なところ、その責任の大きさに対して不安や戸惑いを感じました。家族にさえも相談することができませんでした。最後は、前に進むしかないと思い、就任を決断しました。


――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。

 1つめは「前へ」。母校である明治大学ラグビー部の監督だった北島忠治氏が説いた言葉ですが、この言葉は折に触れて、頭に浮かぶ言葉です。
 2つ目は「而今(にこん、または、じこん)」。「而今(じこん)」という銘柄の三重県の日本酒があり、この言葉の意味をネットで調べたところ、諸説あるようですが、曹洞宗の道元禅師の言葉で「過去に囚われず、未来にも囚われず、今をただ精一杯生きる」という教えが込められているそうです。過去の出来事や未来の不確実なことに心を惑わされず、今この瞬間に集中するという考えを私自身も大切にしています。






――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。

 最近では、スポーツ観戦で感動することが多いです。サッカーワールドカップやラグビー日本代表の試合、そして野球のWBCなど、日本選手が活躍し、世界を驚かせる姿にはいつも心を揺さぶられます。私自身も学生時代からサッカーをしていた経験があるので、試合後の達成感やチームの絆には特に強い共感を覚えます。
 夢や目標ですが、ここ数年足が遠のいていたサッカーを再開したいと考えています。昔、小学生の娘がサッカー部に入っていたので、私自身も地域貢献と思い、コーチや監督を務めていました。子供の面倒ばかりではつまらん、ということで、同時にオーバー40のコーチ陣でチームを作り、地域リーグで試合に出ていました。しかし、コロナ禍や怪我のリスクを考え、しばらくサッカーから距離を置いていました。キングカズ(三浦知良選手)と同年代なのですが、以前は彼が現役でいる限り、自分も草サッカーを続けようと思っていたこともあり、また再開しようかと思い始めたわけです。幸い、社内にもサッカー部があり、時間ができれば、若い社員の邪魔にならない程度に顔出しをしようかとも思っています。




――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 お酒も食事も好きですが、1つに決めることは難しいです。営業に初めて配属された頃、内航船主さんを訪問する際、特に地方では地元の新鮮な魚介類を食べる機会が多かったのですが、当時私は生の魚介類が食べられませんでした。お酒もビールしか飲めず、会食の場ではひたすらビールだけを飲んでいました。機会が増え、勧められるうちに、少しずつお刺身なども口にできるようになったのですが、ある日東京の宴席でお刺身を食べた際に、味の違いを感じたことに大変驚きました。どうやら、地方で新鮮な魚介類を口にするうちに自分の舌が肥えていたことに気づいてしまったのです。それからはお刺身も食べられるようになり、ビール以外に日本酒もおいしく飲めるようになりました。地方での様々な食の経験は、私自身の情緒も豊かにしてくれたと感じています。
 また、海外出張などでは洋食が続くので、和食が恋しくなりますが、素材の割には非常にサッパリした洋食料理もありました。ウィーン出張時にPLACHUTTAという店で食べたTafelspitz(ターフェルシュピッツ)というオーストリア料理が味も見た目も非常に印象に残っています。もう一度食べたくて、東京で別の店を探し当てて行きましたが、残念ながら、その感動を得ることはできませんでした。



――心に残る「絶景」について教えてください。

 来島海峡大橋の中間に位置する馬島から見た景色です。来島海峡大橋のたもとに「みはらし」というお店があり、ある船主さんの竣工式典の一環で連れていってもらったのですが、そのお店から眺めた景色が強く印象に残っています。昼過ぎから日没まで過ごしましたが、お酒が進んだことも手伝って、目の前に広がる瀬戸内海、そして船が行き交う様子を見ながら日が沈んでいく光景が今でも目に焼き付いています。国内外様々な場所に訪れましたが未だに、この景色が印象に残っています。


 
【プロフィール】
大谷 祐介(おおたに ゆうすけ)
1991年 3月 明治大学 法学部 卒業
1991年 4月 飯野海運株式会社 入社
2007年 4月 イイノガストランスポート株式会社出向 営業第一チームリーダー
2010年 6月 イイノガストランスポート株式会社出向 営業グループリーダー
2012年 6月 ガスキャリアグループリーダー
2014年 6月 ドバイ駐在員事務所代表
2016年 6月 総務・企画部長
2017年 6月 経営企画部長 兼 事業開発推進部長
2018年 6月 執行役員 経営企画部長
2019年 6月 執行役員 ビル事業部担当、不動産開発企画部担当
                 イイノエンタープライズ株式会社 取締役社長
2020年 6月 取締役 執行役員 ビル事業部担当、不動産開発企画部担当
2021年 6月 取締役 常務執行役員 経営企画部担当、業務管理部担当、SR 広報部担当
2022年 6月 取締役 常務執行役員
                 経営企画部担当、SR 広報部担当、サステナビリティ推進部担当
2023年 4月 代表取締役社長 社長執行役員 就任


■飯野海運株式会社(https://www.iino.co.jp/kaiun/index.html

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