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【マリンネット探訪 第43回】
創業から80年以上培ったコア技術『分離技術』で
社会課題の解決と持続的な成長を目指す
< 第557回>2024年12月23日掲載 


三菱化工機株式会社
取締役社長
田中 利一 氏













――1935年の創業以来、個体・液体・気体の分離技術を強みに、事業を展開されています。船舶分野では、油清浄器やEGRエンジンシステム用排水処理装置など、各種環境規制対応機器の製造・販売からアフターサービスまで一貫して提供する、三菱化工機株式会社様の田中 利一社長です。三菱化工機の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。

 当社は、各種プラントや環境設備の建設を担うエンジニアリング事業と、船舶用油清浄機をはじめとしたモノづくりを担う単体機械事業の2つの事業を展開しています。船舶向けの主力製品は、燃料油・潤滑油向け油清浄機であり、国内シェア9割超、世界シェアは約4割です。油清浄機「三菱セルフジェクター」は、80年以上の歴史がある分離板型遠心分離機で、高遠心力で高効率な清浄能力を有し、抜群の安定性と高いメンテナンス性を兼ね備えています。お客様からも高い評価をいただき、おかげさまで国内トップシェアを確立することができています。製品そのものへの信頼性の高さだけでなく、アフターサービスに至るまでの一貫したサポート体制も当社の強みです。これにより、お客様のニーズに迅速に応えることができ、長期的な信頼関係を築くことができています。油清浄機に関しては、近年、バイオ燃料やアンモニア燃料などの次世代燃料向けの研究や製品開発も進めています。

 日本以外では、特に近年アジア市場が拡大しており、中国では上海の現地法人を通じて、船主や造船所の新規開拓を進めています。韓国では、ライセンシー企業で委託生産し、同国内造船所に製品を供給しています。また、欧州は競合他社の存在もありますが、オランダには現地法人を構え、ギリシャでは代理店を通じて、製品の納入からアフターメンテナンスまで対応しています。また、油清浄機は消耗部品を有するため、船を止めることなく安定稼働できるよう、部品交換や修理対応など、アフターメンテナンスは徹底して対応できるよう、国内外の体制を整えています。
 このほかに、当社の主力製品として、船舶から排出されるNOX(窒素酸化物)の排出量を抑えるEGR(排ガス再循環)用水処理装置も展開しており、LNGやメタノール燃料等の低炭素燃料対応エンジン用の中大型機のラインナップ化を完了しています。



――2021年に策定された「2050経営ビジョン」において、5つの社会課題とそれに対応した4つの戦略的事業領域を設定されています。船舶分野の位置づけや、同分野の既存サービスの深化や新たな取り組みなど今後の事業展開についてお聞かせください。

 油清浄機の技術である遠心分離は、当社が創業以来培ってきたコア技術「固体・液体・気体の分離」の中心であり、当社の屋台骨ともいえる存在です。今後も当社事業を支える重要な役割を担うと考えており、この基礎技術を応用し、カーボンニュートラルに寄与する製品開発を進めていきたいと考えています。これまでも、工場からの排気処理や排水処理、脱臭、騒音防止など、様々な環境改善装置を手掛けてきましたので、今後も地球環境や社会課題に貢献する技術や製品を創出していきたいと考えています。


――主力製品の油清浄機では、バイオ燃料を用いた実船試験や調査などに取り組まれているほか、アンモニア燃料対応にも注力されています。油清浄機の次世代燃料への対応状況について、現在の開発状況や課題、今後の展開についてお聞かせいただけますでしょうか。

 バイオ燃料に関しては、海上技術安全研究所様と連携し、船舶用油清浄機の実機で検証試験を行い、問題なく運用できることを確認しています。既に使用している油清浄機の運用や構造を変更することなく、対応部品(パッキン)の交換で対応が可能です(バイオディーゼル燃料対応部品は2024年10月発売)。こちらの部品は、従来から使用している低硫黄重油(VLSFO)や高硫黄重油(HSFO)にも対応可能で、燃料の切り替えによる頻繁な交換は不要です。
 また、日本郵船様とシンガポールの非営利団体グローバル・センター・フォー・マリタイム・デカーボナイゼーションによるバイオ燃料の長期使用による影響を調査するプロジェクトにも協力しており、当社の油清浄機によってバイオ燃料と低硫黄燃料油の混合燃料の使用で不純物が適正に除去されるか、エンジンへの影響と技術的トラブルはないかという点と併せてメンテナンス性の確認も進めています。
 このほか、アンモニア燃料の対応についても注力しています。



――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。

 出身は栃木県で、高校生まで野球やラグビーに打ち込むスポーツ少年でした。その後は大学進学を目指して予備校に通うために19歳で上京しました。大学3年生の時、持病の椎間板ヘルニアが悪化し、日常生活も困難になってしまったので、休学して実家で2年間の療養生活を送ることになりました。医師から「手術をしても完治は難しいが、骨を支える筋肉を鍛えることで改善する可能性はある」と指導されたため、地元の室内プールに毎日通い、日常生活ができる状態まで回復することができました。その後大学3年生として復学しましたが、友人もおらず、卒業するために毎日必死に勉強していました。休学前は自由気ままな大学生活を送っていたので、それとは真逆の生活でした。
 周囲より2年遅れてようやく就職活動を始めましたが、持病を懸念する企業からは医師の診断書が必要だと言われることもありました。そのような中でも、いくつかの企業から内定をいただくことができました。その中の一社が当社で、当時の営業担当の常務から「営業マンとして君に来てほしい!」と熱い言葉をかけていただき、入社を決意しました。もともと営業職や商社マンに憧れていたこともあり、その言葉はとても嬉しく、心に響きました。
 しかし、入社後最初に配属されたのは総務人事を担当する部署でした。そこには10年ほど勤務しましたが、当時は不況ということもあり、社内の合理化が進められている真っ只中でした。入社して間もない私が、合理化に伴う退職金の精算を担当することもあり、とても苦しい経験でした。
 その後、海外のケミカルプラント建設プロジェクトの運営・管理担当のアドミマネージャーとして、タイで2年弱ほど勤務しました。当時私生活では第2子が生まれるタイミングだったので、家族を日本に残して赴任することに心苦しさを感じ、後ろ髪を引かれる思いで日本を離れました。その辛さに耐えかねて、会社を辞めることも考えたほどです。そのため、無事にプラント建設を見届けた時は、「やっと家族のもとへ帰れる」と感慨深かったです。
 帰国後は、調達業務の部署に配属されましたが、プロジェクト業務で培った人間関係が大いに助けになりました。その後は再び総務関係の部署や管理部門の担当を経験しました。



――社長就任の経緯は。

 当社では以前、社外の方が社長を務めていましたが、プロパー社員出身の社長は私が3代目となります。先代社長の頃に管理部門の担当役員となり、当時の持続的に黒字を生み出せない体質を改革するため、先代社長とともに体制の立て直しに取り組んでいました。その流れを継続するために、私を選んでいただいたのだと思います。また、先代社長とは海外プロジェクト担当当時からの関係で、その頃から業務上深いつながりがあったので、社長としての責任を引き継ぐことに大きな意義も感じました。


――人生の転機についてお聞かせください。

 転機は2回ありました。1つ目は、大学生での休学経験です。実家で療養生活を送りながら毎日地元のプールに通っていましたが、体力づくりを目的に通っている友人や消防士、タクシー運転手の方々など、様々な目的を持った人たちと出会うことができました。そのおかげで、私のリハビリ生活は孤独ではなく、心強い支えに恵まれていました。当時の交流は今でも続いています。その時の一度「ドロップアウト」した経験は、生き方の価値観に大きなインパクトを与えました。
 2つ目は、タイでのケミカルプラント建設プロジェクトの経験です。それまでの私は、総務人事系の経験しかなく、現場のことを知らなかったため、このプロジェクトへの参画を通じて、当社のエンジニアとの接点が増えました。多くの苦労を共に乗り越えた当時の仲間との関係性は、その後の調達業務を始め、様々な場面で大きな支えとなりました。人との出会いを大切にし、何事も一生懸命に役割りを果たすことが如何に大切かを痛感しました。



――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。

 大学生の頃、持病による休学で人生の岐路に立たされた経験があるので、今こうして日常生活を送れることや、元気に働くことができているという全てのことに「おかげさまで」、「ありがとう」という感謝の気持ちを持っています。辛い経験でしたが、そこから学んだ感謝の気持ちを忘れず、これからも大切にしていきたいです。


――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。

 当社を長期成長に見合う企業体質に変えていくこと、そしてそれを見届け、安心して次の世代にバトンを渡すことです。当社グループの「2050経営ビジョン」にもあるように、当社を取り巻く事業環境が大きく変化する中、将来にわたって持続的に成長する企業になることが夢であり、目標でもあります。そのためには、定性面では従業員の意識改革、定量面では新技術の創出が不可欠だと考えています。意識改革においては、市場や環境の変化に対して、表面的なものではなく、真の危機感を持つことが重要だと考えています。


――嬉しいと感じることは?

 10年ほど前までの持続的に黒字を生み出せない体質から改善し、周囲から「安定した会社になってきた」と言ってもらえることです。現在、2027年の完工に向けて新工場を建設中ですが、このような新規投資に対しても応援の声をいただけるようになったのは、とても喜ばしいことです。しかし、私は入社当時の不況や赤字経営を目の当たりにしてきた経験があるので、順調であることに対して不安を感じることも事実です。

 プライベートの目標は、持病で苦労した経験から、とにかく健康で前向きに生活することです。現在も、時間があればウォーキングを欠かさないようにしています。コロナ禍を機に毎日自宅周辺を歩くようになり、1時間半~2時間歩いています。



――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 大学生の頃、東京の東十条に住んでいたのですが、東十条駅の近くの立ち食い蕎麦屋さんでカレーを食べることが当時の贅沢でした。今もそのお蕎麦屋さんがあるかは分かりませんが、同じく駅の近くにあった「草月(そうげつ)」という和菓子屋さんの黒どら焼きは、今では東京三大どら焼きに選ばれているそうで、先日偶然お土産でいただいた際はとても懐かしい気持ちになりました。
 最近では、横浜の鶴見にある家庭料理のお店がお気に入りです。メニューもなく、気立ての良いおかみさんが作る料理は、どれも抜群に美味しいです。美味しいものを食べたいと思ったときに、思わず足を運んでしまうお店です。



――心に残る「絶景」について教えてください。

 タイでのケミカルプラントが完成した時に見た景色です。完工した建物の上まで上がり、出来上がったプラント、そしてそこから眺めた海の景色が今でも目に焼き付いています。日本で待つ家族にもようやく会うことができるという気持ちも相まって感動したことを今でもよく覚えています。





 
【プロフィール】
田中 利一(たなか としかず)
栃木県出身
1985年3月 早稲田大学 卒業
1985年4月 三菱化工機株式会社 入社
2015年4月 執行役員管理本部長兼総務人事部長
2016年6月 取締役管理本部長 就任
2020年4月 取締役管理本部担当兼企画本部担当 就任
2021年6月より現職


■三菱化工機株式会社(https://www.kakoki.co.jp/

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