dbg
【マリンネット探訪 第45回】
日本造船業の復活を目指すのは今
原点回帰と連携への挑戦
< 第559回>2025年02月10日掲載 


日本シップヤード株式会社
代表取締役社長
檜垣 清志 氏













――今治造船とジャパンマリンユナイテッド (JMU)の共同営業・設計会社として、日本造船業をリードする、日本シップヤード株式会社様の檜垣 清志社長です。日本シップヤードの概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。

 当社は2021年1月、今治造船 51%、JMU 49%の出資比率にて提携する形で合弁新会社として発足しました。LNG(液化天然ガス)船を除くすべての一般商船・海洋浮体構造物を対象に、マーケティング、企画開発、共同研究、受注営業、契約、基本設計・承認図書作成などを担っています。今治造船の「コスト競争力のある建造能力とグループ船主を活かした営業力」と、JMUの「豊富な人材と技術力」を融合させ、両社の強みを最大限に活かす協力体制を構築してきました。
 日本シップヤードのシンボルマークは、Nを用いて波をイメージし、海のブルー(JMUのコーポレートカラー)と自然のグリーン(今治造船のコーポレートカラー)を使い、お客様や自然環境との様々な結びつきによって新しい波を創造することで、未来に向かって力強く突き進むイメージで作りました。極力シンプルなデザインにすることで、国内外のお客様に早く認知してもらうことを目指しました。発足から4年経ちましたが、有り難いことに「NSY」の名前を幅広く認知いただけるようになりました。
 振り返ると、2021年の設立当初、マーケットは大底で、長引く不況の影響で造船業界全体が非常に厳しい状況に直面していました。そのような状況下において、「このままではいけない」という強い危機感を共有し、両造船会社が連携することで、中国・韓国との競争に勝ち抜き、生き残るための大きな一歩を踏み出しました。両社は全く異なる文化や歴史を持つため、設立当初は否定的な声もありました。しかし「お客様の期待に応えたい」という思いは皆同じであり、その共通の思いを原動力に、さまざまな課題を一つ一つ乗り越えてきました。統合による相乗効果に加え、マーケットの回復や円安といった追い風にも支えられ、おかげさまでこれまでに多くの受注をいただくことができました。



――2021年1月の設立以来、毎年年間で100隻規模の受注を獲得され、累計約500隻の受注を確保されています。営業統合によってどのような相乗効果が得られましたか。また、今後の新造船マーケットの見通しについてお聞かせいただけますでしょうか。

 今治造船とJMUでは、両社の営業スタイルに違いがありました。しかし、「お客様の期待に応えたい」という共通目標は一緒であるため、互いを尊重し合い一丸となって頑張っています。2021年当時はマーケットも長期低迷しており、今治造船も1年半ほどの仕事量しか有りませんでした。その後、マーケットの回復も後押しし、多くのお仕事をいただくことができましたが、その過程において両者の連携をさらに深めることができ、着実に成果に繋がっていると感じています。
 新造船マーケットの見通しについては、今後の供給圧力が限定的であること、大量のリプレース需要を見込めることから、楽観的な意見が多い印象ですが、私自身は将来への危機感を強く抱いています。日本造船業の年間建造量は、2013年頃の約1,800万GTから干支が一回りする間に約900万GTにまで半減してしまっています。深刻な人手不足に加えて新燃料船対策を鑑みると、今後、操業を上げることは非常に厳しく、このままでは日本造船業が衰退の一途をたどってしまうのではと危惧しています。
 これは、造船所だけの問題ではありません。我々を支えてくれている舶用メーカーさんも大変苦労されています。日本造船業全体の操業を上げるために何ができるのかを真剣に議論し、行動に移す必要があります。マーケットが回復し、多くの造船所が手持ち工事量を一定程度確保した今、日本造船業の10年後、15年後を見据えて動き出す最後のチャンスだと考えています。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないですが、苦しい不況を乗り越えると危機感が薄れてしまうことが過去に幾度もありました。しかし、今回は生き残る最後のチャンスであると認識して、現状に安堵することなく、日本造船業の未来のための施策を講じていかなければなりません。



――邦船3社と造船4社による液化二酸化炭素(LCO2)輸送船の共同開発を通じた連携の話もありますよね。

 一つの連携プラットフォームになることを願い、当社も賛同しています。政府が進めるCCS(CO2回収・貯留)事業への適用に向けた大きな一歩ですが、例えばLCO2輸送船のタンクを国内調達するためには標準化が必要です。そのためには、各社単独で進めるのでなく、設計や建造プロセスを集約し、効率化を図る必要があります。
 さらにこの取り組みの目的は、LCO2輸送船の開発に留まらず、アンモニア燃料等の脱炭素技術を活用した新燃料船の分野にも広げていくことです。新燃料船に関しては、プレスリリースの中で「同じ課題認識を共有する他造船所を含め、業界関係者と広く連携する枠組みの構築など、業界一丸となり脱炭素社会のさらなる進展に貢献していきたい」という言葉があります。これを実現するためにも、他の国内造船所との連携も強く推進していきたいです。先ずは各社の取り組める範囲からで良いので、お互い知恵を出し合い、協力関係を築く機会を作っていきたいです。



――設計の効率化や技術力強化など、設計面における相乗効果についてお聞かせいただけますでしょうか。また、今後国内造船所間の連携が求められる中で想定される課題について、御社のお取り組みも参考にお聞かせください。

 造船所の頭脳である設計を一緒にすることは容易ではありません。日本シップヤードが発足して4年が経ちますが、正直、我々もまだ道半ばの状況です。お互いの強みを活かし、時には弱点を補完し合いながら、引き続き連携を深めていきたいと考えています。一例ではありますが、過去に20万重量トン型バルカーを短納期で建造しなければならない状況があったのですが、その際、JMU最新鋭船の図面をもとに、今治造船(西条工場)でケープサイズを建造しました。現場から「こんなに作りやすい図面は目から鱗だ」との声が上がり、実際に建造効率の向上にも繋がりました。船舶の性能はもちろん重要ですが、現場の作り手目線の図面という観点も取り入れることで、より良い船(図面)ができると感じました。良い船を作りたいという思いは皆一緒ですので、連携を通じてお互いの違いに触れ、刺激し合いながら協力を深めて、日本造船業の技術力や生産性向上に貢献したいと考えています。
 今治造船は現在10工場あり、うち7工場は再編によってグループ化を進めてきましたが、それぞれとの融合には数年から10年近くかかりました。文化の異なる造船所の連携は一筋縄ではいきません。そのため、大がかりな取り組みでなくても、部分的な連携ができる仕組みづくりが必要だと考えています。
 当社では、自社の技術力向上を目的に、多様な船種を手掛けることで技術を鍛錬するだけでなく、特定の船種において深い専門性を発揮することで、より良い製品を安定的に提供し、競争力を高めることができると考えています。引き合いをいただく船の中でも、当社の技術だけでは賄いきれないこともあります。その際に、他社と連携を図ることができれば、お互いが補完し合い、より優れた品質や効率的な建造が実現できると考えています。自社の専門性を深めると同時に、柔軟な協力体制を整えることで、より多様なニーズにも対応できることになりますし、日本造船業が生き残るための必要な手段だと考えています。



――造船業の人手不足に対する御社としての取り組みについてお聞かせください。

 今治造船では、人財の重要性を再認識し、2016年以降、檜垣幸人社長を中心に社外のコンサル会社を活用した人事改革を推進してきました。担当のコンサルタントの方からは、「多くの社員が今治造船への愛で溢れていて驚いた、今造の強さの源泉が分かりました」と仰っていただき、大変嬉しい気持ちになりました。社員は皆本当に頑張ってくれており、経営陣としても、その思いに応える環境づくりが欠かせないと感じています。
 若手の採用活動に関しては、今後SNSなども活用して発信をしていきたいと考えています。また、南日本造船の取り組みではありますが、最近、地元向けのCMを作り、大変好評いただいています。「地味に働け 派手に遊べ」というタイトルで、男性篇女性編がありますクリックすると動画ページに遷移します。ぜひご覧ください。



――子供の頃から船は身近な存在だったと思いますが、どのような環境で育ちましたか?

 出身は今治で今治造船の本社工場の裏で生まれました。私の父は、5男6女の11人兄弟の9番目、5男坊で、母は幼い姉をおんぶしながら、義姉たちの指示の下、工員さんの炊き出しを行ったり、居住区のカーテンを縫ったりなど、一家総出で造船所を支えていました。1971年には丸亀工場が完成し、父の仕事の都合で丸亀に引っ越しました。父は営業職でしたので、船主さんが神戸から東京に拠点を移されていったことをきっかけに東京へ単身赴任することになり、私が中学を卒業するまで、母と姉と3人、丸亀で生活をしていました。








 その後、姉の大学進学をきっかけに、家族全員で東京に移り住むことになりました。地方から上京した当時、流行に乗り遅れてはいけないと思い、丸亀では当時大人気だった『マディソンスクエアガーデン』のバッグを手に高校に通っていました。しかし、すでに東京ではそのブームは過ぎ去っており、同級生からは「マディソン君」と呼ばれていた何とも苦い思い出があります(苦笑)。














 その後大学に進学し、3年生の夏、父の勧めで1か月間造船所のインターンとして丸亀工場で過ごしました。毎日現場に通い、工場の様子を見学しながら、造船業の現場に触れる経験をしました。その際、建造していたパナマックスバルカーの進水に立ち会ったのですが、進水の瞬間を目の当たりにした時、気づけば自然と涙を流している自分がいました。その経験があり、造船所の現場で働きたいという気持ちが強くなりました。父が何を思い、私にインターンを勧めたのかはわかりませんでしたが、その時の経験が、私の人生にとって非常に重要な出来事となりました。今治造船に入社後は現場に配属となり、切断から溶接、玉掛けなどの免許を取得して様々なことを経験しました。現場で働き続けるつもりでいましたが、その後、営業として香港事務所に赴任することになり、約3年間の香港駐在を経て、東京営業勤務となりました。以降、多くのお客様とお仕事する機会に恵まれ、営業としてのキャリアを積むことができました。





――人生の転機についてお聞かせください。

 2014年7月、会食の翌日以降、頭痛が続いたため異変を感じて、病院を受診しました。MRI検査の結果、脳動脈瘤が見つかり、翌日から10日間の検査入院をすることになりました。幸運にも手術はせず経過観察することになったのですが、この入院期間中、当時、営業本部長だった私が不在でも営業は問題なく回ることを痛感しました。それと同時に、いつ自分が居なくなっても組織を円滑に運営できる体制を整えておかなければならないという意識も芽生えました。
 会社というのは、個人の力では限界があり、どんなに力のある人間が一人いても、それだけで大きな変革を起こせるものではありません。個々の力を結集し、協力し合う体制があってこそ前進することができ、成長に向かうことができます。そのような体制づくりに注力したいと考えています。



――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。

 義兄が京セラ創業者の稲盛和夫氏の秘書をしていたこともあり、稲盛氏の話を聞かせてもらう機会がありました。また、関連する本を色々勧められて読むうちに、深く感銘を受けました。その中でも最近、「利他の心」という考え方に強く共感しています。「利他の心」とは、自分の利益だけを考えるのでなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうとする心のことです。自らのことだけを考えて判断するのではなく、周囲の人々のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」で判断し、行動することを大切にしたいです。今まさに、日本の造船業が置かれている状況に対して、利他の心を実践することが重要だと感じています。


――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。

 2024年3月末に南日本造船の設立50周年のパーティーを開催し、社員や協力会社の皆さまなど、約300人の方に参加いただきました。その際の挨拶で、感無量の気持ちが溢れ、涙が止まりませんでした。これまでの皆さんの大変な苦労を思い出しながら、従業員をはじめ、多くの方々の努力と支えのおかげで、50周年を迎えることができたと考えています。
 南日本造船は、2018年に今治造船グループに加わり、同時に私は社長に就任しました。当時はマーケット環境も厳しく、社員たちは将来への不安を抱えていました。そのような状況下、少しでも前向きな気持ちになれるよう、「明けない夜はない、大丈夫、必ず良い時が来るから」と繰り返し伝え続けました。全員で困難を乗り越え、立派な祝賀会を開催できたことは、多くの方々の尽力の賜物であり、それをずっと温かく見守っていてくれた神様のおかげだと感謝しています。



――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 高校生の時に初めて食べた「叙々苑」の焼肉が、今でも忘れられません。高校入学を機に上京し、家族4人で食事に行った際、「こんなに美味しいものがあるのか!」と心から感動したことを鮮明に覚えています。当時はまだチェーン化しておらず、お店は六本木の旧防衛庁前の一店舗のみでした。社会人になってからも何度か足を運びましたが、当時の感動は忘れられません。
 もう一品は、「六厘舎」のつけ麺です。もともと、つけ麺には少し懐疑的な思いを抱いていましたが、社内のメンバーに勧められて食べてみたところ、その美味しさに驚き、それ以来すっかり病みつきになっています。海外出張で羽田空港国際線ターミナルを利用する際には、早朝だろうが深夜だろうが必ずお店に足を運び、皆でつけ麺を楽しむことが恒例になっています。出張への気合いもさらに高まる気がします(笑)。



 
【プロフィール】
檜垣 清志(ひがき きよし)
1969年10月生まれ 今治出身
1993年4月 今治造船株式会社 入社
2004年 取締役 就任
2008年 常務取締役 就任
2018年 専務取締役 兼 株式会社南日本造船社長 就任(現職)

2020年 代表取締役専務取締役 就任
2021年 日本シップヤード株式会社 代表取締役副社長 就任
2022年 代表取締役専務専務執行役員 全般 兼 経営企画本部長 就任(現職)
2023年 多度津造船株式会社社長 就任(現職)
2024年4月より現職


■日本シップヤード株式会社(https://www.nsyc.co.jp/

記事一覧に戻る