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【マリンネット探訪 第47回】
環境製品のパイオニアメーカー
異色の経歴を持つ社長が挑む、新たな夢とは
<
第561回
>2025年04月14日掲載
兵神機械工業株式会社
代表取締役社長
友藤 昇平 氏
――1929年に創業され、ポンプをはじめとした船舶用機器のみならず、陸上向け農工製品も手掛けている兵神機械工業株式会社様の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
1929年に私の祖父が兵神製作所として創業し、当初は炭鉱向けのポンプを製造・販売していました。その後、鉱山の閉山により炭鉱向けポンプの需要は減少しましたが、造船業が盛んになり、1950年代より船舶用ポンプに事業の軸を移しました。
当社の事業は現在、船舶用ポンプ、油水分離器、O.D.M.(油排出監視制御装置)の3つが大きな柱となっており、これらで全体の約90%の売上を占めています。一つ目の船舶用ポンプについては、水を移送する「渦巻きポンプ」と、油を移送する「ギアポンプ」(歯車ポンプ)が主力です。二つ目の油水分離器(ビルジセパレータ)は、船外排出する前の船底に溜まった油混じりの水(ビルジ)から、油分濃度を国際海洋汚染防止条約の規制値以下に分離し、海洋環境を保護するための装置です。私の父が開発に携わり、以来パイオニアメーカーとして日本市場で50%程、中国市場で30%程のシェアとなっています。三つ目のO.D.M.はタンカー用の製品です。貨物タンクの洗浄水や、洗浄後に積載したバラストを船外排出する際に油の瞬間排出率や総排出量等を監視・制御する装置です。
舶用機器の他に農工事業も展開しており、農業関連機器の開発・販売も行っています。
――御社の強みを教えてください。
当社の製品に関して万全を期していますが、万一クレームがあればどんな些細なものであってもお客様からの声を直接伺い、迅速に問題解決を行うことをモットーにしています。例えば、ポンプの不具合に関する連絡を受けた場合でも、その原因がポンプ自体に起因するものではないケースも多くあります。要因としては、配管の問題、同時に使用していた装置の影響、航海した海域の水質、河川の汚泥や砂利の影響などさまざまです。ただ、当社は積極的に関与し、お客様とともに課題を解決する姿勢、そして迅速な対応を重視しています。その点について、お客様にも高く評価いただいていると考えています。
――環境規制対応や脱炭素化の動きが加速する中、御社製品として取り組まれていることや、今後の展望についてお聞かせください。
新燃料への対応を進めており、油水分離器のバイオ燃料混合油に対する分離性能試験を進めている他、新燃料移送ポンプにも取り組んでいます。
主機メーカー様からは、アンモニア燃料等の代替燃料に対応したモジュールについてのお問い合わせが増えています。ここでいうモジュールとは、ポンプや各種機器、配管、バルブなどを一体化し、特定の機能を持たせたユニットのことを指します。用途によってさまざまな種類のポンプが使用されますが、特にアンモニア燃料は危険性が高く、漏洩防止の観点から供給配管を二重ステンレス構造にするなどの強化策が施されています。また、当社のモジュールには各種センサから収集したデータを基にポンプ類を監視・制御する機能が求められており、操作性やメンテナンス性も考慮して最適化させています。
ポンプは燃料油だけでなく生活用水にも使用されるため、1隻あたり30~45台搭載されています。
――そんなに数多くのポンプが搭載されているのですね!
ええ。そのうち先ほどの“モジュール”化の対象となる燃料油・潤滑油関係のポンプだけでも10~15台に及びます。エンジン関係のポンプが停止すると船舶の運航に支障をきたしますので、常に稼働させる必要があります。その重要性を深く認識し、強い使命感を持って業務に取り組んでいます。
――2010年から農工事業として兵神ファームを開園されました。休耕田の有効活用や食料自給率向上などの目的があるとのことですが、開園されたきっかけをお聞かせいただけますでしょうか。
当社の周辺地域である加古郡播磨町や稲美町は田んぼが多くありますが、後継者不足により耕作放棄地が増え、自治体も問題視していました。これに加え、当時海外から輸入された食品の安全性に関する問題がニュースでも取り上げられ、安心できる食材を求める声が高まっていました。当社の役員や従業員には“週末農業”を行う人も多く、農業は身近な存在でした。そのため当初は事業化を考えていたわけではなく、問題解決のためにまずは挑戦しようと決めました。
――水耕栽培装置の開発に至った経緯をお聞かせいただけますでしょうか。
農業の人手不足の問題解決に加え、当社の流体に関する技術を生かせる分野として水耕栽培装置を開発しました。大学の農学部教授への相談や、卒業生を採用することにより研究開発を進め、試行錯誤を経て2010年頃から水耕栽培を開始しました。水耕栽培では葉物野菜全般を含め60~70種類の野菜を栽培できます。
――船舶用に水耕栽培装置を開発することになったきっかけをお教えください。
当社の取り組みを地域の方々に知っていただくために開催した「収穫祭」で、船主さんからお声かけいただいたことがきっかけです。最初に搭載していただいたのは自動車運搬船で、太平洋を横断する長距離航路を運航する船舶でした。船舶用の水耕栽培装置では、ローリング(横揺れ)やピッチング(縦揺れ)、衝撃などに加え水の漏洩を防ぐ必要がありますので、当社の製品開発で培ったノウハウを生かすことができました。
農業に関しては、今後さらに事業を成長させていきたいと考えています。兵庫県は日本で最も多くのため池を有しており、農業、特に田んぼにおいてはため池の存在が欠かせません。しかし水位の監視や維持にかかるコストが高く、管理者の高齢化も課題です。こうした背景から様々な遠隔監視装置が導入されていますが、当社も農家の皆様の声を直接伺い監視装置の開発を進めました。電気が通っていない場所でも使用でき、コストを抑えて導入しやすいソーラー発電の遠隔監視装置を販売しています。
――これまでのご経歴についてお聞かせください。
もともとは舞台俳優を目指して上京し、芝居活動をしていました。家業については親戚が継ぐと思っていましたし、私は三男ですので自分が社長になることはないと思っていました。
――舞台俳優だったのですね。その後どのように社長就任に至ったのか気になりますが、まずは学生時代をどのように過ごしたのでしょうか。
父は教育熱心で、子供たちに将来世界で活躍できるような人材になってほしいという思いを持っていました。兄二人と姉が海外の学校へ進学しており、私もアメリカのバージニア工科大学に進学する予定でした。高校卒業後アメリカに渡り、大学入学までの間に語学学校へ通っていたのですが、その時に「自分が本当にやりたいことは何か?」と考えた結果、大学には進学せず俳優の道に進もうと決めました。
――え?大学入学を目前に?
はい。目前にして入学を辞めました。もともと人前に立つことが好きで、社内で行った父の還暦パーティで演劇をした際に感じた楽しさが決断の大きなきっかけとなりました。ただ、何の相談もなく進学を辞めて勝手に帰国してしまったため、父にはかなり怒られました。
――教育熱心なお父様が・・・。それはかなりお叱りを受けそうですね。
はい、勘当ものでした(苦笑)。
――決断力と行動力に驚きです!その後どうされましたか。
父にはすぐ理解を示してもらうことができたので有難かったです。俳優としての勉強や活動は東京を拠点にしようと考えていましたが、まず生活費を貯める為に兵神機械工業でアルバイトをさせてほしいと頼みました。その後、当時会長だった伯父と二人三脚で2S(整理・整頓)活動を推進し、毎日伯父と顔を合わせて工具の整備などをする生活を送り、貯金を始めて3か月経った頃に上京しました。
――会長と一緒に仕事をしても気が変わることなく上京したのですね。東京での生活はいかがでしたか。
東京では友人宅に居候しながらオーディションを受ける生活をしていたのですが、その後順調に話が進み、とある劇団へ入団することができました。それからはアルバイトをしながら稽古に励み、舞台に立つ日々が始まりました。
当時は常に3つのアルバイトを掛け持ちしながら自分の舞台のチケットも自ら売っていました。生活が厳しく、夜も寝ずにバーやサパークラブなどで働いていました。芸能関係者が訪れるような店でも働いていたので芸能人の方と話す機会も多くありました。非日常の生活を体験し、「これが天職なのかもしれない」と思うこともありました(笑)
楽しい経験も多かったのですが、21歳のある朝に状況が一変しました。突然母が訪ねてきて、兵神機械工業に入社するよう説得されたのです。
――お母様が来て、どのような心境でしたか?
実はそれ以前から「こういう日がくるんじゃないか」というのを薄々感じていました。初代社長である祖父は私が幼い頃に他界し、社長を継いだ伯父には二人の息子がいましたが、彼らは社長を継ぐ意思がありませんでした。私の兄たちも別の仕事をしていたため、会社の行方が気がかりでした。ただ、母親が来たときには「ほんまに来た!」と思いました(笑)。父が来ていたら喧嘩になっていたかもしれませんが、相手が母では勝ち目がありません。すぐに荷物をまとめ、1週間もしないうちに実家に戻りました。
――その後、兵神機械工業に入社されたのですね。
入社した日に古野電気さんへ出向し、兵庫県三木市の工場の資材購買課へ配属されました。それまで活動時間の中心は夜でしたし、社会人としてのルールも全く異なる世界にいましたが、古野電気さんでは多くのことを学ばせていただき毎日がとても充実していました。
1年半の出向を終えた後は、カナダのトロントへ8か月間語学留学をしました。帰国後に兵神機械工業に戻り、調達や生産管理を経て取締役営業部長に任命され、2022年の11月に社長に就任しました。
――社長に就任し、どのように感じましたか?
父はいわゆるワンマン社長タイプで、経験も豊富、海外に会社を設立するなど行動力があり、業績も伸ばしていました。当初は私も父にならい、強いリーダーシップを取らなければならないと思っていましたが、「父は父」と開き直り、自分なりのやり方で会社をボトムアップ型の体制に変えて行こうと考えました。社員の皆さんには、自ら考え、積極的に要望を出してほしいということを常に伝えています。それを実現する環境を作ることが私の仕事だと思っています。
――人生の転機となった事柄についてお聞かせください
毎日転機です(笑)。一つ挙げるとすれば、俳優の夢のために兵神機械工業でアルバイトをしたことです。アメリカの大学に進学することを辞めて急遽帰国し、伯父と一緒に働いた経験が今の自分につながっていると思います。その後の俳優活動中に母が東京に来て私を連れ戻したのは、実は伯父の進言だったそうです。
――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
座右の銘はいくつかあります。ひとつは、「為せば成る」という言葉が好きです。それから、高校の校長先生がよく口にしていた「チャンスにチャレンジして自分をチェンジし、そしてチャンピオンになるのだ」という言葉も大切にしています。
社長という立場でよく思い出すのは、中学時代の恩師の言葉で「失敗してもいい、ただその失敗をどう償い成功に導くかが大切だ」というものです。
――夢や目標についてお聞かせいただけますでしょうか。
新たな場所に工場を建てることです。当社の周辺は住宅地のため新たな取り組みには制約が生じることがあり、これを解決したいと考えています。例えば新燃料の開発において、新しい試みを行うにも既存の工場では対応に限界があります。2029年に当社は100周年を迎えますので、それまでに新しい工場の建設や、新設備を使った新たな取り組みを発表できればと考えています。また、大企業にも負けない給与体系を整え、社員の皆様の幸せに貢献したいと考えています。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
妻が作る照り焼きチキンです。新婚の頃、外国人のお客様をもてなすために考えたメニューでした。私もそのチキン料理が大好きで、以来何度も作ってもらっています。
もう一つは、学生時代に母が作ってくれていたキーマカレーです。タッパーに約一合分のご飯と、もう一つの容器にキーマカレーが入っていて、それを午前中の授業の休み時間のたびに食べていました。
現在は仕事柄外食が多いので、家に帰って食べる食事がどんな料亭よりも美味しいと感じます。
――心に残る「絶景」についてお聞かせください。
高校1年生のときに、家族旅行で訪れたアメリカのグランドキャニオンです。あたり一面が星に埋め尽くされた夜空がとても美しかったです。
また、ハネムーンで訪れたイタリアではヴェネツィアのオペラハウスを訪れ、まるで映画に出てくるような空間でした。私の実家ではオーケストラの音楽がよく流れ、家族が楽器を演奏するなど子供の頃から音楽に親しんできました。そのような環境で育ったこともあり、演劇が好きな私にとってオペラハウスは特別な場所に感じられ、深く感動しました。
【プロフィール】
友藤 昇平(ともふじ しょうへい)
1985年生まれ 兵庫県出身
2004年 報徳学園高等学校 卒業
2005年 俳優活動開始
2007年 兵神機械工業株式会社 入社、古野電気株式会社 出向
2009年 兵神機械工業株式会社 経営管理部配属
2015年 取締役 就任
2016年 専務取締役 就任
2022年11月より現職
■兵神機械工業株式会社(
https://www.hsn-kikai.com/
)
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