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【マリンネット探訪 第48回】
他者を思い、一隅を照らす
変化を力に未来を切り拓く総合海運企業
<
第562回
>2025年05月07日掲載
株式会社商船三井
副社長執行役員
チーフ・オペレーティング・オフィサー(営業)
鍬田 博文 氏
――2024年に創業140周年を迎えた、日本を代表する総合海運企業 株式会社商船三井の鍬田 博文様です。商船三井の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社は、1884年に前身である大阪商船が設立され、昨年(2024年5月)に創業140周年を迎えました。海運業の好況不況の波を乗り越えながら成長を続け、今日まで歩みを進めてきました。1964年(昭和39年)には、三井船舶との合併により、大阪商船三井船舶株式会社が発足、その後1999年(平成11年)に、大阪商船三井船舶とナビックスラインが合併し、現在の株式会社商船三井となりました。
日本の海運業界では、これまでに幾度もの再編が行われ、現在は当社を含めた3社の総合海運企業が存在しています。世界各国に専業船社が数多くある中、日本におけるこの業界構造は非常に特徴的です。これは、日本の産業発展と共に海上輸送が成長し、“総合海運”という枠組みのもとで進化を遂げてきたことによるものです。
当社の営業組織は大きく4つに分かれています。海運事業として、
ドライバルク事業
、
エネルギー事業
、
製品輸送事業
、そして、非海運事業として、
ウェルビーイングライフ事業
があります。
ドライバルク事業
は当社の祖業であり、ドライバルク輸送を得意としていたナビックスラインとの合併を経て、さらなる事業の拡大とサービスの向上を図ってまいりました。現在では、小型船から大型船まで多様な船型を取り揃え、様々な貨物の輸送に柔軟に対応しています。
エネルギー事業
は当社の大きな強みであり、LNG(液化天然ガス)船の運航に日本でいち早く進出しました。その後、LNG需要の世界的な高まりを受けて投資を拡大し、2025年1月時点のLNG船の運航隻数は100隻を超えました。今後も約30隻が竣工を予定しており、世界一のLNG船社としてその地位を確立してきました。また、LNG船のみならず、タンカーやケミカル船等による幅広いエネルギー輸送も展開しています。さらに、エネルギー事業では、FSRU(浮体式LNG貯蔵・再ガス化設備)などのオフショア事業において、アジア唯一のFSRUオペレーターとして、世界のエネルギーの安定供給に貢献しており、今後はエネルギーインフラの整備が進んでいない途上国の需要増にも対応していく方針です。加えて、オフショア事業で培った知見を活かし、洋上風力発電関連事業の推進にも取り組んでいます。
製品輸送事業
であるコンテナ船事業は、長らく厳しい市況が続いていましたが、邦船3社の事業統合により2018年4月にサービスを開始したOcean Network Express(ONE)を通じて、多様化する物流ニーズに対応してきました。近年では、コロナ禍以降の物流混乱や地政学的リスクの高まり、パナマ運河の渇水など、様々な要因によって市況が上昇に転じ、好調に推移してきました。こうした市場環境の中で、コンテナ輸送事業がグローバル社会における重要なインフラであるとの認識が広がっているように思えます。直近では市況が軟化傾向にあり、新造船の供給圧力や紅海地域の情勢など、様々な影響を注視する必要はありますが、当社にとってコンテナ船事業は、重要な収益源となっています。
自動車船輸送に関しては、コロナ禍の輸送需要の減少を背景に、一部の船舶の売船や解撤によって船隊が縮小しましたが、EV(電気自動車)の普及拡大をはじめとする市場の回復と変化を捉えて船隊を拡充してきました。現在100隻規模を運航しており、業績も堅調です。
非海運事業の
ウェルビーイングライフ事業
では、フェリー・内航RORO船事業、クルーズ事業、不動産事業(国内外)などを展開しています。海運事業はボラティリティが大きく、好況不況の波が激しく変動する特徴があります。そのため、株式市場において投資家目線で当社の評価を考える際、安定的に収益を生み出す事業体へ転換することで、株価の安定につながり、資金調達面でも優位になると考えています。こうした背景から、現在は非海運事業を安定収益型事業としてさらに成長させることに注力しています。
2023年度に策定した、商船三井グループ経営計画「BLUE ACTION 2035」では、「海運不況時でも黒字を維持できる事業ポートフォリオへの変革」と「成長投資の積上げと株主の期待に応える利回りの両立」を掲げ、非海運事業のアセット比率を4割(海運:6割)まで高める計画です。
――環境への取り組みについては?
当社の運航船隊は約900隻、年間約1,400万トンのCO
₂
を排出しています。IMO(国際海事機関)は2023年に「2050年頃までに国際海運からのGHG排出をネットゼロにする」という目標を掲げましたが、当社はいち早く2021年6月に『商船三井グループ 環境ビジョン2.1』を発表し、2050年までのネットゼロ・エミッション達成を目標として掲げました。さらに2023年4月に『環境ビジョン2.2』に更新し、2035年の輸送におけるGHG排出原単位45%削減(2019年比)などの具体的な取り組み方針も策定しています。
当社はこの目標達成に向け、船舶の代替燃料への移行を積極的に推進しており、
LNGをはじめ、メタノール、アンモニアや水素への転換も進めていく方針です。アンモニアや水素への燃料転換に関しては、燃料供給の上流(バリューチェーン)にも投資をしています。また、船舶の燃料転換だけでは目標達成が難しいことから、ネガティブ・エミッションへの取り組みも進めています。化学工学的技術を使って大気中からCO
₂
を除去する技術ベースのもの、そして、植林を通じた大気中のCO
₂
吸収を増やす自然ベースのものに取り組んでおり、これらを通じて2030年までに累計220万トンのCO₂吸収・除去目標を設定しています。
インフラ関連企業として、海運事業を軸に、上流から下流までクリーンエネルギーのサプライチェーン全体に貢献できるよう努め、時代の潮流に対応しながら変革を続け、持続的な成長を目指します。
――2024年4月に新設された『カーボンソリューション事業開発ユニット』の管掌役員も兼務されていました。次世代エネルギーやCCUS関連事業など、エネルギー本部との連携をどのように推進されているのか、今後の展開も含めてお聞かせいただけますでしょうか。
2023年度はエネルギー営業本部長として、当社のエネルギー事業全体を統括する立場にいました。海運業の脱炭素化は、全ての船種において乗り越えて行かねばならない共通の課題です。以前は各部門署で脱炭素化の取り組みをそれぞれ推進していましたが、全体像が見えにくい状況でした。そのため、当社全体として脱炭素に向けた課題を共有し、新エネルギーやCO
₂
バリューチェーンの上流から下流までをカバーする一気通貫の組織体制を構築する必要性を感じ、これを実現するための新体制として2024年4月に『カーボンソリューション事業開発ユニット』を立ち上げました。
同部署は、CCUS(CO
₂
回収・有効利用・貯留)事業、カーボンリサイクル事業及び水素・アンモニアなどの新エネルギーに関する事業開発について、戦略立案・推進を一元的に主導する役割を担っています。各事業体にとって脱炭素の課題が深刻化する中、関係各社や顧客が直面する課題に対し、当社がどのように貢献できるかを一元的に検討し、課題解決に向けた取り組みを強化していきます。
脱炭素化の流れは、米国のトランプ政権の影響により一時的に減速する可能性があるものの、不可逆であり、世界的に重要な課題であり続けると認識しています。当社としては、この方針を変えることなく、脱炭素化の推進を継続していく方針です。
――2025年1月、オープンハッチ船社のGearbulk Holding AG(以下、ギアバルク)の連結子会社化を経て、今年度末にはドライバルク船隊が約310隻になる見通しを示しています。同社子会社化で期待されているシナジーについてお聞かせください。
競争法上の関係当局の承認を取得し、2025年1月20日付でギアバルクの株式保有割合を72%に引き上げ、同社を連結子会社化しました。ギアバルクとは、1991年の資本参加以降、当社の持分法適用関連会社として34年間にわたりパートナーシップを構築してきました。同社の特色は、「オープンハッチ船(箱型の船艙と船艙幅の広いハッチを有する特殊船)」を主力に、ドライバルク船によるセミライナー事業を展開していることです。オープンハッチ船は、パルプ、鋼材などのユニタイズカーゴ(成形貨物)の効率輸送を強みとしています。本船上には、ガントリークレーン、またはジブクレーンを搭載し、荷役効率の高い仕様になっています。また、ハッチやデッキ上にも貨物の積載を可能として、風力発電関連資材等のプロジェクト貨物の輸送も行います。セミライナーは、1隻単一貨物単位で契約を行う通常のドライバルクとは異なり、コンテナ船(定期船)に類似した側面を有していることから、ドライバルクの中でもユニークです。ネットワークを活用した配船も特徴的で、特殊船の強みを活かした効率配船を実現することで、通常のドライバルクと比較してマーケットの影響幅が小さい点は強みです。バスを例に挙げると、通常のドライバルクは観光バス、コンテナ船は路線バス、セミライナーは、この中間に位置付けられるため、観光バスの形をした路線バスといえるかもしれません。
ギアバルクでは、長年にわたりセミライナー事業を展開しており、幅広いネットワークや営業力、船舶管理の実績など、豊富なビジネスノウハウも蓄積してきました。当社は、この事業をポートフォリオに組み込むことで、単なる船隊の増強にとどまらず、同社のネットワークや顧客基盤を活かした市場開拓やサービスの拡充を図ります。さらに、コンテナ船や自動車船事業などの既存事業との連携を強化し、シナジーを創出することで、事業のさらなる成長を目指します。また、競争力の高い船隊を構築することで、より多くの貨物を獲得し、当社のドライバルク事業の重要な柱として成長させていきたいと考えています。
――鉄鉱石や石炭などのドライ貨物を取り巻く環境について、世界の政治・経済情勢の中で、短期的、および中長期的に注目をしている事柄は何でしょうか。
鉄鉱石市場は、中国の影響を受けやすく、同国経済の低迷と先行き不透明感が懸念材料です。中国の粗鋼生産量は、年間10億トン前後で推移していますが、近年は国内需要の低迷により、余剰となった鋼材が輸出に振り向けられてきました。しかし、内需の回復が当面見込めないことから、減産を余儀なくされており、短期的には鉄鉱石の輸送需要減退が予想されます。一方、高品位鉄鉱石による低炭素鉄鋼生産の増加や途上国鋼材需要の増加によって中期的には持続的成長が期待されます。
石炭は主に燃料炭と原料炭に分類され、特に燃料炭の需要が高い割合を占めています。欧州では風力発電の発電量が安定せず、再生可能エネルギー由来の電力供給に影響を及ぼしているほか、最近では、ロシアからの欧州向け天然ガス供給が一部停止し、エネルギー供給の先行きが不透明な状況が続いています。さらに、中国国内では一定数の石炭火力発電所が稼働していることから、燃料向けの石炭需要は底堅く推移しています。しかし、脱炭素化の進展に伴い、燃料炭の需要は徐々に減少していくと予想されます。原料炭についても、電炉への転換や、天然ガス・水素を活用した直接還元鉄の普及が進むことで、長期的には需要が減少すると考えられます。そのため、従来の大型船を活用した単一貨物の大量輸送のみに依存するビジネスモデルは、リスクを伴う可能性があります。
――今後のドライバルク事業の船隊整備の方針は?
今後は、需要拡大が見込まれる所謂マイナーバルク(鉱物、金属、鉄鋼半製品、肥料、重量物等)の輸送にも注力していく方針です。これに伴い、必要となる船型やトレードパターンも多様化するため、大型船に加え、中小型船型の船隊整備も重要となります。
当社グループの商船三井ドライバルクにおいても、近海船や中小型バルカー、チップ船などを運航しており、前述のギアバルクの話にも関連しますが、グループとして、特色ある貨物の輸送に強みを発揮していきたいと考えています。今後は、人口増加やインフラ整備が進むグローバルサウスを中心に、物流や物量の拡大が見込まれますので、新たな需要創出と市場開拓に一層注力していきたいと考えています。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
熊本県の天草出身で、小学生まで天草で過ごしました。その後熊本市近郊に移り住み、中学・高校の頃は、熊本市内の学校に通っていました。高校生活においては、生徒会の活動にのめり込み、体育委員長として体育祭の企画から運営までを担当し、体育祭を無事成功に導くことができました。一方で、学業が疎かになっていたこともあり、地元の伝統ある予備校へ通いながら一浪し、大学進学を目指しました。
大学進学後は、新しいこと、変わったことに挑戦したいという思いがあり、縁あって応援団に入ることになりました。当時、大学の応援団には高校の先輩が在籍しており、「面白いことができる」と熱心に勧誘されました。最終的には、私の下宿先まで探し当てられ、「もう逃れられない」と思い入団を決意しました。私自身、あまのじゃくな性格なので、他人と違うことをやりたいという気持ちがありましたが、入団して正解でした。そこでは、それまで自分が経験してきた世界とは異なる価値観があり、非常に面白かったです。
学生野球の応援では、大学野球リーグ「関西学生野球連盟」の試合で大変盛り上がり、入団早々の応援で私の大学が同志社大学に勝利する瞬間を、応援団の一員として立ち会うことができました。応援団として全力で応援し、周囲との一体感が生まれる瞬間は何にも代えがたい感動がありました。また、他大学との交流もあり、旧帝大(7大学)の応援団との定期戦も毎年非常に楽しく、応援団の活動を通じて仲間との絆が深まりました。
特に印象に残っているのは、私が3回生の時のライスボウル(アメリカンフットボールの日本一決定戦)の試合です。当時社会人1位だったレナウンを僅か1点差で下し、日本一の栄冠を手にする貴重な瞬間に立ち会うことができました。応援団では、各メンバーの適性に応じた役割分担が自然に行われ、その中で私は4回生時にはリーダー部長を任され、今では想像つかないと思いますが、自称“鬼のリーダー部長”でした。
――海運業界を志望した背景は?
私が就職活動をしていた1985年当時は売り手市場で、多くの企業から声をかけていただく状況でした。しかし、大学入学当時と同様、「人がやらないことに挑戦したい」という信念がありました。当時人気のあった金融業界の企業からは「サラリーマンになるなら当社に入社すべきだ」という勧誘も受けましたが、あまのじゃくな性格の私は、むしろその言葉に反発し、別の道を模索することになりました。
一方で、私が所属していたゼミの故 川又良也教授は海商法の権威であり、「海運は経済的に厳しい業界だが面白い」という言葉が強く印象に残っていました。また、応援団の先輩が山下新日本汽船に入社していたこともあり、面接を受けることになりました。
――先輩に捕まることが多いですね。
それでも面接直後は、まだ入社を決意できていませんでしたが、当時の社長から「(私の母校の)OBであるゼミの先生のお墓参りに京都に行くので一度会って欲しい」と誘われ、1対1で面会しました。それがきっかけで入社を決める流れになりました。
――社長に捕まってしまったら、もう決まりですね。
入社当時は、プラザ合意の影響で円高が進行し、さらに大手海運会社の倒産などもあり、周囲からは「本当に入社するのか?」と心配されました。入社後は、海運各社が「緊雇対(緊急雇用対策)」の名の下、厳しいリストラを余儀なくされている状況でした。私の配属先は経理でしたが、月次決算の数字は三角(赤字)ばかりで、「大変な会社に入社してしまった」と感じると共に本気で転職を考えました。しかし、転職活動をしようとしていた矢先にジャパンラインとの合併の話があり、1989年に同社と合併してナビックスラインが誕生しました。当時私は合併決算を担当することになり、転職どころではなくなっていました(苦笑)。
ジャパンラインはラグビー部をはじめ体育会系出身者が多く、合併後の社内は活気にあふれ、明るい雰囲気になっていました。その影響もあり、新しいメンバーとともに、新たな気持ちで働いてみようと考え直しました。しかし、円高や市況の低迷など、海運業界を取り巻く厳しい事業環境の中で、ナビックスラインの財務体質は改善の兆しを見せませんでした。結果として1999年に大阪商船三井船舶と合併し、商船三井が誕生しました。
こうした状況の中、私は海運が成長産業だと思うことができず、再び転職を検討しました。しかし、2度目の合併に際し、私はナビックスラインの労働組合委員長を務めていたことから、2社の雇用条件を2年間で統一するという重要な任務を担当することになりました。その結果、転職を考える余裕は無くなり、次第に辞めたいという気持ちも薄れていきました(苦笑)。
――何度も辞めるチャンスを逃したように見えますが、運命に導かれているようです。
その後、鉄鋼原料の営業を6年ほど経験し、コンテナ集荷代理店であるエム・オー・エル・ジャパンに出向してコンテナ営業を担当しました。コンテナの仕事は、学生時代に神戸のコンテナターミナルを訪れた経験があり、「いつかコンテナに関わる仕事を経験したい」と思っていたため、念願の業務でした。出向当時は40代前半で初のコンテナ営業でしたので、若手社員に教えてもらいながら業務を習得しました。プライシングやスケジューリングの仕組み、採算管理などはドライバルクと全く異なり、新たな視点を得る大変貴重な機会となりました。また、業務を通じて世界中の商船三井グループのメンバーとの接点が増え、それまで経験してきたドライバルクとは異なる世界が広がり、大きな刺激を受けました。
出向先から戻った後は、ナビックス出身の先輩からの強烈な指導を受け、電力炭の輸送を担当することになりました。2008年から約10年間、電力炭輸送に携わりましたが、特に印象に残っているのは、2011年の東日本大震災直後の対応です。電力業界全体が原子力発電停止で混乱し、電力供給体制の維持が一層困難となる中、代替燃料である石炭の確保や、石油火力のフル稼働に伴って不足する内航タンカーの手配も担当しました。
その後、ドライバルク(石炭、専用船)の部長を経て、2023年4月にエネルギー営業本部長に就任し、新規事業として、再生可能エネルギーである風力発電関連事業の担当をすることになりました。
――2度の転職の危機もありましたが、特に面白いと感じた経験はありますか?
鉄鋼原料の営業を担当していた2002年、川崎製鉄と日本鋼管が合併し、JFEスチールが誕生しましたが、両社の合併により当社のシェアが減少する懸念がありました。そこで、JFEスチールとの関係強化を図るため、当時オペレーションを担当していた課長と連携し、営業と契約をワンストップで行う体制を推進しました。スピード感のある対応が可能となったことで、社内外からも高く評価いただき、大きなやりがいを感じた経験でした。
また、山下新日本汽船への入社3年目で経験した乗船研修は、純粋に面白かったです。オーストラリア航路を航行するコンテナ船で39日間の研修でしたが、当時は全員日本人船員で、研修中は先輩船員との対話を通じて、多彩な知見や経験を得ることができました。三交替勤務制のもと、全ての交替時間帯に同席することで、睡眠時間が削られることもありました。しかし、豪州の港で船が混雑して沖で停泊している際には、待機時間に釣りをし、大量に採れたサバを船上で調理して味わうという貴重な体験もできました。
――人生の転機についてお聞かせください。
大学生の頃の応援団の経験です。応援団の活動は、自分のためではなく、「利他の精神」に通じるものがあると感じています。
応援そのものは、時には厳しく過酷に思うこともありました。しかし、プレーしている選手以上に声を出して全力で応援し続けることで、その想いが選手に届き、良いプレーや勝利に繋がる瞬間を何度も経験しました。当初は応援に対して懐疑的に感じることもありましたが、活動を続ける中で、人のために全力を尽くすことへの喜びを実感しました。当時は、自分が何に惹かれていたのか言語化することができませんでしたが、今振り返ると、他者に貢献することにやりがいを感じていたのだと思います。海運という仕事も、社会やお客様のために尽くすという点で、応援団の経験とどこか通じる部分があるのかもしれません。
――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
天台宗の開祖・最澄の言葉に「一隅を照らす」というものがあります。「一隅」とは、自分の居る場所のことを指しますが、一隅を照らすことで、その光が周囲にも広がり、全体がより明るくなっていきます。これまで経験した仕事の中で、苦労を感じたり、ポジティブに取り組めないこともありました。しかし、自らが置かれた場所で最善を尽くし、目の前の業務に尽力することで、やがて自分の小さな努力が周囲へと波及し、チーム全体の士気向上や成果につながっていくことを実感することができました。仕事に対する姿勢だけでなく、笑顔や挨拶などの小さな積み重ねも、周囲への良い連鎖に繋がっていくと感じています。
この他にも、高杉晋作の辞世の句として知られる「面白きこともなき世をおもしろく」という言葉も好きな言葉です。面白くないと見える状況でも面白くできるかどうかは自分次第であり、自分が身を置く場所を面白くしていきたいという思いは常にあります。
――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。
一昨年(2023年)、初孫が生まれたのですが、大変感動すると共に、孫というのは、こんなにも愛おしいものなのかと実感しています。今後の目標は、健康寿命90歳を目指し、生涯現役でいることです。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
父が作ってくれた熊本の郷土料理の「だご汁」です。小麦粉を水で練って作られた団子と、野菜がたっぷり入っており、時々父が作ってくれたその味は、今でも忘れられません。
学生時代から今でも変わらず大好きなのが、「餃子の王将(京都王将)」の餃子です。そして、京都といえば「天下一品」のこってりしたラーメンも好きです。学生時代は北白川本店に通い、その濃厚な味を堪能していました。
――心に残る「絶景」について教えてください。
高台から眺める地元阿蘇の雲海です。予備校時代には、偶にバイクで訪れていました。先日出張で訪れたチューリッヒ港でも雲海を目にしましたが、故郷を思い出す感覚になりました。また、天草の海も印象に残っている景色の一つです。故郷の景色は、懐かしさと共に、今も私の心に深く刻まれています。
【プロフィール】
鍬田 博文(くわた ひろふみ)
1962年5月生まれ 熊本県出身
1986年3月 京都大学 法学部 卒業
1986年4月 山下新日本汽船株式会社 入社
1989年6月 ナビックスライン株式会社 経理部主計グループ
1999年4月 株式会社商船三井 不定期船部不定期船チーム課長代理
2005年4月 株式会社エム・オー・エル・ジャパン 出向
2008年6月 株式会社商船三井 専用船部電力炭第二グループリーダー
2011年6月 専用船部電力炭第一グループリーダー
2012年6月 専用船部長
2015年6月 専用船部長 兼 専用船部木材チップグループリーダー
2015年7月 専用船部長
2016年4月 石炭船部長
2017年4月 執行役員 就任
2020年4月 常務執行役員 就任
2023年4月 専務執行役員 エネルギー営業本部長 就任
2024年4月 副社長執行役員 チーフ・オペレーティング・オフィサー(営業) ドライバルク営業本部長
就任
2025年4月より現職
■株式会社商船三井(
https://www.mol.co.jp/
)
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