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【マリンネット探訪 第51回】
祖業の志を胸に
高品質のステンレスケミカルタンカーで“宇宙一”の造船所を目指す
< 第565回>2025年06月16日掲載 


福岡造船株式会社
代表取締役社長
田中 嘉一 氏













――高品質のステンレスケミカルタンカーを主力とし、その優れた技術力は国内外でも高く評価されている、福岡造船株式会社様の田中 嘉一社長です。福岡造船の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。

 当社の創業は1947年で、当時は主に漁船を建造していました。その後徐々に一般商船へ転換し、現在はケミカルタンカーが主力製品です。ケミカルタンカーの船型は20,000Dwt型を中心に、小型は10,000Dwt型前後から大型では33,000Dwt型まで、様々なサイズのケミカルタンカーを建造しています。このほかにもフェリーやセメント船、内航油送船を建造しています。福岡造船には、福岡工場と長崎工場(2004年に旧 長栄造船株式会社の造船施設を譲受)の2つの工場があります。1970年代には、世界で初となるステンレスケミカルタンカーを建造し、その後もステンレスケミカルタンカーの建造を強みに、これまでの建造実績は200隻を超えています。当社が誇る高品質のステンレス製カーゴタンクは耐食性に優れており、酸などの腐食性の高い化学製品の輸送も対応可能で、メンテナンス性の高さも特徴です。また、弊社グループ3工場で建造するケミカルタンカーの建造実績(隻数)は世界トップクラスを誇り、品質と技術力で高い評価をいただいています。


――グループ会社である臼杵造船所やふくおか渡辺造船所と共に体制の集約を進めてこられましたよね。

 ふくおか渡辺造船所は2018年1月、当社が渡辺造船所(当時)の発行済み株式を100%取得し、グループ会社となりました。同社は当時、顧客のためにも事業の継続を強く望んでいましたが、経営陣の高齢化と後継者問題に直面していました。そこで、立地の近い長崎工場を有する当社が株式を取得し、事業を継続する運びとなりました。
 臼杵造船所は2018年4月に96%の株式を取得しました(現在は100%の株式を取得済)。渡辺造船所の統合も含めてわずか3か月間でM&Aを2回行う結果となり、非常に目まぐるしい展開の中で時が流れていきました。
 臼杵造船所は福岡造船と同様、旧田中産業グループがルーツで、グループの出発点となったのが、臼杵造船所の前身である臼杵鉄工所です。臼杵造船所の正面玄関前には、私の曽祖父、臼杵鉄工所の創業者である田中 豊吉氏の銅像があります。臼杵鉄工所は元々焼玉エンジンを製造していましたが、その後鋼船の建造も手掛けるようになり、地域の造船業の基盤を築き上げました。1978年に倒産しましたが、1988年に臼杵鉄工所の設備や技術を引き継ぐ形で、臼杵造船所として操業を再開しました。



――これまでの集約によるシナジーやご苦労されたことについてお聞かせいただけますでしょうか。

 ふくおか渡辺造船所は漁船が主力で、当社が建造する一般商船とは経営手法が異なりますが、資材調達の集約を進めると共に、長崎工場の立地も活かして、人材獲得や情報交換などを積極的に行っています。今後はIT化やDX推進など、管理体制の集約も推進していきたいと考えています。

 臼杵造船所は当社同様、主力製品がケミカルタンカーであることから、統合後は資材調達の一元化を進めました。最近では、設計面での連携を強化しており、両社が建造できる標準船型の19,000Dwt型ケミカルタンカーを開発し、徐々に受注をいただいています。
 一方で、同じ船型を建造するにしても、両社の工場設備が異なるため、建造工程に違いが生じます。このため、細かな部分で課題が残っており、設計陣も頭を悩ませています。今後は設備更新を進め、最善策を模索していきたいと考えています。
 また、人材確保においては、福岡地区・臼杵地区ともに厳しい状況が続いていますが、両工場長が連携を深めることで、人員の融通などが可能になりつつあります。
 グループ全体として、徐々にシナジーが出てきていると感じますので、引き続きこの効果を高めていきたいと思っています。



――現在の受注状況と建造体制、今後の新造船マーケットの見通しについてお聞かせください。

 福岡造船の福岡工場と長崎工場の2工場、そして臼杵造船所を合わせた計3工場の年間建造隻数は、約12隻(各4隻)です。2027年までの船台は契約をいただいており、現在は2028年以降の引き合いを少しずついただいている状況です。ケミカルタンカーの新造船価格は、船型にもよりますが、5年前と比較して約2倍の水準になっています。用船マーケットと新造船価格のミスマッチも慢性化しており、特に昨今の物価上昇や人件費の高騰には頭を抱えています。
 我々のお客様は欧州方面に多く、直接訪問して営業を行うことで、長年にわたり信頼関係を築いてきました。しかし、近年は特に中国造船所の存在が脅威であると感じます。中国では市況低迷によって休止していた設備が復活しているほか、建造実績も増えて技術力が高まっている印象です。日本建造船と中国建造船の品質や納期の違いを理解したうえで発注してくださる船会社様がある一方で、中国建造と割り切って発注する船会社様が一定数存在することも事実です。



――2024年の5月と7月に、日本造船所初となるLNG燃料ケミカルタンカーが竣工を迎えました。次世代燃料はじめとした環境対応船に対する方針や今後の展開についてお聞かせいただけますでしょうか。

 環境対応船は、造船所として取り組まなければならない課題と捉えています。しかしながら、当社単体での開発を進めるには、人的リソースや開発コストの面で難しいと考えています。そのため、他の造船所と連携して、造船技術をクラウド化するなど、各造船所が補完し合いながら開発を進めることができる環境整備が必要だと考えています。当社はケミカルタンカーがメインですが、環境対応船はどの船種においても各社共通の課題です。設計陣同士が連携を深めながら各社の強みを活かし、弱みを補完できる体制が必要だと考えています。既に他の造船所と意見交換や勉強会なども行っています。


――新燃料船の対応や、新たな造船技術に関する共通課題については、すでに他社との連携が始まっているとのことですが、同一船種における共同開発の可能性については、どのようにお考えでしょうか。

 他社と共同で開発しても良いと考えています。しかし現状、各造船所がそれぞれ素晴らしい技術や能力を備えていても、会社の垣根を超えてチームとして纏めようとすると、各社の個性が強いため、必ずしも強固な組織として機能するとは限りません。一方で、いつまでもその状況を嘆いていては前に進むことができません。時代は変化し、世代の若返りが進む中で、以前に比べ、より活発な意見交換が可能な環境へ移り変わりつつあると実感しており、この流れを積極的に活かすことができたらと考えています。

 内航船の取り組みに関しては、日本財団の「ゼロエミッション船の実証実験にかかる技術開発助成プログラム」のコンソーシアムメンバーとしてプロジェクトに参画しています。ヤンマーパワーテクノロジー様や、上野トランステック様と共に、水素エンジン発電機とバッテリーの組み合わせによる「水素エンジン対応のハイブリッド電気推進船」の開発に取り組んでいます。



――造船業の人手不足に対する御社としての取り組みについてお聞かせください。

 地元の福岡市は商業都市という背景もあり、造船業を知らない方が多いので、福岡で船を作っていることを知ってもらうために、InstagramやTikTokなどのSNSを通じた発信活動行っています。具体的には、進水式の一般公開など、福岡市・長崎市での造船業の認知向上を目的とした取り組みを進めています。また、メディア取材にも適宜対応しています。ふくおか渡辺造船所では、現在TVCMを放映しており、認知度向上を図るとともに、新卒者や転職者がエントリーしやすい環境づくりに努めています。
 外国人材については、協力会社と連携し、外国人実習生の力を借りるとともに、正社員として若干名の外国人を採用しています。
 福利厚生面も改善を進めており、男性社員にも育児休暇を推奨しています。また、出産祝い金の制度では、3人目の出産を推奨する制度設計にしています。具体的には、1人目の誕生で5万円、2人目で10万円、3人目で100万円を支給しています。この制度については、初産に重点を置くべきかどうか、現在制度内容の再検討を進めています。
 また、休日についても見直しを図っています。現場では土曜日出勤が常態化していたため、先ずは隔週土曜日を休日にするなど、土曜日も休みやすい環境を整えており、いずれは完全週休2日制にしたいと考えています。人手不足解消に向けては、従業員の声に耳を傾け、アイディアを発信しやすい環境づくりが大切だと考えています。従業員が一人で抱え込まないよう、会社としてもできる限り応える努力をしています。


 このほかには、社内にヨット経験者が増えてきたこともあり、2023年に社内に実業団としてヨット部を創設しました。2024年9月には、全日本実業団の試合で4位の成績を収めることができました。ヨット部経験者の繋がりで、採用応募いただくことも増えています。ヨット部の活動を通じて当社の認知度向上にも繋げていきたいです。



――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。

 出身は福岡市で、高校生まで地元で育ちました。高校生の頃は、サッカーが好きで、社会人のサッカークラブに参加していました。


――高校のサッカー部には入らなかったのですか?

 高校のサッカー部は全国大会に出場するほどのサッカー強豪校で、7軍にまで分かれていました。しかし私は、その部に所属して全国制覇を狙うことは考えず、サッカーそのものを楽しむために、社会人チームの一員として地域対抗試合や遠征試合に参加するなどしてサッカーに明け暮れていました。


――高校時代は社会人とのサッカークラブの活動に明け暮れていたとのことですが、進路はどのようにお考えでしたか。

 当時は将来の事を深く考えておらず、毎日を漠然と過ごしていました。勉強も高校を卒業できれば十分と考えており、大学進学は全く視野に入っていませんでした(苦笑)。


――進路選択が迫られる高校3年生の頃は?

 高校3年生の年明けの受験シーズンが本番となる時期、両親と進路のことで話し合いになりました。それまで、私の中に大学進学という選択肢は無く、特段の志望校もありませんでした。何となくアルバイトをしながらお金を貯めて、海外留学をしたいなという思いを抱いていました。






――大学をどこも受けていなかったとは驚きです。お父様の反応が怖いです。

 父からは大変怒られました。「大学は卒業しておくように」と言われ、翌年東京の大学に進学しました。大学生の頃は、居酒屋でアルバイトをしたり、その仲間とサーフィンに出かけたり、大学へ進学したものの、あまり学校には行きませんでした(苦笑)。
 大学卒業後は福岡造船に入社し、新和海運(現:NSユナイテッド海運)様に3年間出向しました。2012年からは福岡銀行様のシンガポール事務所で2年半お世話になりました。シンガポールでは、多くの船主様とのご縁をいただき、海運についても深く学ぶことができました。また、業界内での人脈も広げることができ、その後の海事クラスターにおける関係構築において大いに役立つ経験になったと思います。
 帰国後は福岡造船に戻り、取締役、副社長を経て2020年11月社長に就任しました。



――社長就任の経緯は?

 学生の頃は家業を継ぐことに抵抗があり、敢えて将来のことを考えないようにしていました。海外留学を目指すことで、無意識にその重圧から逃れようとしていたのかもしれません。しかし、この業界で働くようになり、多くの人とのご縁をいただく中で、海運・造船の魅力を実感し、当社をより良い造船所にしたいという思いが強くなっていきました。プライベートでは、2019年に第一子が産まれて生活環境が変化し、さらに2020年は、コロナ禍で行動が制限されたことにより1人で考える時間が増え、会社経営に対しても、これまで通りではいけないという強い危機感を抱くようになりました。コロナ禍による社会の変化を横目に、現状維持を守ろうとする社内の雰囲気に対して違和感を覚え、当時社長を務めていた父と話し合い、自ら社長就任を申し出ました。幾度も話し合うことで、父にも理解と期待をいただけるようになり、2020年11月に社長就任に至りました。


――人生の転機についてお聞かせください。

 子供の誕生です。2019年に第一子、2020年に第二子、2023年に第三子が誕生しましたが、子供が誕生する度に転機が訪れたと感じています。第一子の誕生によって、初めて父親としての責任感を強く感じ、第二子が誕生した際には、時の流れの速さを実感するとともに、子供が道を外れないように成長を見届けるにはどうしたら良いのかを考えました。第三子が生まれた際には、改めて家族が増えたことを実感し、もっと頑張って働かなければならないという気持ちが一層強まりました。
 また、社長に就任した当初は、目の前の課題に対してがむしゃらに取り組んでおり、「社長の言うことを聞け」といった態度になっていました。しかし、我が子が誕生し、子供の声に耳を傾けなければならない状況に直面したことで、次第に「社員の声にも耳を傾けなければならない」と意識を改めるようにもなりました。






――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。

 「一生懸命遊ぶ、とことん遊ぶ」です。これまで多くの方とのご縁をいただき、遊びの時間を共有することで礼儀や作法を教えていただきました。その中で、怒られることや褒められることなど、様々な経験を積み重ねることができました。お世話になっている方々には、心配をいただくこともありますが、遊びも含め何事も全力で取り組むことで得られる学びがあると感じています。






――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。

 涙腺が緩めなので、感動して涙することが多いのですが、子供の成長には日々感動しています。最近では、子供と一緒に観た「ドラえもんの結婚前夜」に感動して、思わず子供と一緒に泣いてしまいました。
 夢や目標は、造船所として存続すること、そして、世界一の造船所目指すことです。世界一になるには他を圧倒する宇宙一の造船所を目指す覚悟が必要だと考えています。宇宙一を目指さなければ世界一にもなれず、また世界一を狙わなければ、日本一にも届かないと考えています。ただし、何において1番を狙うのかについては、まだ模索しているところです。



――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 厚焼き玉子です。大学生の時、居酒屋のアルバイトで1日100本以上焼いていたので、美味しく作れる自信があります。今でも腕は確かだと思います。
 得意な玉子焼きに関連してというわけではないのですが、幼稚園に通う子供2人のお弁当を毎日作っています。仕事で作れない日もありますが、できる限り毎日作るようにしており、Instagramにお弁当専用のアカウントを作って写真を投稿しています。
 お店の味では、地元にある九州名物「とめ手羽」が大好きです。ビールと一緒に食べる手羽先が最高で、一度に30本完食する自信があります。



















――心に残る「絶景」について教えてください。

 長時間見ていても飽きないのは、石垣の海や西表の夕日です。家族旅行で訪れましたが、今でも目に焼き付いています。また先日、北海道のニセコに行く機会がありましたが、雪に覆われた白銀の美しさには圧倒されました。


【プロフィール】
田中 嘉一(たなか よしかず)
1986年2月生まれ 福岡県出身
2009年3月
   拓殖大学 政経学部 卒業
2009年4月
   福岡造船株式会社 入社
        新和海運株式会社(現 NSユナイテッド海運株式会社)出向
2012年3月
   福岡造船株式会社 帰任
2012年4月
   福岡銀行(シンガポール事務所) 出向
2012年7月
   取締役 就任
2014年6月   福岡造船株式会社 帰任
2019年10月 代表取締役副社長 就任
2020年11月より現職


■福岡造船株式会社(https://www.fukuzo.co.jp/

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