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【マリンネット探訪 第58回】
社員の幸せを礎に
国内外の連携で次世代燃料船への挑戦を加速
<
第573回
>2025年11月28日掲載
常石造船株式会社
代表取締役社長執行役員
奥村 幸生 氏
――1917年の創業以来、100年以上の歴史を持ち、グローバルな造船ネットワークを展開する、常石造船株式会社様の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社の最大の特色は、フィリピンと中国に工場を持ち、グローバルな建造体制を確立している点にあります。フィリピンには約30年前、中国には約20年前に進出し、現地での安定した生産体制を構築してきました。特に当社は中型船の建造を得意としており、中でも注力しているのがハンディマックスバルカー船型「TESS(ツネイシ・エコノミカル・スタンダード・シップ)シリーズ」と「カムサマックスシリーズ」です。TESSシリーズは1983年、私が入社した年に第1船が建造され、これまでに570隻以上を建造し、性能の向上や環境対応技術の導入を繰り返しながら、進化を続けています。カムサマックスは、2005年に第1船が建造され、昨年ついに400隻目の建造を達成、現在THI(TSUNEISHI HEAVY INDUSTRIES (CEBU), Inc.)(以下、セブ工場)で建造しているメタノール二元燃料船は第6世代のカムサマックスです。「カムサマックス」という名称は当社が最初に使用したものであり、今では船型そのものを示すグローバルな呼称となっていることに、大きな誇りを感じています。
この2つの船型を中心に、セブ工場や舟山工場(中国)なども活用し、効率的かつ高品質な造船を実現しています。海外工場の存在は、コスト競争力の強化だけでなく、多様な設計・建造ノウハウの蓄積にもつながっており、日本国内では取り扱いが難しいような案件もグループ全体で対応できる体制が整っています。
――今年6月に三井E&S造船を完全子会社化、11月には常石三保造船と新潟造船の統合を控えていますが(9月中旬取材時)、どのようなシナジーを期待されていますか?
常石ソリューションズ東京ベイ(旧:三井E&S造船)の技術力と常石グループの営業力、さらに常石三保造船と新潟造船が有する中・小型船、特殊船分野の知見を融合することで、大きなシナジーが生まれると期待しています。具体的には、これまで個別に行っていた調達活動・設計業務・営業活動を統合することで、業務効率の向上に加え、調達コストの削減やリードタイムの短縮にもつながると考えています。
また、両者が得意とする漁船の建造技術を活かした海外展開も視野に入れています。漁船は東南アジアでの需要が高く、新興国市場へのアプローチも強化していく方針です。
――東ティモールでの新造船所の建設も計画されているとのことですが、計画の進捗や将来像をお聞かせください。
現在はフィージビリティ・スタディの段階ですが、調査・検討が順調に進めば、来年には工場建設を開始し、2028年には第1船の竣工が可能になると見込んでいます。東ティモールは平均年齢が20歳前後と若い労働力に恵まれている一方で、製造業は未成熟な国です。そのため、本プロジェクトは東ティモールにおける雇用創出を通じて国内産業の活性化を促し、社会貢献の観点からも非常に大きな意義を持つと考えています。
メタノールやLNG、アンモニア、水素などの新燃料船の建造にも対応する方針で、設備の設計段階から最新の燃料対応インフラを盛り込む予定です。フィリピンや中国の工場と同様に、初期の立ち上がりには時間がかかることが予想されますが、長期的にはグループの中核となる建造拠点の一つに育てていきたいと考えています。
――次世代燃料船の開発では、特にメタノール燃料船に注力されています。現状の建造体制に加え、現在直面している課題についてお聞かせください。
当社では、新燃料船に対してスピード感をもって積極的に取り組んでいます。
現在、メタノール燃料船については、日本・中国・フィリピンの3拠点で建造体制を整備しています。2024年11月には、常石工場で世界初のメタノール二元燃料ウルトラマックス型バルカーが進水。さらに、2025年7月にはセブ工場において世界初のメタノール二元燃料カムサマックス型バルカー、同年8月には舟山工場においてメタノール二元燃料5,900TEU型コンテナ運搬船がそれぞれ進水しています。
このほかに、LPG燃料船への取り組みも進めています。LPG船は従来当社が手掛けてこなかった船種であったため、常石ソリューションズ東京ベイと連携し、設計・製造・艤装の開発や技術の習得に取り組みました。当社での建造を始める前は、中古LPG船を購入し、実際に目で見て知見を深めるなど、実践的な学習も行いました。第1船は2024年1月に竣工しており、現在は3隻目を建造中です。
アンモニア燃料船は、2023年4月に三井E&S造船株式会社様(当時)と株式会社商船三井様との3社共同で基本設計承認(AiP)を取得しました。現時点ではエンジン開発の遅れにより建造計画を一時的に中断しています。
水素燃料については、ジャパンハイドロ株式会社と連携のもと、国内初となる水素燃料タグボートを建造し、現在実証実験を行っています。また、水素燃料供給ステーションの整備も進めており、今後も水素を活用した船舶の実用化に向けた検討を継続していきたいと考えています。
次世代燃料船に共通する課題は、建造工期が重油焚き船に比べ長期化する点です。これは艤装期間の延長によるもので、岸壁の使用時間が長期化し、設備稼働率に大きな影響を及ぼします。工期に関しては、第1船の建造を通じて多くの検討事項が明らかになっており、これらの知見を活かして、2船目・3船目では工期の短縮を図っていく予定です。
工期が伸びるという課題はあるものの、当社では、社員一丸となって新燃料船の建造に取り組んでいます。もちろん、新燃料については供給体制の整備との兼ね合いもありますが、着実に進めていきたいと考えています。
――尾道造船株式会社と42型バルカーを共同開発されるなど、他社との連携も進められています。
尾道造船株式会社様との連携では、ハンディサイズバルカーを共同開発し、設計の効率化と生産性向上を実現しました。このプロジェクトは「六社会」(「五社会」が発展したもの)という業界内の研究会の延長線上で誕生したもので、各社の強みを持ち寄って開発を進めた点に意義があります。
共同開発のメリットは、人的リソースの有効活用や設計期間の短縮だけでなく、新燃料技術のノウハウを相互に共有できる点にもあります。業界全体が脱炭素に向けて大きく舵を切る中、単独では対応しきれない領域も増えており、今後も他社との連携体制の強化が不可欠だと考えています。
――「徹底的にひと重視」という方針のもと、人事制度改革にも取り組まれているとのことですが、具体的にはどのような施策を進めていますか?
当社の人事施策は、「人を最も大切な資産と捉える」という考えに基づいています。新卒初任給については28万円に改定し、業界内でもトップクラスの水準となりました。さらに、出産祝い金の増額、育児休業制度の拡充、遠方赴任者向けの住宅補助など、ライフステージに応じた支援も手厚くしています。
人材育成では、部長・グループ長向けの「フェアネスプロジェクト」、若手向けの「ネットワークプロジェクト」を導入しています。「フェアネスプロジェクト」では、公正な評価と目標設定のあり方を研修形式で学び、チーム運営力の底上げを図っており、「ネットワークプロジェクト」では、30代の若手社員が横断的にチームを組み、新規事業案の立案・検討に取り組んでいます。既に、「LPGタンクの外販事業」や「船舶モニタリングサービス『seawise』の拡張展開」などが具現化しており、社内ベンチャー的な動きも活発です。
また、私自身も全部署と定期的にミーティングを行い、若手社員との懇談や意見交換の場を設けるなど、風通しの良い職場づくりに努めています。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
出身は広島県尾道市です。父が漁師だったこともあり、幼いころから船や海に親しみを持って育ちました。そのため私自身も中学生の頃には漠然と「将来は船に関わる仕事がしたい」と思うようになりました。高校卒業後の進路を考える際には、先生に「船舶関係の専門学校に進学したい」と相談をしたところ、「大学まで行って判断したほうがいい」と助言をいただき、東京商船大学(現・東京海洋大学)を唯一の志望校として受験し、無事に合格しました。
――学生時代はどんな部活動に取り組まれていましたか?
中学時代は卓球部、高校時代はラグビー部に所属していました。高校でラグビー部を選択したのは、当時、ドラマ『われら青春!』(1974年)が流行っており、ラガーマンに憧れを抱いたことがきっかけでした。
大学時代はヨット部でした。大学進学後は学生寮に住み、そこでは2~4年生の3人の先輩と衣食住を共にしていました。その中の1人がヨット部だったご縁で声を掛けられ、入部しました。4年間の練習は厳しく辛いものでしたが、それ以上に楽しい思い出や仲間との貴重な経験がたくさんできました。
――大学生活で特に印象に残っていることは?
合計1年間にわたる乗船実習ですが、特に最後の実習は強く印象に残っています。帆船“海王丸”でハワイまで航海するというもので、それまでの実習とは比べものにならないほど過酷でした。航海中はほぼ毎日のように低気圧が発生し、嵐の中を何十日も東へ向けて航海を続けました。海王丸は昭和5年(1930年)に竣工した船でしたので、大きな造水機も無く、入浴は洗面器7杯分の水だけに制限され、その限られた水で体と頭を洗わなければなりませんでした。普段陸上では決して味わえない経験であり、心身ともに厳しい実習でしたが、実践的な知識や技術を学ぶと同時に、海の魅力や船の仕組みに対する関心が一層深まったと感じています。
――就職活動はどのように進められましたか?
大学卒業から就職まではとてもスピーディーでした。大学の最終実習が9月に終わり、その直後に就職活動を始めました。大学在学中から、地元広島で働きたいと思っていたので、下船後すぐに常石造船に電話を掛けたところ、「すぐに来て採用試験を受けてほしい」と言われました。採用試験を受けたその日には合格の連絡をいただき、「明日から来てください」と即採用が決まりました。東京から広島への引っ越しもありましたが、卒業後2週間ほどの休みを経て入社しました。その速さには驚きましたが、当時の常石造船はそういう会社でした(笑)。
入社後は工場での現場業務からスタートしました。当時は右も左もわからない状態で、溶接の現場に入りながら図面の読み方や船舶構造などの基本を学び、日々勉強の連続でした。プライベートでは入社1年目の年に結婚し、仕事と生活の両面で責任を強く意識するようになりました。
その後、艤装部門へ配属され、船の配管や電装、機関周りの設計と施工を担当しました。船によって仕様が異なるため、毎回新しい課題に直面していましたが、それが自分自身の成長にもつながったと感じています。
2011年には舟山工場の工場長として中国へ赴任し、異文化の中でマネジメントを任されることで多様性の重要性を実感するとともに、様々なイベントを通して現地スタッフとの信頼関係を深めることができました。
――社会人になって最も辛かった経験は?
実は、この会社に入ってから三度「辞めたい」と思ったことがあります。
一度目は、入社して2~3年経った頃です。職場内で派閥が生まれ、自分はその状況に馴染めないと感じて辞めることを考えました。
二度目は、バブルがはじける前の30歳前後です。当時造船業界は不況に陥っていましたが、世間は好景気で、同期が証券会社へ転職したり、私自身にも数え切れないほどの転職勧誘のダイレクトメールが届いていました。そうした状況の中で心が揺らぐこともありましたが、その頃は仕事が忙しく、ちょうど第二子の誕生や家を建てた時期でもありました。「ここで踏ん張らねばならない」という思いで、目の前の仕事に懸命に取り組みました。
三度目は、今でも鮮明に覚えていますが、40歳の頃、オランダの海運会社向けの船舶設計を担当した時のことです。3隻の受注をいただきましたが、いずれも複雑な仕様や厳しい要望があり、図面も固まっていない状況でした。そのため毎日深夜まで必死に働き、1か月の残業時間が300時間を超えたこともありました。帰り道の車の中で、赤信号のわずかな停止時間に眠ってしまいそうになるほど疲労していたことを、今でもはっきり覚えています。
さらに当時は造船不況の真っ只中で、造船所同士の合併が相次ぎ、当社も多度津造船株式会社と合併した時期でした。社内で希望退職を募ったこともあり、「ここで辞めるのも一つの選択かもしれない」と真剣に考え、妻にも退職の相談をしていました。ところが、募集の締め切りが予定よりも早く行われたため、結局辞めずにそのまま働き続けることになりました。
その後も忙しい日々は続きましたが、踏ん張る原動力は家族の存在でした。家族がいるからこそ、簡単に「辞める」という決断ができなかったと思います。
――その後の仕事への向き合い方は変わりましたか。
40歳で建造部のグループ長になり、仕事に対する考え方が大きく変わりました。協力会社を含め約200人のメンバーをまとめる立場になり、改めて責任の重さを痛感すると同時に、自分の判断で采配を振るう面白さややりがいも感じました。中間管理職は「上と下からの板挟みが辛い」と聞きますが、当社ではある程度の裁量を持ち、自分の考えで仕事を進めることができたので、前向きに取り組むことができたと感じます。
――社長を意識されたのはいつ頃ですか。
2015年から2017年まで舟山工場で総経理を務めていた最終年の2017年に、当時の社長から「社長の芽はあるかもしれない」と言われました。その時は「何を言っているのだろう、冗談に違いない」と思い、日本に戻ったら、再び工場勤務になるだろうと考えていました。ところが帰国後の人事で設計本部の本部長に任命され、「将来社長になるための勉強なのかもしれない」と気付きました。
正式にお話をいただいたのは社長就任の前年で、その時には「これは引き受けざるを得ない」と覚悟を決めていました。家族にも報告しましたが、かなり驚かれたことを覚えています。
――社長になって良かったなと思うことはありますか。
「良かったこと」とは少し異なるかもしれませんが、運が良いと感じます。社長に就任してから、造船市況が右肩上がりになり、社員の給与を引き上げ、ボーナスもしっかりと支給することができました。これが一番嬉しいことです。逆の状況でなくて本当に良かったと思います。妻からも「あなたは運が良い」とよく言われます。
――人生の転機となった出来事はありますか?
一番の転機は結婚です。大学を卒業して地元に戻った際、旧知の女性と再会し、1年も経たないうちに結婚しました。彼女は当時まだ大学在学中でしたが、退学という大きな決断をして家庭に入ってくれました。これまで私が仕事に全力で打ち込むことができたのは、間違いなく彼女の支えがあったからだと感じます。
会社を辞めようと考えたこともありましたが、若くして結婚し、子供がいたからこそ、「自分が頑張らなければならない」と自らを奮い立たせてきました。
――座右の銘をお聞かせください。
座右の銘ではありませんが、心がけていることが2つあります。
一つは「明るく元気に前向きに」というマインドです。
もう一つは「自分らしく、飾らず、おごらず」です。役職や立場にとらわれず、自分らしさを大切にしながら、人と誠実に向き合う姿勢を常に忘れないよう心がけています。
――これまでに感動したことを教えてください。
大学生の頃、ハワイまでの乗船実習で“天測計算”という課題がありました。六分儀という古典的な測量機器を用いて自船の位置を求めるのですが、精度よく行うことが非常に難しいものです。揺れる船の上で毎日のように天測計算を行いましたが、その辛さは下船後に何度も夢に見るほどでした(笑)。しかし、そのような厳しい実習を乗り越え、日本出発から約1か月後に陸地(ハワイ)を目にしたときは、言葉にできないほど感動したことを覚えています。
最近では、NHKの連続テレビ小説『あんぱん』に感動します(9月中旬取材時)。平日は観られないので、休日に見逃し配信で観ていますが、とても面白いです。小さい頃は誰しもアンパンマンの世界に触れると思いますが、その誰からも愛されるアンパンマンがどのように生まれたのか。物語を見ていると、ところどころで胸が熱くなり、思わず見入ってしまいます。
――忙しい日々の中で、リラックスされる時間や、気分転換にされていることがあれば教えてください。
植物を育てることが好きで、今は好きな花の一つである胡蝶蘭を育てています。
そのほかにも、3年ほど前から、妻と一緒に家庭菜園を始めました。じゃがいもや大根、ナス、ピーマンなどを栽培しており、気分転換やリフレッシュにもなりますし、ちょっとした運動にもなっています。種を撒き、芽が出て実がなり、収穫の喜びを味わうたびに、達成感を感じます。一方で思うように育たないことも多く、農家の方々を心から尊敬します。
夏はナスとピーマンの収穫期で、今年は毎週食べきれないほどの量が採れました。ピーマンは一株しか植えていないにもかかわらず、たくさん収穫できました。子供たちはすでに尾道を離れているので、夫婦二人で毎日ピーマンを使った料理を作ったり、ナスを漬物にしたりして楽しみました。
――思い出の一皿や食にまつわるエピソードがあればお聞かせください。
妻が作る春巻きやからあげです。外はパリッとしていて中はジューシーで、何度食べても飽きが来ません。結婚してから現在まで変わらず好きなメニューです。
鍋料理も大好きで、季節問わず週に一度は必ずと言っていいほど食べています。普通の水炊きですが、自分で育てた野菜を入れると、ひときわ美味しく感じます。
地元でよく行くお店の一つが、尾道駅から西へ少し行った先にある「ファンダンゴ」です。パスタがメインのお店で、カルボナーラやペスカトーレが特に美味しいです。牛ホルモンの煮込みやアヒージョなども絶品で、妻とよく足を運ぶお気に入りの場所です。
――心に残る「絶景」についてお聞かせください。
地元尾道・千光寺からの眺めは私にとって特別な景色です。子供のころから千光寺の高台に登り、ずっと見てきた風景でもあります。高台から眺める瀬戸内海は穏やかで大変美しく、尾道の街並みもこじんまりとしていて、この景色は、何度見ても飽きることがありません。現在は新しく展望台が整備され、さらに眺望が良くなっています。千光寺のすぐ隣には“文学のこみち“という場所があり、岩と岩の間に細い小道があります。ここも風情があっておすすめです。
――今後の夢や目標について教えてください。
気が付けば60歳を超えましたが、これといった夢や目標はありません(笑)。私はオーナーではなくサラリーマンですし、野球で言えば、ベーブ・ルースのようなピッチャー兼バッターのような存在です。途中から登板し、うまく次の人につなげていくことが私の役割だと思っています。現在、当社の業績は好調ですので、この流れを止めずに次の世代へバトンを渡したいと考えています。そして、常石グループの理念「社員の幸せのために」という言葉を大切に、これからも頑張っていきたいと考えています。
引退後の話になりますが、先日、妻と「アイスクリーム屋でもやろうか。最近は暑いし、みんなアイスクリームは好きでしょ?」と話していたところです(笑)。冗談半分ではありますが、「人が喜ぶことをしたい」という気持ちは本音です。
【プロフィール】
奥村 幸生(おくむら さちお)
1960年5月生まれ 広島県尾道市出身
1983年9月 東京商船大学(現:東京海洋大学)航海科 卒業
1983年11月 常石造船株式会社 入社
2000年11月 造船部建造グループ 課長
2005年2月 造船部 部長
2010年4月 常石工場 副工場長
2011年1月 執行役員 兼 常石集団(舟山)造船 董事/副工場長 就任
2014年1月 取締役 就任
2015年1月 常石集団(舟山)造船 董事/総経理 就任
2018年1月 常石造船 常務取締役 就任
2020年1月 専務取締役 就任
2021年1月より現職
■常石造船株式会社(
https://www.tsuneishi.co.jp/
)
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