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【マリンネット探訪 第59回】
海上輸送から陸上輸送を一貫でサポート
あらゆる輸送ニーズで世界と人を結ぶ総合物流企業
<
第574回
>2025年12月18日掲載
株式会社サンオーシャン
代表取締役社長
高林 伸行 氏
――1961年の創業以来、60年以上にわたり、外航・内航の海上輸送から港湾荷役・通関・倉庫・陸上輸送まで一貫して手がける総合物流企業、株式会社サンオーシャン様の高林 伸行社長です。サンオーシャンの概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社の創業者である私の父は、元々大阪港のはしけ業者に勤めていました。その後、はしけを3隻購入したことをきっかけにはしけ業をスタートさせ、1961年には「三興運輸」という名前で会社を創業しました。社名の由来は、父を含め3人の仲間で興した会社であったと聞いています。当時は主に、大阪港の沖合に停泊した貨物船から港まで荷物を運ぶはしけ輸送を行っていました。しかし父は、将来的に港湾整備が進み、大型船が直接接岸できるようになれば、はしけ輸送の需要は次第に減少するであろうと考え、鋼材や木材などを港から港へ輸送する内航海運業へ事業領域を広げました。さらに、バルク(ばら積み貨物)だけでなく、コンテナ貨物の需要増を見越してコンテナ貨物の取り扱いにもいち早く参入しました。
1960〜1970年代当時は、大阪の川筋(木津川地区)に数多くの造船所がありましたので、エンジンなどの輸送も行っていました。倉庫業にも進出し、常に時代の変化を捉えながら事業の幅を広げていきました。
現在展開しているのは、大きく分けて港湾運送業、海上輸送事業、船主業の3つの事業です。港湾運送業では、主にコンテナ貨物を取り扱っています。大阪市から倉庫を借り、コンテナ貨物の搬入・搬出や、配送、倉庫での保管といった一連の業務を行っています。輸出入に欠かせない通関手続きについても免許を取得し、通関業務を担っています。2016年には、大阪税関長より「認定通関業者(AEO:Authorized Economic Operator)」の認定を受け、信頼性と安全性の高い物流サービスを全国に提供できる体制を整えました。港湾運送業では、国内だけでなく、中国やフィリピン、ベトナムにも拠点を構え、アジア諸国においても効率的かつ信頼性の高い物流ネットワークを展開しています。
――船主業(外航船事業)はいつ頃開始されたのですか?
1980年頃です。当時はソ連(ロシア)の輸入木材(北洋材)を取りに行くため、アムール川でプッシャーバージを運航していました。しかし、新規参入者の増加によりマーケットが下落したため、しばらくして撤退することになりました。
その後、再び外航船へのニーズが高まり、中古の近海船を2隻購入し、自社引き受け貨物の海上輸送に充てました。さらに、旧・山下新日本汽船(後のナビックスライン)出身者を迎え、スモールハンディサイズのバルカーを運航する子会社を設立し、18,000~22,000Dwt型を7~8隻運航していました。こうした事業内容の変化や子会社の成長などを背景に、創立30周年を迎えた1991年、社内公募により社名を現在の「サンオーシャン」に改称しました。
1991年は私が当社に入社した年でもあります。当時はちょうど、川鉄運輸(現:JFE物流)様向けにデッキバージによる重量物輸送を行っており、東京湾アクアラインの海ほたるに使用される鋼製ジャケット(土留め・護岸及び足場となるもの、最大一基の重量が2,300トンのものを計28基)を運ぶプロジェクトが終わったタイミングでした。
その直後に、国内火力発電所向けの廃熱回収設備(HRSG)モジュールの輸送業務に参画することができました。モジュールは最大で高さ約30メートル、重量3,000トンにも及び、10階建てのビルに相当する巨大構造物でした。当時、国内にはこれを輸送できるサイズのデッキバージが存在しなかったため、川鉄物流様と協力し、船の建造も含めた輸送プロジェクトを立ち上げました。3,000トンもの貨物はクレーンによる吊り上げは不可能なため、自走する台車に乗せて岸壁から船に載せる必要があります。そのため、バージは常に岸壁と同じ高さを維持できる仕様にするため、バラスト水タンクや給排水用ポンプを装備しました。
デッキバージは2隻(「日川」、「さんりばー」)を建造しましたが、火力発電所向けの仕事もいずれは終了することが見えていましたので、2002年頃には撤退の方針を決めました。
このうちの1隻は、川崎製鉄(現:JFEスチール)様の韓国向けスラブ輸送に投入されましたが、輸出量の増加に伴い、自走式の船の方が適しているとの判断から、新造船を建造することになりました。これが当社の船主業における新造船第1船となる鋼材運搬船「JFE-1(2004年竣工)」であり、JFE物流様との間で長期用船契約を締結しました。
その後は旧来お付き合いのある近隣の船主さんや、商社さんを通じたご紹介をきっかけに船隊も増え、現在バルカー4隻を保有しています。
――船主業においては、現在4隻を保有されているとのことですが、既存船隊の概要と今後の船隊整備の方針についてお聞かせください。
現在保有している4隻は、52,000Dwt~82,000Dwt型バルカーです。このほかに、ハンディサイズ及びウルトラマックスバルカーの発注残が5隻あります。既存の4隻はすべて裸傭船であり、PO(購入オプション)が行使された場合、船隊が純減する可能性もあります。そのため、常におよそ10隻の船隊規模を維持していきたいと考えています。
環境規制強化や次世代燃料の動向は大きなテーマと感じていますが、燃料供給インフラの整備など解決すべき課題は多く、当社が保有する船型では、具体的な導入は現実的な段階ではありません。しかしながら、今後の技術・市場の動向は注視していきたいと考えています。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
出身は大阪府箕面市で、高校卒業まで地元で過ごしました。高校は大阪の私立清風高校です。体操の強豪校として知られていますが、部活動には所属せず、学校と自宅を往復する毎日でした。実は海運・造船業界には清風高校の出身者が意外と多く、卒業生を発見すると嬉しくなります(笑)。
船との縁は小学生の頃に父が友人達と所有していたヨットに乗りに行った、西宮のヨットクラブ(KYC)での経験にさかのぼります。父の友人の坂本さん(ヨット乗りの歯科医で、現 共英製鋼社長の父上)に、「船はこうやって動く」と熱心に教えていただいたことがずっと記憶にありました。
その後、船の学校の存在を知り、神戸商船大学に無事入学することができました。元々乗り物全般が大好きだったこともあり、船に対する興味があったので、入学が決まった時はとても嬉しかったです。
卒業後は船乗りになるつもりでしたが、1980年代後半当時は海運不況真っ只中でしたので、コストの高い日本人船員を雇う企業はほとんどありませんでした。そんな状況の中、将来に備えて英語は勉強しておいた方が良いという父からのアドバイスを受け、アメリカの大学に留学することになりました。3年半で卒業し、帰国後はご縁あって明治海運に入社しました。同社には約2年間勤務し、主に用船管理業務を担当していました。当時の内田和也専務(現会長)や先輩方には大変お世話になり、仕事もとても充実していて、日々楽しく働くことができました。
その後、実家の母から父の体調不良を理由に大阪に戻るよう連絡があり、戻らざるを得ない状況となりました。本音を言えば、長く明治海運にお世話になりたかったのですが、家族の事情もあり退職を決断しました。
当社に入社後は、当時最大の得意先であった川鉄運輸様を担当し、デッキバージによる重量物輸送業務に携わっていました。
――社長に就任されたのは?
2003年です。2002年に火力発電所向けの大型デッキバージ事業から撤退してほどなくして、父から突然、社長を継ぐよう話がありました。入社から10年ほど経過していましたが、まだ先のことだと考えていたため、正直驚きました。ただ、父自身も31歳のときに社長に就任しており、「自分ができたのだから、お前もできるだろう」という感覚だったようです。当時、父をはじめ役員も高齢化しており、組織の若返りが必要との判断から、父の退任に合わせて役員も一新されました。
――社長就任後、最もご苦労されたことは?
“人は難しい”ということです。船主業では、船とそれを取り巻く多くの人々との関係によって成り立っています。当社のメインビジネスである港湾運送業は、物を運ぶという無形のサービスであり、いずれの事業も“人(人間関係)”によって支えられており、世代交代や転勤などによって人が変われば、それまで築いてきた信頼関係や情報の流れにも変化が生まれ、結果として取引そのものを維持することさえ困難になる可能性もあります。これまで父が築いてきた顧客との信頼関係をどのように継続していくかが最も難しく、時間が掛かった点かもしれません。
――人生の転機についてお聞かせください。
社長に就任した時です。当時は公私ともに大変お世話になっていた川鉄運輸の岩岡昭二社長から激励の手紙をいただき、そこには、社長としての心構えやあるべき姿などが丁寧に綴られていました。それを読んだとき、自分の立場や責任の重さをあらためて強く実感しました。
――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
「常に気力と体力を」という言葉です。神戸商船大学初代学長である大羽真治氏の言葉で、社会人として、そして経営者としても大切な教えだと感じています。
いくら知力があっても、気力と体力がなければ何事も前に進めることはできません。まさに基本中の基本であり、常に持ち続けることが重要だと思っています。
――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。
夢や目標は、次の世代へしっかりとバトンを渡していくことです。かつて大変お世話になったJFE物流社長の中藤礼二社長が、「社長という職責はマラソンランナーではなく、駅伝ランナーだよ」とおっしゃっていました。その言葉に強く共感しています。社長の役割とは、自分ひとりで走り続けるのではなく、次の人に確実にバトンを渡すことです。そして、その組織のもとで働く社員が、安心して長く働き続けられる環境を作ることです。これが私自身の夢であり、同時に果たすべき責務だと考えています。
――休日やプライベートの時間はどのように過ごされていますか?
最近、異業種交流会の先輩に無理やり誘われてバンドメンバー入りしました。先日初のライブを開催させていただき、丸の内にある俺のフレンチを貸し切り、友人100人ほどに来ていただきました。まだまだ初心者マークですが、ドラム兼ボーカルで参加しました。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
明治海運(東明汽船)に勤務していた頃、事務所の近くにあったレストラン「VOLKS」で食べた料理です。当時は会社帰りに先輩方がよく連れて行ってくださいました。海運業界に入り、社会人としての日々を積み重ねる中で味わった思い出の味です。都内で一人暮らしをしていたこともあり、普段はろくなものを食べていませんでしたので、たまに連れて行っていただくと大変嬉しく、今でも強く印象に残っています。
――心に残る「絶景」について教えてください。
商船大学の乗船実習の際、太平洋上で見た海の光景です。帆船のマストの最上部まで上がり周囲を見渡すと、どこまでも続く水平線が360度目の前に広がり、海と空の境界が溶け合うような静かな景色でした。
【プロフィール】
高林 伸行(たかばやし のぶゆき)
1962年生まれ 大阪府出身
1985年 神戸商船大学 商船学部航海科/実習科 卒業
1986年 西イリノイ州立大学 経済学部 入学
1990年 西イリノイ州立大学 経済学部 卒業
1990年 明治海運株式会社 入社
1991年 株式会社サンオーシャン 入社
2003年より現職
■株式会社サンオーシャン(
https://sunocean.co.jp/
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