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【マリンネット探訪 第60回】
フットワークを軽く
強くしなやかなドライバルクのプロ集団を築いていく
<
第575回
>2026年01月08日掲載
商船三井ドライバルク株式会社
代表取締役社長
福井 利明 氏
――商船三井グループにおけるドライバルク事業において、中小型バルカーやチップ船、多目的船など世界最大規模の船隊を擁し、多種多様なドライ貨物の輸送を展開されています。商船三井ドライバルク株式会社様の概要・特色、ならびに、グループ内における御社の役割についてご紹介をお願いいたします。
当社は2021年4月、商船三井近海と商船三井の不定期船事業、木材チップ船事業、及びパナマックス船事業(鉄鋼・国内電力向け除く)を統合し、ドライバルク専業船社として発足しました。
10,000~100,000重量トン型のバルカー、チップ船、多目的船など、多様な船種・船型を運航し、あらゆるドライ貨物に最適な輸送ソリューションを提供しています。
取り扱う貨物は多岐にわたります。穀物(小麦・とうもろこし・大豆など)、鉱物資源、金属、肥料、セメント、塩、木材チップ、バイオマス燃料といった原材料、鉄鋼製品(コイル、鋼管、厚板など)、さらには発電プラントや鉄道車両などの大型貨物などです。
当社発足時、私たちは「強くしなやかなドライバルクのプロ集団」を目標に掲げました。平田前社長の時代にはここに“したたかさ”が加わり、現在は個人レベルに落とし込んで「強い知性、しなやかな感性、したたかな情熱を持ったプロフェッショナル」を掲げています。
商船三井グループにおける当社の役割は、ドライバルク輸送の中核を担う専門集団として、多様な船種・貨物の運航を集約し、専門性を生かした最適な輸送サービスを提供することにあると考えています。
こうした役割を踏まえ、当社の組織は大きく4つの部門で構成されています。
まず、ドライバルク部は、近海船を含むスモールハンディからパナマックス(10,000~100,000重量トン型)まで幅広い船型を運航しています。パナマックスについては、商船三井本体が担当する一部(鉄鋼・国内電力会社向け)を除き、全てが当社に集約されています。遠洋鋼材輸送はドライ部門で取り扱っており、ハンディサイズバルカー(32,000~38,000重量トン型)やスープラマックスバルカー(50,000~61,000重量トン型)を活用し、主に日本から欧州、北米、中南米方面に輸送しています。
製紙原燃料部では、製紙会社向け原料・燃料輸送を担っています。世界最大級の木材チップ船隊で、主原料である木材チップ、製紙会社向け燃料炭やバイオマス燃料の輸送需要にも対応しています。
多目的船部では、12,000~17,500重量トン型のツインデッカーを用い、往航は日本発の鋼材、復航では東南アジア諸国からPKS(パームヤシ殻)やバイオマス燃料を輸送しています。
さらに昨年、HTV(ヘビートランスポーテーションベッセル)セグメントを新設し、この下にはウィンドカーゴ部とプロジェクトカーゴ部があります。60~150トン吊りのクレーンを搭載した多目的船で発電プラントや鉄道車両などを輸送しています。
――現在の船隊と今後の船隊整備の方針についてお聞かせください。
当社の船隊は全体で200隻弱、4つのセグメント別では、パナマックスからハンディサイズまでの中小型バルカーが100隻弱、チップ船が40隻強、多目的船が40隻強、HTVが1隻です。
今後の船隊整備では、中古買船も含めた自社保有船と比較的長期の用船を選択肢として検討しています。市況が上昇する局面では、一定規模の固定船腹を持たなければ、収益機会を逃してしまうからです。2016年の市況低迷時には短期用船中心のライトアセット型へと舵を切りましたが、その反省を踏まえ、現在は自社保有と用船を適切にミックスすることが重要だと考えています。市況変動に柔軟に対応しつつ、収益機会を確実に捉える船隊ポートフォリオの構築を目指しています。
新造船に関しては、当社の主力である中小型バルカーは、基本的に日本造船所で建造することを前提に考えています。オペレーターとして10~15年という中長期の運航を見据えた場合、船価だけで判断せず、運航価値の源泉であるメンテナンス性や品質の安定性などを総合的に勘案することが重要です。加えて、中小型バルカーは日本建造船でも比較的コスト競争力があります。こうした観点から、日本建造船が最適であると考えています。
――プロジェクト貨物輸送においては、昨年からHTV(ヘビートランスポーテーションベッセル)セグメントを新設し、体制の拡充を進められています。新体制の狙いや、ギアバルクとの連携の可能性など、今後の展開についてお聞かせください。
今後、風力発電プロジェクトの拡大に伴い、風車をはじめとする大型の洋上風力関連部材の輸送需要が本格化すると見込まれています。これらは特殊貨物であり、通常のバルカーでは対応が難しいです。風力部材輸送は、国内積揚げの場合は内航船、海外からの輸入の場合は外航船が必要となります。しかし現状、内航船には大型特殊貨物に対応できる船がほとんど存在しないことから、輸送そのものがボトルネックとなる可能性があります。そのため当社がこの分野にコミットし、需要に応えていくことが重要だと考えています。
当社もかつてはこうした輸送を行っていましたが、撤退した経緯があります。その時から時間が経過しており、再参入はノウハウの再獲得を含めハードルが高い状況です。現在は、専門性を有するメンバーを中心に、貨物のハンドリングやエンジニアリング面での再構築を進めています。カーゴが途切れてアイドルする期間があるなど、マーケットとしての難しさはありますが、新たな輸送需要の創出が期待できる分野として大きな可能性を感じています。
外航船では、ギアバルクがこれらの特殊貨物輸送のノウハウを持っていますので、船舶や貨物の融通、技術的な知見の共有など、相互補完によって強みを発揮できると考えています。
今後も市場ニーズに応じて連携を強化し、風力部材輸送の体制構築を着実に進めていきたいと考えています。
――事業体制の拡充を進められる中で、それを支える組織づくりや人材面での取り組みについてお聞かせください。
「ドライバルクのプロ」を育てることが、当社の組織目標の中心にあります。現在社員は約200名で、商船三井近海出身者の約100名、当社発足後に採用した約50名、商船三井からの出向者の約50名で構成されています。現在も経験者採用を行い、プロパー社員のみで業務を完結できる体制づくりを進めていますが、ドライバルクに特化した専門性の高い人材の育成は、依然として当社の喫緊の課題です。
さらに、多様なバックグラウンドを持つ人材が集まる組織だからこそ、社員一人ひとりが働き甲斐を感じられる環境づくりも重要なテーマです。昨年は平田前社長が複数名単位で全社員と会食を行い、コミュニケーションの深化を図ってきました。私の代では1on1ミーティングを導入し、約200名全員との対話の場を設けています。1回30分、週4名のペースで実施し、特にテーマは設けずに自由に語り合える場としています。
また、社内文化として「ワイガヤ」を掲げ、自由に意見を交わせる雰囲気づくりを大切にしています。社内イベントも積極的に行っており、夏には七夕まつり、秋はハロウィン、正月には書き初め大会など、季節行事を取り入れたイベントを通じて、風通しの良い組織づくりに取り組んでいます。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
出身は埼玉県越谷市です。小学校から中学校までは剣道部に所属していましたが、高校では男子校特有の剣道部の雰囲気に圧倒され、最終的に山岳部へ入りました。
山岳部では、北アルプス、朝日連峰、谷川岳、八ヶ岳など様々な山に登りました。冬場は山スキーや雪中泊のための雪洞訓練を行いましたが、当時(1987~1989年)世間はバブル真っただ中。スキー場でウインタースポーツを楽しむ人々を横目に、私たちは雪の中で黙々と合宿をしていました。日々の放課後の練習は、ひたすら走る、学校の裏山を登る、砂袋を背負って校舎の階段を上り下りする、といった地味なトレーニングの連続で、忍耐力が鍛えられました。
その経験から、「登山は鍛えて臨むもの」という意識が強く、気軽に登ることに抵抗を覚えるため、高校卒業後はほとんど山に登っていません。
登山は途中で忘れ物に気づいても簡単には戻れず、途中棄権もできません。事前準備を徹底し、常に最悪の事態を想定して臨む必要があります。この姿勢は、船のオペレーションにも通じるものがあります。当時の経験が、あらゆるリスクに事前に備えるというこれまでの仕事にも生きていると感じます。
――高校時代は山岳部としてタフな練習に勤しんでいたとのことですが、大学に入られてからはどのような活動をされていましたか?
ふわふわしていました。(笑)経済学会というサークルに所属していたのですが、実態は飲み会中心のゆるい活動でした。
――そのサークルで印象に残っている思い出はありますか?
学園祭でのゲームのイベントです。
――ゲーム?経済学会で・・・?
はい、ファミコン大会です。当時世間では野球ゲームの「ファミリースタジアム」が流行っていて、サークル内には「ファミスタ大魔王」と呼ばれるファミスタの達人がいました。私は弱かったので先鋒でしたが、勝ち抜き戦のゲームイベントを開催しました。イベント名は「ファミスタ野郎ファミファミ」です。(笑)
――ファミファミ?それ、盛り上がるんですか?
大盛り上がりでした。ギャラリーも大勢集まり、会場全体が息をのむような雰囲気でした。達人同士の対決になると、互いに点が入らず緊迫した展開が続きました。そんな中、最後の最後にファミスタ大魔王がさよならホームランでゲームセット。それと同時に、周りの学生がドーンと歓声を上げ、イベントは大盛況のまま幕を閉じました。大学生がファミコンでこんなに盛り上がっていたなんて……今ではなかなか想像できませんよね。(苦笑)
――当時ファミコンは社会現象にもなりましたからね。一方、学業はどうでしたか?
大学3年生になるとゼミが始まりますが、私は、川勝平太氏(前・静岡県知事)が指導する経済史のゼミに入りました。大航海時代から産業革命を経て経済が発展する過程を学ぶ中で、日本の近代化において船の輸送が欠かせない存在であったことを知り、海運への興味が一気に高まりました。当時まだ5〜6期目の新しいゼミでしたが、新進気鋭の教授のもと、とにかくレポートの量が多く、非常に厳しい環境でした。その分鍛えられたと感じています。
――就職活動はどのように進めたのですか?
私が就職活動をしていた1995年当時はバブルが完全にはじけ、金融機関が一気に採用を絞り始めた時期でした。さらに私は1971年生まれの“団塊ジュニア世代”ということもあり、人口が多いのに就職先が少ないという厳しい状況にありました。根がぐうたらなので、出来れば就職したくないとすら考えていましたが、ゼミでの学びも影響し、第一志望は海運でした。
船会社に複数応募しましたが、当時は日本郵船と商船三井が10名強、川崎汽船は採用無しという状況でした。一方、金融機関も採用を絞っていたものの、それでも100名程度は募集していたので、併願をしました。その中から、6月28日に某都市銀行から内定をいただきました。翌29日は他社との接点を回避させるためのいわゆる“内定者拘束日”が設けられており、業務に関する説明などが行われました。私はその話を聞いているうちに「自分には向いていないのでは」と違和感を覚えつつ、ナビックスラインの選考中であることは隠していました。(苦笑)
さらに翌6月30日も、銀行の内定者拘束日が続きました。一方で、ナビックスラインの最終面接も同日の午前10時に竹橋で行われることになっていました。当時私は練馬の上石神井に住んでおり、高田馬場駅で跨線橋を上りJR山手線に乗り換えて新宿へ行けば内定確実の銀行へ、階段を下りて東西線に乗り換えれば合格するか分からないナビックスラインの最終面接へ、という状況でした。
私はその場で5分ほど立ち止まって考えました。そして気づけば、体が自然と東西線のホームに向かっていました。
ナビックスラインの最終面接を終えたその日の夜、友人の家に居たところ、ナビックスラインから無事に内定の電話が入りました。
安心したのも束の間、帰宅すると銀行から大量の留守電(古いですね(笑))が入っており、深夜には担当者が自宅まで訪ねてきました。その後、何時間にもわたりドア越しに説教を受けることになりましたが、ひたすら謝罪をし、どうにかその場を乗り切りました。(苦笑)
第一希望であった海運の仕事に就くことができ、忙しい毎日ではありましたが、仕事そのものは非常に充実していました。最初の配属先は不定期船部門で、ハンディマックスやパナマックスのオペレーションを担当しました。入社4年目の1999年に大阪商船三井船舶とナビックスラインが合併し、統合後の実務作業や子会社の管理、労働組合専従などを経験しました。
その後再びドライバルクに戻り、電力炭や鉄鋼原料の担当をしました。2012年から2017年までの約5年間はロンドンのMITSUI O.S.K. BULK SHIPPING (EUROPE)へ出向し、帰任後は不定期船部に配属となりました。
――特に印象に残っている出来事は?
電力炭を担当していた頃、積地のトラブルで配船が大幅に変更となり、地方の電力会社さんが船を手配できないという事態が発生しました。午後イチに担当者から「すぐに来てほしい」と電話が入り、当時私は配船を担当していたので、いくつかの候補を手に、急いで新幹線で現地へ向かいました。到着後すぐに関係者と調整を行い、無事に船を提供することができ、その日の最終便で東京へ戻ることができました。営業担当としてお客様の信頼に応え、フットワークよく解決に繋げることができた経験は、大きなやりがいを感じました。
――社長へ就任されて半年が経ちます。※2025年9月取材当時
昨年、当社COO(Chief Operating Officer)として、平田前社長のもとで事業運営を支える立場でしたが、まさか翌年社長に就任するとは想像もしていませんでした。当社の事業分野は多岐にわたりますし、事業以外にも人事やガバナンスなども含めた組織全体の運営という役割が求められます。この重責を担う立場になったことに、正直驚きを隠せませんでした。まだ道半ばではありますが、日々邁進してまいります。
――人生の転機についてお聞かせください。
私の将来を決める場所となった高田馬場駅での夏の5分間です。内定をとるか、最終面接に向かうか、その時の決断が今の私につながっています。
――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
「アンテナは高く、腰は低く、フットワーク軽く、口は重く」です。
元ナビックスラインの大先輩に教わった言葉を自分になりに少しアレンジしたものですが、変化を捉える感度を高く持ちつつ、謙虚さを忘れず、フットワーク軽く行動する。そして余計なことは語らない。この姿勢は、仕事をするうえでの心構えとして心に刻んでいます。
――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。
2023~2025年の2年間、早稲田大学大学院で海商法を学びました。長年実務に携わる中で、特に「定期用船契約」という契約形態に対して疑問があり、この本質を理解したいという思いがずっとありました。2018年の商法改正(2019年4月1日施行)で、従来は明文化されていなかった「定期傭船契約」に関する規定が新設されたこと知り、改めて学び直す決心をしました。
週3日(月・火・土)通学し、無事に修士論文も書き上げることができました。担当教授の箱井先生には大変お世話になり、今では一緒に飲みに行っています。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
入社当時によく通っていた竹橋の「赤坂飯店」の担々麺です。社会人になりたての私にとって、まさにソウルフードといえる一皿です。
仕事でお酒を飲む機会が多いため、自宅ではあまり飲みませんが、翌日の負担が少ないこともあってウイスキーを好んで飲みます。特に好きなのは「ストラスアイラ」です。シーバスリーガルの原酒ですが、単体での販売はほとんど無く、出会えた時は大変嬉しい気持ちになります。
――心に残る「絶景」について教えてください。
高校時代の山岳部で登った朝日連峰の景色です。地道なトレーニングを積み重ね、無事に登頂した達成感も相まって、目の前に広がる美しさは今でも鮮明に覚えています。
【プロフィール】
福井 利明(ふくい としあき)
1971年生まれ 埼玉県出身
1995年3月 早稲田大学 政治経済学部 経済学科 卒業
2025年3月 早稲田大学大学院 法学研究科 修了
1995年4月 ナビックスライン株式会社 入社
2010年6月 株式会社商船三井 鉄鋼原料船部鉄鋼原料第一グループ マネージャー
2012年6月 Mitsui O.S.K. Bulk Shipping (Europe) Ltd. 出向
2017年4月 ドライバルク船二部不定期船営業グループリーダー
2018年7月 ドライバルク船二部船隊チームリーダー
2019年11月 経理部 プロジェクトリーダー
2020年8月 不定期船部 副部長 兼 経理部 プロジェクトリーダー
2021年4月 商船三井ドライバルク株式会社 出向
2023年4月 ドライバルク事業戦略部長
2024年4月 商船三井ドライバルク株式会社 出向
2025年4月 グループ執行役員
商船三井ドライバルク株式会社 代表取締役社長執行役員
■商船三井ドライバルク株式会社(
https://www.moldrybulk.co.jp/
)
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