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【マリンネット探訪 第61回】
「ここに来れば安心できる」
修繕のプロとして、船の一生を支えるかかりつけ医
<
第576回
>2026年01月30日掲載
株式会社三和ドック
代表取締役社長
寺西 秀太 氏
――1961年の創業以来、専業修繕ヤードとして、内航船や近海船から大型外航船の修繕、さらに船舶改造工事におけるエンジニアリング事業を展開されています。株式会社三和ドック様の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社は1961年、私の祖父に当たる寺西儀正氏が第一船舶艤装株式会社として創業しました。創業当時は船舶修繕ではなく、日立造船株式会社(当時)因島工場の下請けとして船舶の艤装品の製造を行っていました。その後、お客様からのご支援を受けて船舶修繕を手掛けるようになりました。1970年に現在の場所に移り、社名を三和ドックに変更しました。三和という名の語源は、祖父を含む三名が出資して設立されたことにあると聞いています。
現在も内航船を中心とした船舶修繕事業を展開しており、当社の修繕施設は、創業当時からの1号ドック、3号(旧2号)ドック、5号ドックに加え、2016年には当社最大となる7号ドックを建造し、現在では最大パナマックスサイズの船型の受け入れも可能となりました。
1985年のプラザ合意後の円高により、日本の修繕業は採算が悪化し、国内企業の撤退が相次ぎました。その結果、コスト競争力が高い国や中国へ移っていく流れが生まれました。そのような状況ではありましたが、当社は日本国内のお客様、とりわけ内航船を中心に修繕事業を継続してきました。その後、日本経済の停滞に伴い内航船マーケットも縮小し、船員の減少や船舶の大型化などが進んだことで、船の隻数も減少していきました。
その後、バラスト水管理条約(2004年採択)の発効が迫る中、バラスト水処理装置の搭載に向けた改造工事の需要が一気に高まりました。当社では2011年頃から日本海事協会(以下、ClassNK)や邦船大手などと連携をしながら、3Dレーザースキャナ技術の活用にいち早く着手しました。ClassNKのご支援のもとソフトウエアを開発し、工期短縮と効率的な搭載工事を実現し、この成果は当社のリバースエンジニアリング技術の確立にもつながりました。こうしたバラスト水処理装置搭載の対応力を確立できたことは、その後のSOx(硫黄酸化物)スクラバーの搭載工事にも生かされ、当社の修繕事業にとって大きな転機となりました。
こうした搭載工事の需要拡大を見越し、2016年には大型船の受け入れが可能な7号ドックを建造し、体制強化を図りました。しかしながら、いざ大型船の修繕に力を入れようとした矢先、2019年4月の働き方改革関連法の施行により、船舶修繕業は残業時間の上限規制が猶予期間無しで2019年4月からスタートしました。その結果、急激な労働力不足に陥り、大型船の受け入れ拡大どころではなくなってしまいました。さらにコロナ禍も経て、外航船の受け入れは拡大出来ていません。現在では、大型設備を最大限活用しながら内航船を中心とした修繕事業に注力しています。
このような環境変化を受け、当社の年間の修繕隻数は、働き方改革前のピーク時には年間450隻程度でしたが、近年は350隻強となっています。修繕船の内訳は内航船が7~8割、近海船が2~3割です。
――バラスト水処理装置やスクラバーの搭載など、環境規制対応を背景に、エンジニアリング事業は御社の重要な柱の一つになっているかと思います。エンジニアリング事業の現状と、今後の展開についてお聞かせください。
バラスト水処理装置やスクラバー搭載に伴うエンジニアリングは、現状落ち着きを見せています。一方で、当社が対応するエンジニアリングの内容は多岐にわたっており、例えば女性船員向けの環境整備やキャデットを多く載せるための居室の増設、お風呂やトイレの増設、ボイラの換装など、細かな改造工事のご要望は多くいただいています。これらのニーズは以前から継続して存在しており、当社はこういった船主様のお困りごとに耳を傾け、それらに柔軟に対応してきました。
いわゆる新燃料対応に向けたエンジン換装など、大規模な改造案件については、現時点で本格的な需要はありません。一方で、当社は大手各社が進めるパイロットプロジェクトには積極的に参加しています。例えば、日本財団による無人運航船プロジェクト「MEGURI2040」の一つ「DFFAS(「Designing the Future of Full Autonomous Ship」)プロジェクト」での改造工事や、同プロジェクトの第2段「DFFAS+」にもオブザーバー参加しています。
――近年、新造船設備を持つ造船所が修繕へ転換する動きがみられますが、こうした動きをどのように捉えていますか。また、修繕専業の御社の強みについてお聞かせください。
日本国内での対応が必要となる内航船や近海船の修繕は、我が国が島国である以上、絶対に必要なものであり、既存の修繕ヤードのキャパシティが減少する中で新規の参入は、海事産業全体にとって歓迎すべきものであると考えています。造船所にとっても修繕事業は、ある意味で安定した収益基盤となり得る事業です。新造船と比較すれば売上、利益共に微々たるものかもしれませんが、物価高騰の影響を比較的受けにくいという特徴があります。
一方で、実際には内航船の修繕を手掛ける造船所は不足しており、これは業界全体の大きな課題だと感じています。そうした環境の中でも、当社は長年にわたりお客様との信頼関係を築き上げてきました。現在ほぼすべてのお客様がリピーターであり、船の“かかりつけ医”として、常にお客様に寄り添う姿勢を大切にしています。
多くの内航船では、新造船の建造時に“かかりつけ医”を決めていただけるため、当社を継続してご指名いただけるよう、設備投資やサービスの改善もお客様目線で行ってきました。「どんなことでも相談できる」、「ここに来ると安心できる」と感じていただける、そんな存在であり続けたいと考えています。
――過去に2回、若手従業員の出会いの場として婚活パーティーを開催されています。人材確保の課題に対する御社の取り組みについてご紹介ください。
婚活パーティー開催の発端は、社内提案制度でした。コロナ禍において地元出身でない若手社員には出会いの機会が無くなってしまい、それを憂いた中堅社員からの提案で実現した経緯があります。実施にあたっては、地元企業にも同じ悩みがあることが分かりましたので、尾道周辺の金融機関や食品メーカーなど、お付き合いのあるお取引先様とのマッチングの場となりました。今後もまた状況を見ながら実施できればと考えています。
人材確保には大変苦労しています。前述のとおり、2019年の働き方改革以降、当社全体の労働時間数が20~30%減少しています。そのため、既存事業やサービスの維持で手一杯な状況というのが正直なところです。
因島の年間の出生数は、2024年時点で40名を下回っており、そのうち男性は20名弱です。さらにその大半が進学や就職で島外へ出ていくため、地元に残る若者は7~8名程度、その中から当社が採用できる人数は極めて限られています。こうした地域の構造的な要因も人材確保を一層難しくしています。
修繕は機械化が難しく、熟練工の技術が求められる仕事です。現場担当者の技量は修繕の経験によってしか向上しませんので、なるべく若い方を採用し、現場で多くの経験を積み重ねて育成していく必要があります。作業内容や環境が日々大きく異なるため、変化に適応できる柔軟性も重要です。
給与面でも課題があります。かつては当社の給与水準が比較的高かったことから、九州方面など県外からの応募もありました。しかし、近年は台湾TSMCの進出に伴う半導体関連産業の給与水準上昇を受け、当社の採用も難航しています。
こうした状況においても、当社は様々な手段を模索しており、リファラル採用やヘッドハンティング、外国人材の活用など、可能な限りの手を尽くしているところです。これまで20年以上にわたりベトナム人を採用してきましたが、現在はフィリピン人も加わっており、最近ではミャンマー人の採用も進めています。当社の従業員数は、協力会社も含めて約450名で、そのうち約40名が外国人材です。今後は70名規模まで増やしていきたいと考えていますが、最大の課題はやはり言語です。日本人と外国人が混在するチームを意図的に作ることで、修繕業務の技能習得だけでなく、日本語の学習も促す仕組みづくりを進めています。現場ではコミュニケーションで苦労する場面もありますが、一方で外国人だけでは対応が難しい作業もあり、試行錯誤しながら外国人材を含めた育成に取り組んでいる状況です。
また、仕事以外での関係構築にも力を入れており、10年以上前から地元因島の水軍祭り「小早(こはや)レース」にベトナム人研修生チームが出場するなど、地域住民との交流を深める機会になっています。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
因島生まれで、小学校卒業まで地元で過ごしました。当時は広島県の教育環境が不安定だったこともあり、岡山県内の中高一貫校に進学しました。在学中は寮生活を送りながら剣道部に所属し、剣道一筋の日々を過ごしていました。
――家業を継ぐことは考えていましたか?
将来造船業を継ぐことは全く想像していませんでした。小学校低学年の時、姉の大学受験の関係により一時東京で生活をしていたのですが、その都会の環境を経験してしまったせいか、「将来は別の場所で働きたい」と考えていました。
高校生の頃には、同級生だった某造船所のご子息が、将来社長になるべく東大入学を目指して愚直に勉強をしていました。その一方で、彼の祖父が「東大に行ったら造船所を継がなくなってしまう・・」と嘆いていることを聞いた私は、「東大に行けば造船所を継がなくて良いのか」と考え、それがきっかけで東大進学を志すようになりました。
大学進学後は剣道部に入らず、予備校時代の友人の誘いでアイセックというサークルに入りました。アイセックは、海外インターンシップや国際交流イベントなどの運営を行う大学生が運営するヨーロッパ発祥の非営利組織で、世界各地に支部があります。元々私の姉や叔父が会員だったので、存在そのものは知っていたのですが、そこでの活動はとても充実したものでした。特に1年目は、一つ上の先輩だった森田真生氏(数学研究者)との出会いが刺激的で、彼には様々な世界を見せてもらいました。
彼はベンチャー企業にインターンを受け入れてもらう営業活動に取り組んでおり、その過程で多くのベンチャー企業や経営者の方と交流する機会がありました。また、彼と行動を共にする中で、その思考の深さや経験から多くの学びを得ることもできました。
2年生からは、インターンシップの営業先が地方自治体に変わり、180度環境が変わりました。さらに運営側の財務担当として経理業務を行うことになり、3年生の時にはアイセックの東大代表、4年生ではアイセック本体組織の常務理事、5年生の時には選挙管理委員会の委員長になりました。特に3年生以降の大学生活ではアイセックの活動がメインだったので、学校は休学状態となっていましたが、ご縁あって農学部に入ることができました。
――就職先はどのように決めたのでしょうか?
将来の仕事については特に強いこだわりが無く、アイセックの活動で営業や経理の仕事を一通り経験していたこともあり、就職に対する夢や憧れも正直ありませんでした。(苦笑)
そんな中、先輩から「どんな業界でもいいから、ナンバーワンの会社に行ってみればいい」というアドバイスをいただき、その言葉が自分の中にもしっくりきました。
ちょうどアイセック東大支部のOB会長が飯野海運で社長を務められていたことや、先輩とのご縁も重なり、日系の海運を代表する企業である商船三井への入社を決めました。
入社後は自動車船部に配属となり、その後、鉄鋼原料船部に異動しました。特に鉄鋼原料部では船主さんにもかわいがっていただき、仕事も楽しくやりがいを感じていました。
――結果的に海運の仕事に就かれましたが、ご実家とのお取引関係を認識されていたのでしょうか。
当社が商船三井と取引をしているとは思っていなかったため、入社時も入社後も、その点には特に触れずに過ごしていました。しかし、自動車船部に在籍していた頃、私の結婚式で父が挨拶をした際、「そろそろ息子を帰らせる」と話してしまい、ご出席いただいていた当時の自動車船部の皆様をざわつかせたことがありました。
また、鉄鋼原料船部では、担当することになった尾道の船主の方にご挨拶する際、私の名前と出身地を聞かれた船主さんが「因島の寺西と言えば……」と反応され、そこで初めて“身バレ”したという出来事もありました。(苦笑)
――家業に戻るきっかけは?
2015年の正月に、妻子を連れて実家に帰った際、父から実家に帰ってくるよう話がありました。翌年(2016年)に新ドックや新社屋を作る大型設備投資を予定していたため、そのタイミングで戻ってほしいという内容でした。家業を継ぐことに対しては妻も協力的で、周囲からの後押しもあって同年の4月に戻ることになりました。
――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。
座右の銘といえるほど強く意識しているわけではありませんが、「禍福は糾える縄の如し」という言葉は私の人生観にぴったりな言葉かもしれません。良いこともあれば悪いこともありますので、その時々の状況に一喜一憂せず、少し見方を変えて物事を捉えるようにしています。
――最近感動したできごと、または夢や目標について教えてください。
子供たちと家族で過ごす時間を大切にしたいという思いから、最近は家族旅行に出かける機会を意識的に増やしています。国内だけでなく海外も好きなので、将来は65歳に完全引退して、様々な場所に足を運ぶことが目標です。
先日出張で欧州方面に行ったのですが、中でもルーマニアが大変印象に残っています。ミニパリとも言われているブカレストの街並みがとても素敵で、歴史を感じる建物にも大変感銘を受けました。次回は是非、ゆっくり訪れたいと考えています。
――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。
因島のお好み焼きです。そばではなく、うどんが入っていること、そして生のイカが入ることが大きな特徴です。もともとは造船所で働く人たちがランチとして食べる文化が根付いており、昔は各家庭で、お母さんが造船所から持ち帰った鉄板でお好み焼きを焼いていたようです。
かつて因島の街には30~40軒ものお好み焼き屋さんが立ち並び、現在も多くのお店があります。当社でも、因島のお好み焼きを「いんおこ」と命名し、その普及活動を行っています。当社webサイトの
三和ライブラリー
※
の特集でも取り上げており、地元文化の一つとして大切にしています。
私が子供の頃は、半ドン(半日授業の土曜日)の帰りによく通っていたのは「
つくし
※
」というお店ですが、最近は「
うえだ
※
」に足を運ぶことが多いです。
※リンクをクリックすると三和ライブラリーへ遷移します。
――心に残る「絶景」について教えてください。
今年(2025年)6月、ノルシッピングに参加する前に訪れたベルゲンで見たフィヨルドの景色が大変印象に残っています。カヌーに乗り、目の前に広がるフィヨルドの景色は圧巻でした。その後、ベルゲン鉄道でオスロまで移動したのですが、その時の景色も大変素晴らしく、山々の風景が今でも目に焼き付いています。どちらも一度は訪れたかった場所なので、強く心に残っています。
地元では、「サイクリングしまなみ」で、尾道側(向島)からスタートしたときの景色がとても印象に残っています。このイベントでは多くの人は今治側からスタートするので、尾道から走る人はあまり多くありません。尾道水道の風景を背に走り出す瞬間がとても新鮮で、地元ならではの美しさを感じました。
【プロフィール】
寺西 秀太(てらにし しゅうた)
1985生まれ 広島県尾道市出身
2010年3月 東京大学 農学部 卒業
2010年4月 株式会社商船三井 入社
2015年4月 株式会社三和ドック 入社
2015年4月 取締役就任
2020年1月より現職
■株式会社三和ドック(
https://www.sanwadock.co.jp/
)
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