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【マリンネット探訪 第62回】
「誠実は力なり」
社員と共に価値を創造し続ける
<
第577回
>2026年02月20日掲載
株式会社高工社
代表取締役社長
高野 剛 氏
――1915年の創業以来、110年にわたり船舶照明器具や船舶用窓、冷凍コンテナ用電源ボックスの分野で、純国産のトップメーカーとして活躍されている、株式会社高工社様の高野剛社長です。高工社の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。
当社は1915年に大阪市南区(現在の中央区)で創業しました。2025年12月6日に創業110年を迎え、株式会社化してから90年を数えます。創業者は私の曾祖父で、当時は陸上用の照明器具を製造する鋳物工場として事業をスタートしました。その後、日本の造船業が急速に発展する中、特にコンテナ船において冷凍コンテナ用のコンテナ電源装置の需要が高まっていきました。曾祖父の後を継いだ祖父は、そうしたニーズに応える形でコンテナ電源装置を独自に開発し、当社の事業は次第に船舶業界へと軸足を移していきました。
1970年頃には、シンガポールやフィリピンへの工場進出も試みましたが、品質や技術力を安定的に維持するには国内生産が最適であるとの結論に至り、それ以降は一貫して純国産にこだわってきました。
現在工場を構えている東大阪は、古くからモノづくりの街として知られており、製造や開発の現場では、近隣企業との連携や助け合いが自然と根付いています。当社が今も純国産のモノづくりを続けられているのは、地域の支えがあってこそだと実感しています。
こうした地域に根差した生産体制のもとで品質を磨き続けてきた結果、国土交通省の認可を受けた製品や防衛省向け製品も手がけるなど、高い品質と信頼性が求められる分野での実績を積み重ねてきました。また、コロナ禍において海外製品の輸入が停滞する中でも、安定供給の面で当社製品の価値を評価いただきました。
これらの経験を通じて培ってきた、純国産にこだわるモノづくりこそが、当社の大きな強みであると自負しています。
――環境負荷低減をはじめ、海運・造船業界ではさまざまな課題への対応が求められています。そうした状況において御社が取り組まれていることについてお聞かせください。
当社では、省エネルギーや環境保護に向けて、いち早くLED照明器具の開発に着手しました。2013年には、薄型パネルを含むすべての照明器具をLED化しています。
LEDは省電力・長寿命といった利点がありますが、船舶では照明が消費電力全体に占める割合が小さいこともあり、導入当初は図面改修の手間やコストを理由に、お客様になかなか受け入れていただけないこともありました。それでも私たちは、製品の価値を丁寧に伝え続け、現在では船舶用照明としてLEDが浸透しつつあります。
現在はさらに一歩進め、施工性やメンテナンス性といった実務上のメリットを重視した製品改良に取り組んでいます。具体的には工事や部品交換がしやすい構造にすることで、施工側の作業負担を軽減できる照明器具の開発を進めています。
また、船舶燃料の多様化に伴い、防爆照明へのニーズが急速に高まっています。
LNG燃料船に加え、水素やアンモニアといった次世代燃料船の普及、さらには水素・電気自動車を積載する自動車運搬船の増加により、防爆対応が求められる区画が従来以上に拡大しています。当社では、こうしたニーズに対応するため、防爆認証を取得した照明器具の開発・提案を積極的に行っています。
このほかに、照明にセンサー機能を組み合わせて、火災や異常発熱を検知・通知する新しい照明システムの開発にも取り組んでいます。お客様と密に連携しながら、安全要求の高まりに応える製品をスピーディーに提案していきたいと考えています。
――2021年に新社屋を建設され、「発想を生み出す空間」の創出や、コミュニケーションの活性化に取り組まれています。人材育成や職場環境づくりにおいて、普段から意識されていることや、具体的な取り組みについてお聞かせください。
2021年に建設した新社屋・工場は、「自然と会話が生まれる空間づくり」をコンセプトに設計しました。例えば、社員が昼食をとるスペースにあえて丸テーブルを多く配置し、部署を越えたコミュニケーションが生まれやすい工夫をしています。また、社内にオープンミーティングスペースを設け、営業がお客様との打ち合わせやウェブセミナーを行う様子を、他部署の社員にも共有できる環境を整えました。こうした工夫を通じて、他部署の業務を知る機会を増やし、日常的な理解を促すことを意識しています。
加えて最近では、営業・製造・資材・品質管理など各部署が率直に意見を交わす場を定期的に設けています。当初は不満や意見がぶつかることもありましたが、「お客様にとって、最も大切なことは何か」という共通の目的を軸に議論を重ねることで、次第に問題解決に向けた建設的な話し合いへと変化していきました。その結果、納期遅延の改善など、業務面での具体的な成果も表れ始めています。
私自身も、こうした取り組みを形骸化させないため、できる限り現場の社員と同じ目線で時間を過ごすことを大切にしています。必要に応じて施工現場にも同行し、「現場を知ってこそ、適切な判断や発言ができる」という考えのもと、日々のコミュニケーションを重視しています。
このほかに、社内イベントや清掃活動なども定期的に実施し、部署の垣根を越えた交流の機会を設けています。気軽に話し、協力し合える環境づくりを、今後も継続して進めていきたいと考えています。
――これまでのご経歴についてご紹介をお願いします。
出身は大阪府南区ですが、幼少期は父の仕事の都合で海外を転々としていました。幼稚園の年長の頃はシンガポール、小学1~3年生をフィリピンで過ごしました。
小学4年生になるタイミングで日本に戻ってきましたが、帰国後特に印象に残っているのは「言葉の壁」です。生まれは大阪にもかかわらず、幼少期を海外で過ごしたため、関西弁をまったく話せなかったからです。私は、「このままではいけない」と思い、子どもながらに努力をして、半年ほどで関西弁をマスターしました。(笑)
――どのような学生時代を過ごしましたか?
近畿大学附属高校を経て、近畿大学に進学しましたが、高校・大学時代はラグビーに打ち込みました。近畿大学附属高校といえば野球の強豪校として知られており、
私自身も幼い頃に野球をしていたことから、当初は野球部への入部を考えていました。しかし、ラグビー経験者である従兄からラグビーを勧められたことをきっかけに、ラグビー部への入部を決めました。
当社は2022年から東大阪のプロラグビーチーム「花園近鉄ライナーズ」様とパートナー契約を結んでいます。現在の本社工場へ移転した際に花園近鉄ライナーズの営業の方が来られ、「この東大阪の土地を共に盛り上げていきたい」という互いの想いが合致し、契約に至りました。
現在は、娘が大学のラグビー部を応援するチアリーディング部に所属していることもあり、試合会場にはよく足を運んでいます。学生時代に始めたラグビーが、娘の活動とも重なり、さらに現在のパートナーシップへと繋がっていることに、不思議な縁を感じています。
――大学卒業後の進路は?
紙を専門に扱う商社に就職しました。当時は家業を継ぐ意識はなく、ごく普通のサラリーマンになるつもりでした。そこでは営業職として約6年間勤務しました。
実は当時、父(高野家)は高工社ではなく、独立して会社を立ち上げ、船舶や船舶部品の売買を行っていました。
そんな折、当時の高工社の社長から父に対して「会社を継いでほしい」という打診がありました。しかし、父は既に自分の事業が軌道に乗っていたことや迷いもあり、直ぐには首を縦に振りませんでした。その様子を見ていた私は、「高野家が創業した会社をぜひ後世へ繋いでいきたい」と強く感じました。そこで父に「一緒に頑張ろう。高工社を盛り上げていきたい」と自分の覚悟を伝えました。そして2007年に父と共に高工社へ入ることになりました。
――高工社に入られてからはどのような業務をされたのですか。また前職との違いを感じたことがあれば教えてください。
配属先は営業でしたが、真っ先に現場の製造工程について学びました。前職の紙業界との違いを感じたのは、商談のスピードや規模感です。紙の営業では、お客様のところへ毎日足を運び、その場で価格や納期が決まる、非常にスピード感のあるものでした。一方で船の業界では、1~2年後の納期を見据えた商談が中心です。遠方のお客様(造船所)も多く、価格決定までのスピードも緩やかなので、長期的な視点で物事を進める必要があります。そのため最初は少しもどかしさを感じました。
また、お客様と一言で言っても、設計部や資材部、現場など、関係者が多いため、それぞれの状況を理解しながら全体を最適化していく難しさもありました。そのような状況においても、粘り強く対話を重ねる中で、当社ならではの技術やアイデアが評価されたり、認めていただいたりした瞬間は、仕事の面白さややりがいを強く感じました。
――2022年に社長に就任されましたが、お父様からのバトンはどのように渡されたのでしょうか。
父と2人で当社に入ったときから、いつか自分がこの会社を継ぐことを見据えていましたが、転機となったのは、新工場の建設です。この場所での事業が軌道に乗り始めたとき、父から「これで一区切りついた。あとはお前が繋いでいけ」と言葉をかけられました。
――お父様の意思を聞いてどう思われましたか。
私自身もその覚悟を持って当社に入りましたので、自然と気持ちは固まっていました。そして、ここまで会社を繋いできてくれた父には、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
当時は、業界の若手経営者が集まる「次世代会」に参加しており、さまざまな企業の若手社長や船主の方々とお話しする機会が増えていました。そうした方々との交流を通じて、「この業界で頑張っていきたい」という気持ちが強くなっていたので、良いタイミングでバトンを渡してもらえたと思います。
――人生の転機となった出来事はありますか?
父と共に当社に入社したことや社長就任は大きな転機です。しかし、私の人生観を根底から変えたのは、生死を彷徨った経験です。
28歳の頃、実家の外階段を上っている際に、何かの拍子で足を踏み外して建物の下に落ちてしまいました。その時の記憶は全く残っていませんが、地面に倒れ、頭から血を流していたそうです。
その後、帰宅した弟が、「お兄ちゃんが酔っぱらって外で寝ているだけ」とそのままにしていたそうですが、異変に気付いた父がすぐに救急車を呼びました。医師から告げられた診断名は、くも膜下出血と頭蓋骨骨折。「命の保証はできない」と言われるほど絶望的な状況でした。まさに死を間近に感じた出来事でした。
入院中は、たくさんの方がお見舞いに来てくれて、自分が多くの人に支えられて生きていることを実感しました。また、それまで築いてきた人間関係のありがたさなどを改めて見つめ直す機会にもなりました。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、この出来事をきっかけに、人生への向き合い方が大きく変わりましたし、人とのつながりを今まで以上に大切にしようと考えるようになりました。
母は今でも時々、「あのまま寝かせていたら、一生後悔していた」と口にします。あの時父が異変に気づいてくれたからこそ、今の私があるのだと思います。
――座右の銘、もしくは大切にしている言葉があればお聞かせください。
「誠実は力なり」という言葉を大切にしています。一般的には「継続は力なり」と言われますが、私自身、目の前の人や物事に対して、常に誠実に向き合い続けてきたからこそ、今の自分があると確信しています。また、誠実であることの積み重ねがお客様からの信頼と信用にも繋がり、当社が110年という長い歴史を歩んでくることができたのだと感じています。
――最近感動したことを教えてください。
今年(2025年)の春、長く続けてきた地元の草野球チームで最後の試合があったのですが、その試合で勝利をおさめたことです。
この草野球チームは、小学生時代に野球をやっていたこともあり、大学生の頃に誘われて参加することになりました。最近では私がキャプテンとしてチーム運営を引き継いでいましたが、年齢を重ねるにつれてメンバーを集めることが難しくなっていました。助っ人を呼んで何とか試合を行ったこともありましたが、ここ2年ほどは人が集まらず、棄権することも増えていました。
そこで、「今年の試合を最後にしよう」、「最後にみんなで集まっていい試合をしよう」という話になり、チームとしての最後の試合を行うことになったのです。
久しぶりに参加する方やチームを引退された方、年齢もバックグラウンドもさまざまな人たちが集まり試合をできただけでも、感慨深いものでした。
そのような状況下でおさめた勝利は、30年間の歴史の集大成といえます。全員が最後まで力を出し切り、その時間を共有できたことに深い感動を覚えました。
――思い出の一皿や食にまつわるエピソードがあればお聞かせください。
「いと美」という定食屋が印象に残っています。近畿大学の近くにあり、大学生の頃、部活動の帰りによく仲間と立ち寄っていました。創業から40年近く続く、地元の学生にとっては馴染みのお店です。
部活で汗を流した空腹の体に、大盛りの定食は心の底から沁みわたりました。500円という価格も学生にとっては大変ありがたいものでした。
メニューは1番から9番まで番号が振られており、誰もが惹かれる定番のおかずが揃っていました。お店に通ううちに、オリジナルの定食がどんどん増え、気づいたときは25番ほどまでメニューが増えていましたが、私のお気に入りは、唐揚げとエビフライのセットでした。
そして何より心に残っているのが、お店のおばちゃんの存在です。とても明るく、話好きで、親しみやすい方でした。定食を運んでくれるときには、「今日も頑張ったな」、「腹減ってるやろう」と声をかけてくれ、その言葉に何度も励まされたものです。
社会人になってからも何度か足を運びましたが、現在は休業中のようです。私と同じ近畿大学附属高校に通う息子と、いつか親子で訪れたいと思っています。
――ご家族で行くお店はありますか。
「屋台」という居酒屋に時々行っています。子供たちが大きくなってからは、飲む機会も増えており、部活動や大学生活、遊びに行った時の話など、子供たちを中心に会話が盛り上がります。こうしたひとときを過ごせるのは、父親として何よりの喜びです。
――将来についてもお話されるのでしょうか。
折に触れて、当社の将来についてどう考えているのかを尋ねることはあります。もちろん家業を継ぐことは強制ではありませんが、本人たちにその意志があればサポートしたいと考えています。子供が3人おり、誰が継ぐかも分かりませんが、そうした選択肢がある環境だということはそれぞれに伝えています。
一方で、そのような環境があるからといって甘えてほしくはありません。大学での学びやその先の就職活動など、先ずは一人の人間として自立をしたうえでの選択であってほしいと考えています。
――心に残る「絶景」についてお聞かせください。
家族旅行で訪れたハワイのダイヤモンドヘッドで見た朝日が心に残っています。
子どもが小さい頃は、家族で遠出をする機会は少なかったのですが、最近は節目ごとに海外へ行くことが増えました。今年の春には、上の子2人の大学進学と末っ子の高校進学を祝い、家族でハワイを訪れました。
定番スポットではありますが、家族5人での山頂までの道のりは、思っていた以上に過酷でした。しかし、苦労して辿り着いた先で目にした朝日は、大変感動的でした。想像していた以上に雄大で、実際に足を運んでこそ味わえるものだと感じました。何より家族全員で見ることができたのは、最大の喜びでした。
――今後の夢や目標について教えてください。
社長に就任してから3年経ちますが、日々お客様の声に触れる中で、この会社にはまだまだ大きな可能性があると強く感じています。
これからもお客様目線を忘れず、立場や部門に関係なく、すべての社員が「お客様にとって最も大切なことは何か」を軸に判断し、行動できるような風土を育てていきたいと考えています。
私自身も、どんな時も誠実さを大切にしながら、この会社をより良い方向へ導けるよう全力で取り組んでいきます。社員と共に成長し、社会に必要とされ続ける会社でありたいと考えています。
【プロフィール】
高野 剛(たかの ごう)
1975年12月生まれ 大阪府大阪市出身
2000年3月
近畿大学 商経学部 卒業
2000年4月
吉川紙商事株式会社 入社
2006年12月
吉川紙商事株式会社 退社
2007年1月
株式会社高工社 入社
2011年8月
営業部 課長
2014年12月
取締役営業部長 就任
2016年9月
常務取締役 就任
2022年10月より現職
■株式会社高工社(
https://www.os-kokosha.co.jp
)
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