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【マリンネット探訪 第64回】
夢を見、夢を追い、夢を喰う
技術と人で支える安全運航と脱炭素推進
< 第579回>2026年04月21日掲載 


商船三井テクノトレード株式会社
代表取締役社長
福島 正男 氏











――商船三井グループの技術商社として、環境対応や安全性向上に貢献する取り組みを進め、海運業界を中心に幅広い分野で事業を展開されている、商船三井テクノトレード株式会社様の福島 正男社長です。商船三井テクノトレードの概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。

 当社は、複数企業の合併を経て、1999年の大阪商船三井船舶とナビックスラインの合併の翌年、2000年に設立され、2025年に設立25周年を迎えました。前身企業から数えると創業78年です。不動産事業から始め、その後、海運関連事業に進出し、船舶保有業も手がけました。
 現在は商船三井グループの中で唯一、商社機能を担う会社であり、“一丁目一番地”は商船三井グループの運航船を支えることにあります。燃料や潤滑油の手配、部品や船用品の供給など、船舶の安全かつ安定運航を支える業務を担っています。加えて、こうした知見やネットワークを活用し、商船三井グループ以外のお客様にもサービスを展開しています。
 船舶用燃料・潤滑油の供給をはじめ、PBCF(Propeller Boss Cap Fins)や風力推進装置などの環境・安全分野、船上ICTサービス、船舶管理サポート、白島国家石油備蓄基地の原油貯蔵船の維持関連事業など、複数の領域で事業を展開しています。社内には造船所や舶用機器メーカーなどのOBも多く在籍しており、そうした知見を活かして船舶コンサルティングや各種エンジニアリングサービスを提供しています。単なる商社機能にとどまらず、技術的な知見を活かした提案や支援ができる点も当社の大きな特徴です。
 事業構成は、売上ベースで燃料供給が約6割を占め、部品・船用品供給や航海計器整備などのいわゆる船舶管理サポートが約3割、PBCFや白島国家石油備蓄基地関連が残りとなっています。船主や船会社に寄り添い、安全運航を支えるビジネスが当社の特徴でもあります。
 また、売上の内訳では、商船三井向けが約60%、それ以外が約40%を占めています。今後は外部向けビジネスの拡大を図り、双方が50%となるバランスを目指しています。



――中期経営計画「Techno-Trade NEXT10」の進捗も踏まえ、現在手応えを感じている分野や、計画を推進する中で見えてきた課題があれば教えてください。

 2023年に策定した中期経営計画「Techno-Trade NEXT10」は約3年が経過し、足元では次の3年に加え、その先の10年後を見据えて見直しを進めているところです。「Techno-Trade NEXT10」では、新燃料対応、風力推進、船上ICT(Information and Communication Technology)の3分野を重点領域に掲げてきました。
 まず新燃料対応については、LNG燃料船の増加に伴い、国内長距離フェリー向けのLNG燃料供給体制を構築してきました。商船三井さんふらわあのLNG燃料フェリー4隻(さんふらわあ くれない/むらさき、さんふらわあ かむい/ぴりか)の竣工に伴い、別府・大洗・苫小牧において、タンクローリーによるLNG供給体制を構築し、運用しています。また、船陸間で接続されるLNG供給ホースに使用する燃料補給カプラー(スウェーデンMann Teknik社製)は、当社が代理店として取り扱っています。
 今後は、バイオ燃料の供給体制の整備も進めており、来年2月にはバイオ燃料に対応した配給船の竣工を予定しています。
 
 風力推進の分野では、フィンランドのNorsepower社のローターセイルや、オランダのECONOWIND社のサクションウィング(VentoFoil)の導入支援を行っており、今後は、商船三井などが開発した硬翼帆式風力推進装置「ウインドチャレンジャー」の営業支援にも取り組んでいく予定です。
 このほかにも、コンテナ船の風圧低減を目的としたコンテナ船向け船首風防(ウィンドシールド)や風圧抵抗低減デザインについても、当社で設計・開発し、すでに販売を行っています。
 
 船上ICT分野では、商船三井の運航船約200隻を対象にサイバーセキュリティ対策を進めており、船内ネットワークの整備から運用面まで一体的に取り組んでいます。まずは既存船への対応を進め、今後は新造船への展開も図っていきます。さらに、衛星データと船舶データを組み合わせた潮流予測の高度化にも取り組んでおり、研究機関などと連携しながらサービス化に向けた準備を進めています。
 これらの分野はいずれも、今後の事業成長に向けた重要な柱であり、引き続き強化していきたいと考えています。



――水素燃料電池船の取り組みについてお聞かせください。

 水素燃料電池船「HANARIA」については、プロジェクトを通じて技術的な課題をクリアし、関門地区において約2年間の運航を行うなど、商業運航としての実績を積み上げることができました。また、社会的な意義についても評価をいただき、「シップ・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、一定の成果を得ることができました。
 一方で、観光船事業として継続していく難しさを痛感したことも事実です。本船は、採算や運航環境などを踏まえ、今年2月をもって関門地区での運航は一旦終了することとしました。
 今後は、既存事業者様に活用いただく方向へと切り替えを進めており、まずは、2026年4月11日(土)から5月10日(日)まで、「大阪まいしまシーサイドパーク」で開催される「ネモフィラ祭り2026」の開催にあわせ、天保山―舞洲(まいしま)間のシャトルサービスに就航しています。



――PBCFをはじめとした省エネ商材や風力推進技術の展開において先駆的な御社ですが、近年の脱炭素化の潮流を受け、市場の受け止め方はどのように変化していますか。また、その動向を踏まえた今後の展開についてお聞かせください。

 IMO(国際海事機関)のGHG排出規制の採決が延期になったことに加え、メタノールやアンモニア、水素といった新燃料についても、インフラ整備や生産量の面で課題が残っていることから、足元では脱炭素化の動きはやや鈍化していると見ています。
 一方で、脱炭素の潮流そのものは変わらないとの見方から、まずは確実に効果を発揮できる省エネ技術への関心が高まっています。PBCFのほかにもダクトやラダーバルブなどの省エネ設備や高機能塗料の分野は特に顕著であり、各社が「今できること」に着実に取り組んでいる状況です。このような動きは、当社にとっても追い風であると捉えています。
 PBCFは、船舶のプロペラに装着することで後方のエネルギー損失を低減し、推進効率を高める省エネ装置です。1987年に商船三井の工務部が開発し、現在は当社がその開発・販売を引き継いでいます。販売当初は1~3%程度の燃料削減効果でしたが、2017年の改良型投入により、現在では3~5%の削減を実現しており、世界で約4,500隻の船舶に採用されています。近年では適用可能な船型も広がり、年間約200台を販売しています。さらに最近では、ゲートラダーなど、他の省エネ装置との組み合わせでの提案も進めています。
 当社では、前述のとおり複数の風力推進補助装置の導入支援も行っていますが、風力推進装置については、国内外で参入企業が増加しており、搭載船も着実に増えています。今後は、さらに普及が進んでいくと見ています。
 また、新燃料への移行が進んだとしても、燃料コストの上昇が見込まれることから、燃費性能の高い船舶への要求は引き続き高まると考えています。単なる燃料転換にとどまらず、省エネ技術との組み合わせによる燃費改善やコスト削減が、今後一層重要になると考えています。



――複数企業の合併を経て、多様な人材が集まる組織になっていると拝見しています。人材の特徴や強みが、事業にどのように活かされているのか、お聞かせください。

 現在、新卒採用に加え、キャリア採用も積極的に行っています。船員経験者や造船所出身者、舶用機器メーカー出身者、船舶管理会社出身者、商船大学・商船高専・水産大学校卒業生など、多様なバックグラウンドを持つ人材が在籍しています。こうした人材が持つ知識や経験に加え、ネットワークや知見の広がりは、当社の大きな強みであると考えています。
 特に最近では、船上ICT分野を中心に採用を強化しており、陸上のIT業界出身の人材も増えています。当社入社後に初めて船を訪れたという人も多いですが、現場を見ながら仕事に関われる点に面白さを感じるなど、前向きな反応が多い印象です。



――これまでのご経歴についてお聞かせください。

 島根県松江市の出身で、高校まで松江で過ごしました。子供の頃からの夢は、飛行機のパイロットでした。当時は進路として、航空大学校か自衛隊の何れかを目指すケースが一般的でしたが、家族の意向もあり、航空大学校を志望しました。一次(筆記)試験には合格したものの、2次試験(身体検査)で視力の左右差に問題があり、残念ながら不合格となってしまいました。当時は大きな挫折を感じましたが、その後大学受験に切り替え、最終的に東京大学に合格しました。
 入学式には紋付き袴で出席したのですが、そのような姿は私だけだったこともあり、テレビ番組のインタビューを受けました。その際は「将来は数学者を目指します」と話したことを覚えています。しかし、実際に授業が始まると、そのレベルの高さに圧倒され、正直なところ内容をほとんど理解できない状態でした。
 当時は部活動の勧誘も盛んでした。中でもボート部はスポーツ系の部活の中でも断トツの強さで、全日本選手権でも上位を争う強豪でした。そのボート部に入部し、前回の東京オリンピックのボートコースのある埼玉県戸田市に住み、ほぼ毎日ボート漬けの日々を送りました。
 
 大学5年目に入り、就職活動が始まる4月に、もう一度パイロットになるチャンスが訪れました。ちょうど日本航空(JAL)が自社養成パイロットの採用を再開したタイミングでした。挑戦した結果、最終の8次試験まで進むことができました。8次は操縦試験で、セスナ機に乗り、毎日1時間ほど4日間にわたって飛行を行いました。「ここまで来れば落ちない」と言われていた試験でしたが、私が受けたグループでは約半数が不合格となり、私もその中に含まれていました。ただ、実際に操縦桿を握り、自分の手で飛行機を操縦する経験ができたことで、2度目の不合格については、ある程度納得して受け止めることができました。



――海運を志望したきっかけは?

 ボート部の先輩が船会社に就職されており、その方の勧めがきっかけで海運業界を志すようになりました。パイロットの選考と並行して船会社にも応募し、幹部面接では併願先について聞かれ、「パイロットに合格すればそちらに進みたい」と率直に伝えていました。その影響かは分かりませんが、不採用となった企業もありました。そうした中、最終的には大阪商船三井船舶への入社が決まりました。海運業界に進んだ先輩方から仕事の面白さを聞いていたことに加え、もともと乗り物が好きだったこと、そして海外と関わる仕事ができる点にも魅力を感じており、自分にとっては良い選択だったと考えています。
 また、大学4~5年生の頃、夏休みなどの長期休暇中はフェリー会社でアルバイトをしていました。日本カーフェリー(現・宮崎カーフェリー)の川崎と細島(宮崎県日向市)を結ぶ航路からスタートし、神戸や大阪南港行きなど関西航路にも乗船しました。当時のフェリーは、ドラマ『男女7人夏物語』の舞台として使われるなど身近な存在でした。さらに、大学4年生の夏休みには御巣鷹山での航空機墜落事故が発生しました。それを機に、飛行機からフェリーへと利用者が流れ込み、連日満船となったことで、非常に忙しく働いていたことをよく覚えています。



――入社後はどのような業務を担当されましたか?

 不定期船部門に配属されて約2年間を過ごした後、社内の語学研修制度を利用してフランスへ留学しました。1年間の語学研修を経て、フランス・ボルドーの代理店で約3カ月間の実務研修を行い、主に赤ワインの出荷業務を担当しました。帰国後は、コンテナ船の欧州航路における集荷業務を担当しました。
 その後は技術開発部へ異動となりました。私が入社した当時は、プラザ合意を契機に緊急雇用対策が実施され、社内の人員整理が進んでいたこともあり、新卒採用は大幅に絞られていました。実際、私の入社年の採用数はわずか11名で、技術系の採用はゼロでした。こうした状況により技術人材が不足していたことから、理系出身である私が技術部門へ異動することになりました。そこでは、PBCFの開発のほか、木材チップ船の自動荷役の研究開発なども行いました。
 

 1998年には企画部へ異動となり、当時進められていたナビックスとの合併業務を担当しました。その後はタンカー分野を中心にキャリアを重ねました。メタノール船、ケミカル船、LPG船、VLCC、プロダクト船などの運航に携わり、東京マリン(現:MOLケミカルキャリアーズ)への出向などを経て、2020年に当社へ入社し、PBCFなど、再び技術分野の事業を担当することになりました。










――特に印象に残っているエピソードは?

 技術開発部に所属していた頃、木材チップ船の自動荷役装置の研究に携わった経験です。フィンランドメーカーの機材を導入し、貨物を船底から掻き上げてコンベアで搬送する仕組みの開発に、造船所と共同で取り組みました。従来の荷役の効率化を目的に研究を進め、既存船を改良して実証実験を行ったところ、最初の航海で大きな成果を上げることができました。その瞬間の達成感は非常に大きなものでした。
 一方で、木材チップの性質などによって安定した運用が難しいことが判明し、約1年半にわたり試行錯誤を続けましたが、最終的には思うような成果にはつながりませんでした。



――人生の転機となった事柄、または、これまでの人生を通して、特に心に残っているエピソードについてお聞かせください。

 航空大学校の試験に不合格となり、パイロットの夢が途絶えたときです。その後、再びパイロットに挑戦する機会はありましたが、当時受けた衝撃は、今でも鮮明に記憶に残っています。


――「座右の銘」についてご紹介をお願いいたします。または、日々の判断の指針となっている言葉がございましたらお聞かせ下さい。

 学生時代のボート部の経験から大切にしている言葉として、「一艇ありて一人なし(いっていありていちにんなし)」というものがあります。ボートは9人で息を合わせて前に進む競技であり、誰か一人欠けてしまっては成り立ちません。この言葉は、チームワークの大切さを象徴する言葉として、私の人生において大切にしている言葉です。
 
 経営者として大切にしている言葉は、「夢を見、夢を追い、夢を喰う」です。私の遠い親戚の経営者がよく口にしていた言葉ですが、夢は思い描くだけでなく、現実のものとして成し遂げることが大切です。この言葉は、折に触れて自分に言い聞かせています。



――日常生活やビジネスの場において、心を動かされた出来事や感銘を受けたエピソードについてお聞かせください。あわせて、個人として、あるいは経営者としての今後の展望についてお聞かせください。

 2011年に参加した「ISL(Institute for Strategic Leadership、現在の大学院大学至善館)」での経験です。経営者やリーダー層を対象とした少人数制のプログラムで、土日を使って1年間学びました。大学教授、経営者、スポーツ選手などの外部講師を招き、さまざまな分野の話を聞くことができ、大きな刺激を受けました。この学びを通じて、自分自身の哲学的な思考や価値観を改めて見つめ直す機会となりました。
 また、学生時代のボートの経験も強く印象に残っています。私が1年生のときの4年生は一度も負けたことがなく、その先輩方と同じ練習をしていれば、勝てるものだと考えていました。しかし、実際には思うような結果が出ず、前例踏襲だけでは成果につながらないということを痛感しました。この経験は、その後の仕事にも大きな影響を与えています。
 
 今後については、社員一人ひとりが力を発揮できる環境づくりに、より一層力を入れていきたいと考えています。社員一人ひとりが夢を実現し、家族に誇れる仕事ができることが、結果として会社の成長にもつながると考えています。
 個人としては、客船での世界一周や、四季を感じながら京都で1年ほど暮らすことが夢です。また、趣味の一つに、ヨーロッパの内陸運河でレンタルボートを借りて、水の上を旅するというものがあります。独身時代には、フランスやイギリスで何度も楽しみ、家族とも同様の経験をすることができました。機会があれば、ぜひもう一度訪れたいです。



――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 クスクスです。フランスに留学していた際、ホームステイ先で毎週末に必ず出てくる家庭料理でした。マグレブ(北アフリカ)風のクスクスで、大きく切った野菜や肉の入ったスープをかけて食べるスタイルのものです。
 ホストファミリーはアルジェリアから戻られたご夫婦で、フランスと北アフリカの歴史的なつながりもあり、その家庭ではクスクスが日常的な料理として親しまれていました。大鍋でスープを作り、蒸したクスクスとともに、家族が食卓を囲む温かい様子とともに、今でも印象に残っています。
 ロンドン駐在時には、モロッコやアルジェリアを訪れる機会があり、大好きな本場のクスクスを味わうこともできました。自分にとっては懐かしくもあり、特別な一皿です。



――心に残る「絶景」について教えてください。

 フランス留学中に訪れたスイスの風景です。雄大な自然と静けさが印象的で、今でも鮮明に覚えています。
 
 また、シンガポール駐在の頃に訪れたモルディブの海も忘れられません。透き通るような青さと美しさは、それまでに見たことのないものでした。







【プロフィール】
福島 正男(ふくしま まさお)
1964年生まれ 島根県出身
1987年3月 東京大学 農学部 卒業
1987年4月 大阪商船三井船舶株式会社 入社
2002年6月
 油送船部 LPG・メタノールチーム 課長
2006年6月 油送船部 原油第一グループ マネージャー
2008年6月 油送船部 プロダクト船運航グループリーダー
2012年6月 東京マリン株式会社 出向
2013年6月 TOKYO MARINE ASIA PTE LTD 出向
2014年6月 油送船部 油送船統括グループリーダー
2015年6月 油送船部 専任部長
2017年4月 欧州・アフリカ総代表
      兼 MITSUI O.S.K. BULK SHIPPING(EUROPE)LTD., MANAGING DIRECTOR
2020年4月 商船三井テクノトレード株式会社
      理事 PBCF事業部長、欧州支店長
2020年6月 取締役
2023年4月 取締役 常務執行役員
2025年4月 代表取締役 社長執行役員


■商船三井テクノトレード株式会社(https://www.motech.co.jp/

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