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【マリンネット探訪 第70回】
「日々是絶好日」
神戸を、人と挑戦を育むマザーポートに
< 第586回>2026年10月19日掲載 


早駒運輸株式会社
代表取締役社長
渡辺 真二 氏













――明治18年の創業以来140年にわたり、神戸の港を中心に海上サービスを展開されている、早駒運輸株式会社様の概要・特色について、ご紹介をお願いいたします。

 早駒運輸は、1885年(明治18年)に創業しました。曾祖父、祖父、父、母、そして私へと受け継がれ、私で5代目になります。
 創業当時から続く主要事業の一つが、繋離(けいり)船業です。大型船が入港して岸壁に着岸する際、船から出されたロープを受け取り、岸壁のビットに掛けて船を固定する作業を行います。神戸港には月間約700隻もの船舶が入出港しており、当社は神戸港で唯一の元請事業者として、24時間365日体制でこの業務に対応しています。台風接近時や夜間にも作業が必要となるため、常に安全への配慮が求められます。
 また、通船事業にも古くから携わっています。通船は、沖合に停泊する船と港を結ぶ、いわば海上のタクシーやバスのようなもので、船員や検疫官、船舶代理店の方々を運んでいます。昭和20年代は港のバース(荷役を行う岸壁や桟橋)が少なく、沖合で停泊することも多くありました。そのため、船員は検疫を終えると通船を利用して上陸し、買い物や飲食に出かけていました。当時、メリケン波止場(現在のメリケンパーク)は発着拠点となっており、多くの通船が行き交っていました。しかし、その後は港湾整備が進み、荷役時間も短縮されたことで、通船の需要は大きく減少しました。
 そのような中、父の代でタグボート事業へ進出しました。現在では神戸だけでなく、姫路、加古川、水島など、瀬戸内海へと事業地域を広げています。1993年には海上バス、1996年には観光船の運航を開始し、2020年にはクルーズ船「boh boh KOBE」が就航しました。さらに、船舶関連業にとどまらず、地域社会への貢献や復興支援などにも取り組んでいます。
 当社は、明治、大正、昭和、平成、令和と、その時代の神戸港で求められる役割を担ってきました。かつて取り組んでいた事業の中には、現在ではなくなったものもあれば、タグボート、パイロットボート、旅客船、観光、まちづくりなど、時代の変化に合わせて新たに始めたものもあります。
 老舗だからこそ、一つの事業に固執して守りに入っていたら、ここまで会社は続いていなかったと思います。時代の変化を捉え、新しいことに挑戦してきたことが、140年の歴史につながっていると感じています。



――タグボート事業や、観光船事業への進出にはどのような背景があったのでしょうか。

 父が20代後半で祖父から会社を引き継いだ1950年代に遡ります。当時は、タグボート自体がまだ一般的ではありませんでした。神戸港も現在ほど船舶の着岸を密にする必要がなかったため、「タグボートは必要ない」という見方が強く、若社長だった父がタグボート事業への進出を提案しても、社内では大半が反対したそうです。
 しかし父は、今後入港する船が増え、限られたバースに着岸させるには、車の縦列駐車のような高度な支援が必要になると考え、周囲の反対を押し切って事業化を進めました。銀行からの融資も難しい中、当社の仕事ぶりを知る水先人の方々から資金を借り、米軍で使用されていた中古のタグボートを購入しました。最初の船は、奈良県生駒市の宝山寺と当社の「駒」にちなみ、「生駒丸」と名付けられたと聞いています。
 神戸でタグボート事業を始めた後、父は早い段階で姫路や加古川へも進出しました。こうした取り組みが、現在の瀬戸内海における事業基盤につながっています。父がタグボート事業への進出を決断していなければ、現在の早駒運輸はなかったと思います。

 観光船事業への進出は、1993年頃、神戸市が進めていたアーバンリゾート構想がきっかけでした。六甲アイランドやポートアイランド、メリケンパーク、ハーバーランドなどを船で結ぶ海上バス構想が持ち上がり、当初は神戸で通船を営む3社で取り組む予定でした。しかし、他の2社が途中で撤退し、計画が立ち消えになりかけたところ、当時社長だった母が「1社でもやる」と決断し、当社単独で船を建造して海上バス事業を始めました。
 当時、私は取締役として、二宮氏(現・代表取締役専務)とともに事業を立ち上げました。平日は港湾関係の仕事や行政との調整を行い、土日は観光船の現場に立ち、大変多忙な日々を送っていましたが、新しい事業をつくることに大きなやりがいを感じていました。



――お父様から受け継がれている想いや考え方はありますか。

 父から受け継いだ考え方の1つに、「神話を信じない」というものがあります。
 かつて通船事業は非常に収益性が高く、「仕事がなくなるはずはない」と考える役員も多かったようです。しかし、港湾整備や荷役時間の短縮などにより、需要は大きく減少しました。
 タグボート事業も同様で、昭和50年頃には神戸港に40隻以上のタグボートが運航していましたが、現在は18隻程度にまで減少しています。現在はコンテナ船やクルーズ船にバウスラスターが装備され、タグボートを必要としないケースが増えています。スラスターを搭載しにくい鉄鉱石船やタンカーなどはタグボートが必要とされていますが、技術開発や自動運航の進展により、将来的にはこうした船にもスラスターが導入される可能性があります。そのため、今後もタグボートが必要とされ続けるとは限りません。
 父が通船事業の将来を見据えてタグボート事業へ進出したように、私たちも現在の主力事業を絶対視してはいけないと考えています。社会や技術の変化に目を向けながら次の一手を考えていく、この姿勢をこれからも大切にしていきたいと思います。



――現在運航されている「boh boh KOBE」の特徴や魅力についてお聞かせください。

 「boh boh KOBE」は、もともと造船所の従業員の通勤船として使用されていた約600人乗りの大型船です。改造後の定員は約525人ですが、通常の運航で毎便定員近くまで乗船いただくのは、現実的ではありません。そこで、単に多くのお客様を乗せることを目指すのではなく、広い船内空間をどのように活用するかを考え、イベントスペースやオープンキッチンなどを設けています。
 
 こうした船内空間の活用も含め、「boh boh KOBE」には大きく3つの特徴があります。
 1つ目は「食」です。レストラン船でも厨房を公開している例は多くないため、お客様の目の前で調理し、その様子も楽しんでいただけるようにしています。料理そのものにも力を入れており、ミシュラン一つ星を獲得した京都の料理人に監修いただいています。当社の社員も本格的な日本料理を提供できるよう、定期的に指導を受けながら技術を磨いています。観光船というと、景色を楽しむための船という印象が強いかもしれませんが、私たちは「boh boh KOBE」を、「食」そのものを目的に乗船いただける船にしたいと考えています。
 2つ目は、ペットと一緒に乗船できることです。観光船としては珍しい取り組みですが、ペットを家族の一員として考える方が増えている中、こうした船旅には大きな需要があると感じています。
 3つ目は、海上から飛行機を見る体験です。「boh boh KOBE」は比較的速力があり、神戸空港の南側まで航行できるため、離着陸する飛行機を間近に見ることができます。こうした船ならではの体験を、一つの観光商品にできないかと考えています。
 今後も、神戸港やメリケンパークという立地と「boh boh KOBE」が持つ特徴を生かし、食やペット、イベントなどを組み合わせながら新たな楽しみ方を提案していきたいと考えています。




――その他に取り組んでいる事業はありますか。

 ペット関連イベント、熟成日本酒の販売、スポーツ、音楽など、さまざまな分野に取り組んでいます。
 ペット関連では、ゴールデンウィークにメリケンパークで「ワンワンマルシェ」を開催しています。2日間で約1万人が来場し、約100店舗が出店するイベントです。かつて神戸の食肉関係者による「メリケンフェスタ」が開催されていましたが、コロナ禍で一時中断し、再開にあたって開催場所を調整することになりました。そこで、ワンワンマルシェはメリケンパークで、食肉イベントは隣接する岸壁で開催する形を提案しました。現在も両イベントは継続して開催しており、場所や人の流れを工夫することで、異なるイベント同士でも相乗効果を生み出せると感じています。
 2020年からは、『湊川隧道貯蔵酒「隧 -ZUI-」』というプロジェクトにも取り組んでいます。かつて神戸港へ水を送るために使われていたトンネルや水路を活用し、酒蔵と連携して日本酒を貯蔵・熟成する取り組みです。短期間の熟成だけでなく、年単位で長期熟成させた商品も数量限定で販売しています。当社では、酒類の通信販売免許も取得し、自社で販売まで手掛けています。


 スポーツの分野では、7人制女子ラグビーチーム「神戸ファストジャイロ」の支援・運営に取り組んでいます。大学卒業後も日本代表を目指して競技を続ける選手の多くが、東京や埼玉などのチームへ活動の場所を移す中、神戸や関西でも競技を続けられる環境をつくりたいと考えたことがきっかけです。また、一社だけでチームを支えるのではなく、地域全体で支える仕組みづくりにも力を入れています。地道に協力を呼びかけた結果、当初約12社だった協賛企業は、現在では90社を超えています。
 音楽分野では、佐渡裕氏が芸術監督を務める、小学生から高校生までの弦楽オーケストラ「スーパーキッズ・オーケストラ」のOB・OGで構成される「スーパーストリングスコーベ」の活動を支援しています。卒業後、プロの音楽家や医師などそれぞれ異なる道を歩むメンバーが年に1、2回再び集まり、演奏できる場づくりをサポートしています。




――人材育成において重視されていることや、次世代への技術・ノウハウの継承に向けた取り組みについてお聞かせください。

 繋離船、タグボート、パイロットボートなどの港湾サービスは、24時間365日稼働しています。夜間や悪天候時、台風の際にも対応が必要で、その他にも熱中症や足元の危険、ロープの破断、機械設備との接触など、現場にはさまざまなリスクがあります。そのため、人材育成において最も重視しているのは安全です。単に作業手順を教えるだけでなく、過去の事故がなぜ起きたのか、港ごとに設備や作業環境がどう異なるのか、力のかかったロープがどのように動くのかなど、現場でしか知り得ない知識や感覚まで伝えていく必要があります。
 私自身も、大学時代に繋離船作業のアルバイトを経験し、入社後は神戸、水島、東播磨などの現場で働き、実際に船にも乗りました。こうした経験があるからこそ、国土交通省や水先人、関係団体との協議の場で現場の実態や危険性を自分の言葉で説明することができます。現場を知ることは、安全対策を進めるうえでも重要だと考えています。
 一方、観光、文化、スポーツなどのBtoC事業では、従来の港湾事業とは異なる人材育成が必要です。長年BtoBの世界で仕事をしてきた管理職の中には、会社の思いや熱意をお客様へ直接伝えることに戸惑いを感じる人もいます。一方で、新入社員の方が会社の新しい理念や事業の方向性を素直に理解できる場合もあります。そのため、新入社員教育では、私自身が新規事業に取り組む理由や会社が目指す姿を伝えるようにしています。
 また、新しい取り組みを社員に任せる際は、まず自分たちが実践して見せることを大切にしています。例えば、スポンサーの獲得やチャリティー商品の販売も、最初から社員に任せるのではなく、まずプロデューサーでもある私や妻が取り組み、どのように思いを伝えて協力をお願いするのかを示したうえで、社員へ引き継いでいます。自分たちが経験していないことを、社員に一方的に求めることはできないと考えているからです。



――人生の転機となった事柄についてお聞かせください。

 人生の転機は3度ありました。
 1つ目は、阪神・淡路大震災です。震災直後、神戸大橋が損傷し、ポートアイランドへの陸路が途絶えました。そこで神戸市から、メリケンパークと関西空港行きの高速船が発着していたポートアイランドのK-CATを結ぶ臨時航路を、震災翌朝から運航してほしいという要請がありました。
 当時、私はまだ代表権を持っておらず、判断を迷いました。しかし、神戸市の担当者から「亡くなったお父様なら、こういう時は必ず引き受けたと思う」と言われ、これは自分が果たすべき役割だと思い、その場で引き受けることを決めました。すぐに運航管理者と翌朝からの時刻表を作成し、運航を開始しました。この経験から、非常時には誰かの判断を待つのではなく、自分が責任を持って決断することの大切さを学びました。これはその後の新たな事業に挑戦する際の判断にもつながっています。
 2つ目は、2009年に発生した繋離船作業中の事故です。繋離船作業中にロープが破断し、作業に当たっていた2名の方が亡くなりました。二度と同じ事故を起こしてはならないという思いから、自社の安全対策だけでなく、業界全体で安全に取り組む必要があると考えるようになりました。
 当時、繋離船業は行政にも窓口がなく、業務や現場の危険性が十分認識されていませんでした。そこで、国土交通省などに対し、繋離船業の安全上の課題を訴え続けました。その結果、行政と業界団体が定期的に安全について協議する場が設けられるようになり、港湾設備の整備に際しても、繋離船作業への影響が確認されるようになりました。この事故は、私自身の考え方やその後の経営に大きな影響を与えました。安全は一企業だけで守るものではなく、行政や関係事業者を含め、業界全体で守っていくものだという考えの原点になっています。
 3つ目は、社会人1年目に経験した飛び込み営業です。新卒1年目、社長の息子として育ってきた環境から一転し、成績が出なければ厳しく叱責される日々が始まりました。周囲が着実に成果を上げていく中、私は飛び込み営業にためらいがあり、なかなか成果を出せずに苦しんでいました。母に「辞めたい」と弱音を吐いたところ、「辞めてもよいが、その状態ではうちには戻れない。将来、社長として戻ったとしても、あなたも社員も苦しむことになる」と言われました。その言葉をきっかけに、もう一度踏ん張ることを決意し、入社から1年が経つ頃には、2か月連続で営業成績トップを取ることができました。
 この経験を通じて、初対面の相手にも自ら会いに行き、自分の考えや思いを伝える度胸が身につきました。現在も、新たな事業で協力をお願いする際には、まず自分自身が動くことを大切にしています。若い頃に培ったこの姿勢は、今の事業づくりにも生きています。



――大切にされている「座右の銘」や、日々の判断の指針となっている言葉がございましたらお聞かせください。

 大切にしている言葉は3つあります。
 1つ目は「日々是絶好日」です。これは、毎日が何事もなく良い日であるという意味ではありません。私は、「ベスト」を追い求めるのではなく、昨日より今日、今日より明日と、少しずつ「ベター」にしていくことが大切だと考えています。失敗や困難があった日でも、そこから何かを学び、次の日を少し良くすることはできます。会社経営も同じで、日々の積み重ねによって、組織や事業を少しずつ良い方向へ進めていくことを大切にしています。
 2つ目は、「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」です。新しいことに挑戦する際に常に意識している言葉です。港湾業界では、目立たないことや従来の枠を守ることが重視される側面もありますが、BtoC事業を神戸に根づかせるためには、他社がまだ取り組んでいないことにいち早く挑戦していく必要があると考えています。周囲を気にして中途半端に終わるのではなく、誰にも真似できないところまでスピード感をもってやり抜けば、やがて認められるようになる。そんな思いから、社員にもいつも「出過ぎろ」と伝えています(笑)。現在取り組んでいるさまざまな新規事業も、こうした考えを軸に展開してきました。
 3つ目は、新規事業を広げていくうえで中心に据えている「マザーポート(母港)」という考え方です。港が船の帰ってくる場所であるように、女子ラグビーやオーケストラをはじめとするさまざまな活動の「マザーポート」となり、人や活動が育ち、またいつでも神戸に戻ってこられる。そんな存在でありたいと考えています。



――思い出に残っている「一皿」についてお聞かせください。

 母が作ってくれたお好み焼きです。
 子どもの頃、家には親戚や会社の人など、多くの人がよく集まっていました。人が集まるたびに母が料理を振る舞っており、その中で特に好きだったのがお好み焼きでした。大勢の人が集まると、母は1時間ほどで20人分ものお好み焼きを焼いていました。
 母のお好み焼きは一般的なものとは違い、生地や具材に塩とこしょうでしっかり味が付けられていました。そのため、ソースやマヨネーズをかけず、そのまま食べるのが我が家の定番でした。今でも外でお好み焼きを食べる際、最初からソースやマヨネーズがかかっていると、少し違和感を覚えるほどです。現在は妻が母から作り方を受け継ぎ、同じ味のお好み焼きを作ってくれています。
 母のお好み焼きは、当時のにぎやかな光景や、家族と過ごした時間を思い起こさせてくれる一皿です。



――心に残る「絶景」についてお聞かせください。

 海の上から眺める神戸の街並みと六甲山です。
 神戸は、海と山が非常に近い街です。船で沖へ出て振り返ると、港の背後に市街地が広がり、そのさらに奥には六甲山が連なっています。
 海、街、山が一つの景色の中に収まるのは、港町として発展してきた神戸ならではのものだと思います。
 私たちが長年仕事をしてきた場所でもあり、海からこの景色を見るたびに特別な思いが込み上げます。




――最後に、これからの神戸港や神戸の街をどのように盛り上げていきたいとお考えでしょうか。その中で御社が果たしていきたい役割や、次世代へ伝えていきたい思いについてお聞かせください。

 神戸の港を、物流の拠点にとどまらず、人が集まり、交流し、新たな価値が生まれる場所にしていきたいと考えています。
 神戸には、海と山が近接する恵まれた環境に加え、メリケンパークやウォーターフロント、神戸空港、六甲山、日本酒をはじめとする食文化など、多くの魅力があります。こうした地域資源を個別に捉えるのではなく、海や港を起点につなぎ合わせることで、神戸ならではの新しい体験を生み出していきたいです。
 今後、特に可能性を感じているのが、ウェルネスやウェルビーイング、ヘルスツーリズムといった分野です。これらの分野に神戸の観光や食、文化、スポーツなどを組み合わせることで、国内外から神戸を訪れる新たな目的を生み出したいと考えています。その際、一過性の取り組みではなく、収益を生みながら地域に根づく、持続可能な事業にしていくことも重要です。
 こうした街づくりは、行政や大企業だけが担うものではありません。中小企業も、行政や経済界、地元企業、さまざまな分野で活動する方々と力を合わせることで、街を動かすことができると思っています。当社もその一員として、自社の事業だけにとどまらず、周囲と連携しながら神戸全体の発展に貢献していきたいです。
 
 振り返れば、当社は140年以上にわたり、その時代ごとに神戸港で求められる仕事に取り組んできました。これからも港湾事業を大切にしながら、時代の変化に合わせて新しいことに挑戦していく姿勢は変わりません。私自身が培ってきた経験や思いも、次の世代へ引き継いでいきたいと考えています。ただ、これまでの当社をそのまま受け継いでほしいわけではありません。その時代の神戸に何が必要なのかを考え、自分たちなりの新しい早駒運輸をつくっていってほしいと思っています。
 大切にしたいのは、港を原点としながら、その可能性を街へと広げていくことです。神戸に住む人にも、神戸を訪れる人にも、「神戸って面白いな」「また来たいな」と思ってもらえる。そんな街をつくる一員であり続けたいと思っています。

 
【プロフィール】
渡辺 真二(わたなべ しんじ)
1966年生まれ 兵庫県神戸市出身 (現在60歳)
1989年3月 甲南大学 経営学部 卒業
1990年4月 早駒運輸株式会社 入社
1990年7月 取締役 就任
1993年7月 常務取締役 就任
2000年7月 専務取締役 就任
2005年より 早駒運輸株式会社 代表取締役社長 就任 (5代目)


■早駒運輸株式会社(https://www.hayakoma.com/)

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